二人の鬼   作:子藤貝

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第四話 バケモノは新たな仲間を求めて、毒を流し込む。
そして毒は彼女を蝕む。


第四話 泉の毒

ウェスペルタティア王国。始祖アマテルの直系からなる、由緒正しき王家を頂く古き国家の一つ。

大分裂戦争の折、その双方の丁度ど真ん中に存在したため、互いの板挟みにあっている国でもあり、度々国境付近では小規模な激突が続いている。だが、かの王家をまとめる今代の王はそれに対して沈黙。周りの貴族が帝国側につくか、連合側につくかで分裂し、政治は混乱を極めていた。

帝国側は、そんなウェスペルタティアを救う名目で兵を動員して侵攻を開始。その規模は巨大なもので、鬼神兵を数体用いるなど、大々的なものであった。

しかし、帝国側の目論見は見事失敗することとなった。その最大の原因は2つ。

ひとつは、この挙兵に対して危機を抱いた連合もまた、兵を動員し、その中には後の『千の呪文の男(サウザンドマスター)』の異名で知られるナギ・スプリングフィールド率いる『赤き翼(アラルブラ)』がいたこと。これらが鬼神兵をなぎ倒し、艦隊も少なくない被害を受けて敗走。これによって窮地に陥っていた連合が息を吹き返したのだが、連合は再び帝国と膠着状態に。一方で、帝国もウェスペルタティア王都が連合側に奪われ、ウェスペルタティアが事実上の連合配下となったことで、帝国は目と鼻の先に連合が陣取られるという非常にマズイ事態となった。この危機を解消するため、2度に渡って王都オスティアに侵攻するも、戦線を二度の侵攻で共に押し返され、連合を有利にするばかりであった。

 

しかし、重要地点である王国の中枢といえる場所であるとはいえ、何故その首都に2度も戦力を投入していたのか。帝国側からはオスティアは遠く、集中攻撃しても押し返される可能性のほうが高かったというのに。それには、帝国側が敗北した第二の理由が関係していた。彼らが恐れ、大きな痛手を出す無謀な侵攻を敢行せざるを得なかった理由。それは、ウェスペルタティア王家が有する『ある能力』と、それを有する人物がオスティアに存在していたからだった。その人物こそ、『黄昏の姫巫女』と呼ばれ、同時に兵器として扱われていた少女。

名を、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。帝国が恐れる能力、『魔法無効化(マジックキャンセル)』を有し、王都に幽閉されていた人物。ナギによって救出され、多少は王国内でも扱いが良くなったが、相変わらず人々からは『魔法無効化』を有する人間兵器として扱われていた。確かに彼女は、ナギによって肉体的には救われたのかもしれない。だが心に、救いは未だ訪れてはいなかった。そんな彼女の、未だ波紋すら浮かばぬ群青色の心の泉に、一石を投じる者達が現れようとしていた。そう、邪悪な鉛の鉱石を投じる、バケモノ達が。

 

 

 

 

 

「弱いな。衛兵がこれとは笑わせる」

 

「……う……あ……」

 

「ケケケ、ゴ主人。コイツマダ息ガアルゼ」

 

「応援でも呼ばれると面倒だ、(なます)にしろ」

 

「アイサー。ケケケッ」

 

小さな悲鳴と、骨が無理やり削られて鳴るゴリゴリという嫌な音。それはまさに、解体ショーと呼ぶにふさわしい光景であった。骨から肉を麻酔なしで削ぎとり、綺麗に剥がしていく様は、醜悪にして吐き気を催す。鼻歌混じりに頭皮を剥がしていき、声にすらならない乾いた叫びがハーモニーを奏でる。それが終わると、腹部の内蔵を引きずり出し、まだ息のある自身の目の前で切り刻む。そんなことをしていると、やがて虫の息であったその男は、白目を剥いて倒れた。解体していた大振りの刃物に血振りをくれてやり、懐から紙を取り出して拭う。くっついた人体の脂は、この程度では取れないので後で処理しようと刃物を仕舞う。

 

「ンー、イイ感触ダッタナ。ホンノ数年前ナラ滅多ニ味ワエナイ感触ダッタンダガ」

 

「……私の……おかげ……」

 

「ソーダナ。ホレ、イイコイイコ」

 

「……ポッ……」

 

「ソレハヤメロ」

 

「……いけず……です……」

 

鈴音をその固い感触の手で撫でくり回す人形。彼女こそ、エヴァンジェリンが最初に契約を結び、自らの相棒として数百年を共にしてきた自動殺戮人形。名をチャチャゼロ。鈴音の先輩でもある彼女は、人を斬るということに快感を感じる醜悪な趣味を持つ。だが、つい数年前までは自制して、めったに人を斬る機会がなく鬱憤が溜まっていた。というのも、エヴァンジェリンがそれを明確な敵以外にはさせない、更には彼女を使うまでもない相手ばかりであったためだ。むやみに殺してしまっては、足がつく可能性が高い。身を隠しながら放浪を続けていた彼女にとって、危険はなるべく避けたかった。

 

しかし、そこに鈴音が現れた。彼女との出会いによって、エヴァンジェリンは自らを人間として考えることをやめ、本格的にバケモノとして生きるようになった。それによって、人間というものに対してさほど情を抱かなくなった。同情はするが、あくまでそれは雨に濡れる子犬を見るような、踏みそうになる蟻のような感覚であり。彼女がそれを助けるといった行動にはいかない。あくまでかわいそうだと思うだけであり、それに手を差し伸べるには理由が必要だ。犬が芸達者で面白ければ拾うし、蟻が恩返しでもしてくれるなら喜んで足をどける。そうでなければ、犬など見捨てるし蟻だって容赦なく踏み潰す。彼女にとって、かつて身近であった人間は遠いものとなっていた。彼女に近いのは、鈴音やチャチャゼロのような、バケモノに近い存在のみ。ただ、相変わらず鈴音が言うには、『魂』は未だ人間であり、不完全な真祖の吸血鬼、といった具合である。どうやら、600年もの間人間らしく振る舞ってきて、魂の在り方を変えぬまま今に至ったが故の弊害であろうと、エヴァンジェリンは結論づけている。未だ人の身に戻りたいというちっぽけな思いが、心の片隅で息づいているのだと。彼女は、そんな自分を自嘲している。最上級のバケモノである真祖の吸血鬼たる自分が、不完全で歪などとはなんと滑稽なのだろうと。なんという失笑モノだと。まあ、鈴音も人の肉体でありながら鬼に至った存在であるので、彼女たちはある意味似たもの同士の存在であるようだ。

そんな彼女は、チャチャゼロを仕舞いっぱなしでは可哀想だと引っ張り出し、以後は鈴音の戦闘面での教育や、話し相手として楽しくやっている。邪魔だと思えば容赦なく人を斬り殺しても良いと許可を出し、チャチャゼロも好き勝手にやっている。一度の出会いでこれだけ。これだけの邪悪が今に脈動するに至ったのだ。

 

「さ、せっかく王宮などという面倒な場所に来たのだ。せいぜい楽しもうか」

 

口元を三日月に歪めて笑い、奥へと進む。その後ろを、二人の従者がついていった。

 

 

 

 

 

「なに!? 賊の侵入を許しただと!?」

 

「衛兵共は何をやっていたのだ!」

 

「ええい、これが帝国による犯行であれば由々しき事態ぞ!」

 

王国の会議室では、貴族たちが鼻面を合わせて議論を交わしていた。王宮に賊の侵入あり。その報告を聞いた貴族たちは緊急招集を掛け、会議室にこもって今の状態を延々と続けていた。衛兵に度々連絡を受け、指示を出したりと一見仕事を全うしているかのようだが、その実彼らは何もしてはいない。会議室にこもっているのは、身の安全を守るため。何らかの襲撃があっても、この会議室は余程のことがない限りは壊れないほど頑丈で、王族を守護する精鋭が周りを固めている。指示を出しているのは、自分たちがこの安全な場所から出たくないため。だというのに、命を賭して戦っている衛兵に対して文句ばかりをつける様は、まるで怯えを隠すための子供のようで滑稽だ。その様子を、冷めた目で見ている女性が一人。美しい金の髪、目鼻立ちの整った顔。白い肌はなめらかな白磁の陶器のようで、力強い目は凛とした美しさを際立てる。彼女こそ、このウェスペルタティア王国の王族にして、次期女王候補。アリカ・アナルキア・エンテオフュシアであり、この議会を取り纏める役目を持ている。本来であれば、この役目は現国王であるアリカの父がやらねばならないのだが、彼は戦争が始まってからしばらくして、政治にさして関わらなくなってきている。これによって、貴族は連合派閥と帝国派閥に分裂。やりたい放題の有様であった。

しかし、連合に組み込まれてからは帝国派閥が大きく弱体化し、その隙を突いてアリカが政治に関わり始め、彼らを取りまとめることに何とか成功した。彼らからは不満の声が相次いだが、さすがに王族相手では迂闊なこともできず、神輿にして担ぎ上げようにも、彼女は優秀で聡明であり、実行しようとした貴族が逆に手玉に取られた挙句没落してしまった。尤も、これは彼ら貴族が政治能力が低い事を僅かながらに露呈したことでもあり、今の王国がどれだけ腐敗しているのかは想像に難くない。

 

(全く……。この馬鹿共を何とかせんといかんな……)

 

ため息をつくアリカ。その姿は実に可憐なのだが、その憂鬱なさまはどこか哀愁を感じさせるものであった。さて、彼らの口論をじっと眺めていると、アリカはふと、あることを思い出して貴族の一人に質問を投げかけた。

 

「モルドー伯爵。『黄昏の姫巫女』はどうした? しっかりと警備させているのか?」

 

「……要らぬ心配でしょう。あそこの壁は頑丈で、大規模魔法でさえ破壊できませんよ」

 

質問された貴族、モルドー伯爵は鬱陶しそうに返答する。露骨な態度にアリカは内心、嫌味な奴だと毒づくが、今はそんなことをいちいち考えている訳にはいかない。

 

「……衛兵はしっかり配置されているので?」

 

「衛兵? あれほど頑強な場所に閉じ込めているのにですか? アリカ様は随分とご冗談がお好きなようですな!」

 

アリカを完全に舐めきった態度で、貴族はフンと鼻息を一つ。その後、再び貴族たちとの意見交換とも言えぬ会話を続ける。

 

(会議は踊る、か。『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』ではそんな言葉があると読んだが、正にこの事じゃな)

 

苦い顔をするアリカ。ここにいるのはどいつもこいつも阿呆ばかりだ。あの『黄昏の巫女』が奪われれば、どれだけの事になるか分かっていない。下手をすればこの国は利用価値を失うかもしれないのだ。『魔法無効化』という稀有な能力を、代々受け継ぐウェスペルタティア王家だが、連合はこの能力を保持するためにこの王国を解体せず、保護する名目で支配下においている。戦争が終われば実効支配はされていない現状であるため、素早く動いて支配から抜け出すことができる。だが、今この国を維持する価値がなくなってしまえば、連合は容赦なく切り分けてしまうだろう。アリカも、例に漏れずに能力を有してはいるが、アスナに比べれば微々たるもの。この状況でもし、アスナを失えば最悪自分が矢面に立たされる。即ち、希少な能力を有すアリカを保護する名目で、幽閉されて政治から遠ざけられかねない。

 

(マズい……非常にマズい状況じゃ。私も、そして王国の未来もこのままでは

閉ざされる……!)

 

アリカは立ち上がると、直ぐ様出入り口のドアへと近づいていく。幸い、貴族たち(バカども)はおしゃべりに夢中で気づいてはいない様子。今なら気付かれずに脱出できるだろうと、アリカはそっと扉を開ける。案の定、貴族の誰一人としてこちらを見た者はいなかった。そのまま、アリカはゆっくりと扉を締める。そして、扉の前で待機していた衛兵に、頼みごとをする。

 

「頼みがある。妾を、『黄昏の姫巫女』のところに連れて行ってくれ」

 

 

 

 

 

鈴が鳴る。一人の首が宙を舞い飛ぶ。

鈴が鳴る。一人の両腕が落ちる。

鈴が鳴る。二人の胴が泣き別れになる。

 

「相変ワラズ、綺麗ナ斬リ方スンナァ……。鍛エタ身トシチャ、誇ラシクモアルガ嫉妬モシソウダゼ」

 

「お前の教育がよかったのだろう。それに、あいつは元々そういったことに関しては天性の才能があったからな」

 

音もなく次々と、衛兵たちを惨殺していく鈴音の姿を見て、二人はそんな他愛もないことを話すかのような喋りで会話する。

 

「……少ない……」

 

「ふむ……。罠の可能性も考えられる、か。鈴音、周りに他の人間はいるか?」

 

「……生き物の『呼吸』は、感じません……」

 

「ブービートラップデモ仕掛ケテアンノカ?」

 

チャチャゼロはそんなふうに勘繰るが、どうやらその予想はハズレであったようだ。

 

「ナーンモナイナ……」

 

万が一のため、幾つかの人形を使ってエヴァンジェリンが罠を探すが、それらしきものは全く見当たらない。

 

「なんだ、もう着いてしまったじゃないか」

 

「……呆気無い……」

 

眼前に(そび)え立つのは、重厚な扉。オスティア王宮の離宮の一つであり、魔法でも掛かっているのかその錠前は破壊するということがバカバカしくなるような威圧感を持っている。だが、こちらには鈴音がいるのだ。

 

「……斬りますか……?」

 

「そうだな、任せた」

 

魔法でいくら強化されていようと、彼女の能力が相手では意味が無い。腰に()いた日本刀の柄を再び握り、腰を低く構える。

 

「……『俄雨(にわかあめ)』……」

 

リィン

 

鈴の音が響く。錠前は一見すれば、相変わらず頑丈な様を見せつけている。だが、先程まで感じられていた威圧感が全くない。次いで、数秒後に錠前はゆっくりと、その惨状を晒していく。

 

「見事」

 

エヴァンジェリンの簡潔にして、掛け値なしの賞賛の言葉。その言葉とともに、錠前が重々しい金属音を響かせて石畳の床に落下していった。

 

「ヒュー、イーイ斬リップリダゼ……」

 

「切断面が非常に滑らかだ。これだけの錠前をここまで綺麗に捌くとは、お前もこの1ヶ月で色々と学んだようだな」

 

「……更に、『呼吸』が読めるように・・・。あと、気も大分……勉強に、……なりました……」

 

『俄雨』。鈴音が会得している流派の技の一つであり、これも『時雨』同様居合を用いる。ただ、こちらは時雨と違い、居合そのものに特化した技であり、連続使用を想定しない技だ。その代わり威力、速度共に時雨を超える。それだけであれば唯の居合だが、恐るべきはその納刀。今は行なっていないが、この技は納刀する瞬間にわざと予備動作を入れることで、万が一相手が死ななかった場合でも、恐るべき真空の刃を放つことができる。受け身の技であるがゆえに、相対する相手が全く攻撃のタイミングが読めない、正に唐突に降る俄雨のようであり。これをくぐり抜けてももう一手が存在する『二分(にわか)』の言葉が掛かっている。

 

「さて、ようやくご対面だ……」

 

重厚な扉を、幼い姿のエヴァンジェリンがゆっくりと押し開ける。実に奇妙で不可思議な光景だが、彼女の纏う雰囲気がそれを感じさせない。扉の先に、悠然と彼女たちは進んでいった。

 

 

 

 

 

「急げ……急がねばならん……!」

 

何とか衛兵を説得し、『黄昏の姫巫女』が隔離されている離宮へと急ぐ。アリカはとてつもなく嫌な予感が胸の中に渦巻き、それは段々と大きくなってきている。

 

(何か、帝国の刺客以上に厄介な何かが此処へとやってきている感じがする・・・!)

 

政治に関わってから日は浅いが、彼女は元々そういったことに関しては一級以上の能力を有している。そうでなければ、あの貴族という狸共に利用されているだろう。そんな彼女が最も突出しているのは、危機に対する察知能力だ。彼女は常に狸共が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する魔窟たる王宮にて育ってきた。度々命の危機に瀕する場面がいくつもあった。それによって、彼女の危機を察知する能力が鍛えられた。そんな彼女がこれほど背筋に寒気を覚えるような警鐘は、これまででも感じたほどがないほどのものであった。

 

(帝国だの連合だの……そんなことが小さく思えてくるような怖気……! 一体、彼女に何が迫っているというのじゃ!?)

 

急ぎ足で進む。恐怖をごまかすために人差し指の第二関節の山を噛む。強く噛みついてしまったのか、そこから血が流れだしてきたが、痛みは感じない。はっきりいって、そんなものを感じている暇がない程、彼女は切羽詰まっていた。ようやく離宮に繋がる通路へとたどり着いた。しかし、絶えず巡回を行なっているはずの衛兵が誰一人。そう、誰一人として見当たらなかった。

 

「こ、これは……!」

 

先に進み、安全を確認していた衛兵の声が聞こえる。駆け足で向かってみれば、そこは地獄であった。

 

「う、酷い……!」

 

あたり一面が血の池であり、歩く度にピチャピチャと水音がする。足の裏から僅かに感じるゴツゴツとした感じは、冷えた石畳によって凝固し、床にへばりついている血の塊である。散乱しているのは衛兵の首や、足や、腕。その全てが鋭利な刃物による切断をされたものだと判断できる滑らかな断面。

 

「これだけ綺麗な斬り方は初めて見ます。正直、賊でさえなければ手放しに賞賛してしまいそうなほどの……」

 

「衛兵は皆王宮警護のために選抜された生え抜きばかり。それがこんな容易く……」

 

「ただの賊でないのは間違いなさそうじゃ」

 

惨状を眺め、アリカは自らの不安が現実のものであると確信する。先へと進む。今はただ、それしかできない。

 

 

 

 

 

「……誰」

 

「ごきげんよう、『お姫様』」

 

「……誰なの」

 

「フフ、そう警戒しなくてもいいさ。私はただの魔女だよ」

 

ただし、悪い魔女だがなと付け加える。アスナは空虚な瞳で、彼女の姿を眺めていた。自分と同じぐらいの体躯に、人間とは違う何かを感じさせるオーラ。そして、彼女が抱いた感想は"落胆"であった。

 

(……ナギじゃない……)

 

自らをあの激戦の中から救い出し、裏のない純粋な優しさを与えてくれた人物でない。その事実は、彼女を酷く失望させた。彼女が今興味がある存在とは、ナギやその仲間、そして王家の人間や、自分を利用しようとする貴族たちのみ。どこの誰とも知れない人物に彼女が興味を抱くはずもない。下手をすれば、自分をさらいにきた人間だろうし、実際それだろう。ただ、わざわざ自分から"悪い魔女"などという酔狂さは、彼女には到底理解できなかったが。

 

「ふむ。予想以上に反応が少ないな、だが私も鈴音相手に数年かけて会話をつなげるようになったのだ、この程度はどうということも無し」

 

「……マスター、かっこいい……」

 

「そ、そうか? ……って今度はかわいいではなくて、かっこいい?」

 

コクコクと頷く鈴音。鈴音の感性がよくわからんと首を捻るも、今はそんなことを悩んでいる暇など無い。

 

「さて、単刀直入に聞こう。外に出たくはないか?」

 

「外になら……ナギが出してくれる……」

 

「ほぅ……あの『英雄の卵』か……」

 

顎に手を当て、対象の顔を思い浮かべる。14という年齢で戦争に介入し、『赤き翼』を率いる若きリーダー。鈴音が優秀であると判断し、エヴァンジェリン自身本命として考えていた存在。そんな彼が、アスナに関わっていたことはさすがに知らなかったが、それならば懐柔策が自然と浮かび上がる。

 

「……なら」

 

彼女が投げ込むは、重い重い鉛の鉱石。

 

「ナギに会いたくはないか?」

 

その波紋は大きく彼女の心の泉を揺らす。だが、所詮はそれだけだ。彼女はナギから再び会おうという約束をされた。ならば、彼が来るのを待てばいいだけ。

 

「……別に。待てばいいだけ」

 

「無理だな。あいつは戦争で忙しい、その内にお前はまた兵器にされるだけだ」

 

「……ナギは強い……」

 

クククと、面白そうに。愉快そうに笑うエヴァンジェリン。彼女に合わせるかのように、カタカタと音を鳴らしながら笑うチャチャゼロ。そんな二人を見て、鈴音は微笑む。

 

「たしかに奴は強いなぁ。だが、私達のほうが数段上だ。お前が着いてきてくれないというのなら、私はうっかり奴らを殺してしまうかもなぁ?」

 

「……無理」

 

「無理かなぁ? なら、此処の壁ならばどうだ? ナギ・スプリングフィールドよりは弱いだろ?」

 

「……それも無理」

 

「そうか。……鈴音、此処の壁。できるか?」

 

エヴァンジェリンが指さしたのは、この離宮の分厚い壁だ。特殊な魔法がかかっており、『千の雷』でさえ(ひび)一つはいらない。アスナは鈴音を見る。華奢であり、力は無さそうだ。

だが。

 

「……はい……」

 

「ではやれ」

 

簡潔かつ、絶対的な命令。

 

「……了解……しました……」

 

そして、彼女の雰囲気が、変わった。その研ぎ澄まされた気は、歴戦の戦士や長年鍛錬を積み上げた達人を思わせる。だが、彼女はどう見てもエヴァンジェリンや自分と同じ、幼さを見せる姿だ。実際には、鈴音は10歳などとうに過ぎているのだが。驚くべきことに、彼女の実年齢は14歳程。まあ、全くといっていいほど肉体が成長していないせいで、幼く見えてしまうのだが。エヴァンジェリンは、彼女の魂に肉体が引っ張られることによるものだとしている。鬼は基本的に長命な種族が多い。中には吸血鬼という不老不死の存在だっている。鬼の魂を持つ彼女ならば、肉体もそれに従おうとしているらしい。まあ、不老でもなければ不死でもないので、鈴音は己のマスターとは逆に肉体面で不完全な鬼といえよう。そんな彼女だが、纏う雰囲気は冷たく、そして鋭い。鍛えあげられた一本の剣のようだ。

 

(……人間?)

 

アスナが疑問に思うのも無理は無いだろう。エヴァンジェリンは人間ではない雰囲気を漂わせてくるため判別できたが、彼女は肉体は人間のもの。魂を見分けられる鈴音の『呼吸』が使えないアスナでは、人間の気配を持ちながらそれとは違うオーラを発する鈴音に戸惑いを覚えるだろう。

 

リィン

 

鈴の音。ただそれだけがこの部屋の空気に溶け込んでいく。鈴音のあまりに速い抜刀は、音を置き去りにする。即ち、金属である刀身が空気に晒されて微かな音を奏でるのだ。故に、彼女の鈴の音が聞こえたが最後。相対するものは何が起こったのかも分からずに死ぬ。ただし、この鈴の音にはもう一種の理由が存在するのだが。さて、彼女の神速の剣技によって、分厚い壁はどうなったのか。しんと静まり返った部屋では、アスナには自らの心臓の鼓動が早くなっていく様子が、音でよく分かった。

 

(……何……この不安……このいやな感じ……)

 

彼女の予感は、当たって欲しくないという願いとは裏腹に実現する。壁の一部、そうほんの一部分が小石となって地面に落ちる。そして怒涛の勢いで崩れ去る、壁。数百年もの間傷一つつけられなかった強固な壁が、こんな幼い少女によって。

 

「……壊れた……!?」

 

「ようやく……動揺したな?」

 

「……っ!」

 

邪悪な微笑み。アスナが不可能だと言ったことを実行してみせた鈴音。それらが普段全く感情を発露しないアスナの心を乱す。泉に鉛の石を投じたのはエヴァンジェリンだが、波紋は、彼女自身の手によって発生させられてしまったのだ。その波は、彼女を大きく揺さぶっていく。

 

「分かっただろう? 私達が『赤き翼』を殺しうる存在であると」

 

本気だ。彼女らは本気で、自分が従わなければ殺すつもりだということを、アスナは直感的に理解した。体が僅かに震える。自分を救い出してくれた人々。彼らを失うことが、アスナはとても怖かった。感情などとうに忘れたと思っていたが、この恐怖の体現者がそれを記憶の奥底から無理矢理に引っ張りだしたのだ。

 

「……目的は何? ……私の力が欲しいの……?」

 

彼女らに主導権を握られ切らないよう、こちらから譲歩を行う。こちらが折れれば、彼女らはとりあえずは『赤き翼』を殺すといったようなことはしないはずだと、彼女の本能が囁いてくるのだ。だが、それは彼女の犯した致命的なミス。返ってきた答えは予想外のもの。

 

「いや、能力などこれっぽちも興味が無い。私が欲しいのはな、アスナ姫。お前自身なのだよ」

 

「……私、自身……?」

 

「そうさ、『魔法無効化』のせいでバケモノ扱いされているお前が欲しい」

 

彼女は顔を顰める。慣れてきているとはいえ、そんなことを真正面から言われれば嫌な気分にもなる。だが、彼女は気づいていない。感情を久々に表しているせいで、彼女の思い通りに話を進められていることに。

 

「そう嫌そうな顔をするなよ、悲しくなってくるじゃないか」

 

おどけてみせるエヴァンジェリン。アスナの警戒は強くなる一方だ。だが、エヴァンジェリンは内心ほくそ笑んでいた。こうも上手くいくとは、と。

 

「実は私もな、バケモノとして扱われ続けてきたんだよ……」

 

「……」

 

「魔女狩りで焼かれたこともあるし、人と共に歩もうと努力しても駄目だった。人間はな、私達のような存在は排斥しないと気がすまないんだ」

 

「……同情でも誘うの? ……その手には、乗らない……」

 

「いいや、そうではないさ。私が言いたいのは、人間なぞ信用出来ないということさ」

 

「……ナギはちが」

 

「違うと言い切れるか? ん? お前は奴の心の中を覗いたことでもあるのか?」

 

「……それは……っ!」

 

言い切れない。彼女はナギと出会って日が浅いし、彼とあまり会話もしていない。考えてみれば、自分は何故彼にあそこまで期待を抱いていたのかと疑問がわく。彼女の心の泉は、今やエヴァンジェリンによって投げ込まれた鉛の石によって毒の泉になっている。鉛の中毒は少量では発生しないが、何度も摂取すれば段々とその症状を発してくる。彼女は、エヴァンジェリンによって揺り動かされた心の泉の水を飲み、それを吟味している。何度も何度も、頭の中で反芻して。

彼女の心は、既に毒によって汚染され始めている。信じていた者達に対する疑惑。自分が抱いていた思いの真偽。本当に自分は彼によって救われたのか。本当に自分は救われただけで彼らに好意を抱いたのか。

 

(……私は、必要とされたことがない……?)

 

一瞬。そう一瞬だが、そんな風に疑ってしまう。そんな自分に気づき、必死にその考えを否定しようと頭を振る。自分の頭を押さえつける。吐き気が催してきて、胃の奥から酸性の液体がせり上がってくる。それを何とか嚥下し、呼吸を整える。だが、一度湧いてでた疑問と不安は彼女の脳をどんどんと侵していく。

 

「なあ、不安だろう? いつ裏切られるか、本当に自分を信頼してくれているのか。本当はバケモノとして見られているのでは、そんな不安が湧いてくるだろう? 私もそうだったさ、何度も何度も裏切られたからな」

 

「……あなたも……? ……でも、今はそんな風に見えない……」

 

「ククク、それはな。私の従者、ああ紹介するよ。鈴音というのだがな、コイツもまた私と同じくバケモノであったからだよ」

 

人間はすぐに自分を裏切る。それは、人間とバケモノは違う存在だからだ。だが、人間はある程度は人間同士で信頼を置く。そうしなければ孤独と不安で押し潰されてしまうからだ。ならば、バケモノ同士であればどうだ。そんな風に、エヴァンジェリンは語る。アスナは、エヴァンジェリンと鈴音を見比べて、その関係を羨んだ。とても、とても固い信頼を見て取れたのだ。エヴァンジェリンの目からは鈴音に対する絶対の信頼を。鈴音からは、エヴァンジェリンへの親愛と忠誠を感じる。だが、自分はどうだ。彼女らのように、自分はナギ達と信頼を結んでいるか。

 

(……違う……)

 

信頼など無い。不安。孤独。感情を取り戻したが故の弊害。彼女に襲いかかるのは数多の人間たちが恐怖した巨大な恐怖。不安は疑惑を拡大させていき、孤独は人をゆっくりと殺していく。

 

(……私も……必要とされたい……)

 

『赤き翼』は助けてはくれた。だが必要とはしてくれていない。自分という存在を、かけがえの無いものとしてくれてはいない。再度、二人を見る。

 

(……私も、あんなふうになりたい……!)

 

毒は、彼女に回りきった。今彼女は、エヴァンジェリンの掌の中。

 

「……アスナ……」

 

「っ!」

 

ここまで一言も喋らなかった鈴音が、一言。そう、ほんの一言だけ語りかける。

 

「……お友達……に……なりたい……」

 

エヴァンジェリンからではなく、鈴音による最後のひと押し。差し伸べられた手はとても魅力的で、でもとってしまえば戻れなくなりそうで。

 

「わ……私は……!」

 

「そこまでじゃ!」

 

 

 

 

 

(間に合ったか……! 早く、早くアスナ姫を別の場所へ避難させねば……!)

 

(すんで)の所で間に合い、一先ず安堵の表情となるアリカ。だが、そのほんの僅かの気の緩みが、決定的な引き金を引かせるチャンスをうんでしまう。

 

「大人しく縄につけ、この賊共め!」

 

剣を構え、エヴァンジェリンへと突貫していく。だが、狙いが逸れたのか、彼が振りかぶった相手はアスナ(・・・)だった。

 

「な、なんだ!? 体が……!?」

 

「ま、まずい!」

 

しかし、最悪の事態は免れる。エヴァンジェリンがアスナに届く寸前で身を呈して庇ったのだ。

 

「が……あ……!」

 

「ひっ!」

 

小さな悲鳴を上げるアスナ。目の前では、真っ二つにされたエヴァンジェリンの死体。アスナ自身にも、エヴァンジェリンの返り血がかかってしまい、真っ赤に染まっている。

 

「……酷い……!」

 

鈴音が、怒りを顕にした顔で衛兵を睨む。衛兵としても、何故手元が狂ったのかが分からず、呆然としている。ただ、アリカだけは冷静に状況を分析していた。

 

(……何じゃ……何故衛兵が相手を誤るなどという失態が……そもそも何故、あの賊の少女はあれに反応できたのじゃ?)

 

組み上がっていく答え。その全体像が浮かび上がってきた時、彼女の背筋に氷点下の寒気を感じさせた。

 

(いかんっ! これは奴によって組まれた茶番だ!)

 

ピクリと。エヴァンジェリンの死体が動く。上半身がゆっくりと起き上がると、分断されていた腰から下と飛び散った少量の肉片が、彼女に向かって進んでいく。衛兵たちは、それを呆然として只々眺めているしかなかった。やがて、血液さえも彼女に吸収されて肉体が再構成されると、エヴァンジェリンはゆっくりと起き上がる。

 

「酷いじゃないか、見ず知らずの相手を真っ二つにするなんて」

 

「……ひ、こ、この……」

 

「っ! よせっ!」

 

言ってはならぬ一言を、衛兵が口にしようとしているのを見て、アリカが止めようと叫ぶ。だが。それは無駄であった。

 

「このバケモノめ……!」

 

言ってしまった。もう、取り返しのつかない事態となってしまった。

 

「……やっぱり……」

 

アスナの、か細い声。

 

「誰も私を……人間だなんて思ってない……!」

 

エヴァンジェリンに向けられたはずの言葉を、彼女の間近にいるアスナも真正面から受け取ってしまった。彼女はついに、人間に対して完全に別れを決めた。

 

「……連れてって……」

 

それは、衛兵やアリカに向けられた言葉ではない。

 

「ん? いいのか? 『赤き翼』の連中が迎えに来るんだろう?」

 

そんな、意地悪なふうに言うエヴァンジェリン。アスナは首を横に振り、

 

「……もう、いいの……私は……あなた達に必要とされたい……!」

 

懇願。アスナの精一杯の感情表現は、エヴァンジェリンにしかと伝わった。

 

「ではアスナよ、私に忠誠を誓ってくれるか? 私とともにいてくれるか?」

 

「誓う……! 誓うから……連れて行って!」

 

アリカは内心歯噛みしていた。間に合ったと思っていたが、その実彼女は既に篭絡寸前であったということに気づけなかった己が情けなかった。

 

(あの姿、恐らく懸賞金600万ドルを懸けられた『闇の福音』だろう。『人形遣い』の異名を欲しいままにする奴なら、衛兵を不可視の糸で操って『黄昏の姫巫女』を狙わせるなど容易いはず。そして彼女を庇うことで、彼女に信頼を刷り込ませ、再生するところを見せつけて『バケモノ』と呼ばせることで彼女にその言葉を真正面から浴びさせる。……なんと狡猾な……!)

 

エヴァンジェリンはアリカの知らないところで彼女を追い詰めていき、人間に対する不信をどんどん膨らませていったのだろう。そして、この茶番とも言える一連の流れで、ついに彼女は人間と決別する意志を固めてしまった。

 

「……クククッ! では『黄昏の姫巫女』、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアよ。私はお前が共にいようとする意思を持つ限りお前を愛そう……。鈴音同様、な」

 

その言葉に、アスナは感極まって涙を流しながら頷く。

 

「ありがとう……ございます……っ!」

 

「では、もう此処に用はない。行くぞ鈴音、アスナ」

 

「ま、待てっ!」

 

アリカの静止も聞かず、アスナは先ほど壊した壁から、鈴音と共に出ていく。下は断崖だが、それを恐れている風には見えない。部屋から抜け出る際、一瞬だけ彼女はこちらを見ていた。その目は、かつて自分に向けてきた、同じウェスペルタティア王家の人間でに対する友好的な雰囲気を持った目ではなく。

興味を失ったよな、そんな無機質な視線であった。

 

「クク、アリカ王女、だったかな?」

 

「そういう貴様は、エヴァンジェリンじゃろう?」

 

「さすがに知っているか。中々聡明そうな面構えだが、アスナは頂いたぞ。次は、大事なものを

しっかりと守れるようにしろよ?」

 

そこで会話を切り、エヴァンジェリンは影の魔法で消えていった。後に残されたのは、崩壊した離宮とアリカと衛兵たちのみ。

 

(私の勘が告げていたのはこれかっ! 由々しき事態じゃ……! あれだけの巨悪が世に解き放たれようとしておる!)

 

戦慄するアリカ。彼女らの目的は全くの不明だが、碌でもない事は間違い無いだろう。

 

(何とか……何とか対抗できる戦力を揃えねば……!)

 

固く決意するアリカ。この数ヶ月後、彼女は『赤き翼』と接触する。


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