二人の鬼   作:子藤貝

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狙われる少年少女たち。
雨に紛れて、魔の手が迫る。


第五十四話 忍び寄る足音

楓宛の手紙が届く数日前のこと。

 

「……遠方より遥々来て頂き、恐縮の至り」

 

木造造りの建物、その一室。年季を感じさせる古い柱が、風でキシキシと音をたてている。部屋には数人が座しており、その殆どが堅気の人間ではない雰囲気を発している。特にそれが顕著であるのは、厳しい表情で目の前にいる相手を見つめる男。

 

「前置きはいいよ。僕がきた理由はただ一つ、先日の件で正式な返答を頂きたい」

 

相対する人物は、まだ年端もいかぬ少年である。しかし、相手の威圧もまるで柳に風の如く受け流している。その顔には表情が窺い知れず、未知の恐ろしさを醸し出していた。

 

「確かに、我らもこのまま飼い殺しにされるよりはマシではある……」

 

彼らが今取り交わしているのは、ある契約事に関してのことである。その内容とは、フェイトら『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』が旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)の日本で更なる足がかりを作るためのものであり、フェイトはその使者としてここに派遣されたのである。

 

そしてフェイトと話し合いをしている男たちこそは、古くから日本を影から守り続けた者達。裏を知る者たちからは『影』、あるいは『(しのび)』と呼ばれている者達であり、本来敵対すべき相手であるはずなのだ。

 

「契約の内容も、普遍的でおかしなものではないな」

 

「しかし、こやつらが裏切らぬとも限りませぬぞ」

 

横から、背の高い男が言葉を挟む。フェイトはそれを聞いて眉を一つ動かした後。

 

「そうかい、ならこの話はここまでにすべきかな?」

 

席を立ち上がり去ろうとするような所作を見せる。

 

「いや、わざわざ使者まで立ててくれたのだ。こちらとしてもある程度信用できる相手だと考えている。足立、そういきり立つな。これでは話し合いもできん」

 

席を立とうとしたフェイトを見て、男は口出しをしてきた者を手で制し、相手への不快感を少しでも軽減しようと努め、再び座るよう無言で促す。フェイトはそれを了承し、再び座布団の上へと腰を下ろした。

 

「非礼を詫びよう。ただ、我らは古くからこの日の本を支えてきた自負がある。だからこそそういったことに人一倍敏感なのだ」

 

一呼吸空けた後、男は続ける。

 

「それ故、もしこの地で何事かを起こそうと言うのであれば、我らは即座に見切りをつけさせてもらうぞ」

 

「構わないよ。むしろ外来の僕達に注意を払わないほうがおかしいからね」

 

「しかし、外国の企業が我らのことを知っているとは驚きだ。日の本でさえ、我らのことを知っている者達は少ないというのに」

 

何故、彼ら忍とフェイト達が話し合いの席につけているのか。それは、フェイト達が外国の企業としてここへやってきたためだ。中東を中心として事業を展開している企業であり、貿易産業を主とした実際に存在する会社である。

 

ただし、その裏の顔はこの世界での情報を集めるために組織されたものであり、世界中に彼らの手が伸び始めている。だが、日本にそのことを知る者達はほぼ皆無だ。麻帆良学園はメガロメセンブリアの直轄地であり、情報の遮断など容易い。よって、彼らはフェイト達の正体を知らないのである。

 

(……関東と関西が融和を進めているとは聞いたが、そのゴタゴタのせいで外来の干渉を許してしまうとはな……完全に不意を突かれた形か)

 

情報収集や隠密活動を得意とし、現代にも溶け込んで暗躍する彼らも、流石に管轄外である外国の世情には疎い。ネットを通じて情報を集めようにも、魔法に関する事柄は情報漏れを防ぐために電子精霊によって規制されているため情報が手に入りにくいのだ。

 

何より関東魔法協会と関西呪術協会との確執によって、日本を影から支えてきた者達は魔法使いに対する嫌悪感が大きいこともあり、西洋の魔法使いに関わるものを排斥してきたのも原因の一つといえる。彼ら忍のように、徹底的に感情を排除し、意見を取り入れて柔軟に動くというのは難しいのである。

 

「魔法に関してはある程度関わりもあるけど、如何せん僕たちはこの国では歓迎されない。だからその脅威を取り除いてもらいたい」

 

「……成る程、そちらの要求は以前と変わりなく、でござるか」

 

「そちらとしても悪くはないと思うけどね?」

 

一見すれば、裏からの脅威から守ってほしいという、この界隈ではごくありふれた内容。しかし、その条件の一つこそが彼らに契約を躊躇わせる理由である。

 

「麻帆良学園に対する接触の禁止……。何故それを求められるでござるか、フェイト殿」

 

「別段おかしなことではないさ。昔からの雇用主だった相手と下手に接触されては、僕達も安心できないのは当然だろう?」

 

「そうではない。むしろ我々との同盟よりも、我らを麻帆良学園から手を引かせることそのものが目的に見えるでござる」

 

まるで、学園になにか触れられたくないようなものがある。そんな裏を男は感じ取っていた。

 

「ああ、それなんだけどね。今、麻帆良学園には『英雄の子』がいるんだ」

 

「……何?」

 

英雄。一見して華々しいイメージを抱かせる言葉だが、彼ら裏に生きる者にとってそれは、先の大戦で活躍していた者たちを皮肉る言葉。多くの犠牲を強いたあの戦争は、彼ら忍であってもあまり気分のいいものではなかった。実際、里の少なくない若い戦力が犠牲になったのだから。

 

「近衛詠春の属していた『赤き翼(アラルブラ)』のリーダーの息子がいる。麻帆良学園の魔法使いは、彼を英雄の後継者にせんとやっきになっていてね。その周囲を優秀な人間で囲おうって考えているらしい」

 

「成る程、な」

 

得心がいったという風の男の態度。元々この取引に応じた理由として、贔屓の雇い主である麻帆良学園側から圧力をかけられることが最近多くなり、仕事に支障が生じていたという経緯がある。

 

(恐らくは、その『英雄の子』の情報が漏れないよう魔法使いらが結託している。大方、英雄として祭り上げるための下準備といったところか)

 

男は今までの麻帆良学園側の態度から即座にその答えを導き出した。実際は、目の前にいる少年の組織が元老院を使って行ってたことであり、大本の原因は彼らの仕業であるのだが。

 

とはいえ、ネギの存在を秘匿しておきたいという理由は麻帆良学園側にも確かにあり、積極的にそう動いていたのもある。が、それはネギを本国に利用されないようにという真逆の理由である。

 

「だが、そちらも西洋の魔法使いでござる。彼らと協力体制を取るほうがメリットも大きいはずでは?」

 

「僕達の長は西洋の魔法使いに散々苦しめられた過去があってね、毛嫌いしてるのさ」

 

フェイトの目を見て、男は嘘を言っていないことを確認する。確かにエヴァンジェリンには魔法使いから迫害された時期があり、言っている事自体は嘘ではない。尤も、そんな彼女こそ魔法世界を裏から牛耳る悪の親玉なのだが。

 

「……致し方あるまい。そちらの条件を飲もう」

 

「頭領!?」

 

「しかし、それでは彼らとの約定が……!」

 

彼らのような裏稼業の人間は、信用が第一である。実力があっても信用されるだけの後ろ盾や実績がなければ相手にもしてもらえない。麻帆良学園との契約は今だ健在であり、この取引を受諾すれば麻帆良学園を裏切る形となる。

 

「最早、麻帆良学園にかつての姿はない。魔法使いに支配され、我らのことさえ排除しようと動いている。それでもなお、約定を守るというでござるか?」

 

「そ、それは……」

 

「このままでは、いずれ里は立ちゆかなくなる。そうなれば我らという抑止がなくなり、余計に好き勝手をされるであろう。なれば、あえて泥も被ろうぞ」

 

彼らの忠義はあくまでも国家に対するもの。主人を変え場所を変え、その時代時代を生き抜くことを第一とし、それによって影から国を支えてきたのである。たとえ汚名を被ろうとも、それが里の存続に繋がるのであれば、即ち国益に繋がる。

 

「問題は、中忍の一人が麻帆良に通っておることだが……」

 

「このタイミングで呼び戻すのは、流石に怪しまれるな」

 

楓を魔法使いの暮らす麻帆良学園に通わせることで、その内情や魔法使いに関しての見聞を広めさせて後進へ繋げる腹づもりであったのだ。また麻帆良に危機が迫った時には素早く対処できるように麻帆良で暮らさせていたのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。

 

「……やむを得ん、最低限その『英雄の子』との関わりを絶たせるぐらいしかあるまい」

 

「ネットが監視されている以上、連絡は手紙がよいか。余計な封術はせず、あくまで自然に」

 

話し合いが行われる中、フェイトは一人顔色一つも変えずにこの後のことを考えていた。

 

(これで、麻帆良への侵入は容易になった。あとはヘルマンと合流するだけだ)

 

麻帆良学園は様々な要因から侵入してくる輩が多い。学園を覆う巨大な結界があるとはいえ、それをくぐり抜けるものだって少なくない。だから、麻帆良の外部からある程度おかしな動きがある者を監視し、報告するという役割が彼ら忍にあった。

 

結界自体は強力だが、規模が大きいだけに抜け道もある。だが、その道の熟練である彼らの目を掻い潜るのは難しい。悪魔であるヘルマンならなおのこと。しかし、麻帆良との協調をこの取引で完全に潰したことにより、こちらへと向かっているヘルマンが侵入しやすい状況が生まれた。これこそが、フェイトが担う本当の役割であったのだ。

 

(……ネギ・スプリングフィールド)

 

京都で戦った際は、2対1とはいえ圧倒的な実力差がありながらフェイトを下した。その屈辱を、フェイトは決して忘れていない。

 

(……今回は君たちも標的だ、雪辱を果たさせてもらう……!)

 

瞳の奥に、闘志という怪しく燃える青い火が灯った。

 

 

 

 

 

時間は戻って、手紙が届いてから3日が経過した。本日もネギ達は修行を行っている。

 

「回復術、ねぇ……」

 

「せや、うちも色々勉強しとるんけど、よう分からへんのよ」

 

「……言っておくけど、私はそういう分野は専門外よ。少なくとも、その時点で魔力を消費して回復する治癒魔法と飲むだけで回復できる回復薬、私なら断然後者を選ぶわ」

 

柳宮霊子は不測の事態を嫌う。だからこそ事前に盤石な体制を整え、準備を怠らない。結界魔法であれば魔力を多く消費する代わりにそのまま維持することが出来、かついざという時に魔力を温存できる。そんな彼女だからこそ回復魔法による消耗を嫌うのも当然と言えた。

 

「うーん、どないしよ……ネギ君もあんまり回復魔法は知らないゆうてたし」

 

「貴女の場合、相性的には東洋呪術を学ぶべきでしょうけど、身近にそんな人物もいない以上西洋魔法で何とかするしかないわね」

 

少し前まで敵同士であったはずの霊子だが、彼女は弟子を取る以上極限まで妥協しないタイプである。知識を貪欲に欲する怪物であると同時に、それを使いこなせなければ知慧とは言えない。だからこそ、そんな自分に教わった者が半端であるなど許せないのである。

 

「まあ、現状では地道に行くしかないわね。いざとなったら、貴女のつてを使うのもありだと思うけど」

 

「つてって、うち魔法使いに知り合いなんておらへんよ?」

 

「貴方自身の身分を考えなさい。この国限定で言えば貴方自身が究極のつてみたいなものよ」

 

木乃香自身は忘れがちだが、彼女はあの英雄近衛詠春を父に持ち、古くから存続する近衛家の血を引くという漫画の主人公もびっくりな血筋である。日本限定とはいえ、間違いなく多くのつてが最初から存在すると言っていい。

 

「けど、あんま父様に頼るのも……」

 

「はぁ、貴女そろそろ自覚を持ったほうがいいわよ? どれだけ否定しても、貴女の持つ血の価値は計り知れない。そうである以上これからも命は狙われるし、修学旅行の時みたいな状況にだってなり得る。そんな時、護衛がいなかったらどうするの」

 

「うぅ、せやけど……」

 

「手っ取り早いのは自分が強くなる意外にはない。そしてそれを成しうる手段だってある。使えるものは何でも使うのが、そういう生まれの者にとっては最善なの。分かった?」

 

霊子の厳しい指摘に、木乃香は少し俯いてしまう。知らなかったとはいえ、遠ざけられていたとはいえ。彼女は自身の果たすべき役割を全うしていなかった。だから、関西は彼女を取り戻そうとやっきになったのである。

 

「私が教えられるのはせいぜい結界魔法ね。非戦闘要員でもある程度の攻撃能力と防御を両立できるから相性はいいはずよ。回復魔法に関しては、現状そこで伸びてる少年を頼るか魔法先生にでも聞いてみなさいな」

 

そう言って目線をやった先には、修行でズタボロにされたネギの姿があった。服の端は焦げ、髪はぐしゃぐしゃの状態で白目を剥いている。因みに、その隣には同じように白目を剥いた夕映の姿もある。

 

「……とりあえず、あの二人を治してくるえ」

 

「そうね、練習は大事よ。いい心がけだわ」

 

尤も、そういう意図でボロ雑巾にしているのだが。

 

「しかしよぉ、いざ戦うとなれば接近戦をされるとこっちはどうしようもねぇぞ」

 

去っていった木乃香を流し見した後、今度は千雨が意見する。

 

「あら、刹那と楓がいるじゃない。前衛としてはこの学園でも相当優秀な部類でしょうに」

 

「逆に言えば1対1の状況だとその二人ぐらいしか勝ち目がない。ネギ先生に近衛、私もサポートぐらいだろうし氷雨も私の体を使っている以上非力だ。綾瀬もある程度は戦えるが、近接専門の相手には分が悪すぎる。神楽坂も戦えはするが、あくまで一般人の部類だしな……」

 

パーティ全体からすればネギ達はかなりバランスが取れている。明確な前衛後衛が分けられ、火力も申し分なくサポートも十分。しかし、少数戦闘になった場合、余りにも分が悪くなりやすすぎるのが問題だった。

 

だが、刹那は剣士であるため教わっても意味が無いし、楓も熟練した体術と技能を存分に活かす戦い方をしているため、教えることは無理だと言われてしまっている。また、彼女の技術の幾つかは秘匿されているものがあるためそれも断った理由であるらしい。

 

「夕映を見ればわかると思うけど、私は多少近接の基礎に心得がある程度よ。それも、あくまでロイフェに大雑把に教えられた程度だからあまり参考にはならないわ」

 

霊子のように、その場その場における戦闘の趨勢を読めなければ、そんな大それた戦いはできないし、彼女自身がとても非力であるため殆ど役に立つことでもないのだ。

 

「となると、こっちも先生の誰かに師事するべきか……」

 

「この学校にいる大半の魔法使いは後衛タイプよ。前衛は身体強化を中心としたタイプだから、教わったとしてもその身体強化による恩恵程度ぐらいしか得られないわね」

 

その程度であれば、魔法全般に秀でる彼女のほうが教えたほうが無駄がなくて済む。必要なのは純粋な戦闘技法である。そうでなければ、修学旅行の時のようにただ蹂躙されるだけだ。

 

「むしろ前衛で戦う魔法剣士タイプに師事すべきね、あの手合は遠近両方に対応できるよう鍛えられているわ。こちらは魔法先生でも少数、そこから眼鏡にかなう者を絞り込むとすればせいぜい2、3人ぐらいかしら」

 

「それでもいるにはいるわけか。じゃあその人に……」

 

「無理ね。葛葉刀子は剣士だから教わっても付け焼き刃にしかならないし、ガンドルフィーニは麻帆良で広範囲をカバーできる人材な分時間が取れない。一番選択肢として最善であった高畑は海外で怪我を負ったままま帰ってこれていないわ」

 

「そうか……」

 

千雨の宿敵は世界最高峰の剣士だ。加えて魔法が通用しない以上、どうしても魔法と無関係な武器や兵器、近接戦闘で対処する必要がある。武器の扱いは氷雨に教えられているので問題ないが、それを活かすには接近された時でも対処するすべが最低限必要だ。

 

「先生も修学旅行の時に自分と同い年っぽい奴にさんざんボコボコにされたからさ、なんとかしたいみてぇなんだけど」

 

「ああ、彼のこと。実際あの子は強いわよ」

 

そう言いつつ、詳細を語ることをしない霊子。エヴァンジェリンとの契約により、組織や所属する人物の詳細を一切喋ることが出来ないからだ。そのため、フェイトの名前さえ出せず、彼やあの子という曖昧な表現になってしまっている。

 

「そういや、使ってたのが中国拳法みたいな感じだったな。けど、あれってそんな強いもんなのか?」

 

「確かに、一般的な中国拳法はそこまででもないわ。あれはあくまでスポーツ的な意味合いが強いから。けど、本物は相当に凶悪よ」

 

曰く、伊達に幾つもの流派を生み出し、現代へ脈々と受け継がれてきた武術ではないらしく、人を破壊する技術に関しては間違いなくトップクラスだという

 

「……中国拳法、か」

 

千雨はクラスメイトの一人を思い出す。しかし、すぐにその選択肢を捨てる。無関係の人間を巻き込む訳にはいかないし、強くなれる保証もない。何より、ネギも生徒を巻き込みたくないと思っているのだ、本末転倒もいいところだろう。

 

「ま、あれこれ手を出しても身につかなきゃ意味が無いか」

 

やれるだけのことをやる。それしか、今の彼女には出来ないのだから。

 

 

 

 

 

「げっ、雨か……」

 

本日の修業を終え、ネギ達は地上へと戻ってきていた。が、外は生憎の雨らしく、千雨は折りたたみの傘を持ってきていなかったため、このまま帰るなら濡れネズミにならねばならないようだ。

 

「木乃香、一緒に入りますか?」

 

「ううん、うちも折りたたみ持っとるからええよ」

 

「千雨さん、私の傘に入りますか?」

 

「いや、遠慮しとくよ宮崎。二人が入るにゃちと小さすぎる」

 

どうやら千雨以外は折りたたみの傘を持っていたらしく、各々が傘を取り出していた。のどかが一緒に入らないかと提案してくれたが、ただでさえ小さい折りたたみ傘で女性用のものだ。小さすぎてのどかまで濡れてしまうと思い遠慮した。

 

「千雨さん、僕の傘に入りますか?」

 

そういって傘を差し出すネギ。彼の傘も折りたたみ式だったが、男性用ということと通常よりもサイズが大きめなものであることもあり、ギリギリ二人分入れそうである。

 

「ん、確かにサイズは十分だとは思うけど……いいのか先生?」

 

「はい! あ、でも僕が持つと高さが足りないや」

 

「いいよ、私が持ってやるから」

 

ネギからひょいと傘を取り上げると、ボタンを外して傘を広げる。なるべく荷物が濡れないよう、千雨は鞄を片手で抱くと、ネギとともに外へと歩き出した。

 

(いいなぁ……)

 

その光景を眺めながら、のどかも後をついていく。しかし心なしか足取りは重く、少しずつネギ達と距離が開いていってしまう。まるで、二人から遠ざかりたいと思っているかのように。

 

(私も、せんせーと相合傘……)

 

遠ざかっていく二人を、ついには足を止めて見つめ続ける。遠慮無く付き合える関係で、それは彼らが短い期間ながら色濃い場数を踏み、共にそれを乗り越えてきたからなのだろう。

 

(私は、ねぎせんせーに心から信頼してもらえてるのかな……)

 

千雨は修学旅行の時、自分ではネギを支えきれないと言っていた。ネギに関して細かい配慮ができるのはのどかの方なのだと、彼女は言ってくれた。しかし、それでも相互の信頼関係が出来上がっているのかという不安がある。何より。

 

(羨ましいなぁ……)

 

気兼ねなく、お互いを信頼し合える絆を結ぶ千雨に、のどかは無意識の内に嫉妬していた。心のなかで暗く、仄かに燻っていた火種が、再びじわりじわりと彼女を蝕んでいった。

 

(私だって、私だってせんせーのことを……)

 

 

 

 

 

雨は、日本では古くから何かを予兆させるイメージが強い。雨をモチーフにした妖怪や魑魅魍魎、あるいは神々などが存在するものの、あくまでも雨という薄暗く、不気味でどこか怪しげな天気は何かの化身として描かれることはそう多くない。

 

それは、雨そのものの持つ不可思議な魅力が何故(なにゆえ)か人の心を掴んで離さず、またその中から現れいでる未知に対して、恐怖と期待の感情を抱かせるからかもしれない。

 

「ふむ、この先が麻帆良学園というわけか」

 

夕暮れの雨時。一人の訪問者が傘もささずに悠然とやってきた。目深に被った鍔の広い中折れ帽は雨で大分濡れてしまっているはずだが、防水処理でも施してあるのか水を吸っていない。黒いコートも同様らしく、水を滴らせているのは髪ぐらいだろう。

 

「フフ、関西で暴れて分かったが、私がいない間にも着実に若い芽が育っている。あの少年も、あの夜からどれだけの成長を遂げているか。年甲斐もなくワクワクしてしまうな……」

 

興奮を抑えられないといった風なその人物は、関西から移動してきたヘルマンであった。彼は封印を解除された時に命じられたことに従い、ここ麻帆良学園へとやってきていた。

 

「予定通りの到着だね、ヘルマン」

 

「おお、フェイトか。懐かしいな、私が封印される前はまだ生まれたばかりだったというのに、見ない間に一端の戦士の顔つきになったじゃないか」

 

「君が封印された期間が長すぎるだけじゃないかい?」

 

彼を出迎えたのは、同じく指令を受けたフェイトである。ヘルマンとは対照的に、彼は白い雨合羽を身に着けていた。これは単に濡れるのを嫌ったのではなく、侵入するにあたり怪しまれないようにするためのカモフラージュといった意味合いが強い。むしろ、服装を一切変えずに堂々としているヘルマンのほうがおかしいのだ。

 

「……もう少し、傘をさすなりしようとは思わないのかい? 仮にもこれから、敵地に乗り込む形になるというのに」

 

「フフフ、私はいつでも自然体であるべきだと考えているのだよ。悪魔なら堂々と悪魔らしく、胸を張っていくべきだと思わないかね?」

 

「……主義主張は個人の勝手だからどうでもいいけど、あまり任務に支障をきたさないようにして欲しい」

 

「心得ているさ」

 

親しげに話をする二人。フェイトが幹部候補となったのはほんの2年前だが、幹部以上の者とは昔から顔を合わせることが多い。それは偏に上司であるデュナミスに付き従っているが故であったが、その中でもヘルマンとは個人的に親しい仲なのだ。

 

「しかしまあ、驚いたよ。かつてはあれほど組織のことを嫌っていた君が、まさか今では幹部候補筆頭とはね。いや、この任務が終われば昇格かな?」

 

「……色々とあったんだよ」

 

「まあ、個人の理由に首を突っ込むほど野暮ではないさ」

 

こういう話題には触れぬ方がいいと、ヘルマンは何度となく経験してきたことから理解している。

 

「では、いこうか。今更だが、作戦目標は既に定まっているのかね?」

 

「ああ。作戦目標は二人だけど、既に狙いはつけてある」

 

「ほう、君が一人、私が一人なわけだが。一体誰かな?」

 

「ネギ・スプリングフィールド」

 

ピクリと、ヘルマンの片眉が上がる。僅かではあるが、彼のフェイトに向ける視線が鋭くなった。

 

「……理由を聞かせてもらいたい」

 

「前回の作戦で、色々と借りがあってね。彼を殺せる機会が不透明な以上、今回でケリをつけたいと思っている」

 

ここまで個人に執着を見せるフェイトの姿など、前の彼を知っているヘルマンからすれば驚愕に値する出来事だ。できれば、親しき相手として尊重してやりたくはある。しかし、彼もまた、欲望に忠実な悪魔なのだ。

 

「そうか……だが、私も昔から狙っている相手なのでね。そこは譲れない」

 

彼にとってネギは、長く寝かされて熟成されたワインを開けるが如き楽しみなのだ。長い間封印されていたことも加わって、その味はさぞ格別になるだろう。それを横から掠め取られるなど、我慢がならないのは当然だ。

 

「なら、今回は早い者勝ちということにするかい?」

 

「ふむ、そのほうが後腐れがなくていいな。では、先に戦い始めたか、その約束を取り付けるに至った方が先に相手をする。それでいいか?」

 

「異論はないよ。じゃあ、僕は先に行かせてもらう」

 

そう言って、フェイトは水のゲートを発動してその場を離れていった。

 

「フフ、いいぞ、滾ってきた……!」

 

口笛を吹き、ヘルマンは3体の悪魔を呼びよせる。

 

「おっ、出番カ?」

 

「……何するノ?」

 

「お仕事デスカ?」

 

「ああ、仕事だ。すらむぃ、ぷりん、あめ子」

 

現れたのは、体が水分で構成された三人の少女。ファンタジー的に言えばスライムである。彼女らもヘルマンとともに封印されていた悪魔であり、分裂戦争時に共闘した水の悪魔の親戚だったりする。

 

「ここにくるまでに教えた、特定の人間を捕らえて欲しい」

 

「エート、確か綾瀬夕映トー、宮崎のどかトー」

 

「近衛木乃香に桜咲刹那、それから長谷川千雨に神楽坂アスナダナ」

 

「……アト、長瀬楓」

 

確認のために復唱された名前は、全てネギのパーティメンバーだ。

 

「ああ、長瀬楓は捕縛対象外だ。彼女は今回動けないだろうからね」

 

「エエー、デカい女らしいから折角溶かして食べようと思ったノニー」

 

「はは、まあどちらにせよ今回は二人までが対象だから君のその望みはかなわんよ」

 

文句を言いつつも、すらむぃ達は目的の相手に接触するため雨に紛れて行動を開始した。

 

「さて、私も準備を整えておくとしようか」

 

 

 

 

 

場所は変わり、ここは浴場。雨で体が冷えてしまったこともあり、木乃香とのどか、そして夕映は他のクラスメイトとともに湯船に浸かっていた。

 

「ふぃ~、染みるねぇ……」

 

「じじくさいですよ、ハルナ」

 

「なにさー、私だって原稿描いてると疲れも溜まるのよー」

 

そう言って肩を揉むハルナこと早乙女ハルナ。湯船に浸かってなおその存在感を発揮している一部に、のどかと夕映は釘付けになる。

 

(……同い年、同い年なのにどうしてこうも格差が……っ)

 

(せんせーも大きい方がいいのかなぁ……)

 

思春期真っ只中な彼女たちにとって、ある意味深刻な悩みであった。

 

「リーダーもお年ごろアルか?」

 

「くーふぇ、実は意味分かってないやろ」

 

一方、木乃香は一緒に入っている古菲と共にゆったりと風呂を満喫していた。因みに木乃香や古菲はそういったあれやこれを気にするタイプではない。彼女らは彼女らで割りとマイペースなのである。

 

「そういえばさ、最近千雨ちゃんとゆえ吉達ってよく一緒にいるよね。なんかあったの?」

 

風呂桶で背中を流しつつ、そんな問いを投げかけてくる柿崎。

 

「そーそー、千雨ちゃんってなんか近寄りがたい雰囲気だったのに、最近は笑ってるとこも見るようになったよねー」

 

隣で髪を洗っていた桜子も同意する。無理も無いだろう、ネギがくるまでは味方のいない孤立無援状態で、いつくるともわからない怪物に怯える日々だったのだ。そのせいで軽い人間不信まで起こし、人との接触さえろくにできなくなってしまったのだから。

 

それに比べれば、今の彼女は何度も危険な目にあってはいるが、かなり充実した日々を送れていると言えるだろう。

 

「えーと、色々あったです。そう、色々と」

 

「う、うん。ちょっとしたきっかけがあって……」

 

「へー、今度私も話しかけてみよっかなぁ」

 

「前に話しかけた時は、無言で逃げられちゃったもんねー。てっきり美砂を怖がってたんじゃないかって思ってたけど」

 

「なんだとー、そんなこと言う娘はこうだー!」

 

「あは、あはははは! く、くすぐるのはやめてー!」

 

賑やかな二人を眺めつつ、ここにいない仲間のことを二人も考える。この二人にしても、千雨の印象はどこか暗く、冷たい印象が強かった。彼女と関わるようになってから、ようやく彼女が意外とお節介で頼りになる人物なのだと気づけたのだ。

 

(……そうだよね、せんせーが頼りにするのも分かる……だって私じゃ……)

 

一緒に戦えるようにはなった。それでも、一緒にいた時間までが増えるわけではない。どこまでいっても、ネギが最も信頼するのは千雨なのだ。そう思うと、余計に胸の奥が締め付けられ、嫉妬に狂ってしまいそうになる。

 

「はぁ~、体も温まったしそろそろ出るかぁ」

 

そう言いながらハルナが浴槽から出た時であった。

 

『今ダ』

 

『そーれパックン~』

 

話に夢中になっていた彼女たちの湯船に、すらむぃとあめ子が侵入していたのだ。湯船の水で肥大化した彼女らは、一瞬で夕映達を包み込む。

 

「ふぇ!?」

 

「な、なにがっ!?」

 

「なんや、ぬめぬめする!?」

 

抵抗しようにも、ここは風呂場で何も身に着けていない。即ち完全な無防備なのだ。必死に藻掻いてはみるものの、抵抗むなしく4人(・・)は湯船の中に消えていった。

 

「あれ? ゆえー? のどかー?」

 

残されたハルナは、さっきまでいたはずの夕映達がいなくなっていることに、首を傾げるのであった。

 

『ヤッター、確保成功ですぅ~』

 

『アレ、何か人数多クネ?』

 

『気のせいですヨォ~。さっさとヘルマンさんのとこに行きマショウ!』

 

 

 

 

 

所変わって学生寮の渡り廊下。ここには、部活帰りで部屋に戻ろうとしていた刹那が一人だけだ。

 

「……何者だ、先程から。出てこい」

 

しかし、刹那は即座に振り返ると、まるで誰かがいるかのように言い放つ。すると、突然コンクリートで出来た床から、水が湧きだして人の姿を形取る。

 

「っ、貴様は……!」

 

「やれやれ。もう少し穏便に終わらせるつもりだったんだけど」

 

現れた人物に、刹那は驚愕する。なにせ、目の前にいるのは修学旅行時に敵対した白髪の少年であったからだ。

 

「貴様、何の用だ!」

 

即座に愛刀を竹刀袋から取り出し、臨戦態勢に入る。

 

「何、君に少し協力してもらいたいだけさ」

 

「……どういうことだ」

 

「人質になってもらいたい」

 

その言葉に、刹那はますます警戒を強める。視線はますます鋭くなり、射殺さんばかりだ。

 

「はい、などと言うと思うか?」

 

「いいや、思ってはいないさ。だから穏便に済ませようと思ったんだけど、予定変更だ」

 

そう言うと、彼もポケットから手を取り出して構えをとる。途端、周囲の重力が極端に増したかのような、錯覚に陥るほどの圧迫感が支配した。

 

「力ずくで来てもらうよ。桜咲刹那」


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