二人の鬼   作:子藤貝

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彼らと彼女。始まりは同じ。
しかし、そこに善悪が加わった時。
決して相容れぬ見えない溝がそこにはある。


第七話 彼らと彼女(前編)

あれから半年。『赤き翼(アラルブラ)』が連合から指名手配され、各地を転戦していた時。エヴァンジェリン一行は未だ帝国に滞在し、水面下で戦力を整えていた。

 

「いらっしゃいませー♪」

 

……ウェイトレスをしながら。

 

「マスター……なんで態々こんなことを? 私も傭兵なりやれば簡単に稼げるじゃないですか」

 

ウェイトレス姿のアスナが、客としてやってきたエヴァンジェリンに聞く。

 

「そういう発想になる辺り、お前も大分一端の悪党になってきたようだな。だが、まだまだ見通しが甘いぞ。傭兵というのは実力主義、出る杭は打たれるし有名になればそれはそれで隠れて稼ぐことが困難になる。こういった地道な積み重ねが重要なのだ」

 

この職に就く前のアスナは鍛錬を中心としていたのだが、最近は彼女も実力がついたため、こうして表向きはまともな仕事をしつつ、彼女を世間に慣れるようにしてもいるのだ。エヴァンジェリンはその裏で日の当たらぬところで取引などをし、資金集めや人脈作りを行なっている。

 

「でも、鈴音は別の仕事してる……」

 

同じく世間知らずというならば、彼女もある種負けてはいないだろう。なにせ、彼女はエヴァンジェリンに出会うまでは、強盗や殺人をしながら生きていたのだから。基本的な社会的知識はあれど、まだまだ常識を覚えてはいないのである。

 

「あいつは必要以上に喋らないから接客に不向きだ。大体、魔法で顔を変えて働かせようにもあいつの能力のせいで無理だ。この前の挨拶で皆顔が割れているのだからな。帝国でも連合でも働かせられんよ」

 

そう言いながら、紅茶を一口含む。今のエヴァンジェリンは、幻覚魔法を用いて見た目を20歳程のグラマーな姿になっており、とても見目麗しい。

 

「それなら、私だって大した変装もせずにこうして働いてるんですけど」

 

一方アスナはといえば、姿を変えずに髪を下ろし、伊達眼鏡をかけただけである。顔は態度同様不満気で、しかし人形のような彼女のその仕草はとても愛らしい。そんなアスナの頭を撫でて宥めながら、エヴァンジェリンは続ける。

 

「所詮、意識の外にある相手は例え指名手配犯であろうとそう簡単には気づけんのさ。少し格好を変えるだけで記憶の像と結びつけるのは難しくなる」

 

長年追われる生活を続けてきた彼女にとっては、そういったことは朝飯前だ。加えて、鈴音と出会ってから彼女は人間に興味を示し、様々な書物を紐解いて貪欲に知識を得た。

 

何度も辛酸を嘗めさせられた人間が強いのは、数の利や魔法技術の高さもあるが、何より吸血鬼である自分より圧倒的に弱いということを自覚した上で、対抗策を講じる強かさにあると睨み、彼らの叡智を学び取ろうと数年間、人間に擬態して近くでそれを学んできた。

 

「心理学、というんだったかな。こういった分野を専門とするのは。なかなか面白いぞ」

 

「……マスター、さすがにあまり話し込むとマズいので注文をしてもらえますか」

 

「む、それもそうだな。今日のおすすめは何だ?」

 

訝しげな顔をしたアスナに言われ、これ以上は営業妨害になるなと判断したエヴァンジェリンは、メニュー表を開いて眺めながらそんなふうに尋ねる。

 

「今日は、新鮮な川魚が手に入ったそうですよ」

 

「ほほぅ、たまには魚も悪くない」

 

 

 

 

 

「……任務、完了……」

 

「ご苦労。いやはや、優秀な人材を得られて私も嬉しいよ、薫ちゃん」

 

場面は変わり、ここは独立学術都市国家、アリアドネー。そこに、彼女はいた。

 

「しかしまあ、その歳でこれほどの腕前とは……驚異的といえるな」

 

「……では、私は……これで……」

 

「うん、ご苦労」

 

挨拶を軽く済まし、部屋から出て行くスーツ姿の少女。それを見送るのは、この部屋の主にして彼女を雇っている人物。アリアドネー議会議員、カットラース・オサフネ議員だ。

 

「あれが、私の父の故郷の人間か……。物静かで自己主張が弱く、流されやすい民族だと聞いていたのだが。まあ少なくとも、彼女には流されやすい所は当てはまらんな」

 

彼の父親は旧世界の日本の出身で、この世界に魔法を学びに来た流浪の呪術師であった。彼の魔法に対する飽くなき探求と姿勢はアリアドネーでも高く評価され、後にある研究を完成させた際に名誉ある賞を受け、近年でも特に優秀な人物として今現在でも有名である。

 

(そんな父が母を娶り、そして私が生まれたが……。冴えない父に似ず、肝っ玉の強い母に近い容姿と性格となった私から見ても、あれほど肝の座った少女を見たことがない)

 

一方母親は、このアリアドネーで最も赤子を取り上げたベテランの産婦人科医師であり、周囲からはできる女医として認識されていた。父との出会いは最悪であったそうで、出会って数分で彼女からビンタを貰ったそうだ。どういう経緯で結婚まで至ったのか不思議でならない。

 

そんな二人に囲まれて育った彼は、人の役に立ちたいという理由で議員を目指し、頭脳面を父から、精神面を母から鍛えられ、現在では議会でも若輩ながら腕の立つ若手として弁舌を揮っている。

 

今回彼女、薫を雇ったのは、彼女のアリアドネーで知る人ぞ知る文武両道の才女という評判に興味を持ち、彼女に会ってみたのだが。その対面の際に彼女に雇って欲しいと、短いながらはっきりと圧力さえ感じる言葉で頼まれたのだ。

 

彼は少し気圧されながらも彼女の優秀さを買って、秘書見習いとして雇った。正直に言えば、彼女以外で専属の優秀な秘書がいたため雇うことに抵抗があったのだが、彼女の目を見て頑として譲らないと悟ったために、彼女を見習いとして雇うことにしたのだ。

 

最初は慣れない職場と無口さで、かなり浮いてしまっていたのだが。数日で場の空気に溶け込み、先輩秘書からの助言であっという間にひと通りのことが出来るようになった。

 

(流石に書類仕事までは手を出していないが、まさかここまで仕事をこなすとは……)

 

優秀なのは分かる。父の祖国の者は口よりもまず手を動かす特色が強い、いわゆる職人気質の者が多く、また仕事に熱心であるとも聞いた。だが、彼女ははっきり言って異常だ。僅か10歳かそこらの見た目をした少女が、秘書として何の違和感もなく仕事を淡々とこなしている。

 

時折、数日休みをとることも気にかかる。彼女がいなくとも、他の秘書がいるため別に困るなどということはないが、どうにも引っかかる点が多い。

 

(……彼女の身元を調べるべきか……?)

 

一瞬そんなことが頭を過り、次の瞬間にはそれを思考から消す。彼女が何者であるかを調べようとした人間は、尽く謎の死や失踪を遂げている。第一、学ぶ意志さえあれば犯罪者だろうと迎え入れるアリアドネーでそういった行為はナンセンスにほかならない。

 

(……まあ、彼女が有能なのには変わりない。暫くは様子を見ましょうか)

 

執務室の重厚な椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げながら、彼は次の議会でどうするかを考え始めた。

 

 

 

 

 

【仕事はどうだ、鈴音】

 

カットラースの事務所を後にし、街中を当てもなく彷徨っていた時。薫、いや鈴音に主人からの念話がかかって来た。今の姿は眼鏡に三つ編みの地味めな姿であり、灰色のスーツがそれに拍車をかけている。

 

【……順調……です……】

 

【そうか。……感づかれてはいないだろうな?】

 

【……議員は、予想より……優秀……でした……】

 

エヴァンジェリンの問に、鈴音はそう返答した。エヴァンジェリンという、長き時を生きた老獪な思考を有する人物に教育され、アリアドネーで知識を貪欲に吸収し。実戦では鬼神の如き殺戮を見せる鈴音が、悪くないと評価を下す。

 

感情表現をあまりしっかりと見せない彼女は、その実本質を突く言葉をよく発言したり、過小評価も過大評価もしない物言いが多い。そのため、彼女に一定以上の評価をされる者は、総じて優秀な者が殆どだ。

 

【ふふ、そうか。アリアドネーにも英雄足りえる人物がいたか】

 

鈴音が彼に接近した最初の理由は、中立国家であるアリアドネーの動向を調べるためと、政治というものの知識をある程度経験とともに得るため。その目的自体は、既に書類仕事以外をこなしているためほぼ達成しているといえよう。

 

だが、彼を見ているうちに少しずつだが興味が出てきたのだ。若く、清廉な精神を持つ彼は、政治家として英雄足りえるのではと。

 

【お手柄だぞ、鈴音。これでまた、私達の目的を達成する可能性が増えたな】

 

【……ありがとう、ございます……】

 

エヴァンジェリンから褒められ、いつもであれば嬉しそうにする鈴音なのだが。

 

【どうした鈴音。妙に元気が無いじゃないか】

 

【……マスターに、撫でてもらえない……】

 

【あー……】

 

そう。これはあくまで念話越し。いつものようにエヴァンジェリンに撫でてもらうことができないのだ。以前は別になんともなかったのだが、最近はアスナも増えたせいで彼女に構っていることが多く、鈴音は少し寂しくなっているのだ。

 

【ま、まあ帰ったら撫でてやるから我慢してくれ……】

 

【……チャチャゼロも……】

 

【オレモカヨ。シャーネーナ】

 

チャチャゼロからの許可もおり、思わずガッツポーズをしてしまう。

 

【……あまり先のことを夢見て仕事を疎かにするなよ? あと1ヶ月は会えんのだからな】

 

【……いけず、です……】

 

 

 

 

 

夕方。この時間帯はアリアドネーの市場が最も賑わう時間帯だ。夕飯の準備をするため、鈴音もこの市場へとやってきたのだが、今回の目玉商品と事前に告知されていた目当ての魚が手に入らず、仕方なく別のものを探している。

 

「……? …………これ」

 

「おお、嬢ちゃんまた来たのか。つーかまたいいものに目をつけたな、そいつはアリアドネーでもめったにお目にかかれない珍味さ」

 

「……蠢いてる……」

 

行きつけの店にやってきた時、まっさきに目についたもの。それは壺の中に入っており、軟体の足を中で蠢かしている生物。見た目的には(タコ)に近いが、足は八本ではなく十六本。

 

「バイダーコって名前でな、蒸してよし、焼いてよし。生でだっていけるぜ?」

 

「……倍蛸?」

 

珍妙な名前に、首を傾げる鈴音。実にシュールである。というか、蓋を開けっ放しにしていたせいで、バイダーコがいつの間にか壺から這い出て鈴音に纏わりつこうとしていた。

 

「げっ!?」

 

「シャギャアアアアアア!」

 

「……倍蛸が、鳴いた……」

 

そんな鈴音の呟きの次の瞬間。バイダーコは鈴音の顔面にへばり付き、ガッチリと頭をホールドした。こんな状態でも身動き一つとらない彼女も彼女だが。

 

「やべぇ、窒息しちまう!」

 

店主が必死に剥がそうとするが、張り付いた吸盤が強力で一向に剥がれる気配がない。一方鈴音もそろそろ鬱陶しくなってきたので剥がそうかと考えていたのだが。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

聞こえてきたのは、若い男性の声。少年に分類されるであろうその声の主は、鈴音の顔に張り付いていた軟体動物を。

 

「い、居合い拳!」

 

殴り飛ばした。……鈴音ごとだったが。

 

「あ……」

 

吹っ飛ぶ鈴音。そのまま、あろうことか頭から落下してコマのごとく回転しながら直進し、そのまま市場の中央である噴水にダイブしていった。

 

 

 

 

 

「本当にすみませんでした!」

 

「……気にしていない」

 

夕闇が辺りを包みだした頃。二人の少年少女が並んで帰路についていた。一人は、少年に吹き飛ばされた鈴音。今の彼女は露天で購入した質素な緑のTシャツだ。カジュアルチックなそれの代金を出したのは、もちろん鈴音の服を水浸しにした少年の懐から。

 

アリアドネーでの彼女はスーツ姿であり、着物でなかったのが幸いだった。もし彼女が、アリアドネーで身元バレがしないように着物以外を着用していれば、少年の支払った代金は倍額以上となったであろう。

 

「……貴方は未熟……あの程度は、私には効かない……」

 

「うう、怪我がなくてよかったんだけど、女の子一人にあの程度って言われるなんて……」

 

一方の少年は、凛々しい顔つきをしていながら、何故か情けない雰囲気を醸し出している。スーツ姿という、少年の年齢には似つかわしくない服装は、しかし彼をアンバランスに見せず、自然な出で立ちを見せている。

 

「師匠にもっと厳しくしてもらうべきかな……」

 

「……頑張れ……」

 

鈴音の励ましの言葉にも、苦笑いを浮かべることしかできない少年。ふと、彼は思い出したように鈴音に質問を浴びせる。

 

「あの、そういえばまだお名前を聞いてませんでしたね。僕は、高畑・T・タカミチ。タカミチと呼んでください」

 

「……灘淵、薫……」

 

「カオルさん、ですか。お名前からして、『旧世界』の出身の方ですか?」

 

「……日ノ本……」

 

「やっぱり! 僕の師匠の友人が、そこの出身なんですよ!」

 

楽しそうにしゃべる少年と、それに相槌を打ちつつ淡々と答える鈴音。一方的に話しているだけのようにも見えるが、生来から無口の鈴音がここまで他人と言葉をかわすのは、むしろ珍しい光景といえる。

 

「その人がとっても強くて……一緒に戦っている人たちも凄い人ばかりで、僕もいつか、あんなふうになれたらなって、ちょっと夢見がちですけど……」

 

「……努力……」

 

「そうですね……今は、努力あるのみです。僕、まだまだ弱いですから」

 

そんな時。

 

「なんだ、遅いと思ったらこんなところで油を売っていたのか?」

 

背後から、少年のものと思しき声が。振り返ってみれば、そこにいたのは、眼鏡を掛け、やや生意気な印象を感じさせる、タカミチと同年齢程度の少年の姿が。

 

「クルト! いやーよかった、実は道に迷っちゃってて!」

 

「馬鹿が! だからふらふらとあっちこっちに行くんじゃないといっただろうが! というか、その女の子は何だ! ナンパでもしていたのか!?」

 

「いやいや、ちょっとしたトラブルを起こしちゃってさ、お詫びに家まで送ってあげようと……」

 

「トラブルとは何だ! どうせ街のゴロツキ相手に喧嘩でもやらかしたんだろう!」

 

ぎゃあぎゃあとやかましく捲し立てる、クルトと呼ばれた少年。一方のタカミチ少年は、飄々とした雰囲気で笑いながら言葉を交している。

 

「……仲、良し……?」

 

「違いますよ!? こんないい加減な奴と、誰が仲良くなんて……!」

 

「おいおい、酷いじゃないか! 僕達友だちだろう!?」

 

「ええい、そんなものはお前が一方的に思っているだけだ!」

 

鈴音の一言を聞き、ますます会話がヒートアップする。友達であると必死に訴え、仲直りをしようと握手という手段に出たタカミチ。そしてそれを露骨に嫌がり、威嚇した様子で彼を睨みつけるクルト。そしてそれを、無機質な目で見つめ続けている鈴音。

 

「だいたいだな! 僕はお前が気に喰わないんだ! いけ好かないへらへらとした笑いをして!余裕でも見せてるつもりか!」

 

「ちょ、そこまで言わなくてもいいだろう! 僕だってわざとやってるわけではないんだぞ!」

 

「……やっぱり、仲良し……」

 

彼らの会話を聴き続け、鈴音は再び同じ感想を口にしたのだった。

 

 

 

 

 

「まったく、そうならそうと早く言え」

 

「話を聞かなかったのは、ソッチのほうだろうに……」

 

「ぐ……それは悪いと思っているが、お前もお前だろう。勝手に市場を見に出て行って、挙句トラブルを起こしたんだからな!」

 

「ううん、そこを突っ込まれると痛いなぁ……」

 

ポリポリと頭を掻きながら、そんなふうに呟く。鈴音はといえば、少年二人の前を興味なしといった風にマイペースに歩いている。

 

結局、先程出会った少年、クルト・ゲーデルも、タカミチと一緒に鈴音を送っていくことにしたのだ。さすがに、近いからといって夕方以降は暗くなる裏通りを、女性だけで歩かせるのは危険だと判断したからである。

 

「それにしても、何なんだあの女の子。どこか、不思議な感じがするが……」

 

「そうそう。彼女って何かさ、ミステリアスな雰囲気があるよね。なんでも、詠春さんと同郷の人らしいよ」

 

「師匠の……なるほど、どうりで似通った雰囲気があるわけだ……」

 

「僕の、未熟だとはいえ居合い拳を受けても、傷一つなかったんだよ」

 

「お前が弱いだけじゃないか? ……って今聞き捨てならない事を聞いた気がしたんだが?」

 

クルトが、鬼の形相でタカミチを睨みつける。その気迫に、さすがのタカミチ少年も思わず顔を逸らしてしまう。

 

「おい、詳しく話してもらうぞ……」

 

「や、やだなー。僕がそんな……」

 

「やらかしてないとは言わせんぞ……!」

 

このタカミチ少年。礼儀正しい性格の割にしょっちゅうトラブルを起こすことがあり、その度にクルト少年は胃を痛めている。同年齢で、孤児として拾われた時期も近い身としては、余計なことをして彼らの、ひいては彼女の手を煩わせるようのことを仕出かすタカミチが、クルトはどうにも気に食わなかった。

 

「あはは……。あ、そういえば、王女さまの救出は成功したのかな?」

 

「……仮にもアリカ王女が信頼している人達なんだ、今頃はもう助け出した後だろう」

 

「僕らじゃ戦力なんてならないからね。今は帰りを待つしか無い、か」

 

「……僕らは、いつになれば認めてもらえるんだろうな……」

 

クルトのそんな言葉に、笑みを浮かべていたタカミチも、笑みをやめて少し暗い雰囲気になる。

 

「仕方ないさ。僕たちは元々、無力な孤児だったんだ。むしろ、『赤き翼』に拾ってもらえた事自体、奇跡的なことだろう?」

 

「……分かっている。分かってはいるが……!」

 

その先を言おうとした時。二人の頭に鈍い痛みが走った。

 

「「あだっ!?」」

 

痛みで思わず頭を抱えて屈む二人。涙目で見上げてみれば、そこには彼らが送っていた少女の姿があった。

 

「な、なんですかいきなり!?」

 

「……弱さを……理由にしては、駄目……」

 

「な、なにを……」

 

「……諦めた時、大切な人は……死んでしまう……」

 

その瞳には、奈落に落とされた者が放つ、黒く鈍い闇の輝きがあった。そんな彼女の視線を見て、タカミチは言葉を発することができなくなってしまう。しかし、クルトはむしろそんな彼女の言葉に、ひどく苛立ちを覚えた。

 

「貴女に……一体何がわかるというのですか!」

 

思わず、強い口調で言ってしまう。普段他人には礼儀正しく彼が、だ。それほどまでに、鈴音の言葉は彼の負の部分に触れてしまったのだ。

 

「…………」

 

「理不尽に親を奪われ! 拾い上げてくれた人の恩に、報いることさえできない! 貴女に、そんな無力さが分かりますか!?」

 

慟哭。彼の、嘘偽りのない飾りっけの一切ない本音。感情的になったためか、彼の目からは光るものが流れ出ていた。

 

「……分かる……」

 

「分かるわけがない……。貴女に、分かってたまるか! 今思い出しましたよ、貴女はアリアドネーでも注目されている天才で! 若いながらやり手の議員であるカットラース議員の秘書として働いている! 誰かに必要とされている貴女に、僕の気持ちなど……!」

 

次第に、彼の口調に熱がこもる。孤児として死に怯え、誰からも必要とされないまま死んでしまいそうになる恐怖。それは、同じ境遇であったタカミチも同様だろう。そんな極限状態は、経験したものでなければ分かるはずがない。だが、彼女は首を横に振った。

 

なぜなら。

 

「……私も、かつてそうだった……」

 

彼女もまた、そうであったからだ。

 

 

 

 

『鈴音。お前はただの刃でいい……。奴らを屠殺するための、ただの牙でいいのだ……!』

 

『鈴音! 逃げなさい! お前を、お前を奴の道具になどさせるものか!』

 

『鈴音……私の……娘……』

 

『は、はは……所詮、俺にお前は御せんか……バケモノめ……』

 

血にまみれた記憶。かつて、エヴァンジェリンと出会う前。彼女は一人となった。

 

父がいた。しかし死んだ、己の目の前で。

 

母がいた。彼女も死んだ、己を抱きかかえて。

 

友達がいた。彼もまた、己を守らんとして死んだ。

 

みんなみんな、死んでしまった。彼女だけを残して。

 

歪な彼女だけを、世界に一人きりにして。

 

彼女は、世界の脆さを知っていた。彼女は、諦めたがゆえに失った。

 

故に。彼女は諦めきれずに、殺し続けた。

 

そして、彼女は出会い。今ここにいる。

 

 

 

 

 

「……私を、必要としてくれる人……マスターが現れるまで……私は、死んでいた……」

 

「…………」

 

「……私は、かつて諦めた。……そのせいで、皆死んだ……。……父さんも、母さんも……」

 

「そんな……」

 

彼女の言葉に、クルトとタカミチは驚く。何より驚いたのはクルトだ。散々、自分のことなど分かるまいと暴言をぶちまけた少女こそが、彼らと同じ道程を歩んだというのだから。

 

「……私は、その時一度死んだ……。……死にながら、今度こそ諦めきれずに……彷徨った」

 

彼女は淡々と話す。だが、その言葉の一つ一つには確かな重みがあった。無口で感情を見せない少女の言葉の端からは、感情の篭った何かが見えた。

 

「……それでも、最後はまた、……諦めようとした……」

 

「でも、諦めなかったんですよね?」

 

「……そう。……私は、マスターに……出会えたから……必要と思ってくれる人に……」

 

「必要と思ってくれる人、ですか……」

 

タカミチは思い出す。かつての自分の父母のことを。彼らは、こんな無力さを感じるちっぽけな自分を、大切に思ってくれた。『赤き翼』の彼らもまた、打算などなしに自分たちを拾い、

鍛えてくれた。そこに、使える使えないなどといった考えなどあっただろうか。

 

「……あなた達にも、いるはず……。……必要だと……思ってくれる人……」

 

「……そう、でしたね……」

 

クルトもまた、思い出す。『赤き翼』の面々と、淡い恋慕を抱いた彼女を。彼女の笑顔に、いるいらないなどといった、下らない感情などあっただろうか。

 

「……大切なのは、諦めないこと……。……諦めずに、必要としてくれる人を……信じる心……」

 

孤独を味わった彼らは、孤独を癒してくれた人のために、必要としてくれた人のために。努力し続けたのではないか。ならば、ただ嘆くだけではそれこそただの恩知らずではないのか。

 

「……薫さん」

 

「……?」

 

「ありがとう、ございます」

 

クルトが、照れながらも鈴音に感謝の意を示す。その様子を見て、鈴音は優しく微笑みながら。

 

「……頑張って……」

 

そんな彼女の言葉に照れたのか、クルトはそっぽを向いてしまう。その様子を見たタカミチも

笑みを浮かべ、鈴音に頭を下げる。

 

「僕からも、言わせてください。ありがとうございます、おかげで、まだまだ僕達が未熟だと理解することができました」

 

「……別に……大したことは……言ってない……」

 

「いやぁ、僕達も思うところがあったんですよ。だから、本当に感謝して」

 

彼が再び彼女に感謝の意を示そうとした時。

 

「おやぁ? 目的の人数より一人多いじゃあないか」

 

夕闇に紛れ、魔が這いずり出る。

 

 

 

 

 

「っ! 馬鹿な、こんな街中に悪魔の集団が!?」

 

「……クルト、目的はどうやら、僕達みたいだ」

 

「ご名答。花丸でもあげようかね?」

 

ゲラゲラと笑う周囲の悪魔。いつの間にか囲まれていたらしく、十数もの影が見える。ほとんどは下級の悪魔のようだが、目の前で余裕ぶっている悪魔だけは別格だ。

 

「こんばんはぁ。とある組織の命令で呼び出された悪魔で、フランツ・フォン・シュトゥックと申します。一応、子爵の位は持ってけど、没落してるから気にしないでいいよぉ」

 

「爵位級悪魔……! 上位悪魔か!」

 

爵位持ちの悪魔となれば、その実力は有象無象の悪魔とは一線を画す。悪魔の中でも高い実力を有し、たった一人で熟練の魔法使い数人を相手取れるほどだ。

 

「『赤き翼』のタカミチ、それからクルト君だねぇ? 私と一緒に来てくれれば、悪いようにはしないかもねぇ?」

 

「断る! どうせ僕達を人質にするつもりだろう!」

 

「分かってるようで何よりさぁ。で、も。そこの女の子はどうなるかなぁ?」

 

そう言って、鈴音の方を指さすフランツ。二人は彼女の実力を知らないが、とてもではないが爵位級悪魔を相手にできるとは思えない。

 

「その子を守りながら戦うなんてさぁ、無理だよねぇ? まして、君たち程度が私に敵うなんて、夢見てくれないほうが楽でいいんだけど?」

 

奥歯を噛み締め、悔しそうにするクルト。タカミチも、この状況でどうすることもできない自分に腹がたった。

 

(また僕は、自分の無力さを痛感しなければならないのか……!)

 

悔しい。いいように言われることが。このままおとなしく捕まるしか無いといった状況が。だが、どうすることもできない自分が、最も恨めしかった。

 

「また……諦めようと……している……」

 

「っ!」

 

気づけば、少女がタカミチの隣までやってきていた。そして彼女の言葉で、彼は先程の会話を思い出す。

 

『……大切なのは、諦めないこと……』

 

(そうだ……何を弱気になっているんだ僕は! まだ、なにもしてすらいないじゃないか!)

 

悔しさで握りしめていた拳を、再び握り締める。今度は、戦う意志を貫くために。

 

「クルト……」

 

「……ああ。不抜けていた自分を殴り飛ばしたくなる……!」

 

クルトも、鈴音の言葉を思い出し。戦う意志を見せたようだ。

 

「薫さん、僕達が時間を稼ぎます……その間に逃げて下さい!」

 

「周囲の雑魚は任せるぞタカミチ! 僕は奴を足止めする!」

 

「なんですかぁ? 戦意を無駄に復活させて……。お姫様救うナイトにでもなったつもりか糞ガキィ!」

 

抵抗する意思を見せた二人を見て、気味の悪い笑みを浮かべたままであったフランツが突如豹変する。面倒を増やされたことが気に食わなかったらしい。

 

「薫さん、早く!」

 

ジリジリと後退しつつ、周囲の悪魔に警戒する二人。これ以上時間をかければ、完全に包囲されてしまって逃がすことができなくなる。だが、彼女は。

 

「……いい。私も……戦う……」

 

「無茶だ! 爵位級悪魔に、下級とはいえ魔の存在が十数もいるんだぞ!」

 

「……あれぐらい……大したことは、ない……」

 

クルトの警告も虚しく、彼女はフランツの前へと出て行ってしまう。

 

「あぁ? 何だおい、テメェには用はねぇんだよ。下級の奴らにおとなしく捕まっとけ」

 

「……久しぶりに……斬り応えがある……」

 

彼女の言葉に、フランツは大声を出して笑う。

 

「キッハハハハハハハ! 斬るだぁ? この、フランツ・フォン・シュトゥックをか?ナメんのも大概にしろや。第一、刃物もねぇのにどうするってんだよ?」

 

「……これ……」

 

そう言われて、彼女が差し出してみせたのはなんと右手。その手は、手刀の形をとっていた。

 

「……あーもう決めたわ。てめぇ……ブチ殺す!」

 

彼女の行為にフランツの怒りは頂点を迎え、恐るべき速度で彼女に飛びかかる。

 

「死ね! 『悪魔の鎌足』!」

 

真空波を纏わせた、食らうものを徹底的に切り刻む無慈悲な鎌。それが彼女に直撃する寸前。

 

「『懐刀(ふところがたな)』」

 

彼女はすでに攻撃を完了していた。


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