どこまでも続くかのような、蒼い海。
その波間に、女の姿が見える。
溶けこむような蒼の制服を着こなし、海上に立っている。
地球の7割を覆う、海。
その上に、彼女は立っていた。
時折風が吹き、彼女の黒髪を揺らす。
よく見れば、彼女は風変わりな機械に囲まれている。
いや、彼女がその機械を纏っているのだ。
円環を切り欠いたような形状の左右から、2連装の砲が伸びる。
背中側にも同じものが付いている。
まるで、軍艦のようだ。
その、軍艦のような女は波の向こうをじっと見ていた。
何かを、待つかのように。
双眼鏡を持っているわけではないのに、まるで彼女は見えているかのように言う。
「敵影なし……連絡艇の船影……なし」
はぁ、とため息をつき、彼女は太ももに手を伸ばす。
黒い手袋をはめた手に、小さな何かが握られている。
飛行機の玩具にも見えるそれを掌に載せると、淡い光が弾け散り、玩具はたちまち精巧な模型へと姿を変える。
零式水上偵察機。
旧日本海軍の巡洋艦や駆逐艦に搭載された、偵察を主任務とする水上機。
その、本物と見まごうばかりに精巧な模型が、彼女の掌に現れた。
更にいつの間にか、傍らに手のひらサイズの可愛らしいパイロットまで立っていた。
二頭身の、女児向けの小物にでも描いてありそうな雰囲気だったが、その服装は旧日本軍パイロットのそれである。
「妖精さん、連絡艇の捜索、お願いね?」
掌上の「妖精」にそう語りかけると、そのデフォルメされた姿に似合わない敬礼がかえって来た。
妖精がどのようにか偵察機に乗り込んだのを確認すると、彼女は一度深呼吸して前を見据えた。
「偵察機、発艦!」
その声とともに、かつてと変わらぬエンジン音を響かせ、偵察機が彼女の手を飛び立って行く。
すぐに見えなくなった偵察機の行く先をみやり、彼女はつぶやいた。
「本当に提督、来られるのでしょうか……」
あまりに変化がないので、彼女はしばし思いに耽っていた………。
「新設される、本土防衛線を構築する鎮守府の一つに転属を命じる」
そんな話を聞いたのはつい先日のこと。
参謀本部付士官の秘書艦として働いていた自分に下るには、少し驚くべき命令だった。
実戦経験のない自分を、いきなり前線に送り出すという。
そりゃあ、彼女は普通の女ではない。
「艦娘」。
深海より来る謎の敵「深海棲艦」を討つために、どうやってか大昔の軍艦の「船霊」を宿し、その艦を模した「艤装」を纏い、「提督」たる人物の指揮を受け戦う、海の戦乙女。
けして絶対数が多いとは言えない中の一人であり、艦娘になったからには敵と戦い、国を、人々を守るという使命がある。
そんな自覚が、彼女にはあった。
そう「あった」のだ。
だが、自分が「艦娘」となって初めてくだされた命は、参謀本部の士官の秘書役となり、その業務を手伝うことであった。
あまり意識したことはないが、自分が「艦娘」になるにあたって、敵と戦うものだと思っていた彼女にとってそれはすこしばかり不満だった。
けして不快だったわけではないが、戦うために艦娘となったはずが、やっていることは事務士官の業務とそう変わらない。
その仕事に慣れていき、いつしかそれが日常となる。
彼女はその中で、自信を少しずつ削られていった。
「本当は、自分は役立たずなのではないか?」
「同じ時期に『艦娘』になった仲間たちは、最前線で活躍しているのに、自分はこのままではないのか?」
ああ、生き残りはしたけれど、終戦後に外国であっという間にスクラップにされた船ではこんなものか。
そんな思いが日に日に浮かんでいき、いよいよ我慢の限界かと思っていた頃にその命令が来た。
実戦経験もないのに、いきなり前線への転属。
望んではいたが、唐突であった。
なにより実戦経験のない艦娘一人を、本土防衛の要といえる重要な場所へ送るというのが理解できなかった。
そんな不可解な命令でも、彼女は軍人。従わなければならない。
そして、新たに提督として着任するという「鎧塚」なる青年士官と合流するために指定された海域まで来ているが、提督が乗っているという連絡艇の姿は、どこにも見えなかった。
そこまで振り返ったところで、彼女は思考を現実に引き戻した。
まだ、連絡艇は見えていない。
「はぁ……立ちっぱなしも、疲れるわね……」
彼女はそうぼやき、軽くのびをした。
いくら「艦娘」といえども、疲労を感じないわけではない。
もういい加減、待つのも退屈になってきた。
その時、肩にかけていた艤装の電子機器が何かを受信した。
「あら……やった!」
思わず彼女は拳を握った。
さっき飛ばした零式水偵が、提督の乗る連絡艇を発見したようだ。
微かにプロペラの音が聴こえ、彼女は顔を上げる。
水平線の向こうから、零式水偵がこちらに飛んでくる。
そして、それに導かれるように船が見えた。
連絡艇とは呼んでいるが、その実態は徴用した小規模漁船か何かのようだ。
申し訳程度に旭日旗がつけてあるが、船名もそのままのこっている。
彼女は船影を見ると、それに向けて大きく手を振った。
すると船に取り付けてある拡声器から、青年のものらしい声が聞こえてきた。
「君は……新設される鎮守府に所属する艦娘だね?先導、感謝する」
「はい。重巡洋艦、高雄と申します、鎧塚大佐ですね?私が先導いたします」
高雄は反転すると、そのまま漁船の数m前方を進み続ける。
やがて前方に、ある程度の大きさの島が見えてきた。
よく見れば、島の規模に比してかなり大きな施設が建てられており、岩壁はよく見ると水門になっていた。
そう、この島全てが「本土防衛線」構築のために設立された新しい鎮守府なのだ。
ついに合流出来た連絡艇を桟橋に誘導すると、彼女は艦娘用ドックへと戻っていった。
ドックで艦娘は各々の艤装を取り外し、「陸上勤務」に移行することになる。
陸上勤務といっても、やることは一つだ。
自分たちの指揮官である提督を出迎えなければならない。
だからこそ、彼女は一目散に桟橋へ向かった。
連絡艇の操艦を担当していたであろう兵に敬礼を返すと、すぐに下がる。
彼女は、船より降りてくる自分の上官の姿を見た。
太いわけではないが大柄な体格。
着こまれている海軍第一種軍曹には、一つのシワもない。
そういう所がルーズじゃない人ならば、やりやすいかもしれない。
そんなふうに考えてから、彼女は歓迎の意を込めて、精一杯の声を張り上げた。
「では、改めまして……はじめまして、高雄です!」
提督、これからよろしくお願いします。
そう言おうと思ったが、高雄の口からは続きの言葉が出なかった。
なんたって、彼女の前に現れた提督は。
軍帽こそちゃんと被っているが、オレンジ色の半透明なフードに覆われた金属質の頭部と、その奥に一つのカメラを持つ機械仕掛けの顔をしていたから。
(え……え……ど、どういう……?)
「君はさっき先導もしてくれた艦娘だね?こんなおっかない見た目で済まない。一応これでも、心は人間なんだけどね……改めて、僕は本日付で君たちの指揮官を拝命した、鎧塚だ。今後、よろしく」
高雄の混乱は、おそらくここでピークに達した。
明らかにロボットにしか見えないその顔なのに、聞こえてきたのは優しげな青年の声。
もしかして、その格好はヘルメットか何かですか?
「ハ、ハイヨロシクオネガイシマス、テイトク」
パニックから抜け出せていないせいか、イントネーションがおかしくなっている。
(ああ、神様、お父さんお母さん、愛宕、摩耶、鳥海……私はどうなるのでしょう……)
高雄は、これから始まる波乱の予感にちょっとどころではない不安を感じていた………。
こんな、得体の知れない上官で大丈夫なのかと。