これをインフィニット・ストラトスと言い張る勇気。   作:葉巻

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『少女と白騎士 When night comes.』⑥

 セシリア・オルコットと言葉を交わしてから放課後に至るまで、箒の意識には外界の出来事が碌に入ってこなかった。

 気が付けば既に放課後。課外の運動に励む生徒達の掛け声が窓越しに響く中、彼女はクラスメイトもまばらな教室内をぼんやりと見つめる。

 

 ――どうすればいい?

 

 そう己に問いただすが、無論箒自身に答えられる筈もない。唯織の姿もこの場にはなく、仮にいたとしても悩みを打ち明けられる状況ではなかった。

 それは寮に戻ったとしても同じこと。相談を持ち掛けることそのものに、大きな抵抗を感じているのだから。

(第一、あいつが本当に私の味方かどうかも分からない。本当に頼っていいものか……)

 箒の中で猜疑心が鎌をもたげる。

 確かに一度は自分を救ってくれたし、置かれている状況を一通り教えてはくれた。

 だが、それは自分が単に無防備で、彼女にとって無害な存在でしかなかったからではないのか。『白騎士』としての――役割に沿っただけの行動だったのではないか。そう己の心が疑いをかける。

 争いに執着していない雰囲気も、実力行使を厭わないセシリアより遥かにまともそうではあった。しかし、それは勝手な印象であって、本質を捉えた認識ではない。たった一度、偶然気が向いて手を差し伸べただけの相手を善人扱いするようなものだ。そういう物の見方が自分の身を危険に曝すのだと、條ノ之箒は十分に理解している。

 今の自分にとって、夏村唯織――『白騎士』はあくまでニュートラルな存在だ。状況がひとつ変化するだけで明確な味方にも敵にもなりうるだろう。

 おまけに、自分の抱えている問題はあくまでセシリアとの間に直接生じたものであって、『白騎士』が関与しているわけではない。手助けする義理など初めから存在しないのだ。むしろ自分に関わることが不利益になってしまう。

 だからこそ、今は彼女に頼ってはいけない。彼女の助力を前提に動くのはあまりにもリスクが大き過ぎる。

 しかし――。

(それ以外に何をしろと言うのだ。私には何の力もないというのに)

 篠ノ之箒はセシリア・オルコットのような力を持たない。あの不思議な鎧を携えてなどいない。

 生身で丸腰のひとりの少女が、一体どうやってあの『怪物』とやり合えるというのだろう。

 超常の化外を相手に立ち回るなど到底できるものではない、そう昨晩思い知らされたばかりだというのに。

 最初から詰んでいる。勝敗など分かりきっている。

 信用できない頼れないと散々粋がったところで、己だけで出来ることなどひとつとしてないではないか。

(結局、私には力などない。姉さんを追いかける? 自分の身さえ守れない弱者が何をほざいている)

 打ちのめされたように気分を沈ませ、彼女は椅子に深くもたれかかった。

 

 差し込む西日に照らされ、俯く箒の影が床に長く伸びる。最後まで残って世間話に興じていた数人も出ていき、教室には彼女だけが残っていた。

「……はぁ」

 こぼれた吐息がわずかに残響し、再びしんと静まり返る。

 延々悩んでいても仕方のないことだが、かといって思考を止めるわけにはいかなかった。

 さもなくば命を奪われる。一方的な暴威に曝され、無残に消される。たとえどうしようもないとわかっていても、恐怖が一切の諦観を許さない。

 

 ――死にたくない。姉さんに逢うまでは死ねない。

 

 消息を一切知らせず、生きているともわからない肉親と再会したいという願いが、彼女の足をここまで突き動かしてきたのだ。

 それを一度の理不尽で灰燼に帰すなど決して許されない。ここまで一切の過程が無駄であったと突きつけられて、はいそうですかと受け入れられるわけがない。

 

 ――でも、どうすればいい?

 

 結論を見出せないまま、何度目かの思考の環に嵌ろうとしていたその時だった。

 何の前触れもなく、カタリ、と机の表面を叩くような音が響く。

 チリン、という鈴の音が同時に彼女の耳をくすぐる。

 その瞬間、視線は自然と聞きつけた方向に向かっていた。

「何か落ちている……?」

 教卓からだろうか。アクセサリーらしい物体が木製の教壇上にあるのを目が捉える。クラスメイトの誰かが忘れていったものが、何かの拍子に転げ落ちたらしい。

「落とし物を放っておくわけにもいかないな。ひとまず拾って職員室へ持っていくか」

 ごく当たり前の発想をもって、箒は席を立った。まっすぐ最前列の机まで向かうと、その前方に落ちていたブレスレットのようなものを拾い上げる。紅白の紐が絡み合うそれは、結び目の辺りにふたつの鈴をぶら下げていた。

 作りを見る限り、市販されている物ではなさそうだった。となると、落とし主の大事にしている物かもしれない。早く職員室へ届けた方がいいな、と箒が思った時だった。

 

【登録対象者を認識――――照合完了、篠ノ之箒と確認】

 

 耳の後ろ辺りを叩かれるような感触とともに、頭に声が響いた。

「なん……だ?」

 

【生体情報を取得――良好と判断、初期設定に問題なしと断定】

 

 戸惑う箒に構うことなく、声は淡々と作業の進行を告げる。

 体温を感じさせることのない平坦な音程、感情の見えない機械的な口調に、彼女は底知れない恐怖を感じた。

 

【初期接続を開始――登録対象者との同調を進行、動作周波数を調整。設定確認――完了、同調を開始】

 

 瞬間、思考にノイズが走った。まるで目の前の誰かに視線を向けられているような気配を感じ、箒は周囲を見回す。

 当然ながら視界には何も映らない。当たり前だ、自分以外には誰一人として居残っていないのだから。

 度重なる身の回りの異変に薄気味悪さを覚え、彼女はブレスレットを机の上に置こうと手を――――動かせなかった。

「……っ! ……っ!?」

 ぐっと力を入れた指先は、彼女の意思に逆らうかのごとく手の中のものを保持し続けている。それだけではなく、ついさっきまで動かせていた筈の体が金縛りにあったかのように硬くこわばっていた。

 視線すら手元を見下ろしたまま固まっている状態で、ただただ恐怖心だけが募っていく。

 

【メインAI、マインド・トレーシング開始――完了。疑似人格を構築、登録対象者の全身体機能との同期、及びナノ・インプランティングを実行――】

 

「っつ――――!?」

 棘の刺し込まれる痛みがブレスレットを握る手先に広がる。刺激はほどなく痺れのような感覚へと変じ、一気に腕を這い上がってきた。

 何かが『書き換え』られていく。

 自分が、自分ではなくなっていく――そう直感する間にも、痺れの波は彼女の胴体を、頭を、残りの手足を覆っていく。

 全身が呑み込まれると同時、彼女の意識へと膨大な情報が流れ込んできた。

 未知の理論と共に語られる知識の渦。

 自身の肉体、手の内にあるIS双方から発せられる無数のバイタルデータ。

 数多の情報によって構築された混沌へと彼女の思考は融け、広がってひとつの湖となっていく。

 ISという超兵器を上書きされた細胞一つ一つが『理解』し、その力を抵抗なく受け入れていく様を、彼女はゆるやかに遠のく意識の中で感じ取っていた。

 

【――同期確立、初期起動設定(フォーマッティング)を完了。搭乗者、條ノ之箒をネットワークに登録――確認】

 

 最後のシステムメッセージが告げられ、少女は望む力と結ばれる。

 それは望みもしなかった巡り遭い。

 願いもしなかった存在との一体化。

 その身に待ち受ける受難を予感することもなく、直後、意識の消失した彼女はその場にくずおれた。

 

    ◆

 

 ――彼女にとって、最上位であることは当然の義務だった。

 

 代々資産家として名を遺してきたオルコットの末裔として、恥じることなく立場に相応しい功績を上げる。

 それは当主である彼女にとって最低条件であり、道半ばにして斃れた先代当主への誓約でもある。

 

 前当主――セシリアの実の母親――は、幼かった彼女の憧れであり、超えるべき姿だった。

 受け継いだ資産をただ運用することのみならず、新たに複数の分野で事業参入を果たし、わずか短期間でシェアを拡大し国際市場で地位を築き上げた女傑。

 その気の強さ故に婿入りした男は随分肩身の狭い思いをしたようだが、それを差し引いても余りある偉業を成し遂げたと断言できる人物だ。

 あくまで英国の一資産家に過ぎなかったオルコット家を、より大きく、強く育て上げた立役者。そんな女性を、その実の娘が尊敬し目標としない道理などなかった。

 どこまでも母の姿を目に焼き付けようと、その背を超えるために追いかけ続けようと心に誓うのは、気高き家柄の子としてごく当然の感情である。

 

 悲劇は唐突に訪れた。

 

 海を跨ぐ越境鉄道、その高速車両の事故によって喪われた300名あまりの無辜の命。犠牲者達の中には、セシリアの父と母も含まれていた。

 原因はわからず、亡骸も原形を留めた姿で見つかるものがほとんどないという悲惨な状況で葬儀が執り行われ、唯一残った家督と莫大な資産は遺書に従い、ひとり残された彼女へ引き継がれることとなる。

 そこに浴びせられたのは、親族縁者達の欲に染まった視線。母親と同等の資質や更なる貢献を期待する者達からの罵詈雑言。

 誰一人として彼女を庇う者はなく、何一つとして彼女の慰めとなるものもない。そうして初めて、少女は初めて母の対峙していた現実を知り、己の無力さを自らの喉元に突き付けられた。

 

 けれども、折れることは許されない。

 諦めることは認められない。

 何故なら、自分はセシリア・オルコットだから。

 あの人の血を、地位を継ぐ当主なのだから。

 あの人を穢すことになる選択は選択肢になど含まれない。あの人を超える者でなければ、当主を継いだ意味はないのだと、泣きそうな自らを律する。同時に、彼女は困難と立ち向かうために更なる力を欲した。

 

 不幸にも、彼女は幼過ぎた。

 都合のいい物事の良し悪しを。やさしく差し伸べられた手が魔性かどうかを。己自身で考え、断じるに足るだけの知恵をまだ持ち合わせていなかったのだ。

 故に――ISという毒の果実を、セシリアは望むがままに受け取った。それが自らを助く希望であると本気で信じて。その選択がいかなる結果をもたらすか、かけらも理解に及ぶことなく。

 

 そして操縦者(まじん)となり、現在に至る。

 

 当主としての地位は確立され、その座と財を脅かす者はいなくなった。しかし、代償に失われた少女の純真さはより高い頂への渇望に置き換わり、手段を択ばない非情さが彼女を狂気の狩人へと変貌させた。

 もはや彼女は人間(ひと)に非ず、輝く王冠(きょくち)を求めては貪り喰らう魔物と成り果てている。

 『白騎士』であろうと篠ノ之束の血であろうと、その違いに文句を付けることはない。

 ただひとつの要件――彼女を更なる極限(たかみ)へと押し上げるという点さえ満たされれば、即ち彼女にとっての獲物である。

 それらを捕らえ、蹂躙し、破壊した末に今以上の地位が手に入りさえすれば、彼女はそれで十分だった。

 

 ――今、彼女が対峙しているのはその一方。

 何を考えたか、堂々と自分の前に姿を見せるという愚行を犯した篠ノ之箒だった。

「わたくしの警告に怯えるか、早々逃げ支度を始めると思っていましたのに。随分とまあ、威勢のいいことですわね」

 目の前の餌を嘲りながら、セシリアはISをその場に出現させる。

 全身青に染まった装甲は擦れてかすかに軋みを上げ、立ち尽くしたままの相手を威圧した。

 手の中に短剣を形作ったセシリアは、口端を吊り上げる。

「そこまで死にたがりでしたら、望み通りにして差し上げますわ」

 噴き上がる蒼炎とともに一瞬で距離を詰めると、彼女は構えた刃をまっすぐ振り下ろした――――。

 

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