地底に住み着くと言う事象。その原因は無数にある。人を食い過ぎて畏れられたが故であるとか、封印の柱としてであるとか、自分から入り込んで行っただとか、それこそ千差万別。しかし、かつて人間の中にまだ霊や術と言うものが当たり前に存在していたころには、妖怪や魔女などが地獄や地底などの『人間の目の届かない場所』に封印されることはごくあたりまえであった時期がある。
そんな時代に地底にやってきた、あるいは地底に封印された妖怪たちは、地底の妖怪達との戦いによって命を散らすことが多かった。地底に古くから暮らす妖怪たちは強大な力を持つものが多く、封印されてしまうほどに弱っていた妖怪は生き残ることも難しかったからだ。
だが、時にそういった食物連鎖から逃れ、地底に住み着く妖怪たちも少なからず存在する。そういった存在は少しずつ地底に馴染んでいき、百年もしないうちにいつの間にか地底の妖怪の仲間として当たり前に過ごしている。
それぞれの理由はあれど、人間に広く知られることとなった妖怪の多くは何らかのことが原因で封印されたり逸れ者になったりして、そういった者たちの最後に行きつく場所が地底であるのだ。
そんな地底でも、何か大きな出来事でもあれば現状は変わる。例えば、地底に封じられた空を飛ぶ船の封印を解きたいと願う見越し入道を背負った尼入道が力不足ゆえに死んだように過ごしていた時に、偶然にもその封印が死霊の奔流と間欠泉によって封印が解かれる……と言うことがあれば。
当然、その尼入道は自分の目的のためにもその船に乗っていた仲間達と共に目的を果たしに向かうだろう。
……そして、今、飛倉の破片と呼ばれる宝具が足りていないらしい。その飛倉の破片とは私が先程正体不明でなくした未確認飛行物体だった物のことであると言うことはわかっていたし、私自身は集めるつもりなんて毛頭なかったのだけれど……無意識第三の目を薄目にしていたせいで増えてしまった無意識領域での行動で飛んできていたその破片とやらを数多く回収してしまったらしい。
しかも、どうやらこの破片、一度集まると勝手にくっついて大きくなり、他の破片も呼び集めるようになってしまうようで、今も少しずつ無数の破片が集まり始めていた。
だが私にはそんなものは一切関係ない。こんなものを集めたところで私には何の特もないのだし、これを集めにここに来る彼女にでも渡してさっさと帰ってほしいとすら思う。使えないものは使えないのだから、私に害の無い範囲で有効に使える方が有効に使うのが一番だろう。
……けれど、どうも話はそう簡単には進まないらしい。どうやら私にとってかなり面倒な相手がこの場所……博麗神社に向かって飛行してくるのがわかる。
正体不明の権化。正体不明と言う事象そのものの精霊ともいえる、日本生まれの大妖怪。正体不明こそが正体であるがゆえに、ヒトの形をとることをやめてしまえばその姿を何者にでも変えることができ、真の姿と言うものを持たない。
ただし、その弱点ならば理解している。正体不明こそが根源であるならば、未だ不明とされていることの正体を暴けばそれだけその力は弱くなる。誰もが知っていなくとも、誰かが知ってさえいれば正体不明は正体不明ではいられない。
―――そして私は、世界が知っていることではなく、世界が認識はしているが知りはしないことまで知り続けている。ただ記録されているだけの情報ではなく、その記録から現象の正体を理解して知ってしまっている。
つまり、その相手……鵺にとって、私は生きているだけでも自分の存在を削っていく害悪でしかない、と言うことなのだろう。そうでもなければ私に近付けば近づくほどに鵺本人だけが認識している正体を私に知られ、正体不明の能力がさらに使いにくくなっていくのにそんなことをする理由がない。
今はまだ正体不明の光球としてこちらに向かってこれるだけの余裕があるようだが、博麗神社に到着するころには自分の正体を不明にすることすら難しくなってきているはずだ。
それでも止まらないと言う事は……つまり、そういうことなのだろう。
それに、鵺だけではない。元人間の尼入道と見越し入道の二人組もこちらに向かってきている。恐らく目的は私が半ば無意識のうちに集め、今もなお集まり続けている飛倉の破片。これが大量にここにあるせいで、あちらの計画に無理が出てきているのだろう。
しかし、やけに殺気立っている。私がここにいると言う事も理解しているようだし、ここには私しかいないと言う事も先に霊夢さんと戦った彼女達ならばわかっているはずだろうに、いったい何をそんなに怯えているのだろうか。
私が目の前に居れば、彼女たちが落ち着けるように小粋なジョークの一つでも……いや、私では無理だ。恥ずかしい。
とにかく、多少ではあるだろうが落ち着かせてあげるくらいの事はするだろうけど……本当に、いったい何にあれほど怯えていたのだろう。昔私に会いに来た時も同じように顔を真っ青にして今にも嘔吐しそうなほどに怯えきっていたのだけれど……今回、もう少し深くまで読み取ってみることにしよう。
私は料理の下拵えをしながら、そう呟いた。
■
正体不明は焦っていた。自分の力がどんどんと失われていくことに気が付いたからだ。
かつて、鵺は『雷獣』とも呼ばれていた。しかし今現在、鵺は雷を起こすことも無ければ纏うこともできない。
それは何故か。それは、人間が雷の正体を理解し、そして雷を起こすことに成功してしまったからだ。
雷の正体が不明でなくなった瞬間に、雷獣と呼ばれた鵺は雷獣ではなくなった。
それからも、人間たちが何かを解き明かすたびに鵺として振るうことのできる力は失われていった。
幻想郷に来てからは、外の世界と閉ざされているせいか失くした力の一部は再び使うことができるようになった。外の世界から流れてくる書物などのせいか雷を使うことはできなかったが、外の世界では人間が忘れていった『妖怪への畏れ』を受け、少なくともこの幻想郷で必要以上に命の心配をする事は無くなった。
鵺は再び自分の『正体不明』を振るい、時に妖怪を、時に人間を脅かし、迷い込んだ人間を喰らいながら今までを生きてきた。
しかし、せっかく取り戻した
……実際には、それを理解した存在が一人だけならばそこまで問題でもないのだ。問題となるのは、そうして得た知識を誰かと共有され、広く知られてしまうことにある。
『正体不明』と言うものは、それを見た者によって変わる。誰かがそれを発見し、それを隠し通した場合、他の多くの存在にとってはそれは正体不明のまま。ただ、知っている者が非常に少ないだけで実際には正体不明と言えるわけではないのだが、それでも鵺にはまだ力が入る。ほんのわずか、力が削られるだけなのだから。
この状態を、鵺自身は『正体無名』と呼んでいる。いつ失われるかわからない、いつか失われるかもしれない程度の物だと理解しておくために。
しかし、今回は鵺自身の知る全ての『正体不明』及び『正体無名』が何者かによって知られてしまった。自身の存在の全てが、その『誰か』に握られている状況で、鵺はのほほんと過ごすことなんてできはしない。
「……最低でも、黙っていてもらう。もしもそれを嫌がる素振りを少しでも見せたなら――――――」
躊躇わず、殺す。
平安時代に生まれ、人々の正体不明の存在に対する畏れを喰らって生きてきた大妖怪。鵺はそう呟いて、さらに早く空を駆けた。