昼食を頂いてから白玉楼を辞去すると、とても穏やかな空気のまま別れることができた。
無駄に腹の読み合いをする必要も無ければ気を張る必要もない相手は、とても貴重だ。
私はとてもいい気分のまま次に起きた異変の場所へと向かう。次に起きた異変は……ああ、伊吹萃香の三日おきの百鬼夜行ですか。あれは確か博霊神社で起きた異変で、三日おきに何度も宴会が繰り返されると言うものでしたね。
首謀者は『密と疎を操る程度の能力』を使う鬼。伊吹童子、酒呑童子、小さな百鬼夜行とも呼称されることのある、鬼の中でも特に強力な存在。伊吹萃香。
ただ、その原因が『春が短くて宴会がろくになかったから』と言うのは……平和で良いと言うべきか、それとも呆れてしまうべきか。
この異変についてはよく知っている。鬼は嘘をつくことのない種族であるし、ごく一部の例外を除けば面倒な言い回しで煙に撒こうとしてきたりもしない。私は既に博麗の巫女や酒呑童子からこの時の話を聞かされているし、それに嘘が無いと言う事も知ることができている。隠し事のある可能性も無い訳ではないけれど……わざわざ隠したいことを暴きたてるのもどうかと思う。実際には暴き立てることはしなくとも既に目的自体は知っているわけだし。その目的も嘘があるとは思えない。参加者の多くにも出会って記憶自体は存在するし、パスしよう。
……伊吹萃香は私の事を苦手としていますしね。
では次……月を別物と入れ替えようとした永遠亭の方々。そちらに向かうとしましょうか。
ちゃんと話を聞いていただけるかはわかりませんし、話を聞かせてもらえるかもわかりませんが、それでも行くだけなら問題はありません。
月にいる神降ろしの怪物に匹敵するほどの脅威ではあるでしょう。しかし、それもこちらから手を出すなりなんなりした場合に限定されます。私は彼女達を肉体的に殺すことはできないし、傷つけること自体もかなり難しい。そもそも彼女たちは肉体的な損傷ならばあっという間に治ってしまうようにできている。彼女達を殺すのも、致命傷を負わせるのも非常に難しいと言わざるを得ない。
……そもそも、そんなことをする気は欠片も無いのですけれどね。わざわざ喧嘩を売って私の平穏を壊してたまるものですか。
永遠亭は地上の『迷いの竹林』に存在する。竹林を通り抜けられるのはその竹林に住み着いている兎の妖怪と輝夜姫、そして八意思兼神と不死の人間である藤原妹紅くらいな物だろう。
だが、私はそういったものを無視して竹林に向かう。私が取る方法は、竹林に間違いなく存在する輝夜姫の意識を感じ取り、そしてその意識に向かって地形も何も関係なしに進んでいくと言う……まあ、迷いの竹林と言う術を組んでまで永遠亭を隠そうとした某天津神からすれば『ざけんなゴルァ!』と口汚く罵ってしまいたくなるような反則紛いの方法。勿論それを予想していなかった彼女の落ち度だし、禁止されていようがされてなかろうがやった者勝ちなところのある現実では反則だなんだと騒いだとしても効果は無い。
それと、先ほどから遠巻きに私の事を見つめている老兎。恐らく彼女は『因幡の白兎』だ。悪戯好きで様々な存在を騙しながらも生き抜いてきた、老獪な兎。彼女は國津神の大国主に仕えており、天津神との相性はあまりよくないと思うのだけれど……まあ、彼女が因幡の白兎であると言うならば、そのくらいの折り合いは付けて見せるだろう。
今は単なる悪戯兎。私は彼女をそう扱おう。彼女がそれを求めているかはわからないけれど、私が彼女をそう扱いたくなった。
なにしろ―――罠の数が多すぎる。できるだけ死にはしないように作られているようだけれど、わざわざわかりきっている罠にはまるのも愚かしい。どの罠がどこに仕掛けられているのかをしっかりと覚えている彼女は、罠師としては素晴らしい。そのお陰で私は罠にかかることなく動くことができる。
……さて、永遠亭まではいったいどれくらいだろうか。竹林の面積から考えてそこまで長くはないだろうけれど、私の足で歩いて行くとなると決して狭くは……。
「……そこの方。確か…………冷麺・うどんメイン・エバラさん?」
「違うわよ!」
ガササッ!と草叢が揺れて頭から兎の耳を生やした女性が立ち上がる。その隣では悪戯好きな老兎が内心慌てているのだが、ここまで来てしまったらもう誤魔化しは効かないと言う判断を下したのだろう。即座に内心の動揺を抑えて私の事をじっくりと観察し始めた。
「あなた、ここに何の用?」
「少し話を聞きたいだけですよ。主に最近起こった永夜異変の事ですね」
「……それじゃあ、もう一つ。貴女―――
「何、とはまた……私は平凡な一妖怪で」
頭を30°ほど左に傾ける。その直後に私の頭のあった位置を妙な形の弾丸が通り抜けていった。
頭を元に戻して、その弾を撃った玉兎に向き直る。
「いきなりご挨拶ですね。まったく、月の兎は妖怪と見れば殺しにかかる習性でも持っているのですか?」
「……」
彼女は答えない。その目を真紅に輝かせ、私に銃を向けるような構えを崩さない。
例え、頭の中で私がなぜ今の弾を躱すことができたのかわからず、すぐに次の弾を用意して撃ち出そうとするのを能力で隠しながらであろうとも、逃げたい、怖い、と言う感情で頭の中がいっぱいになっていようとも、それでも彼女は私に向けた構えを崩さなかった。
これが、軍人と言うものなのか。私は内面と外面を綺麗に切り離して見せた目の前の彼女に興味を持つ。
妖怪は意志の生き物だ。基本的に自分の意志を曲げるのは自分以上の力や意志とぶつかった時くらいなもので、そうでなければ自分の意志を曲げようとすることはめったにない。
だと言うのに、この臆病な玉兎は恐怖を抱え、逃げたいと言う思いに囚われながらもそれを外に出すことなく構え、向き合っている。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか。
私以上の恐怖。十分にあり得る話だ。私は平凡な妖怪であるため、私以上の恐怖などどこにでもある。
仕えている八意思兼神への恩義。これも十分考えられる。私と向き合っている間に、この近くから悪戯好きな老兎以外の兎が消え、そのうち何羽かが永遠亭へと走っている。私の存在を伝えに行ったのか、それともただ逃げているだけなのか。どちらにしろ私の存在は向こうに通じるわけだ。
「それで、どうして私は襲われているのでしょう? ここは人間であろうと妖怪であろうと入ってはいけないと言うわけではないはずですが」
「……」
「返事はなし、ですか。悲しいですね。会話は大切ですよ?
――――――――――――ねぇ?」
狂気を操り、私に幻影を見せていた本人のいる方に顔を向け直す。私の波長からすでに狂気に呑まれているはずなのに、なぜ効いていないのかを疑問に思っているらしい。
私に狂気に呑まれた感覚は無い。それに、この程度ならば何の問題も無く耐えられる。
確かに狂気によって狂った映像を見せられていた。ただ、それはどうにも薄く、本人が私の背後に回ろうとしているのが簡単に……文字通りの意味で『手に取るように』わかってしまった。何故かはわからないが、私には彼女の言う『狂気』への耐性が存在するらしい。
玉兎はそれ以上何も言葉を発する事なく、私に向けて弾幕を撃ち放つ。その弾幕は弾幕ごっこの物でも、そこから一段上がった弾幕格闘の物でもなく、明らかに殺傷を目的としている物だった。
「……わかりましたよ。それでは、開戦と言う事で」
私はこっそりと、ため息をつき、ひそりと囁く。
『無間想起』