百話記念をっ!
一つしか上げちゃいけないなんて決まりはないッ!
そうだろ!?
幽香はぱたぱたと忙しく動き回っていた。
手には綿の詰まったミトン。そのミトンで石窯の中にパンを入れ、焼き上げる。
同時にもう一人の幽香はダイニングを掃除して回っていて、すでに汚れは目に付くところには一つもない。
いったいなぜ幽香がそんなことをしているかというと……今日は彼女の友人が彼女の家に遊びに来るという予定になっているため、彼女は少しだけ張り切ってしまっているのだ。
彼女の家にひっそりと存在する石窯。それは使われることがなくなってから大分経っていたが、元々あまり頻繁に使うことを考えられずに作られているために軽い手入れによって積もった埃を取り除くだけで十分な働きを見せている。
そこで作られるのは、彼女が長い生に飽いた時に軽く極めたパン料理。彼女のパン焼きの腕は、おそらくこの幻想郷で最高の物と言えるレベルにまでなっていた。
そして当然ながら、パンだけで料理は終わらない。この日のために作った特別な野菜と、自身で取ってきた獣の肉。それを冷暗所に保存し、しっかりと熟成させたそれを惜しみなく使う。
ここまで本気になって料理をしたのはいったいいつぶりだろうと言う思考が過ぎり、幽香はクスリと笑みを浮かべる。ただ、自身が意味もなくやってきた料理というものを、やってきてよかったと思える日が来るとは思ってもみなかったからであろう。
昔は彼女も勘違いを解こうと努力していた。しかし、いきなり自身の領域に入り込み、問答無用で草花の命を散らす無頼漢共のなんと多いことか。そう言った輩を何度も撃退しているうちに、妖怪からも人間からも恐れられるようになってしまった。
命を狙われれば自分の身を守るために戦うのは当然のこと。そして心優しい存在ならば、自陣の同族が無為に殺されていくのを見たならばそれを止めようとするのも当たり前だろう。風見幽香と呼ばれる大妖怪は、実際には少しだけ激情に呑まれやすく、とてもとても仲間想いで、そして仲間を守るには十分すぎる力を持ってしまっただけの、ただの花妖怪なのだ。
多くの存在はそのことを知らない。そして幽香もそのことについては否定はしてこなかった。自身が何と言おうとその相手が自身に抱く思いは変わらないということを知っていたし、いくら他人に優しくしても自分のいない所では悪口を広めることに何の罪悪感も抱かない。草花からの言葉でそれを知った幽香は、ある意味では諦めを抱いていたのだ。
しかし、そこに現れたのが古明地さとりという妖怪だった。読心を使えるその妖怪は、風見幽香の正しい姿を見てくれた。他人の思う風見幽香と言う凝り固まった恐怖の像ではなく、幽香自身が思う風見幽香を見てくれたのだ。
そしてまた同時に、彼女も勘違いによって重責を負わされている立場。自身はその勘違いを有効的に使って自分の下に存在している草花を守り、さとりは勘違いによって自身の家族を守っている。
そういった処まで似通った二人が友誼を持つというのは、何らおかしいところではない。むしろ極々自然なことだった。
今まで誰も来ないか、何も知らない存在が迷い込むだけか、あるいは自分の力に中途半端に自信を持ってしまった妖怪が喧嘩を売りにやってくるばかりだった太陽の畑。しかし今ではそうしてできた友人が遊びにやって来てくれることもある。それがとても嬉しくて、地底に少しだけ存在する草花たちからさとりが地上にやってくるということを聞きつけると意味もなくそわそわとするようになってしまった。まるで初恋の相手に近づこうとする少女のようだと自分のことを笑ってしまいたくなるが、それでもどうしてもそれをやめられそうにない。
また、さとりは幽香の家に来る時には必ず事前に読心の応用で連絡を取ってくるので対応も楽だと言うのもある。いきなり来られても困ることは殆ど無いのだけれど、それでもちゃんと迎え入れてあげたいと思う気持ちがないわけではないのだから。
料理は佳境に入り、掃除は終わらせた。ダイニングは美しく磨き上げられ、生命力の強い季節の花が小さな鉢に入って目を楽しませる。
これらの花は後で幽香が直接庭に植えなおすのだが、そのくらいのことは手間とも思っていない。楽しませてくれた分、こちらも手間をかけるべきだ。花妖怪である幽香は当然のようにそう思っていた。
料理はまだ運ばない。草花ネットワークからよこされるさとりの位置はまだまだ遠いし、さとりの移動はかなり遅い。幽香も移動はかなり遅いほうだと自負しているが、それよりも明らかに遅い。どこかの妖精にも負けかねないほどだ。
だからこそこうして料理に精を出すことができるのだが、あまりに遅すぎて少しだけやきもきしてしまうこともある。
そんな時こそ何かに集中して行動する。待っている時間というのはとても楽しいものではあるが、同時にとても長く感じるものだ。そういった時間を短く感じるためには、何か自分でルールを決めて時間つぶしを行えばいい。
今回ならば、さとりがこの家の前に来るまでにもう一品、デザートのようなものを完成させるようにするといったちょっとした遊びのようなものだ。ただ、料理に専念していた幽香一人で作るのではなく、もう一人の幽香と協力してしまっては簡単にできてしまうだろう。だからこそ幽香はそれを一人でやり、もう片方の幽香は客人を出迎えるための上等な服に着替えておく。意匠は普段使いの物とそう変わらないが、縫い目が無かったり布の肌理が非常に細やかだったりという小さな差異が存在し、見るものが見ればかなりの上物の服だと言うことがわかるだろう。
そしてさとりはこういった小さなことを見逃したことは一度もない。心が読めるということもあるし、そういった小さな心配りに気付いていますよというアピールがとても上手いのだ。嫌味に言うでなく、しかしわかりにくすぎることもなく、とても自然に気付いているという事を笑みと、時に言葉で伝えてくる。
それを見るたび、彼女の妹たちが彼女にとても懐いている理由がよく分かってしまうのだが……それを本人に言ってしまうつもりは全くない。言わずとも通じているだろうし、口に出してしまうのは少し恥ずかしい。それではまるで、私がさとりのことを友人以上に見ているようではないか。私とさとりは友人であってそれ以上の関係では今のところない。だから、そういった思いを口に出すのは少し恥ずかしいのだ。
そうこうしている間にデザート用のスポンジが焼きあがる。それを切ってクリームを塗りこみ、季節の果物を挟んで冷暗所に入れておけばそれでいい。これでデザートもできあがった。
スープから始まり、前菜、魚料理、肉料理と付け合わせ、飲み物に自家製のワイン。そしてメインとデザート。十分な出来だといえた。
さとりはあまり多く食べる方ではないから一つ一つの量は少なめで、種類を増やしておいた。その方がきっとさとりも今回の食事会を楽しんでくれるだろう。
さとりはここに来るたびに何かお土産を置いて行ってくれる。それがまた美味しいのだ。
その分を返すつもりで作ってみたこの料理。ブランクはあれど何とか満足の行く物が作れたと思っている。
できれば、これを楽しんでもらいたい。それが今の私の望みの一つ。
―――トントン、と軽い音がして、外から聞き慣れた声がする。
「幽香さん。さとりです」
私は笑みを浮かべ、家の扉を開く。そこには私の望んだ姿があり、いつもと変わらないようにも見えるとてもとても分かりにくい無表情のような笑顔があった。
「……無表情のような笑顔、ですか。ちゃんと笑うと怖いと言われるもので、怖がられないように笑顔を浮かべているつもりなのですが」
「あら、そうなの? 大丈夫。さとりは怖くなんてないし、さっきの笑顔も見る人が見ればすぐにわかるわ」
「……ありがとうございます。そうですね。確かに今回は幽香さんにちゃんと伝わったようですし、それでいいということにしておきます」
「そうそう。あまり悩みすぎてもよくないわ。……立ち話もなんだし、どうぞ」
「では、お邪魔します」
私はさとりを家に上げた。そして、ゆっくりとした食事会が始める。
「ところで、家族の方はいいのかしら?」
「みんなもうお腹一杯になるまで食べていい子でお休み中ですよ。元気なのはいいんですが、おなか一杯になったらすぐに眠くなるというのは何とも子供のようです」
「みんな子供じゃないの」
「……そうでしたね」
くすくすとお互いに笑いあいながら、グラスを取る。
「「乾杯」」
チン、と軽い音が、静かな家の中に広がった。