面倒な相手が来てしまった。心の底からそう思う。
心を読み、記憶を現実に表出させる。何が恐ろしいかと言えば、それ自体はただの幻覚であろうともあそこまで精巧であそこまで強い意思の込められた幻覚に触れれば、心が弱かったり純粋すぎる奴なら本物と変わらない傷を負うだろうと言うこと。
そして、今あいつの出したモノが、明らかにまともなモノではないと言うこと。
あんなもの、人間ならば間違いなく触れるどころか見るだけで魂に深い傷を負う。人間よりも平均的に精神の強い妖怪や神であろうとも、感受性の高いやつ───例えば神奈子や早苗───なら、その姿を見せるだけで一時的な発狂はまず免れない。最悪、完全に壊れてしまう可能性すらある。
……まったく、神奈子の奴も面倒なことをしてくれた。なにが『弱小妖怪しかいない』だ。相手がどれだけ弱かろうと相性次第でひっくり返される可能性だってあるだろうに。
「……ああ、すまないね。考え事に夢中になってたよ」
「かまいませんよ。あなたの思考は中々に面白い。無茶苦茶な方法でありながらしっかりと効果を出してもいますしね」
「ああ、呪詛の話かい? 面白いだろ?」
「ええ、とても」
私とこいつは笑い合いながら互いを探る。……しかし、なんつー化け物だ。私の呪詛に触れておきながら、全く影響が出ていない。見ただけで、とは言わないまでも、触れれば気の一つや二つは狂うように作っといたはずなんだがね。
まあ、こいつなら最悪触れても問題なさそうだ。あんなモノを内に飼っているんだし、軽い呪詛なんてちょっとした色付き水みたいなもんだろう。
「色付き水、とはまた面白い表現ですね」
「……なるほど。どうやらあんたには効いてないみたいだね」
「効いていますとも。断片的に読み取るだけで普段よりずっと疲れますし」
「そうかいそうかい」
―――呪詛を深める。ごぽごぽと思考を呪詛に沈めていく。
ここまで深くしたときは、読心の妖怪でも読み取ることはできない。無理に読もうとすれば呪詛に触れ、内から呪詛に蝕まれて狂うのみ。
「……」
「……」
お互いに笑顔は崩さない。目の前にいる化物を相手に、感情を外に出したらそこから手繰られるだろうことは目に見えている。
私は相手は何を考えているかわからないが、相手も私が何を考えているかわからないだろう。この状態でやっと対等。ようやく、お互いに話をすることができる場が整ったってわけだ。
「……まどろっこしいことは無しにしようや。―――何しに来た、地底の」
「先程申し上げました通り、『貴女方が起こした異変の話を聞きに来ました』。本当ならご本人の口から聞きたかったのですがね」
「へぇ? てっきり喧嘩でも売りに来たのかと思ったよ」
「ご冗談を。私と貴女方では喧嘩になるはずがないでしょう?」
お互いの身体から黒いものが立ち上る。ミシャグジさまを現す蛇と、見たこともない奇妙な形の神。それらが真正面から睨み合うだけで、この場にある結界が軋みを上げる。
「幻影だけでここまでの力を持つたぁ、かなりの神なんだろうね、そいつらは」
「たかが幻影ですよ。四柱揃えてこの程度です」
「そのたかが幻影で、私の影と張り合えてる。十分だと思うがね」
「貴女の影などそれこそただの影でしょう」
ぎしぎしと空気が嫌な音を立てる。無理矢理に詰め込まれた神威が、現実に影響を及ぼしているようにも見える。
……こいつ、神との争い方を心得ていやがる。しかも、まともにぶつかるやり方じゃなく、力が弱くともある程度張り合えるやり方を。
神の争いは信仰の奪い合いにして、どちらがより精神的に相手よりも上にくるかの争い。『四柱合わせてそこそこの力しか持たない』と言う言葉を、『力を持たないただの絵姿にすらそれだけの力が宿る』と返してきたこいつ。ならばと『姿を完璧に表すという形で力を写し取っても私の大雑把な影程度だろう?』と続ければ『お前の影に力など無い』と即座に返す。実に神らしい傲慢な言葉。それこそ、そこらに居る木っ端神よりも神らしい。
もしもここにいるのが神奈子だったら、こんな話を続けることなんてしないでさっさと殴りかかっていただろうね。神奈子は脳筋だし。
「そうですか。守矢の軍神は脳筋なのですか」
「……ほぉ? ここまでやってもわかるのか」
「その程度ならば少しの慣れでどうとでも」
「いい度胸だ」
「昔からよく脅されましたからね。まあ、脅した相手のほとんどは今まで生き残ってはいないのですけれど」
「あんたが殺した、の間違いじゃないのかい?」
「私が? まさか。私は実に平凡な覚妖怪ですよ。……私
よく言う。私の呪詛に触れて正気を保つ覚妖怪が平凡だ? いったいいつから覚ってのはそんな怪物になったのかね。
「……で、確か異変を起こした理由を聞きに来たんだっけか」
「ええ。首謀者の皆さんの話は中々に面白いですよ。内心との差も、ですが」
「そうかい。だったら神奈子に会わせるわけにはいかないね」
「そうですか。では、彼女ではなく貴女でも構いませんよ。」
こいつに引く気はない。ならば、私が適当に喋ってお帰り願うとしよう。
私でいい、と言ったのはこいつ。異変の話を聞きに来た、と言ったのもこいつ。ならば神奈子が来る前に、話を終わらせてさっさと消えてもらいたい。
だが、その前に一つ。
「……あんた、私の心が読めるんだろう?」
「覚ですからね。読めますよ」
「だったら私の心を読んでさっさと帰ればよかったんじゃないか」
「いやですね。そんな失礼なことはしませんよ。ちゃんと話を聞いて、その上で話してくれなかったことは他人に伝えないように注意しますとも」
「そうかい。――――――で、どこまで読めるんだい?」
「本人の記憶の中に片鱗が残ってさえいれば、そこから遡って正しい記憶を見ることができますよ。それができなければ覚妖怪はそこまで恐れられるようなことはなかったでしょうから」
「はっはっは……わかってて惚けんのは質が悪いぞ? どこまで読めるんだい?」
「ふふふふふ……どちらとも取れる言い方をしてより多く情報を取ろうとしている貴女ほどではありませんよ。……そうですね。とりあえず第三の目に映る範囲ならば読めますよ」
「実際は?」
「そこまでなら読めるというのは事実以外の何物でもありませんよ。貴女が呪詛の効果範囲を聞かれた時に答えるのと同じようにね」
……ったく。心を読んでくる相手ってのはこれだからやりづらい。
だが、わかったこともある。少なくともこいつの心の読める距離には限界がある、ってことだ。それが距離なのかそれとも視界が遮られると読めなくなるのかはわからないけど、とにかくどこかに限界がある。無限に読めるわけでもない。
それじゃあ、そろそろお帰り願おうか。
「わかった。私の知る限りのことを話させてもらうよ。終わったら帰ってくれ」
「構いませんよ。話に満足できれば私は帰りましょう」
「すり替えるなよ。私が話し終えたら帰れって言ってるんだ」
「話せない部分や知らない部分が多すぎるような話では聞いた内に入れませんよ?」
「私がそんなことをするとでも?」
「必要ならばするでしょう? 今、建御名方に伝えずに私の応対をしているのと同じように。大切な風祝を私から引き離し、この神社の表の顔である建御名方を連れて人里まで行かせているように」
……くっそ、腹立つなこいつ。本当に何でもわかってます、みたいな顔しやがって。
「何でもはわかりませんよ。わかることだけしかわかりません。例えば――――――ミシャグジさま、と貴女が呼ぶ龍脈の化身の扱い方とか……ですね」
「……」
「そう殺気立たないで下さいよ。平々凡々な覚妖怪である私なんて、貴女にとっては塵のような存在でしょう? 気にすることなんて何もない、戯言のようなものですよ。……さて、では、洩矢の祟り神さま。私の、満足、できるような、内容の、お話を、お願いいたしますよ?」
……やっぱり、こいつは神奈子の手に余る。こいつに先に出会ったのが神奈子じゃなくて私でよかった。神奈子はあくまでも本人の持つ力の量で物事を図る癖がある。しかし、力には質と言うものがあり、何事にも相性ってものがある。
こいつの力自体は大したことはない。だが、力以外の場所において、神奈子はこいつに勝つことはない。力任せならまず負けることはないだろうが、力任せに持ち込ませず、持ち込んだとしても勝てるかどうかはわからない。
そんな奴との戦いは、神奈子じゃなく私の領分だ。相手が何を考えていようと、思い通りになんてさせてたまるかい!ケロちゃん舐めんな!
こうやってお話ししている間、ケロちゃんはずっと胡坐に立膝、さとりんは正座って感じだとイメージに合う感じがします。
そしてどちらも笑顔は崩さない。