当方小五ロリ   作:真暇 日間

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和尚は過去を振り返り、覚者は和尚に手を貸した

 

 私の昔語り。彼女―――古明地さんはそれが終わるまで一度も口を開かず、そして一度も私から目をそらすことをしなかった。

 妖怪としては、たかが一人間の話なんて聞いても聞かなくても同じ。下らないと途中で打ち切られたりする可能性も考えていたのだけれど、古明地さんはそんなそぶりは一切見せずに私の話を聞いていてくれた。

 人間である私が、どのようにして生き、何を感じ、どんな行動を取ってきたのか。それを何も言うことなく、ただ聞いてくれる。それがこれほど嬉しいものだと言うのは、久しぶりの感情だった。

 

 人間として生まれた。

 僧として修業をした。

 弟と別れ、再会した。

 弟と死に別れた。

 死ぬことが怖くなった。

 そして私は、永く生きるために妖怪達の力を使うようになった。

 

 退治をすると称して妖怪を寺に保護し、妖怪から妖気を得て不老のための術を使っていた。

 こちらの話を聞かずに襲ってくる妖怪は問答無用に滅して妖気だけを奪うこともあったし、強力な妖怪は封印してそこから漏れ出る妖気を奪い取って弱体化させ、衰弱死させたこともある。

 けれど、時には『妖怪だから』と言うだけの理由で力なき妖怪が力ある人間達に襲われる所も見てきた。名も知らぬ妖怪が、人の形を取らされて封印されるだけでなく、人間たちの様々な欲のはけ口にされる所も。

 

 だからこそ私は考えた。妖怪だからと言う理由で、何もしていない妖怪を滅ぼすのは正しいことなのかと。

 だからこそ私は考えた。人間だからと言う理由で、妖怪達が人間を襲って食らうのは正しいことなのかと。

 

 そもそも人間と妖怪ではいったい何が違うのか。身体の作りが違い、出せる力が違い、使える力が違う。けれど、そんな物は人間同士の中でも変わらない。

 人間の間であっても、霊力を使うことができる人間もいれば使えない人間もいる。法力や気、仙気、魔力など、人間が使えたり使えなかったりする力は多岐にわたる。妖怪も同じように、妖気の他に鬼気、仙気、魔力、神気など、それぞれの個体によって使える力は大幅に違ってくる。

 自分が自分以外の誰かと違うのは当たり前。だと言うのに、なぜ人間と妖怪は違うとされているのか。人間同士がわかりあえる中で。妖怪同士がわかりあえる中で。なぜ人間と妖怪はわかりあえないのだろうか。

 

 考えて、考えて、ただひたすらに考えて―――そして、わかったことが一つ。

 

 何も変わらない。人間も妖怪も、何も変わらないのだ。

 人間は力が弱い。そう言う妖怪は多いし、人間自体もそういうものだと思っている。

 けれど、妖怪にだって弱い者は多い。人間の中では有名ではないだけであって、極々一部の強すぎる妖怪が有名すぎるだけであって、人間に簡単に殺されてしまう程度の力しか持たない妖怪は数多い。

 そもそも、妖怪の数は人間に比べてはるかに多い。そして妖怪は基本的に強ければ強いほど寿命が長い。もしも人間と妖怪の寿命が同じ程度だったとして、数も同じだったとすれば、恐らく人間の中に生まれる強者と妖怪の中に生まれる強者の数はつり合いが取れる程度の物に収まるだろう。それが崩れているのは、そもそも妖怪自体の数が多いために強者に育つことができる可能性を秘めた個体が実質的に多く生まれるからであって、割合で見れば人間も妖怪も変わらない。

 妖怪は人間の恐怖から生まれる。人間は多くの物に恐怖し、恐怖する度に新たな妖怪が生まれる。

 しかし、恐怖から生まれた妖怪もまた恐怖を知っている。人間は妖怪を生むことができるが、妖怪は人間を生むことはできない。妖怪は妖怪を生むことができるが、人間に知られず産まれた妖怪はその存在をすり減らせるばかり。人間は人間を生むことができるが、寿命、争い、飢饉、事故……多くのことで死んでしまう。

 

 妖怪も、人間も、みな同じ『命』。どちらも生きているし、死ねば消える。違いなど何もないのだ。

 

 そう考えた私は、人間を襲う妖怪をできる限り説得し、妖怪を襲う人間をできる限り抑えるようにと掛け合った。強い妖怪は封印することもあれば『必要以上に人を襲わない』と約束させた上で遠方に行ってもらうこともあったし、弱い妖怪はこっそりと私の住んでいた寺に住まわせたりすることもあった。それが人間たちの期待を裏切る行為であることはわかっていたが、人間も妖怪も同じ一つの命として考えるようになっていた私には、妖怪だからと言う理由だけで妖怪を殺すことはできなくなってしまっていた。

 それが知られれば、人間たちによって私は殺されるかもしれない。そう考えることもあったけれど、それでも私は人間も妖怪もできるだけ守れるように行動を続けていた。

 そんな生活が終わったのは、いつだっただろうか。私が妖怪達を寺に匿っていることが知られてしまい、私は寺ごと封印されることになった。

 その封印に巻き込まれることを恐れた多くの妖怪達は散り散りになって逃げ去ったが、一部の妖怪は私を連れて行こうとした。

 けれど、私がいなくなっていれば彼らは私を追うことだろう。私が彼らを裏切ったと叫びながら、するつもりもない報復に怯えながら。

 そのような状態で逃げていった妖怪達が捕まれば、いったいどのような目に合うかはわかりきっている。だからこそ、私は寺ごと封印される時に抵抗しなかったし、最後まで私を連れて逃げようとしていた彼女たちに着いていくようなこともしなかった。

 ……結果的に、それは悪いことではなかったのだろう。私は『法界』と呼ばれる場所に封印され、その場で長い時を生きた。

 そこでいくつかの出会いと別れを繰り返し、魔道の深みへと歩みを進め───気が付いた時には私は魔法使いになり、不老になっていた。

 

 老いることのなくなった私は、何年もかけて色々なことをしていた。

 『魔人経巻』を作り、魔法を覚え、修行し……多くの事を行ってきた。

 そうしてどれだけの時が流れたのかを忘れてから暫くして……かつて私を助けようとしていた妖怪たち……一輪や村紗、星達が封印を解いて私をこの幻想郷へと連れてきてくれたのだ。

 

 私は感謝している。けれど同時に戸惑ってもいる。

 私は今、幸せだ。妖怪達と暮らし、人とも接し、それを何者にも否定されずに過ごすことができている。

 同時に、とても不安だ。魔道に堕ちた私が、これほど幸せな思いをしていいのか。命蓮が今の私を見たら、一体なんと言うだろうか。

 否定されるかもしれない。怒られてしまうかもしれない。もしかしたら、争い事にまで発展してしまうかもしれない。不安は止まることはなく、けれど今の幸せな生活を捨てられるほど私は強くない。

 

 ……私は、どうすればいいのでしょう?

 

 

 

 ■

 

 

 

 異変の原因の話を聞いていたら、いつの間にか人生相談になっていた。

 仕方無いので話を聞いていたのだけれど、本人の中ではもう既に決まりきっている事をいつまでも悩み続けているのはすぐにわかった。

 こういった鬱屈とした感情は覚的にはご馳走なのだが、私個人としては好きではない味だ。私はどちらかと言うと甘めの味が好みなので、甘酸っぱい恋の味や蕩けるような夢心地の味の方がいい。狂気に満ちた凛とした味も嫌いではないし、ほろ苦い失恋の味も割と好む方ではあるけれど、やっぱり基本的には甘い方がいい。

 

 ……と言うことで、今回は少し手助けをして憂いをなくさせてみよう。私は覚。精神に干渉することに関しては東洋の妖怪の中では右に出る者のいない種族。西洋では他にも夢に入って色々とヤってイク存在(意味深)や、夢そのものを食べてしまう悪魔のような者も居ると聞くけれど、私にできないことを無理にする必要はない。私は私にできることを全力でやってみればいい。

 

「白蓮和尚。私の目を見てください」

「……はい?」

「いいから、見テ(・・)

 

 さあ、久し振りに使うこの術。自分と相手の瞳を鏡のようにして作られる『無間』に自分と相手の精神を一時的に取り込み、加速された精神空間において行動するという術。催眠術だとか読瞳の術だとか呼ばれているらしいけれど、そんな大したものではない。私と相手のどちらかが動けば消えてしまうし、どちらかが瞬きをしただけでその空間は消えてしまう。その上精神空間に入っている間は現実で身体を動かすこともできないのだから、落ち着いた所でなければできない術。実に使い勝手の悪い術だ。

 ただ、そんな術でも利点はある。精神空間であるが故に、中でどれだけ物を壊しても現実に壊れることは無いという点だ。その上、精神を壊してしまっても精神空間の中にあるうちは無防備に漂っているのと変わらないため修復が容易に行える。以前八咫烏の精神を改造した時にもこれを使った。

 

 では、始めよう。どれだけの時間が必要になるかはわからないし、倍率は……そうね。一億倍にしておけば一時間以内に戻ってこれるでしょう。

 




 
 次回も他人視点!

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