お姉さまは私を外には出してくれない。だから私は行きたいところに行けないし、ちょっと出かけることもできない。
あの日から、ずっと私はさとりお姉さまのいる地底に遊びに行きたいのに、結局一度も行けていない。
……だいたい、お姉さまは心配が過ぎる。さとりお姉さまはあんなに優しくていい人なのに、危ないからだとか私が壊されてしまうかもしれないだとか色々と理由をつけて私を部屋から出してくれない。
───だから、私は自分で外に出ることにした。パチュリーは壁をとても壊しにくくしたし、今までは屋敷の中に入るために扉ばかりを壊してきたけれど……今の私が目指すのは外。それも地上ではなく地底。この場所が地下にあると知っているなら、外に出るために地下に向かうなんて事はしないだろうけど……今回はそれがちょうどいい。
私は床の端っこ……ベッドの置いてある場所の下にある床の『目』を掌の上に引き寄せる。壁やドアに比べてずっと簡単に引き寄せることができたそれを、優しく、パチュリー達にも気付かれないようにゆっくりと握り潰した。
そこにできたのはきれいな丸い穴。私一人なら余裕を持って入ることができるけど、私が二人いたら一緒に通ることはできないくらいの大きさで、ずっと深くまで穴が開いている。
……でも、風が通ることはないみたいだからまだ繋がってはいないみたい。
もう一度、同じようにずっと下まで穴を開ける。何回か繰り返して、地底まで繋がって風が通るようになるまで繰り返した。
綺麗に穴が開いたら、私はその穴に飛び込む。ベッドの下にある穴だし、ちゃんと隠れてるから大丈夫。
この穴を見付けるならベッドの下に潜り込まなくちゃダメな場所にしておいたし、魔法で探される時には私の魔力を探ったり、転移なんかの魔法の痕跡を探すのが最優先になるから、私がここに来るまでの魔力の残滓を壊しておけば私を追いかけてくるには遠見の魔法でちょっとずつしらみ潰しに探すか、占いで大体の場所を見つけてから遠見あるいは自分達の足で探すかのどちらかしかなくなる。
まあ、そんな方法にしても簡単に見つかってあげないけどね。見つかったら帰らなくちゃいけなくなるし!
深い深い深い深い穴を降りていく。いつまでも落ち続けているのはなんだか変な感覚で、いつもならこんなに落ちたら地面にぶつかっちゃうのに全然ぶつからなくてちょっと面白い。
ずーっと降りて、降りて、降りて……突然視界が拓けた。
「───わぁ……!」
太陽の光が入ってこない場所だけれど、色々なところに明かりがついている。
小さな緑色の光が集まっているように見える場所。オレンジ色の揺らめく光が集まっている場所。光が届かず、真っ暗な場所。まるで星空のようで、なんだかとても綺麗に見える。
緑色の光の場所には人の形をした誰かは殆ど無いけれど、代わりに揺らめくオレンジ色の光の集まった場所には沢山の人型が見える。
あそこにみんな住んでいるのかな? それとも、咲夜がよく行く人里みたいにお店がいっぱい並んでるのかな?
私は初めて見る地底の光景に引かれ、賑やかそうな灯りの場所に降りていく。メイドたちを全員集めても、きっとこんなに多くはないだろうと思えるくらいの数の妖怪。強そうだったり、弱そうだったり、弱く見えるけど強そうだったり、沢山の妖怪たちが眼下で色々なことをしているのを眺めるだけでも少し楽しくなってくる。
私が見たことがあるのは、吸血鬼のお姉さまと魔女のパチュリー、悪魔である小悪魔に人間である咲夜に妖精メイドたち。あと妖怪であることは確実だけど何の妖怪なのかは知らない美鈴。それからうちにやって来た巫女と白黒の魔女くらいだ。
そんな私にとって、こうして妖精でも人間でもない妖怪たちが沢山過ごしている景色と言うのはそれだけでとても楽しいし、顔や服装の違いだけでも見ていて飽きない。
「そんなに楽しいかい?」
「うん!私、こんなに沢山の生き物を一度に見るの初めてだわ!」
「そうかいそうかい。見ない顔だから何しに来たのかと思ったんだが……観光かなにかかい?」
「さとりお姉さまに会いに来たんだ!」
声の聞こえた方に顔を向けながらそう言うと、その妖怪は少し不思議そうに首をかしげた。
「……おかしいね。あいつに妹は一人しかいなかったはずだが」
「だってさとりお姉さまは優しいんだもの。お姉さまって呼びたくなっちゃったからさとりお姉さまなの!」
「ふむ……」
真っ赤な角を一本生やしたその妖怪は、片手に大きな器みたいなものを持ったままもう片方の手を顎に当てて考える。数秒後、何かを思い出したと言うように私を指差した。
「もしかして、お嬢ちゃんは『フランドール』って言わないかい?」
「? そうだけど……あなたは?」
「ああ、そう言や名乗ってなかったね。私は星熊勇儀。一応、鬼の四天王なんてものをやっている」
「ふーん、そうなんだ……私はフラン。フランドール・スカーレット。フランでいいわ」
「そうかい。じゃあフラン。今から私がさとりのところまで案内してやるよ」
「!ほんと?」
「勿論。鬼は嘘は言わないよ」
にかっと笑った勇儀は、そう言って私に背中を向けて人気のない大きな館に向かって飛び始めた。きっと、あそこがさとりお姉さまの言っていた『地霊殿』と言う場所で、さとりお姉さまが私を待っていてくれる場所なんだろう。
私は胸のどきどきを隠すことなく、ゆっくりと飛んでいく勇儀の後をついていくのだった。
■
「……射命丸さん。どうやら今回はこのあたりでお開きにして、早めに地上にお帰りになった方がいいようですよ」
「あやや? なにかあったのですか?」
「勇儀さんがこちらに向かっています。半戦闘態勢で」
「…………はい?」
どうやら彼女の意識が今の情報を素直に受け入れるのを拒否したようだ。だが、私はそんなのは知らないともう一度同じ言葉を繰り返す。
「勇儀さんがこちらに向かっています。半戦闘態勢で」
「…………今の話、マジですか? 聞き間違いじゃなければ、鬼の四天王の一角、『力』の勇儀さまがこちらに戦闘態勢で向かってきているという突拍子のない話を聞いた気がするのですが……」
「『半』戦闘態勢です。いわゆる『火が付いた状態』と言ったところでしょうね。収めるには喧嘩で発散させるかあるいはお酒か美味しいご飯か……天狗を見たら間違いなくお酒に付き合わされると思いますので、できるだけ早めにかつ気付かれないように遠回りして地上に帰ることをお勧めしますよ」
……と言っても、今ではかなり急がなければ時間切れが近いのだけれどね。
鬼の視力は非常にいい。地平線や水平線に隠れてさえいなければ、いくつかの惑星の表面の模様くらいなら簡単に見極めることができる。まあ、絵心があるかどうかは別だからそんな視力は活かされることが少ないし、活かされる時の多くは宴会などで新しい客を招き入れようとする時くらいだ。
しかし、どうやら彼女はこの話題に耐え切れなかったらしく、しばらく耳の調子を整えているかのようにとんとん、ぐりぐりと耳を叩いたり小指を穴に突き入れたりしながら溜息をついていた。
溜息をつきながらも流石は記者、自分に必要なものと不要なものを分け、ただひたすらに必要なものばかりを持って逃げだした。
記者の命ともいえるカメラにネタ帳。そして財布に、本人は知らないようだが太郎坊の生え変わりの羽毛を使って作ったらしい羽扇。大切にする理由などわからないだろうに、それでも大切に扱うのはいったい何がそうさせるのか……わかっていることがそれなりに多い私でも、流石にこればかりは予測を立てることくらいしかできない。
……それにしても、鬼と言う存在はかなり怖がられているようですね。確かに力は強く、思考回路が相当の脳筋であるがゆえに力任せに物事を進めることが多く、天狗としては普段から使っているあやふやな嘘や『嘘ではないが本当でもない』と言うネタが使いづらくなるんだろう。かなり本気で厄介がられているようだ。
まあ、自分の十八番をつぶされれば不安になるのもわかりますが、他人がいるからと言ってただただ恐れるだけでは何も進みませんよ。受け入れろ、とまでは言いませんが、せめて多少なりとも相手のことを知る努力くらいはしてもらいたいものですね。本当に。
……さて、お燐にはもうひと働きしてもらいましょうか。フランさんを受け入れ、相手をし、私の部屋まで通すという仕事をね。