当方小五ロリ   作:真暇 日間

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40 私はこうして日常に戻る

 

 毎日の料理に掃除に洗濯。やる事は沢山あって、毎日同じようで少しずつ違うことを繰り返す日々。そんな平穏な日常というのは実は結構簡単に壊れてしまうものであり、一度壊れてしまうと中々もう一度得ることが難しいものだったりする。

 だから私は今のような生活を大切にするようにしている。妹との生活。ペットたちとの生活。そして新しくできた妹分との生活。一度得て、それから失ってしまうともう一度得るのはとても難しい。一期一会という言葉もあるし、必要ではなくともあった方が良いものでもある。

 今で言うと、フランがこいしと仲良く遊んでいる光景や、人型になれないペット達と戯れている時間というのは、今この時しか存在しない。勿論同じようにこいしと遊んだり、ペット達と戯れることはできるだろうけれど、まったく同じ結果には決してならない。世界の可能性とはそういうものだ。

 

 さて、用意するのはこの八雲紫からもらった写真機。普通ならば写ることのない吸血鬼であろうと写すことができるこの写真機は、実はとても希少な物だったりする。

 天狗達は自前の能力で何とかしたり、河童の作った術と相性のいいカメラに自分で術を込めて様々なものを写せるようにしていたりするわけだ。

 この写真機で何をするのかと言うと……いや、言わなくてもわかるだろう。写真を撮るのが写真機の正しい使い方であり、本来の使い方である。どこかの天狗達が使う写真機のように、『写真が魂を写し取る』という概念を強化して弾幕を切り取るようなちょっとあり得ないというか発想の勝利とでもいうべき使い方をするのも悪くはないけれど、今はそれよりも普通に写真を撮ることにしたい。

 

 フランの写真。ペット達と一緒の写真。こいしとのツーショット。お空やお燐も一緒に。地霊殿の住人大集合。私はその中に写ってはいないけれど、それでもやっぱりどれもこれもいい写真ばかりだと思う。

 何しろ可愛い妹たちの写真だ。少しくらい姉馬鹿が入ってしまっても仕方がない。そういう感情は行動と切っても切り離せないものであるし、そういう感情を食らって生きている私としては感情によって動くことはとても健全なことだと思うわけだ。

 まあ、そんなことを言ってもこうして私がカメラを使うことはあまりない。誰かの可愛い姿を残しておくためにいつでもこっそり持ってはいるのだけれど、毎度毎度使っていては、あるいは持っていることを知られてはそれはそれで面倒なことになるから仕方ない。

 もしも私がカメラや録画機材を持っていることを知られていたら四季さんだって私の前であそこまで気を抜いた姿を見せることはなかっただろうし、私の前で寝ぼけた姿をさらすことがいったいどんな意味を持つのかを知られていては弱m―――ではなく、貸しが作りにくくなってしまう。八雲紫のように簡単に出会うことができるような相手ばかりではないのだから、機会はできるだけ有効に使わせてもらいたい。

 

 ……ちなみに、勇儀さんの写真もありますよ? 可愛らしいフリフリいっぱいの服を着た写真や、かっこいい系の服を見事に着こなした勇儀さんの写真。これだけで写真集の一冊や二冊は作れそうなくらいにたくさん。勇儀さんのライダースーツは本当によくお似合いでした。外の世界の写真集という物を見て作ってみた甲斐がありましたね。

 本人に言わせると胸がきついそうですが……まあ、勇儀さんは胸が大きいですし、しっかりサイズを測らないで身体にピッタリになるように伸縮する素材を使っていましたから仕方無いですね。普段からあまり身体を締め付けないものを好んでいましたし、そう言った服装は慣れないのでしょう。

 

 ……ちなみに私の写真は基本的に破棄しています。あまり写真を残したくないと言う思いがあるわけではなく、とある事情から私の写真には危険なものが写り込んでしまうようなのでどうしても残せないのです。

 確かその事に一番初めに気が付いたのは……お燐だったはず。私の写る写真。その中に、私の記憶に存在する神格の一部が写り込んでいるのを見付けてしまったのだ。

 場所は、私の第三の眼の中。まるでニトクリスの鏡のように、神格や奉仕種族などの区別なく私の瞳に写り込む。実際に見てみてもそんなものが写っていることは一度もなかったし、お燐がそれを見つけてしまった時にもそこまで大きな被害はでなかった。お燐は一時的に気分が悪そうだったけれど、それでも発狂することはなかったし、お燐以外にその事に気付いたのは私しか居ない。

 だから、私が写っていた写真のほぼ全てを焼き捨てた。昔の思い出が消えてしまうのは悲しくもあったけれど、未来のために邪魔になるのなら捨てる必要もある。だから、私は当時から新しく写真を撮られたことは殆どない。

 ……と言うか、撮られたらまずい。新聞なら殆ど潰れてしまうから読み取ることはできないだろうけれど、写真として残ってしまうのは本当にまずい。発狂させたくて発狂させている訳でもないのに、なんで発狂させなければいけないのかと。

 とにかく、そう言うわけで私が写真を撮る時には絶対に第三の眼を正面から写してはいけない。もし写したりしたら不特定多数の誰かが最悪死ぬ。天狗からの盗撮を防ぐ理由の大半はこれだったりする。

 だと言うのに色々と文句ばかり言ってくる天狗がいる。盗撮したのが悪いとは思わないのだろうか。ちょっと呪詛返しで存在の八割ほどを写真に封印されて身体が子供のものになって幻想郷最速の文屋にこねくりまわされたくらいでそんなに怒ることもないでしょうに。

 ……私が子供になったら? 私の普段の姿は子供ですが? こうして大人の姿でいるのも長くてもあと数日程度。かなり無茶をしたのでそのあとの筋肉痛が怖いですが、戻らないでいたら後々もっと筋肉痛が酷くなるのは知っているので戻らないと言う選択肢はありません。

 ……また数日はベッドの上ですか。お燐の作る料理は冷めてるのが多いので少し飽きがくるんです。元から冷たい料理にしてくれていればまだいいんですけどね……。

 ……嘆いていても仕方ない。次にこんなことになっても平気なように、お燐にもう少し料理について叩き込むことにしましょう。仕事と平行してやるのは大変でしょうが……それでもお燐なら上手くやってくれるでしょう。

 できなかったならできなかったでお空の身体を借りて私がやるから大丈夫と言えば大丈夫なのだけどね。ただ、お空の好みの味付けと私の好みの味付けとは大分違うから味が迷走してしまう可能性があるのが困ったところだけれど、それならそれで初めから直感だけで作ることで味を迷走させないことが可能。失敗したとしてもかなり薄くなるかかなり濃くなるかのどちらかで、そこまでひどい……と言うより、奇妙な味にはならないから調整も容易。なかなかに便利なのよね、これ。

 基本的に料理は足し算。引き算はできないし中和なんて考え方はもってのほか。だから薄味に作って自分の好みに味付けしてもらうという方法も取れるのだけれど……それだと人化できるペットたちの負担が大きいのよね。人化できないペットたちの分まで調整しなくちゃいけないし。

 

 まあそれはそれとして……今のうちに動けなくなった後の分まで作ってしまうというのも一つの手ではある。量が非常に多くなってしまうし、保存の問題で冷蔵庫が一つ使えなくなってしまうけれど、先に準備しておくというのも悪くはない。

 どうせなら、この際フランに料理を少しだけ教えてみるというのも面白いかもしれない。基本の基本、手を切らない包丁の使い方だとか、料理の基本は足し算で引き算はできないとか、そういうこと。それ以外は―――ああ、種族的に食べてはいけないものというのがあった。人化できるのならそこまで気にしなくても構わないのだけれど、人化できないペットたちの中には食べてはいけないものがあったりする。犬猫ではタマネギやイカなど。草食系の動物なら植物しか食べられないし、肉食系の動物なら基本は肉でいいけれど内臓の部分を少し多めに取ってあげなければ栄養失調などを起こしてしまうこともある。

 ペットを飼うのは難しくて手間がかかることだけれど、ペットを家族として可愛がることができるくらいの関係を望んでいるならそういうことにもしっかりと気を使ったほうがいい。

 

 ……完全に肉食のペットを飼おうとする人なんてそうそういませんから役に立つことはあまりないですけどね。

 


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