遅くなりました。
予想通り五日も過ぎれば痛みはだいぶましになってきた。ただ、動けはするけどできることなら極力動きたくはない。そのくらいの痛みがまだ残っている。
しかしまあ、動けることは動けるのでそろそろ動こうと思う。お燐にあまりたくさん仕事を押し付けすぎるのもよくないし、だからと言ってお空に料理を任せたりすればあらゆる食材を館ごと核の炎で焼き払いかねない。他のペット達も料理を作ることができるものはあまりいないし、こいしやフランは……少なくともフランは調理器具を触ったことすらないことはわかっている。私が頑張らなくちゃ。
だから───
「……こいし? ちょっとどいてくれないとご飯が作れないんだけど……」
「だーめっ!」
「いや、でも……」
「ダメなものはダメなのー!お姉ちゃんは少なくともあと二日はちゃんと寝てるの!」
「そうだよさとりお姉さま!怪我してるときに無理をしちゃいけないってめーりんもパチュリーも言ってたよ!」
「いや、でもご飯……」
「あっという間に傷治してピンピンしてた勇儀に作らせてるから大丈夫だよ。だから寝てよ?」
「勇儀さんの料理……ってそれ基本お酒のおつまみじゃないの!いつも屋台かメイドイン橋姫のどっちかなんだから!」
「地霊殿のインスタントも食べてるってさー。お酒の後とかに」
「結局つまみになっちゃうのね……まあ、お酒の後の温かいおうどんが美味しいってことはわかるけど……」
「「だから、動いちゃダメ!」」
右からこいし。左からフランの声が同時に私を押さえる。もともとあまり力の入らない身体に小さな少女のものとはいえ二人分の体重がかかれば、それはもう起き上がることなどできないわけで。どう頑張っても私は身体を起こすことができなくなってしまった。
それを察したのか、それとも単に私にくっついていられるのが嬉しいのか、あるいは何も考えていない無意識でのことなのか、こいしは笑いながら私の腕を抱え込んでいる。正直に言うと私は耳に息をかけられるのがあまり得意ではないのだ。さっきからわざとなのかと言いたくなるくらいにこいしは私の耳に吐息を送り込んでくる。
そしてこいしに何か言われたのか、左側にいるフランからも、こちらは明らかに意識して息を吹き込んできている。ぞくぞくとした感覚が耳を襲い、首筋から背筋を這い、さらに力が抜けていく。
「お姉ちゃんの弱点は私が一番よく知ってるからねー。ほらここ、こうやって―――」
「ちょ、耳はだめぇ……!」
「にゅふふふ……息を吹きかけただけでこんなになっちゃうなら、ぺろぺろしたら一体どうなっちゃうのカナ?」
にゅるっ、とこいしの舌が私の耳に入り込んでくる。意識ははっきりしているし、考えることにも支障はないけれど、身体を動かすことは阻害されてしまう。
こいしの真似をしているのか、左側にいるフランも私の耳を咥えてはむはむむにむにと唇で耳を揉み解している。本当に、身体が動かない上に声もしっかり出なくなってしまうのが困る。どうして私はこんなに耳に触られるのが弱いのだろうか……。
ちゅるちゅると耳の穴を内側から蕩けさせるような水音が頭に響く。目の奥がちかちかと光るような錯覚。世界が狭まり、音と感覚だけが私のすべてになっていく。あまり自分の意思でなく意識を落とすようなことにはなりたくないのだけれど……そうなってしまったらそれで仕方がない。
とは言え気を失うとたまにいろいろ危ないことが起きるので、無理矢理に自分の足を持ち上げる。治りきっていない筋肉がかなり引っ張られてとても痛いけれど、お陰で意識を取り戻すことに成功した。何とかこの状況から逃げなければいけないのだけれど……。
「んむ……ちゅずず……にゅじゅっ……」
「はむ……んちゅ……あむあむ……」
この子たちはいったいどこでこんなことを覚えたの? 本当に痛いのとか関係なく力が抜けてきたのだけれど。とりあえずこんなことを教えた誰かにはお礼をしてあげなければいけない。具体的には、練習台になったであろう耳を毟る。毟った耳を死喰鬼の物に取り換える。腐った体液が耳から血流に乗り、心臓を経由して全身に広がり、無数の腐敗菌を含む細菌を全身に届ける。脳までやられて死ぬところを私は見物する。
ただ、フランはおそらくこいしに教わったかあるいは今まさに見て学んでいるという感じなのでまあ良いとする。本当はよくないけれどこいしにそんなことをするわけにもいかないしね。
あ、また意識が……あー……――――――
■
お姉ちゃんをぺろぺろでノックアウトォ!やはりぺろぺろは最強だった……!
右から私の寝ているお姉ちゃんやお燐、お空の耳でたくさん練習した耳ぺろ!左からフランの拙いけれど必死な感じがたくさんな耳はむ!昔のお姉ちゃんならともかく、私にたくさんぺろぺろされて耳で気持ちよくなれるようになったお姉ちゃんがこれに耐えられるはずもなし!
にゅふふふ……ちょっとあれだけどこれでお姉ちゃんもしっかり寝ててくれるはず!
「……ねえ、こいし。よかったのかな?」
「……いや、本当はあんまりよくないけどさ。あのまま動かれるよりはずっと良かったと思うよ?」
本来安静にして寝ていなくちゃいけないお姉ちゃんを、寝かせるためとはいえ疲れさせるとか良いわけがない。でも、なにもしないで動き回らせるとお姉ちゃんは無理してずっと動いてるから心配になるんだよね。
お姉ちゃんはいつも『自分の安全についてはしっかり考えてる』って言うけれど、安全についてしっかり考えているならこんな風にボロボロになることも、いつもなら自然に浮かべている笑顔が痛みでひきつっちゃうようなことにもならないと思う。
お姉ちゃんは、自分の身体を大事にしなさすぎだと思うんだ。これはよくないことだよ?
ぺろぺろしていたお姉ちゃんの耳を綺麗なタオルで拭いてから、私はもう一度お姉ちゃんに添い寝する。フランも同じように添い寝して、お姉ちゃんにきゅっと抱き付く。
お姉ちゃんは子供に好かれる。特に小さな子供に好かれることが多いのは、多分子供は動物に似ているからだと思う。ある程度以上成長すると逆に凄く嫌われるようになるのは、人間らしく……理性と言うものがしっかりと芽生えてくるからだろう。
それがなければお姉ちゃんが心を読んでも畏怖も恐怖も嫌悪もされなくてお腹が空いちゃうだろうからそうあってくれなくちゃ困るんだけど、お姉ちゃんはそれで傷ついちゃうんだよね。
だからこそ、お姉ちゃんは自分を嫌わない存在に対してはとてもとても懐が深い。自分に悪感情を抱かない相手はどこまでも優しいし、自分を受け入れてくれる相手のことはお姉ちゃんもまた受け入れようとする。
……無意識に棲む私の事もできる限り意識して、私が意識を取り戻すきっかけをいつもくれている。お姉ちゃんがいなかったら、私はきっともっともっと無意識に行動している時間が長かっただろうし、こうしてお姉ちゃんが大変な時にお姉ちゃんの側にいてあげることもできなかっただろう。
お姉ちゃんには感謝している。同時にお姉ちゃんを守らなきゃとも思う。お姉ちゃんは大事な大事な私のお姉ちゃんなんだから。私のお姉ちゃんはお姉ちゃんしかいない。代わりなんてない。大切な大切な存在。
私はそれを私の無意識にまで刻み付けた。だから私は無意識になってもお姉ちゃんの元に帰ってこれる。
「三行で言うと?」
「お姉ちゃん大好き。
お姉ちゃん超好き。
お姉ちゃん愛してる」
「わかりやすいね」
「お姉ちゃんは私の心が読めないから、他の誰が言葉足らずであっても私だけはお姉ちゃんにちゃんと素直に全部伝えないといけないからね。フランも、お姉ちゃんが好きならちゃんと言わないとダメだよ?」
「わかった!さとりお姉さま大好き!」
「私の方がお姉ちゃん大好き!」
「私だってさとりお姉さまが大好きだもん!大好き!」
フランとのこんな言い合い。きっと最後にはどっちもお姉ちゃんが大好きだって言う結論になるんだろうなと思いながら、私はまだまだ子供なフランと子供っぽい言い合いに興じるのだった。