【でんせん】
千歳真鶴にとって、千歳千里というのは一日違いの年上の従兄であり、対等の立場で接してきた親戚でもあり、
放っておけない者でもあった。大阪駅の前で彼女は腕時計で時刻を確認する。
背の高い私服姿の二人は人混みの中でも目立つ方であった。
「千里。そろそろ行かないと、私も新幹線があるし」
「大坂城とか見学できたし良かったと」
「熊本城の時は飛駿とミユキも居たわね」
熊本城には真鶴の弟の飛駿と千歳の妹であるミユキと行った。去年の秋頃の話だ。
あれから半年が経ち、千歳も真鶴も熊本を出て、それぞれ、大阪と東京で活動しようとしている。
真鶴は速めに東京に着くはずだったのだが、千歳と共に新幹線に乗ったのが悪かった。
千歳とは大阪で別れるはずだったのに時間があるのだと言われて、大阪を観光してしまったのだ。予定がずれたので、東京の方に電話をしたりしてから、大坂城へと行っていた。
「飛駿は以外と城好きやったし、ミユキも楽しそうだったと」
「今度、二人も大坂城に連れてきましょう。千里、しっかり行くのよ。道草しちゃ駄目だから」
弟は以外と城が好きだったし、ミユキも外で行動するのは好きなのだ。
「そこまで釘ささんでも、ちゃんと行くったい……真鶴」
「私は東京に着いたら連絡するから」
新幹線の時間を確認し、真鶴は大阪駅内へと行こうとする。予定通りに行かないというのは真鶴は余り好きではなかった。
「真鶴。元気で」
「貴方もね」
呼びかけられてから真鶴は軽く言うと大阪駅内へと行く。一人残された千歳は頭を掻いてから、
のんびりと憶えた地図通りにこれから一年間住むことになる四天宝寺中の寮に向かった。
千歳が四天宝寺の寮に向かっている頃、千歳が来るはずの駅前では忍足謙也、財前光、金色小春、一氏ユウジが待っていた。
「ここで待っとれば来るんっすよね」
「ルート的には間違いないわよ」
「さすがやで小春!」
「千歳が来たら歓迎して、寮に連れてって、白石達と合流やな」
謙也はあらかじめ、監督である渡邊オサム達と千歳のことを話しあっていた。
オサムは午後は競馬に再挑戦しに行くらしいので、自分達だけでやらなければならなかった。
「歓迎用の布とか作った方が良かったかな?」
「いらんっすわ……ユウジ先輩がつくっとらんの、珍しい」
「ルシエラを笑わせるための方に比重が行っていたからよね」
四天宝寺はお祭り好きである。財前は千歳を迎えるための立て札でも作っているかと想っていたらしいが、立て札も何も無い。
「何せ、千歳についてはあらかじめ聞いとったが、ルシエラについては唐突やからな。珍しいやん、イタリア人」
「謙也クン。謙也クンの家にホームステイしてるけど、家だとどんな感じなの?」
千歳はまだ来ない。ユウジや小春の話題はルシエラの方に向いていた。千歳の転入については三月の中頃から聞いていた。
いつ来るかまでが解らなかっただけだ。ルシエラはと言うと、予告も無しに現れたのだ。
話題になるのも無理はない。
「どんな感じ……箸の使い方は上手かったで。外人やとは思えんぐらいに器用に食うとった」
謙也はルシエラとの生活を想い出していた。
箸は東南アジア圏の道具であり、ヨーロッパではまず使われない。ヨーロッパでも日本食ブームはあるようだが、食べるにしても、フォークやナイフを使いそうではあった。
ルシエラは箸を器用に使い食事をしていた。魚の骨だって取っていた。
「お嬢様、さすがや……」
「何でもかんでもお嬢様で解決するんはどうかと想いますけど」
「他には何かある?」
「漫画とか本とか新聞好きやな。ジョジョを読んどったし、他にも何でも読んどるし、頭ええわ。英語教えて貰た」
新聞は毎日チェックしているらしく、良く読んでいた。本も急いで読むときと、ゆっくり読むときがあったがどっちにしろ、好きらしい。ペースが違うことについて聞くと、速読は情報は入るが、情報として文を入れるので情感はないらしく、情感を感じたいときはゆっくり読むらしい。
謙也は英語は得意な方だが難しい問題があったときにルシエラに教わった。
「英語か……イタリア語とどう違うんやろ」
「聞いてみたら、文法とか違うとか、アイツはどっちも同じぐらいに使えるらしいで。筆記体で正解書いて、ブロック体書いてとか頼んだり。国語とかも得意や! 国語も教わった」
「筆記体とか使えるって外人やな!」
「……そこ、驚く点じゃ……国語をルシエラに教わるっておかしいっすわ」
英語とイタリア語はヨーロッパ圏の言葉なので勉強する気になれば憶えられるにしろ、日本語とイタリア語や英語では根本的に違うところがある。財前に言われ謙也は昨日、弟である忍足翔太に似たようなことを言われたことを想い出した。
――兄ちゃん、ルシエラさんに国語教わるって……。
弟が呆れていたのを兄は回想した。
「ルシエラは勉強が出来るってことで、その他にも、エピソードはないの?」
「エピソード言うても、生活してそんなに日も経っとらんし、イグアナを可愛がっとったとかぐらいで……」
「着替えを覗いちゃったとか無いの?」
「そんなベタなエピソードを謙也さんが経験……」
小春が言うと謙也が無言になった。財前、小春、ユウジが謙也に視線を送る。
「……し、しとらんで!? 着替えは覗いとらん! 風呂なら覗いてもうたけど……事故やで!? ユーシと電話終わって、シャワー浴びようと風呂場行ったらアイツ、ぼんやりシャワー浴びとって、振り向いてぼけーで俺が悲鳴あげたわ!」
「互いに裸だったの……」
「服着てシャワー浴びるほどボケや無いで。ルシエラ。誰も居らんと想てシャワー浴びる気でおったんや」
「つまり謙也も服脱いどったんやな……」
財前が携帯電話を取りだして操作を始めていた。一気に喋った謙也は小春とユウジに問い詰められている。
「脱衣場に鍵かけとらんのやで!? アイツに聞いたら、鍵をかけてると危ないって、かけとらん方が危ないわ!!」
「ルシエラちゃんの反応はどうだったの……?」
「俺の方が逃げたから……」
数日前の夜だった。シャワーを浴びようとした謙也はルシエラがシャワーを浴びていたことに気がつかなかった。
彼女はずっとシャワーを浴びていて、謙也が来ても反応が鈍く、謙也の方が逃げてしまった。
ルシエラは後で考え事をしていたの、とだけ言っていたが、今度また同じ事があるとまた心臓に悪いので、シャワーを浴びるときは互いに言っておくようになど決めごとをしておいた。
「外国やと、水の違いとか香水の発達とかで風呂は毎日入らんからシャワーばっからしいっすわ。入るときもたまにあるらしいけど」
「物知りやな。財前」
「友人情報で。日本の習慣の方が珍しいって、水が安いとか……」
「慣れてもらわなアカンな」
謙也かは財前から情報を貰った。風呂に毎日のように入るという習慣は日本の習慣であり、ヨーロッパなどではシャワーですませてしまう。外国も風呂に入ることはあるが少ない。
「一つ屋根の下で暮らすんだからもっとハプニングがあっても良いと想うんだけど、一緒に布団で寝ちゃったりとか!」
「まだ始まったばかりやで。小春……ホームステイは始まったばかりや!」
「騒ぎ立てられても困るで!?」
「先輩方! あれ……」
小春とユウジのからかいのネタになっている謙也であるが、そのからかいも財前の声で止まる。
財前の視線の先には背の高い、少しだぼっとした白い長袖を着た青年が歩いていた。
謙也は彼が現れたことに心中で感謝しつつ、彼の名を呼んだ。
「千歳――!! こっちやで!!」
ルシエラ・ガートルード・ジンガレッティは始めて四天宝寺の寮を見た。
「……蔵ノ介……これはあばら屋というものじゃないかしら?」
「寮なんや。これでも、寮なんや」
四天宝寺中の近くにある木造二階建ての建物が、四天宝寺寮だった。ルシエラが白石蔵ノ介に聞いてしまうのも無理はなく、寮は崩れかけそうな窓やドアに崩れている窓やドアがあった。側には自転車が何台か停まっている。
建物は横に長い。ルシエラはあらかじめ白石から貰っていたパンフレットを速攻で読んでみた。
”スポーツやお笑いやお笑いを真剣に学びたい方、歓迎です。その他、四天宝寺に通いたいが遠いという方も歓迎”と書かれていた。
「お笑いが二回ほど書かれていたりしてるわね……一般的思考だとスポーツの方が大事じゃなくて?」
「四天宝寺やからな。もう数年頑張れば建築されて百年ぐらいになるらしいんや」
「華月を作るぐらいなら、この寮を改築した方が良いんじゃないかしら」
庭らしき場所には立派な畑が出来ていたし、物干竿には布団が何枚か干されていた。良く分からないオブジェも置かれている。混沌とした空間だ。
「二人とも」
「師範。師範はここに……住んでいるのね」
ルシエラと白石を迎えたのは石田銀だ。銀は両手を合わせる。
「修行に良い。小石川はんは寮の掃除をしとる。入寮者よりも、部活やお笑いやたまに勉強で使う者の方が多い」
「勉強がたまになのね」
建物は日本家屋である。
パンフレット内には食事は自炊で、寮の代金も書かれていたが非常に安い。性別や国籍不問と書かれている。
年齢は一応は中学生までであったが、事情があれば中学生以上でも良いと書かれている辺り非常に大雑把だ。
「千歳はんの荷物は宅配便で届いとった。部屋まで運んではあるんや」
「私達は何をすればいいのかしら」
「掃除とかやな、少し寮も崩れかけとって」
「少しじゃないと想うの」
ルシエラは笑顔を浮かべた。
掃除をしろと言われたのでまずはルシエラと白石は寮の中に入ることにする。玄関は広く、ルシエラと白石は靴を脱ぎ、寮の中へと入る。歩いてみると、食堂らしき場所が見えた。
らしき場所とルシエラが判断したのは食堂の看板は堂堂と大きな板で墨字で書かれていて扉の側についているのに、扉そのものはなく、部屋の中には広々としていて、何故かドラムセットやギターが置いてあり、食べ物を食べる道具がないからだ。
「そこ、食堂の機能が停止して久しくてな。寮生は台所で自炊して適当な場所で食っとるんや」
「……食堂の看板、外しなさい……自炊なの?」
「自炊やな。誰かが纏めて作ったもんをみんなで食うたりもするが」
白石の解説にルシエラは冷静に言う。彼女は寮についても知識しか知らないがこれはおんぼろすぎるだろうとは感じていた。
イタリアにあるセーフハウスや拠点として使っていた屋敷もそこまでのボロさではない。
歩いていくと談話室というのもあった。
談話室を覗いてみるとソファーや椅子があり、大きな画面の液晶テレビが置かれていて、DVDプレイヤー兼ビデオデッキが繋がっていた。棚にはずらりとお笑いのDVDや映画のDVDが揃っている。
一階には他にもライオンの口からお湯が出る風呂場があったり、ゲーム部屋と呼ばれているゲームが置かれている部屋などもあるらしい。
階段を案内されて二階に上ってみるが、階段が今にも抜け落ちそうである。
二階の廊下も狭かった。そこそこの広さは昔はあったようだが、置かれたものが廊下の左右に並んでいて、廊下の幅を狭くしていた。
「小石川」
「白石に師範、ルシエラも、掃除やけど、進まんなぁ」
足下に水を入れた金属製のバケツを置き、白色の雑巾で窓を拭いていたのは四天宝寺テニス部副部長の小石川健二郎だ。
「前に一回、卒業生が出た時に掃除したんやろ?」
「この寮は広い。掃除が追いつかん……古いしな」
「捨てられそうなもんは俺も捨てるべきやと想うんやが、どれがゴミでどれが物なんか不明でな」
「……確かに、広いわね」
小石川が廊下の側の荷物に目をやる。ルシエラが床を踏みしめながら呟いた。
「まずは掃除からやな。ゴミ捨てはその次や」
白石がやるべき事に順位をつける。掃除を優先して、掃除をしながらゴミを見分けて捨てることにした。
「まずは道具を揃えな。壊れやすい所もあるから皆、気をつけて欲しい」
「寮を建て直すのが先決じゃないかしら……」
寮生である銀が言う。ルシエラは銀に寮についてもう少し聞きたかったが聞いたら聴いたで、この寮を速く建て直せと言う
気持ちが一層強くなりそうだったので聴くのは止めておいた。やるべきことは掃除だからだ。
寮は北寮、中寮、南寮の三棟に別れている。
上空から寮を眺めてみればフォークの先端のようになっているのが四天宝寺の寮だ。
「ここはボロいけどネット環境もあるんやで」
白石とルシエラは北寮の方を担当することになった。銀と小石川は先に一階を片付けることにしたらしい。
金属のバケツに水をくんで雑巾を入れて持って行く白石の隣を水モップを持っているルシエラが歩いていた。
「使っていない部屋を掃除すればいいのよね」
「何処が使われとるんかとかもざっぱらしいし……北棟に千歳の部屋を取るとか聞いたな」
「千歳さん、どんな人なのかしら」
「俺と謙也はダブルスで対決したことがあるけど、かなり苦戦したな……この部屋か」
柱に千歳千里の部屋と白い半紙に炭で書かれていた張り紙がしてある。
千歳の部屋は何もなかった。日当たりは良い。硝子窓があり、白い壁の壁紙が剥がれかけている。
畳は畳と何とか解る程度だ。
荷物である段ボールなどが隅の方に片付けられている。
「……何もないわね。寮の存在を先に知っていても……ここには住みたくないわ」
ルシエラはモップを柱に立てかける。白石はバケツを部屋に運んだ。
「女の子にはこういうところ、きついやろうな」
「昔なら別で、今はね……さっき、ダブルスで対決したって言うけど、西日本大会よね」
昔なら、とルシエラは言う。昔というのは復讐屋をしていた頃よりも、もっと前、一番最初の組織に居た頃だ。
「西日本大会とか知っとるんか」
「財前から話は聞いたわ。……テニスは立海ってところが、一番強いの?」
「強いで。四天宝寺がストレート負けした話はさっきしたけど、去年の大会の準優勝は牧ノ藤って言う兵庫の学校やったんや。立海はウチの方が勝つのに苦労したとか言うとったらしい。こっちとしては複雑やな……俺はあの時、試合せんかったし」
白石は去年の全国大会、立海との試合はしなかった。出来なかったとも言う。白石に出番が回ってくる前にストレート負けしたのだ。
「兵庫は……大阪の近くのコムーネ……ね」
「……こむーね?」
「そっちでいう市町村……イタリアの場合、歴史が歴史だから」
「……パスタ?」
「イタリアをパスタで解決しないで!?」
イタリアの歴史とか言われても白石は知らないし、ルシエラもそのことは解っている。
コムーネはイタリアの自治都市を表している言葉であり、今は市町村を表す言葉だ。大きな市も小さな村も全て、コムーネになる。
「日本とイタリアやと、かなり違うやろう。滞在するとか不安とかないんか」
「無いと言えば嘘になるけど、イタリアに行く時点で危険なのよ」
ルシエラの戦闘能力はかなり落ちてしまっている。今の状態では抱えたものを守りながら戦うなんてことは無理な話だ。これならば日本に居た方がマシなのである。
「そう言うのじゃ無くて、忍足家の生活とか、慣れへんことはあるか?」
白石に聞かれてルシエラはこのところの生活を回想してみる。
「生活は……シャワーを浴びていたら謙也が風呂場に入ってきて大慌てで出てきたりとか、何で鍵かけんねん! って」
「……それは、俺も謙也と同じ立場ならそう言うわ。かけられるなら、鍵かけようや!」
「鍵かけた状態でシャワーを浴びて刺客とか来ると危険なのよ。逃げられないし」
ホテルの部屋に滞在しているときはホテルの部屋に鍵はかけるがシャワー室などは鍵があったとしても鍵はかけない。
能力で追い払うことも可能なときはあるが、出来ないときだってある。逃げ道は確保しておくのが常だ。
「謙也が危険になるから風呂場では鍵かけるんや。これは雇い主からの頼みやで」
「蔵ノ介……そこまで頼まれたら聞くけど……そこまで頼むことなの……?」
「頼むことなんや。ルシエラちゃんも一般人の常識とか憶え……イタリアやったら一人暮らしやったんか?」
「ジンガレッティのそれなりに大きな屋敷で那岐や他と暮らしてたわよ」
ジンガレッティはルシエラがかつてやった依頼で依頼料として貰った貴族としての家名や土地や屋敷のことだ。
イタリアの貴族というのは形式上のものではあるが、生活をしていくためには十二分に役に立つものである。
「同居しとったんか」
「いつの間にか、ね……抱えられないのは別のところにやったりしたけど……良い天気ね」
ルシエラは息を吐く。
那岐にしろ、裏社会には何らかの事情を抱えて居るものばかりだ。そうでなければ裏社会で生活なんてしていないだろうが……彼等の生活は成り立つのだろうかとルシエラは考える。今更ながらに気がついたが、ルシエラが屋敷では家事や料理をしていた。
千歳の部屋になる場所は日当たりが良かった。午後の太陽が、部屋の中に差し込む。
「これから桜とか咲いたりな。四月になったら入学式があって、学校生活も始まるで。ルシエラちゃんは初めてやな」
「貴方は、最後になるんだっけ? 中学校は三年生だから」
ルシエラが話を聞きながら両足を伸ばして座り、白壁に寄りかかる。壁に体を預けた。その時だった。
「そや。悔いの残らんようにせんと――、ルシエラちゃん!?」
白壁がルシエラが預けた体重により粉々に砕けた。
崩れた壁にルシエラの体は引っ張られるようにして倒れる。ルシエラは無言だった。
「……領域操作能力で寮を調べておくべきだったかしら……」
「領域操作能力とか能力はそんなに使たらあか……そんなんも出来るんか」
「出来るわよ。能力は残ってた」
小さいがはっきりとした声でルシエラは言う。領域操作能力は、因子を物に埋め込んで操作するほかにも一定の領域を操ることが出来る能力だ。領域と認識した場所を調べることも容易い。
しかし調べてみても結果が変わらないような気がして、この寮を建て直すべきだということは変わらない気がして、調べるのは止めた。
「壁が……ルシエラちゃんの体重で壊れた言うことは俺が寄っかかっても壊れたな」
「このまま壊して部屋を二つ繋げておいたらどうかしら、広いわよ」
ルシエラは軽く起き上がる。髪の毛が白い壁の粉塗れになっていた。ジャージも汚れている。
「ルシエラちゃん……動きが軽……」
「体術の応用ね」
狂気の血の能力とは関係無く、ルシエラは体術や剣術も使える。モップではなく必要になってしまったのは、壁であった瓦礫を取り除くための道具だった。
「剣とか体術とか、出来るんやな。銃とかも使えるんか?」
「使えるけどライフルとか、私よりも上手いのが二人居るし。疲れるから運動は余り好きじゃないけど」
体術にしても素手による近接格闘ならばルシエラ以上に上手いのが二人居る。一通りのことは習わされたのだ。
「好きやないんか……運動……」
「戦うのは好きじゃないのよ……疲れるし」
「……運動って戦闘のことか?」
「そうだけど」
疲れるから運動と言う名の戦闘は嫌いなだけであり、戦わなければいけないときは戦うし、容赦はしない。
遠距離や戦う前から毒を入れておいたり領域操作で相手を潰しておくのが好みではあるが、そうも言っていられないときもある。
訓練と言う名の運動は欠かしていないが、スポーツとしての運動は余りというか殆どしない。
仕方が解らないというのがあったし、今までずっと運動という意味のスポーツをすると言う気持ちも無かったのだ。
「テニスとか、セパタクローとか、運動もしてみようや。テニスは……ラケットとか買いに行こう」
「セパタクロー……あれは面倒そうね。やるなら、身長が欲しくなるわ……ラケットは選ぶの、手伝ってね」
スポーツが運動と教えるようにしながら白石が微笑しながら言う。セパタクローは部活でしているのを見た。
ルシエラは外に立てかけてあったモップを持って来た。
「モップ、どないするんや?」
「壁の残りを砕こうと想って。向こうの部屋、入居者居ないんでしょう」
「居らんとは想うで……部屋がホコリだらけやし。そか。壁を修理しようにもそうしたら寮全体修理になるしな……」
隣の部屋は掃除が適当であった。空き部屋だったのだろう。白い壁はルシエラが寄りかかったところは砕けているが、まだ残っている。寮を修理するならば建て直した方が速いぐらいだ。
「モップの石突きで突けば壊せるだろうから」
「石突き……柄や無いんか」
ルシエラは白石の言葉を聞いて、彼の方を向く。モップを彼の前に出した。
「これを槍に見立てると、穂先がここ、口金、柄舌、柄、石突き。地面に突き立てる部分で流派によってはここも攻撃に使用する」
「……石突言うんか……知らんかったで」
簡単にルシエラは槍の部分について説明をしておく。
槍で言う柄の反対側の先端、地面に立てる部分が石突きとなる。ルシエラがモップで槍の技を軽くやって、壁でも壊してみようかとしたとき、部屋に誰かが入ってきた。
「白石部長、ルシエラ……何しとるんっすか?」
「ここが俺の部屋、にしては壁が……」
「財前、と……」
モップを持ったままでルシエラは気配がする方を見た。
そこには財前と、ルシエラが見たことがない青年が居た。身長が高い。ルシエラが知っている四天宝寺の面々で、一番身長が高いのは銀だったが、銀よりも大きい。
「ルシエラ。コイツがこの部屋の主になる千歳千里や。千歳、今、部屋をモップで拡張中やからな!」
「……白石部長……意味が分からないんっすけど」
「……モップで拡張……」
「貴方が千歳さん? 私は……ルシエラ・ガートルード・ジンガレッティと言うんだけど……」
ルシエラからモップを奪った白石がルシエラがやろうとしていたことを言う。しかし状況を知らない財前や千歳にとっては、白石が妙な存在に映った。
ルシエラは自己紹介をしようとしたが、するべきか悩んだ。
千歳は大阪という地域は九州とはノリが違うのだと実感させられていた。
一年間、大阪で過ごすことを選んだのは自分だ。自分ではあるが寮にて早々、寮の壁をモップで破壊されそうになるとは想っていなかった。
「寮の壁壊したら、ただでさえ崩れかけそうな寮が余計に危ないやろう。白石」
「……壊そう、提案したのはルシエラやで」
「お嬢様のルシエラがそう言うの解るわけないでしょう。止めるのが部長の役目じゃ……」
談話室で簡易な自己紹介が行われた後、小石川と財前が白石を注意していた。
千歳は談話室へと移動していた。
大きいソファーには白石が座り、その側には千歳が、小石川は側で立っていたし、ユウジや謙也、
財前は一人がけのソファーに座っている。自分を迎えてくれたのは西日本大会の時に逢った面々であり、寮にも案内された。古びた寮であった。財前に部屋の案内を任せて謙也やユウジ、小春は寮にいるはずのテニス部の者達を呼びに言っていた。どんな部屋かと少し楽しみにしていたら、
自室になるはずの部屋は壁が壁ではなく残骸となりかけていた。
「寮の建て直しは今年中にやらんと危ないやろ……四天宝寺華月とか食い倒れビルとか建てるモンは建てたから寮の方やろうな」
そう言ったのは謙也だ。今年中とは言うが千歳は一年は寮に住まないといけない。
「小春曰く、寮は来年には立て直しするらしいけど」
「地震が来たら終わりやで」
「せやから、建物を潰して新しいのになるな」
金色はルシエラの髪の毛を洗うのを手伝いに行き、居ない。財前がルシエラからモップを取り上げてから、一氏や金色も来たのだ。事情が話されて、まずは談話室に行くことになり、髪の毛やジャージが汚れたルシエラは金色に言われ、汚れを落としに行ったのだ。
「俺は一年で寮を出るから……一年は耐えんと」
「一年ぐらいなら持つ……とは想うわ。この建物」
千歳の声に応えるように少女の声が聞こえた。
白っぽかった髪は金色だけになっている。紫色の瞳をした四天宝寺中男子テニス部のジャージを着たルシエラが戻ってきた。
髪の毛の水分はしっかりと取ったようだが、まだ濡れている。
「お湯を出して貰って髪の毛だけ洗ったわ。ジャージは予備のジャージを着て貰ったんだけど」
「小春さん、ありがとう」
「ルシエラは髪の毛が綺麗なのよね」
「みんな、揃ったことやし、これからのことなんやけど……」
小春とルシエラが来たことにより、白石が話し出す。
「千歳さんの部屋はあそこじゃ無くて別の部屋にするのね」
「それが良いっすわ。部屋はまだまだ余っとるし」
「俺もそれが良いったい」
「部屋は千歳はんに選んで貰うべきやろうな」
部屋は自分で選ぶことにした。それが出来るようになったのも壁が壊れたせいだ。財前の言葉に千歳は同意する。
銀も賛成していた。ルシエラも白石も部屋を買えるという思考が無かったようだ。
他の事を話そうとしていると、千歳が持っている携帯電話が鳴った。ディスプレイには千歳家とある。
「電話……もしもし?」
『千兄さん。無事に大阪には着いてるんだ』
声の主は千歳飛駿、千歳の従弟であり真鶴の弟だ。
「寮にも着いたと。部屋は壁が壊されて、別の部屋を選ぶところったい」
『……ボロいっぽいからね。家賃安すぎたし、姉さんとか危ないんじゃないとか言っていたけど住めるなら良いで、決定したのは、千兄さんだから』
確かにこの寮を選んだのは自分だ。自分ではあるのだが……複雑である。飛駿が壊されたという言葉には触れなかったことを従兄は長年の付き合いで理解した。
「ミユキは?」
『おばさんたちのところ、これからオレも行く。送った物は全部届いてるか確認して必要なものは通帳に金が入ってるから、現地調達で』
「お前、真鶴みたい」
『心配なんだよ。家具とかどうでもよく何処か行きそうだし』
千歳には放浪癖があるが、寮の惨事を見てからは放浪癖は収まっていた。まずは自分の部屋を何とかしないと危険である。
「……飛駿、お前は寮の部屋に入ってみたら寮の壁が壊れていて金髪の外人がモップ持って壊れかけた部屋の壁にトドメをさそうとして、側のテニス部部長が拡張中や! とか笑顔で言う状況に遭遇したらどういう反応を……」
『俺は何も聞かなかった。何もなかったって言っておく。またかける』
嫌な予感がしたのか飛駿は会話をすぐに終えてしまっていた。余り喋らない飛駿だが千歳とではまだ長く会話する。
あの従弟は危機的状況はすぐに察して逃げるか対応するかのどちらかをするが、逃げるを選択したらしい。
「ごめんなさいね。千歳さん、広い部屋にして壁は壊してしまった方が良いと想って……」
「部屋が広すぎても使うの困るやろ。千歳は確かに背は大きいけどな」
「百九十センチは超えてるわね……羨ましい……身長、私も身長は十センチは欲しくて」
「うちは身長が高くなりやすいと。ルシエラも、成長期に入ったら伸びるったい」
謙也がルシエラを咎めている。お嬢様だから日本語が上手いとあらかじめ説明を受けていたが、本当に上手かった。
「さっきのは誰や?」
「弟みたいな奴が電話かけてきて、すぐにどっか行くとか心配されとった」
白石に聞かれて、千歳は答える。飛駿は従弟だ。千歳には妹が一人しかいないが、すぐ近所に住んでいる従妹弟として、真鶴と飛駿が居る。
「今は行かんのでしょう」
「行かんったい」
と言うか、行けない。
「部屋選びはすぐにすませるか。必要なもんもはよ買わんと」
「謙也はせっかちね」
「急いだ方がええわ。ルシエラ、お前は休んどれよ。力が無いし壁とか壊されたら……」
「あれは寄り掛かったら壊れたのよ。貴方が寄り掛かっても壊れたわよ」
ルシエラは謙也に訴えている。ルシエラと謙也では謙也の方が体重が重い。
「蔵リンも休んでた方が良いわよ。千歳クン。蔵リンはいい人なんだけどたまにハメが外れるから」
「そや。四天宝寺はこれぐらいで引いとったらアカンで」
「これも修行と想えばええ」
「俺としては引けるという感情を大事にして欲しいっすわ」
小春と一氏が、銀や財前が言う。いきなりの寮の洗礼だったが、彼等は悪い人物ではないし、この雰囲気は、前に居た獅子楽中よりもいいかもしれない。
「白石もルシエラも気にせんと……でも休んどって欲しいし……矛盾しとるったい」
千歳は苦笑半分、笑い半分で告げた。着いていけないときもありそうだが、悪くは無さそうだった。
【続く】
真鶴と千歳は仲良いです非常に。