第109話 新学期
「おにーちゃん! ハンカチどこ?」
奏楽がキョロキョロと辺りを見渡ながら問いかけて来る。
「そこの棚だ! 急げ! 時間がない!」
「もう! 何でこんな日に皆、寝坊するの!」
大慌てで制服を着る雅。まだ、髪を梳かしていないのかボサボサだ。
「雅ちゃん! 髪!」
そう指摘する望は鞄に教科書を詰め込んでいる。
「ああ! 望、やって!」
「無理だよ! 私だってまだ準備出来てないんだから!」
「お前、そう言うのは前日にやっておくもんだろ!」
スキホをジーンズのポケットに突っ込んだ所で準備完了。
「雅、こっちに来い! やってやるから!」
「ゴメン、響!」
洗面所から櫛を取って来て雅の髪を梳かす。
「あれれ? 袖、どこ?」
「これでよし。奏楽ちゃん、大丈夫?」
「おねーちゃ~ん……」
着替えすら終わっていない奏楽が泣きそうな声で望を呼ぶ。奏楽は俺の事を『おにーちゃん』。望の事は『おねーちゃん』と呼び、雅に至っては呼び捨てだ。
「響、上手いね……男のくせに」
「お前より髪が長いから慣れてるんだよ。完成」
「ありがと」
お礼を言って雅は2階に上がる為に居間を出て行く。鞄を取りに行ったようだ。
「うん。奏楽ちゃん、今日も可愛いね!」
「おねーちゃんも可愛いよ!」
時間がないのにお互いに褒め合う妹と幼女。
「ほら! 奏楽、ランドセルはどこだ!」
「……ランドセル?」
「今日から小学校だろうがっ!!」
「お兄ちゃん、安心して! 昨日の内に準備しておいたから!」
「自分もしとけよ!!」
「皆! おまたせ!」
ランドセルを奏楽に背負わせている望にツッコミを入れた所で雅の準備も終わる。
「よし! 行くぞ!」
鞄を手に取って靴を履き、玄関を飛び出す。他の3人も俺の後に続いた。急いで鍵を閉めて昨夜、物置から出しておいた自転車に跨る。
「奏楽、籠に入れ! 俺の後ろに望! 雅は走れ!」
「「はーい!」」「私の扱い、ひどくね!?」
奏楽を抱き上げ、籠に立たせてやる。これでは前が見えなくなってしまうが、魔眼を発動すれば問題解決だ。望も素直に後ろに座って落ちないように俺にくっついた。
「奏楽、雅の荷物を持ってやれ」
「わかった! 雅、早く!」
「……ああ! わかったよ!」
乱暴に鞄を奏楽に渡して雅が走り出す。俺も全力で自転車を漕ぎ始めた。さすがにいつもの力では無理なので霊力を足に流して力を水増しさせる。
雅と並走する事、10分。前に悟が見えて来た。待ち合わせしていたのだ。
「悟! 漕げ!」
「そのつもりだよ!」
このままでは追い抜いてしまうので同じスピードになるように調節。
「全く……初日に遅刻なんて嫌だぞ!」
自転車を転がしながら悟が文句を言って来る。
「仕方ないだろ! 目覚まし時計が止められてたんだから!」
「うるさかったから止めた!」
振り返った奏楽が笑顔で教えてくれた。
「お前かあああああああ!!」
今日から俺と悟が大学。望と雅が高校。そして、奏楽は小学校へ通う。新しい生活が始まった。
高校(俺と悟が通っていた)へ行く望たちと別れた後、奏楽を荷台へ移して大学へ向かう。奏楽が通う事になった小学校は大学までの道の途中にあるのだ。
「いいか? 友達の魂を取り込んじゃ駄目だぞ?」
「わかってるもん!」
悟には聞こえないように忠告する。『魂移植』をしたとは言え、『魂融合』が出来なくなった事にはならない。紫は安全だと言っていたが、注意しておくに越した事はないだろう。
「おーい。ここじゃないか?」
悟の声で前を向くと小学校が見えて来た。校門の前を2人乗りしたまま通るわけには行かないので手前で奏楽を降ろす。自転車を手で押しながら小学校の校門までやって来た。
「じゃあ、頑張れよ」
「うん! 行ってきまーす!」
「いってらっしゃーい」
元気よく小学校の中に入って行った奏楽。途中ですれ違った先生にもちゃんと挨拶しているようだった。
「俺たちも行くか」
「おう。急ぎ過ぎて逆に時間が余ってるしゆっくり行こうぜ?」
時計を見れば予定していた時刻より20分も早い。
「……それもそうだな」
再び、自転車に跨った俺と悟はほぼ同時に漕ぎ出した。
「それにしても……お前、スゲーな」
不意に悟が呟く。
「え?」
「だって、母親が蒸発してから仕事を始めて師匠と暮らしてただろ?」
師匠とは望の事だ。
「まぁ、な」
「それから家賃が払えなくて途方に暮れていた雅ちゃんを居候させ、捨て子だった奏楽ちゃんを引き取った」
雅も奏楽もそうだが、紫が手を回してくれたおかげでこうやって俺の家で暮らしている。もし、紫が居なかったら少し、面倒な事になっていただろう。
「そうだな」
「普通は無理だぞ? 血も繋がっていないのに……」
「血の繋がりなんて関係ないよ。ただ、一緒に暮らせば楽しそうだなって思っただけだ」
今思えば、望とも血が繋がっていないので俺の家にいる全員が他人となる。しかし、血の繋がり以上の絆が生まれているのは確かだ。春休みに起きた事件のせいで俺が長い間、家を空けていた時もすごく心配したらしい。
「……とにかく、お前はすごい奴だよ。仕事も結構、危険なんだろ?」
「それなりにな」
「給料いいのか?」
「は?」
「いや、最近金欠だから紹介して欲しいなって」
「駄目だ」
こいつに教えたら幻想郷で暮らすとか言いそうだ。
「けち~」
「駄目なもんは駄目だ」
「まぁ、最初から期待なんてしてないけどな」
「なら言うな」
「あでっ!?」
左手で悟の脳天にチョップを入れる。自転車に乗っているので軽めだ。
「そんな事より……わかってるな?」
「……わかってるよ。出来るだけ目立たないようにするから」
俺の見た目は女だ。高校の時は女子なのに男子の制服を着ていると思われ、目立ってしまった。そのせいでいじめにあったのだ。その事を悟は心配しているのだろう。
「高校ならまだ、制服で性別を判断出来たけど大学は私服だ。ここまで言えばわかるだろ?」
「おう」
だが、大学は私服。きっと、周りから見れば女が男の服を着ているとしか思われない。高校よりかは目立たないから安心しろ。悟の言いたい事はわかっている。幼馴染だから。
「……本当にわかってるか?」
「大丈夫だって」
何か言おうとした悟だったが、丁度大学に到着。
「自転車置き場ってどこだ?」
「えっと……あっちじゃなかったか?」
俺の質問に答えた悟が話の腰を折られたのに気付いて溜息を吐いた。それから自転車を停める。
「今日は講義、ないんだよな?」
籠から鞄を取り出して悟が問いかけて来た。
「ああ、なんか好きに大学内を回って良いらしいぞ?」
「自由だな~」
「そう言うもんだろ」
とりあえず、今日提出しなければいけない書類があったのでそれを提出するために事務室に向かう。
「くそ、無駄に広いな……」
「ここら辺で一番、大きな大学だから仕方ないよ」
辺りを見渡せば俺たちと同じようにキョロキョロしたまま、歩いている人がちらほらといる。
「ん?」
しかし、何故かこちらを向いたまま硬直している人も見受けられた。
「あ、あの!」
「はい?」
その中にいた一人の男が話しかけて来る。
「も、もしかして1年生?」
「そうですけど……何か?」
台詞からして上級生だ。敬語を使う事にする。
「よかったら……道案内してあげようか? いえ! させてください!!」
深々と頭を下げる上級生。何故、お願いされるのだろう。とにかく、これは好都合だ。お言葉に甘えさせていただこう。
「わか――」
「すみません。自分たちで探した方が道を覚えやすいので今回は遠慮させていただきます」
承諾しようとしたら悟が勝手に断ってしまった。
「……そうですか。わかりました。でも! 何かあったらここに連絡ください!」
紙に何かを書き殴って俺に渡した上級生は脱兎の如く、離れて行ってしまった。
「お前! せっかく、道案内して貰えそうだったのに!」
「……響」
「何だよ」
「お前は何もわかってない」
「へ?」
悟の言っている意味がわからず、聞き返すがそれに被るように悲鳴が聞こえた。
「何かあったのか?」
「さぁ?」
気になったので声がした方に向かうと数人の男に囲まれた黒髪でセミロングの女の子がいた。先ほどの悲鳴は女の子が出したらしい。
「いいじゃん? 見学だけでもいいからさ?」
「書類を提出しなきゃならなくて急いでるんです!」
どうやら、サークルの勧誘にしつこくされているようだ。周りにいる人たちも何事かと足を止めた。
「大丈夫! すぐに終わるからさ!」
「やめてください!」
何だろう。あの子、どこかで見た事があるような気がする。
「……」
「お、おい! 響!」
気付けば、俺は歩き出していた。