「あれ? どうしたんですか、響さん」
何やらたくさんの薬品が入った木箱を持った鈴仙と鉢合わせる。もちろん、人里ではなく永遠亭でだ。
「依頼だよ。依頼」
大学に通い始めてから早2週間。生活にも慣れ始めたので3日ほど前に仕事を再開した。今日はここ、永遠亭が仕事場だ。時刻は11時半。講義は午前中で終わりのはずだったが、予定よりも早く講義が終わったのでまだ、正午にもなっていない。
「そうなんですか? 師匠は何も言ってなかったけど……」
「え? 今回の依頼は永琳からだぞ?」
俺と鈴仙は首を傾げる。まぁ、あの永琳だ。何を考えているかわかったもんじゃない。
「とにかく、永琳の部屋に行ってみるよ。見かけたら俺が来たって言っておいてくれ」
「はい。わかりました」
因みに鈴仙が何故、敬語なのかと言うと定期的に永琳の診察を受けているので患者と認識しているらしい。後は前に薬作りで悩んでいた所にアドバイスをしたのも関係しているようだ。
(まぁ、あそこは高校の化学の時間に習ったからだけどな……)
廊下の角を曲がった鈴仙を見送りながら俺は思い出していた。
「はぁ……」
「どうしたんだ?」
溜息を吐いた私に前の席に座っていた望(のぞむ)ちゃんが質問する。
「え? あ、いや……」
私――音無 望は少しだけ不安だった。主にお兄ちゃんについて。
「何か悩んでいるみたいだけど?」
「わ、わかる?」
「そう、堂々と溜息を吐かれてわな」
呆れ顔で望ちゃん。
「ご、ゴメン……」
「まぁ、話したくなければいいんだが、もし話す気になったら相談に乗るからな」
「ありがとう……」
「気にするな。友達だろ?」
望ちゃんはそう言うと立ち上がって教室を出て行った。
「……はぁ」
お兄ちゃんは何か隠している。それに雅ちゃんも奏楽ちゃんもそれについて知っている。何故かはわからないけどわかるのだ。でも、何かがわからなければ問い詰める事が出来ない。
(どうしよう……)
理由があるのは何となく理解出来るのだが、何か危険な事に巻き込まれているような気がする。
「何で……そう思うんだろう?」
最初の違和感は悟さんから借りた東方をプレイした時だ。あの時、よくわからないがどこに逃げれば弾幕を避けられるか一瞬にしてわかってしまった。
他にもお兄ちゃんの嘘がわかったり、急に勉強が出来るようになったりと不思議な事ばかり起きている。
(お母さんが蒸発してからだ……)
この違和感とそれが繋がっているとしか思えない。
「はぁ……」
休み時間の終了を知らせるチャイムがなり、授業の準備を始めた。
「あら? 響じゃない」
「おっす。輝夜」
永琳の部屋に向かっている途中で輝夜に遭遇する。何だか、今日はエンカウント率が高めだ。
「どうしたの?」
「依頼だ」
「……そう」
俺の発言を聞いて輝夜が目を細めた。
「?」
何故、そのような表情を浮かべたのか理解できない。だが、すぐにいつもの顔に戻す輝夜。
「まぁ、いいわ。さっき、永琳の部屋に行ったけど誰もいなかったわよ」
「そうか……探すのも面倒だし、部屋で待ってるわ。見かけたら俺が来たって言っておいてくれ」
「ええ。わかったわ」
そこで輝夜と別れた俺は少し、戸惑っていた。鈴仙も輝夜も依頼の事を何も聞いていないようなのだ。確かに依頼ごときでいちいち、報告はしないだろうが永琳の事だ。鈴仙はともかく、永遠亭の主である輝夜に言わないのは少し、不自然。
「……行けばわかるか」
今、考えてもわからない物はわからない。悩むなら行動する。俺のモットーに従って永琳の部屋に向かって歩き始めた。
そして、俺はこの時の事を悔やむ事になる。これさえなかったら、“あいつ”を巻き込まなくてすんだのだ。
「……み」
(お兄ちゃん?)
「望……起きろ」
「へ?」
涎を垂らして寝ていたらしく、口まわりがべとべとだった。慌てて袖で拭う。辺りを見渡しても何もなかった。
「望、少しいいか?」
「う、うん……」
そこでまた、お兄ちゃんに違和感を覚える。懸命に何かを隠そうとしていた。表情に出てしまいそうになっているのを必死に堪えているようだ。
「お兄ちゃんな。しばらく、帰って来れないみたいだ」
「え?」
「仕事が忙しくてな。ゴメン」
違う。絶対に違う。
何故か、そう思った。仕事をしていて何かに巻き込まれたのだ。でも、そこまではわからない。だから――。
「……うん。わかった。雅ちゃんと奏楽ちゃんの事はまかせて」
引き攣った笑顔を浮かべてそう答えた。私はお兄ちゃんに危険な事をさせたくない。例え、お金がなくなってもお兄ちゃんまでいなくなっちゃったら私は――。
でも、私がそう思うようにお兄ちゃんも私たちを巻き込みたくないのだ。
「だから、お仕事頑張って!」
それを知っているから曖昧な笑みで応援する。私にはこれぐらいしか出来ないから。
「……おう」
お兄ちゃんは悔しそうに唇を噛んだ後、笑顔で頷いた。
「ん?」
どうやら、授業中に眠ってしまっていたらしい。寝ぼけたまま、時刻を確認すると午後12時10分。そろそろ、4時限目が終わる。
(……お兄ちゃん)
先ほど見た夢は本当に夢だったのだろうか。
「無事でいて……」
ぼそっと呟いた後、きっとその願いは通じないと悟る。理屈などない。ただ、わかってしまった。
午後12時。俺は永琳の部屋に到着する。
「いないよなー? いないから開けるぞー」
適当な挨拶をして扉を開けると案の定、誰もいなかった。ずかずかと部屋に入り、観察する。
「ん?」
すると、机の上に何かを発見した。近づいて確認してみるといくつかの錠剤だ。そして、その隣に紙が置いてある。手に取って読んでみると依頼内容が書いてあった。この薬の被験者になれ、との事らしい。
「……まぁ、それぐらいなら」
スキホからペットボトルに入った水を取り出し、錠剤を一気に口に放り込んだ。すぐに水を飲んで飲み込む。
「響!」
その刹那、永琳が汗だくになって部屋に突入して来た。
「っ!?」
水を口に含んでいたので叫び声を上げる事が出来なかったが、何とか外に吐き出さずに飲んだ。
「早く! 今飲んだ薬を吐き出して! 依頼なんて出した覚えないわ!」
「……え?」
永琳の言っている事が本当だとしよう。なら、『今、俺が飲んだ薬は誰が用意した?』。
「くそっ!」
薬を外に出そうとしてもしっかり飲んでしまった。こうなったら、口に手を突っ込んでリバースするしかない。そう判断した俺は右手を口に突っ込む為に動かそうとした。
「――ッ」
だが、動かない。手も口も目も。何もかもが何かに縛られたように硬直した。もちろん、心臓も。
(なんだ、よ……これ)
真後ろに倒れて行くのを薄っすらとわかったが、すぐに意識が途切れてしまった。
「響!」
永琳が後ろに倒れ始めた響を受け止める為に手を伸ばす。しかし、何故かいつまで経っても響が倒れない。不自然な格好で空中に漂っている。
「やっぱり……」
「ひ、姫様?」
永琳の後ろに輝夜がいた。響の動きを全て、永遠にしたのだ。
「何か怪しいと思ってたのよ。で、来てみれば……遅かったけど」
「……そうみたいね」
響は何者かによって殺されそうになった。いや、今も殺人は継続中である。輝夜によって響が死ぬまでの時間が永遠になっているだけで本来なら、即死だ。
「でも、おかしいわ……確か、響には能力や呪いの類は効かないはずなのに……」
「普通に劇薬だったんじゃないの?」
「響の場合、霊力が危険を察知して一瞬にして解毒してしまうのよ。でも、さっきは霊力の動きはなかった。だから、薬の効果ではないわ」
永琳にもわからない事があるようだ。それほど、響の体の構造は特別だった。
二人が頭を抱えていると響の体から黒いオーラが漏れ始める。
「な、何これ!?」
「こ、これは……“呪い”!?」
輝夜と永琳が共に驚愕した。
「ま、まずいわ! このままじゃ呪いが永遠亭を包み込んじゃう」
呪いの中には感染する物もある。次から次へと人を、物を飲み込み、滅ぼす。
「姫様! 呪いも永遠に!」
「む、無理よ! いっぺんに永遠に出来る量じゃない!」
二人が大慌てしていると今度は響の周りに結界が出現した。それもかなり強力で呪いを外に漏らしていない。
「本当に……手間のかかる子ね」
呆然としている輝夜と永琳の近くにスキマが開いてそこから紫と霊夢が飛び出した。
「輝夜。永遠と解いて」
すぐに霊夢が輝夜に指示を出す。
「え? でも、永遠を解いたら響は……」
「大丈夫。あの結界の中なら呪いの効果をほぼ100%抑える事が出来るわ。でも、根本的に解呪しないと響を助ける事が出来ないの」
「……後で詳しい話を聞くとして姫様、解いてください」
「……はいはい。わかったわよ」
輝夜が手を横に払うと響が背中から床に倒れる。
「じゃあ、紫。結界ごと移動させてちょうだい」
「ええ。部屋を一つ、貸してもらうわね」
「どうぞ、お好きなように」
永琳が承諾するが紫はスキマを開いて響を移動させた。
(響……)
霊夢はこの事を知っていた。いや、勘で何となくだが察知していたのだ。急いで紫を探し出し、こうやって永遠亭に来た。そして――。
――この先の事は一切、わからない。前と同じように勘が働かない。
不安で少し怯えたような表情を浮かべる霊夢は気持ちを切り替えて紫が解呪している間、結界が壊れないようにする為にスキマを潜った。