「アリスさん、何かあそこにいるみたいです」
「え?」
指をさしながら言うと突如、茂みから大きなイノシシが飛び出した。しかも、何故か怒っているようで僕たちの方に凄まじい速度で突進して来ている。
「きゃあっ!?」
僕たちはイノシシが茂みから出て来るところから見えていたのですぐに左へ移動したが、イノシシに背中を向けていたアリスさんは回避出来ずに体当たりされてしまった。
「アリスさん!」
アリスさんは魔女なので人間より遥かに強いのだが、体の大きさは普通の女の人だ。アリスさんの体は数メートル吹き飛ばされた後、勢いよく頭を地面に打ち付けてしまった。不意打ちだったので受け身すら取る事が出来なかったらしい。
「アリスさん! 大丈夫ですか!?」
「……」
まずい。呼びかけても返事がない。頭を打った事によって脳震盪を起こしてしまったようだ。
「マスター!」
「うわっ!?」
その時、桔梗に突き飛ばされる。すぐに僕が立っていた場所をイノシシが通り過ぎた。このままでは倒れているアリスさんに再び、イノシシが攻撃してしまう。
(殺しちゃうのは嫌だけど……仕方ない)
覚悟を決めて背中に手を伸ばすが、鎌がない。
「あ!」
そうだ。鎌は今、神社の中にある。急いで取りに行かなければならない。だが、神社の中に続く道にイノシシがいた。しかも、こちらを睨んでいる。簡単には通してくれそうにない。
「桔梗! 神社の中にある鎌を取って来て!」
「で、ですが!」
「急いで!」
桔梗は何か言いたそうだったが、大声を出す事でそれを阻止する。とにかく、今は時間がない。
「りょ、了解です!」
桔梗が飛んで行くのを確かめた後、アリスさんの傍まで駆け寄って背負った。放置しておいたらいつ、イノシシが標的を変えるかわからないからだ。
(う、動きにくい……)
体格の差がありすぎる。走る事は愚か、イノシシの突進を躱せるかも危うい。
どうしようか悩んでいたら、向こうが一つ、吠える。そして、僕に向かって走って来た。
「仕方ない!」
ギリギリまで引き付けて躱すしかない。
「と……んで」
耳元で掠れたアリスさんの声が聞こえる。まだ朦朧としているが、意識が戻ったらしい。しかし、体はぐったりしているので動けそうにない。
「僕、飛べません……っよ!」
体を捻ってイノシシを躱す。イノシシも諦めず、方向転換しまたこちらに向かって来た。
「マスター! 持って来ました!」
イノシシが迫って来る中、後ろから桔梗の声がする。そう、『真後ろ』だ。
(っ……)
きっと、桔梗は僕に鎌を渡す為にあまり高く飛んでいないだろう。今、僕がイノシシを避けたら、桔梗に――。
「アリスさん! ごめんなさい!」
アリスさんを後方にいる桔梗に託す為に投げた後、すぐにイノシシの方を振り返る。鎌が地面に落ちる音だけがしたので桔梗は上手くアリスさんをキャッチ出来たようだ。
「ま、マスター!? 避けて!!」
「うわああああああ!」
重心を低くし、衝撃に備える。迫り来るイノシシが少しだけ笑っているように見えた。
「――ッ」
両腕を体の前でクロスした刹那、そこにイノシシが突進して来る。一瞬の浮遊感を感じた後、僕の体は空高く打ち上げられた。
気が付くと、私は生まれていた。
どうしてなのかは自分でもよくわからないけど、目の前の男の子が私を作った『マスター』である事がわかった。
喋る人形なのに嫌な顔もせず私に名前を付けてくれた優しいマスター。
この時に私はマスターを『自分の命を引き替えにしてでも守る』。そう誓った。
それなのに、何だ? この体たらくは。
目の前で愛しきマスターが傷ついたのだ。真後ろにいたにも関わらず、何も出来なかった――いや、私がいたからマスターは躱せなかったのだ。
人形失格だ。
マスターを守る術も、マスターにお礼する力も、マスターの傍に資格すら私にはない。
それでも、私はマスターの役に立ちたい。
マスターを守りたい。
マスターと一緒に戦いたい。
ゆっくりと打ち上げられていくマスターを見て私は震えた。
体の内側からまるで、私の鼓動に共鳴するように――。
気が付けば、私は空を飛んでいた。もちろん、アリスさんなんか投げ捨てた。
「マスタあああああああああああ!!!」
マスターの名前を呼んだ瞬間、体の内側で打ち続ける鼓動が激しくなった。マスターに近づけば近づくほど『速く』、『強く』、『激しく』。
空を飛べ。
手を伸ばせ。
その身で守れ。
そう自分に言い聞かせていると体が光り始めた。
それでも私は止まらない。
マスターを守るのだ。
例え、この身が朽ち果てようとも――。
光が一層、強くなる。
もう少しだ。
マスターが私を見て目を見開いた。
無我夢中でマスターの方に手を伸ばす。
マスターも苦しそうな表情を浮かべながら私の方に手を伸ばしてくれた。
「桔梗!」「マスター!」
手と手が繋がった時、私の体が“分解”され、“再構築”する。
私が望む姿に、マスターが望む姿に――。
「……」
桔梗から発せられていた光があまりにも眩しくて目を閉じてしまった。このままでは地面に叩き付けられてしまう。だが、いつまで経っても衝撃が来ない。
「あ、れ?」
ゆっくり、目を開けると前には何もなかった。いや、山は見える。しかし、木や神社がないのだ。360度、回転しても山しか見えない。上を見れば青空が広がっている。次に下を見た。
「え?」
イノシシやアリスさんが先ほどよりも小さく見える。こんな高い場所からの景色を見るなんて遊園地の観覧車に乗った時以来だ。
「高い? え? え!?」
飛んでいる。僕は重力に逆らって空を飛んでいるのだ。でも、空の飛び方なんて知らない。
(なのにどうして……)
「マスター! 聞こえますか!?」
困惑していると後ろから桔梗の声がする。しかし、後ろを見てもどこにも桔梗の姿はない。
「桔梗、どこ?」
「ここです! 後ろです!」
「いや、後ろには何も……」
「だから、“背中の翼”です!」
「へ?」
意味が分からず、背中に手を伸ばすと何かに当たった。鎌ではないのは確かだが、これは一体、何なのだろうか。
「つ、翼!?」
自分の目で見たいのだが、さすがに背中は見えないのでその場でグルグルと回転してしまった。
「マスター、落ち着いて!」
「ど、どういう事!?」
「説明は後です! それより、アリスさんが!」
桔梗の言葉を聞いて下を見ると今にもイノシシがアリスさんに向かって突進しようとしていた。
「……そうだね。今はアリスさんだ」
「マスターの思い描くように飛べますのでやっちゃってください!」
「うん!」
イメージだ。鳥が地面にいる獲物を捕らえる為に急降下するイメージ。
すると、体が下を向いて一気に急降下を始めた。それと同時にイノシシの倒れているアリスさんに向かって駆け出した。
「させるかあああああ!!」
空中で姿勢を変え、足からイノシシに向かって突撃する。
すごいスピードで蹴られたイノシシの体は吹き飛ばされ、森の奥へ飛んで行く。
「あ、ぐぁ……」
僕の足も無傷とは行かなかったようで激痛が走った。
「大丈夫ですか!?」
僕のうめき声が聞こえたのだろう。桔梗が心配そうな声で聞いて来た。
「う、うん……とりあえず、アリスさんを神社の中に」
今の足じゃまともに歩けないと踏み、飛びながらアリスさんと鎌を回収する。
「マスター、無理しないでくださいね?」
「わかってるよ。ありがと」
それからも桔梗は何度も声をかけてくれる。そのおかげで足の痛みも気にならなくなり、アリスさんが動けるようになるころにはあの時の痛みが嘘のように消えていた。
「うーん……」
イノシシに襲われてから30分後。アリスさんが桔梗(翼の姿ではなく、人形の姿でだ。何故、翼になったのかアリスさんに調べて貰っていた)を解放した。
「どうですか?」
「そうね……原因ははっきりとわからないけどきっと、桔梗の思いが強まり、『自分の体を変形させる程度の能力』を生み出したのね」
「何ですか? 程度って?」
「幻想郷では能力名に『~程度の能力』って付けるのがルールなの」
それにしても桔梗は変形するらしい。僕は桔梗【翼】を装備した事により、飛べるようになったのだ。
「すごいよ! 桔梗!」
「そ、そうですか?」
褒めたが、何故か苦笑いする桔梗。
「どうしたの?」
「いえ……自分でもよくわかっていないので素直に喜べないと言いますか」
「でも、自分の意志で変形は出来るのよね?」
アリスさんの問いかけに桔梗は頷いた。
「ですが、結局マスターの携帯を食べたのに何も武器は生まれてないし……」
「きっと、素材を手に入れる事で変形できる物が増えるんじゃないかな?」
僕の考えを述べるが、桔梗だけでなくアリスさんまでも首を振った。
「必ずしもそうとは言い切れないの。確かに変形には何か理由があるんだろうけど、私が施した魔法は……」
「どうしたんですか?」
しかし、アリスさんは説明を途中でやめて考え込んでしまう。
「ねぇ? 今も桔梗に魔力を注ぎ続けてるの?」
「え? あ、はい」
「……キョウ君。今まで、何か変な事なかった?」
突然、アリスさんは変な質問をぶつけて来た。
力
正位置の意味
『快活。誠実。理性的。理性や感情と本能のバランスを取る』など。
逆位置の意味
『独断。苦難。逆境。中傷』など。