本はいとも簡単に開いた。とりあえず、開いても魂が本に吸収されるとか悪い事は起きない。
「えっと……『博麗の歴史』?」
歴史の教科書に出て来る資料に書かれているような流暢な字だったので読みにくかったが、どうやらこの本は博麗の巫女について書かれた書物のようだ。次のページを開くが、やはり字が読めない。文章が暗号化されているらしい。
「お兄ちゃん、貸して」
望が俺から本を取り上げ、読み始めた。目が常に薄紫色に変化している。
「お前、体は大丈夫なのか?」
「斜め読みするから大丈夫。時間はあまりかからないよ」
それから10分ほどして望が本を閉じた。
「やっぱり、博麗の巫女が生まれたきっかけとか巫女がして来た事、起きた異変とか書かれてるみたい。内容は詳しく読まないとわからないけど……」
「まぁ、私が阻止するわよね」
俺の右隣で紫が扇子で口元を隠しながら言う。そのためにここに来たようだ。
「本を開けた瞬間、本を奪うわ」
「じゃあ、返します。ちゃんと阿求さんの所に戻してくださいね」
素直に望が紫に本を返した。
「はいはい」
少し面倒くさそうに紫が本を受け取り、スキマに潜り込んで消える。居間を支配していた圧迫感も同時に消滅した。
「はぁ……疲れた」
とにかく、本の中身はわかった。内容も気になるが仕方あるまい。
「お兄ちゃん……ちょっといい?」
お風呂に入ろうかと席を立った俺を呼びとめる望。その表情は少しだけ困惑しているようだった。
「どうした?」
座り直して問いかける。
「さっきの本に書かれてたんだけど……博麗の巫女って2種類いるんだって」
「2種類?」
「うん。普通に博麗の巫女が産んだ娘が次の巫女になるパターンと……外から連れて来るパターン」
「外って……外の世界か?」
まさか、幻想郷を包んでいる博麗大結界を管理する博麗の巫女が元々、外の世界の住人だったかもしれないなんて信じられなかった。
「そう書いてあったよ? まぁ、外の世界から来る巫女は少ないらしいけど」
「外の世界から幻想郷に行きたいって言う人は少ないだろうしな」
「それに博麗の巫女になれる可能性のある人ってあんまりいないみたい」
それは霊夢を見ていればわかる。まだ、あいつに弾幕ごっこで勝った試しがない。
「私、そこが気になったから他の場所より注意深く読んでみたんだけど……」
何故か、望はそこで言葉を区切ってしまった。
「どうした?」
「……霊夢さんが外の世界から来た巫女みたいなの」
俺には幼なじみがいる。もちろん、悟もそうだがもう一人いた。
名前は……忘れた。幻想郷に行った頃と同じ時期なので記憶が曖昧なのだ。
その子は俺と悟と一緒に毎日、遊んでいた。砂遊びをしてドロドロになったり、戦いごっこをしてボロボロになったり。
でも、その子は俺たちが小学校に上がる頃に引っ越してしまった。親の転勤が理由だ。
俺たちは泣いて別れを惜しんだ。
その子が引っ越す日、俺と悟で自分の宝物をその子にプレゼントした。確か、俺は青いリボン(その頃から俺の髪型はポニーテールだった)で悟は恐竜の人形だった。
その子からも宝物を貰った。俺には可愛い髪留め。悟には可愛らしい着せ替え人形。
それから数年後。俺はその子の事を忘れていた。髪留めもすぐに壊れてしまったし、何より記憶が曖昧なので思い出すきっかけがなければずっと忘れていただろう。
そう、きっかけがあれば思い出すのだ。
そのきっかけは望から霊夢について聞いた翌日、突然訪れた。
「……」
大学の講義中。教授の話す事が左耳から右耳へと流れて行く。
(霊夢は元々、外の世界の人間……)
昨日、望ははっきりとそう言った。あいつの能力からして本当の事なのだろう。でも、俺は信じられなかった。
「おい? どうした、響?」
隣に座っていた悟が声をかけてくる。
「色々、あってな」
さすがに霊夢について考えているとは言えず、言葉を濁した。
「お前が悩んでるなんて珍しいな?」
「悩んでるって言うよりも信じるかどうか考えてるって感じ」
「ふーん……ああ、そうだ。今日の講義って午前までだよな?」
悟の言葉を聞いて頭の中にスケジュール表を思い浮かべて確認する。悟の言う通り、今聞いている講義が今日、最後の講義だった。
「ああ、そうだけど……」
「会わせたい人がいるんだ。ついて来てくれよ」
(会わせたい人?)
よくわからなかったが、幼なじみの頼みなのでしぶしぶ、頷く。
「誰なんだ? 会わせたい奴って?」
講義も無事に終わり、悟に連れられてやって来たのは大学の食堂だった。いつもはお弁当持参なのだが、今日は午前だけだったので持って来ていない。お金を使うのは勿体ないが、お腹も空いているので(それに悟が言うには『会わせたい人と食事するとの事で一人だけ食べないのは失礼だ』とのこと)仕方なく食堂で食べる事にしたのだ。
「もうすぐわかるよ。えっと……あ、いたいた」
悟がスタスタと歩いて行く。それについて行くと女の子がいた。
「あ、れ? あの時の?」
見覚えがあった。確か、4月に大学に書類を提出しに来た時にサークルに無理矢理入れられそうになっていた所を助けた女の子だ。
「あ、覚えていてくれましたか? あの時は本当にありがとうございました」
席を立って女の子がペコリとお辞儀しながらお礼を言って来る。
「い、いや……まぁ、無事でよかったよ」
まさか、お礼を言われるとは思わなかったので戸惑いながらも何とか対応した。
「響……思い出さないか?」
「え?」
突然、悟が変な事を言う。何を思い出せと言うのだろう。『ちゃんと見ろ』、と悟が目で言ったので女の子を観察する。
「……あ」
そう言えば、4月より髪が長くなっていた。そして、“青い”リボンで後ろを括っている。まだ、長さが足りないので俺のようなポニーテールではない。
(青いリボン……)
しかし、今は髪型よりも女の子が付けているリボンが気になる。どこかで見た事があるような気がしたのだ。
「もしかして……怜奈?」
ふと、思い浮かんだ名前で女の子を呼んだ。
「……うん。久しぶり、響ちゃん」
再び、幼なじみ3人が揃った瞬間である。
「何で教えてくれなかったんだよ?」
カレーを口に運びながら俺は幼なじみ二人に文句を言い放つ。
「俺も最初は気付かなかったんだよ……でも、1週間前に怜奈が話しかけて来て教えてくれてさ」
「だって、二人とも気付かないんだもん」
頬を膨らませて怜奈。その仕草は昔、彼女が拗ねた時によくやっていた。懐かしい。
「そりゃ、長かった髪をそんなに切ったらわかるもんもわからねーよ。色も黒から茶色に染めてるし」
昔の怜奈は黒髪のストレートだったのだ。別れてから10年以上経っているのも気付かなかった理由である。
「……まぁ、ね」
だが、俺の言葉を聞いて目を伏せる怜奈。何だか、寂しそうに見えた。
「どうした?」
「あ、ううん。何でもない。ねぇ? カレー、一口貰っていい?」
「おう」
スプーンにカレーとご飯を乗せて、怜奈に向けて差し出す。しかし、何故かそれを見て悟が溜息を吐く。
「え?」
怜奈もキョトンしている。
「ほれ」
カレーが落ちない程度にスプーンを振って食べるように指示した。
「……頂きます」
少しだけ顔を紅くして怜奈がカレーを食べる。何故か、周りで皿が割れる音が連発した。
「美味いか?」
「う、うん。この大学の食堂って美味しいよね」
「だな。今日、初めて食べたけど普通に美味い」
再び、カレーを口に運ぶ。やはり、美味い。どうやれば、これほどまで美味く作れるのだろうか。
「あ、そうだ。携帯番号、交換しない?」
いち早く日替わり定食を食べ終えた怜奈が携帯を手に提案して来る。
「いいよ。ちょっと待ってね」
ポケットに突っ込んでいた携帯を取り出したが、間違えてスキホを出してしまった。
「……随分、古い携帯だね」
一瞬だけ目を鋭くした怜奈だったが、すぐに普段通りの顔に戻る。
「いや、これは仕事用だよ」
その顔に少しだけ違和感を覚えたが、質問するのも変なのですぐにスキホを仕舞い、真新しいスマホをテーブルの上に置く。
「仕事?」
「響、今仕事してるんだよ」
「何かあったの?」
深刻そうな表情で怜奈が質問して来る。
「色々あってな。まぁ、今度話すよ」
赤外線でお互いの電話番号とメアドを交換し、今日の所は解散となった。