スキホを開いたまま、数分間、思考する。
「……よし」
今日は運よく、大学の講義はない。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
いつまで経っても起きて来ない俺が心配になったのか望が部屋に入って来た。
「ちょっと、今から幻想郷、行って来る」
「え? そんなに依頼があったの?」
「いや、少し気になってる事があって……」
身支度を済ませ、部屋を出る。望も一緒について来た。
「あ、でも待って今――」
望が何か言い終わる前に居間に繋がるドアを開ける。
「行くの? 響ちゃん」
居間に入るとそこには霊奈が立っていた。
「霊奈? どうして、ここに?」
「……今、幻想郷で悪い事が起こってる気がして」
霊奈にも博麗の巫女特有の鋭い勘が備わっている。その勘が働いたのだろう。
「多分な……だからこそ、俺は行くよ」
「どうして? わざわざ、危険な場所に?」
「俺は紫の部下で、幻想郷で働いている万屋で……そして、霊夢に『もしもの時は頼んだ』って言われたからだ」
そう言って、居間にあった荷物を持って玄関から外に飛び出した。一刻も早く、幻想郷に行きたかったのだ。
「待って、響ちゃん!」
しかし、俺の後を追って霊奈が駆けて来る。
「止めても俺は行くぞ?」
「誰も止めようなんてしてないでしょ? 私も行く」
「は?」
意外過ぎて思わず、聞き返してしまった。
「どうせ響ちゃんは幻想郷に行くでしょ? でも私、黙ってそれを見逃すのも無理……だから、私も連れてって」
霊奈は本気だ。目を見ればわかる。しかし、先ほど霊奈が言ったように幻想郷で何かが起こっているのも明らか。
「……わかった。近くの公園にあるトイレから幻想郷に向かう。行くぞ」
「うん!」
それでも、霊奈のお願いを断る事が出来なかった。
公園に到着した後、いつものように男子トイレに入ろうとするが、霊奈に止められてしまう。
「ちょ、ちょっと待って! 私、女だよ!」
「あ、そうか。霊奈もいるんだよな……」
でも、外でスキマを使って誰かに見られでもしたら大変だ。
(……仕方ない)
「女子トイレに入るぞ」
俺の見た目は女だ。知らない人が女子トイレで俺と遭遇しても違和感を覚えないだろう。それどころか男子トイレにいたらいつもギョッとされるのだ。
「え!?」
俺の提案を聞いて目を丸くする霊奈。
「緊急事態だ。見逃してくれ」
「わ、わかった……」
そうと決まれば早い。俺と霊奈は女子トイレに入り、一つの個室に一緒に入った。
「せ、狭い……」
「我慢しろ。それより空、飛べるようになったか?」
実は攻めの結界と刀の扱いを習っている間、霊奈は霊力で宙に浮く修行をしていたのだ。
「それなりに飛べるようになったよ。迷惑はかけないから」
「了解。じゃあ、スキマを幻想郷の上空に開くから気を付けてね」
「どうして?」
「幻想郷の状況を見ておきたい。上から見た方がわかるだろ」
確かに、と頷いている霊奈を尻目に懐から1枚のスペルを取り出して宣言。
「移動『ネクロファンタジア』!」
すると、俺の服が紫と同じ物になる。すかさず、扇子を横に払ってスキマを展開した。
「準備はいいか?」
「うん」
「じゃあ……行くぞ」
そう言って俺はスキマに飛び込む。俺に続いて霊奈もスキマを潜り抜ける。少しの間、目玉が浮いている不気味な空間を通過し、幻想郷に到着。
「何だよ……これ?」
スキマを閉じるのも忘れるほど眼下に広がる光景に俺は唖然した。霊奈も言葉を失っている。
「本当にこれが、幻想郷?」
霊奈が俺に質問した。俺も出来たら誰かに聞きたいほどだ。何故なら――。
――幻想郷全体が氷漬けだったのだ。
「……やっぱり、何かがあったんだ」
霊奈の問いかけで我に返り、すぐにスキマを消して高校生の時に着ていた制服を身に付けた。もちろん、スキホを操作すれば着替えなどしなくても制服を着ることができる。
「どうする?」
「とりあえず、博麗神社に行こう……」
氷漬けの幻想郷を観察しながら移動する。霊奈を見ると少し、フラフラしているがちゃんと飛んでいた。
とにかく、霊夢が心配だ。
「ちょ、ちょっと待って! 速いよ! 響ちゃん!」
振り返ると霊奈が涙目になって追いかけて来ていた。どうやら、無意識の内にスピードを上げていたらしい。それから、霊奈の速度に合わせてスピードを調節しながら博麗神社に向かった。
「博麗神社も氷漬けだな」
博麗神社に到着した俺たちは地面に足を付けないようにしながら(もし、足を付けて自分も氷漬けになったら困るからだ)博麗神社の中に入る。神社の中も外と同じように凍っていた。
「どうなってるの?」
俺が着ている制服の裾を摘まんだまま、霊奈が問いかけて来る。
「俺にもわからん……」
答えたその時、霊夢の姿を見つけた。しかし、俺も霊奈も霊夢に声をかける事が出来なかった。
声などかけられるはずない。“霊夢も氷漬けなのだから”。
「霊夢!」
慌てて霊夢の元まで移動する。前から見ても後ろから見ても凍っている。
「もしかして……死んでる?」
「魔法『探知魔眼』!」
『魔眼』で霊夢を視るとちゃんと霊気を感じ取れた。生きている。
「大丈夫……凍ってるだけで死んでない」
言うなれば、『コールドスリープ』だろう。本来、生物が凍結すると細胞が壊れてしまうのだが見た感じ、大丈夫そうだ。どうやら、この氷は普通の氷と違うらしい。
「融かせるかな?」
「……いや、氷からも少しだけ力を感じる。多分、この力の持ち主を倒さないと融かせない」
問題はこの異変の首謀者だ。手当たり次第に探しても無駄に時間を喰うだけ。
「どうする? 響ちゃん」
「今、考えてる」
何かヒントになる物はないかと霊夢をよく観察する。目を閉じていて何かをしていたようだ。霊夢の周りには色々な道具が散らばっている(もちろん、全て凍っている)。
「これは……何か儀式をしてたみたいだね」
霊奈も道具に気付いたのか、ボソリと呟く。
「儀式?」
「うん。この術式は……お札を作る時に使う術式かな? アレンジが加えられててどんなお札を作っていたのかまではわからないけど……」
「お札……」
思い出せ。首謀者はだいたい、予想はついている。しかし、首謀者はどうやって幻想郷を氷漬けに出来たのだろうか? あいつにはこのような能力はなかったはずだが。
「あれ? よく見れば、お札は凍ってないよ?」
「何!?」
霊奈の手に握られたお札を見ると凍っていなかった。よく見るとお札はリボンのように頭に付けられるようになっている。
「人間すら凍らせるほどの氷なのにどうしてお札だけ……」
「氷を無効化する力を持ってるのかな?」
(お札……氷……)
その時、少し前に阿求の家で読んだ内容が頭に浮かぶ。
そして、全てが繋がった。
「……わかったぞ」
「え!? ホントに!?」
「ああ……まず、このお札が凍ってない理由だ。霊奈の言う通り、このお札は氷を無効化出来るみたいだ。でも、それが本来の力じゃない」
「つまり?」
よくわからなかったようで霊奈が先を促した。
「このお札はある力を封印する為の物なんだ。その結果、氷の力を無効化させたんだ」
「じゃあ、この異変の首謀者を封印する為のお札なの?」
「そう言う事だ」
「でも、霊夢がその首謀者を封印する事は出来なかったの?」
「ここからは推測だけど……霊夢が用意したお札は2つあったんだと思う。だが、その首謀者の力があまりにも強すぎて封印できなかったんだ。そして、一つ目のお札は破壊されてしまった……その後、二つ目のお札を強化している最中に氷漬けにされた」
霊夢の勘なら間に合わない事もわかっていたはずだ。だから、お札を作り、俺たちに託した。
「でも、こんな強大な力を持った妖怪がいるの? 普通なら皆、黙ってないと思うけど……」
「その子は普段から封印されてるんだ。お前も会った事、あるぞ」
「え!? 誰!?」
「ルーミアだ」
「ルーミア……あの闇の力を使ってた子だよね? 氷の力なんて使ってなかったと思うけど……」
思い出したのかすぐに否定する霊奈。
「闇は全てを引き込む。物も気持ちも光も……そして、熱も。それを利用して幻想郷を凍らせた」
「そんな事、出来るの?」
「この状況が答えだ」
それからすぐにお札をスキホに収納し、もう一度霊夢を見る。
「……霊夢がこの状態なら他の人も同じだろう。だから、ルーミアを倒せるのは俺とお前しかいない。敵は相当、強い……それでも、一緒に来るか?」
「もちろん」
俺の問いかけに霊奈は即答した。それを聞いて小さく溜息を吐いた後、霊奈に博麗のお札の束を渡す。
「これって……」
「お前、自作のお札を使ってただろ? でも、それよりもこっちの方は性能がいいはずだ」
「でも、響ちゃんの分は?」
「博麗のお札は常に大量に持ってるんだ。俺の分もある」
それに大量に持っていたとしても霊力が少ないので大量に展開出来ない。なので、たくさん博麗のお札を持っていたとしても宝の持ち腐れなのだ。
「あ、少し待って」
スキホからシャープペンシルを取り出し、落としてみる。ペンは凍る事なく、床に転がった。
「降りても大丈夫だな……少し、準備してから出発だ」
「了解」
頷く霊奈。
幻想郷を救えるのは俺と霊奈のみ。敵は闇を操る少女。どれだけ戦えるかわからないが、出来る限りの事をしよう。そう心に決めて俺は上着を脱いだ。
異変の始まりです。