第182話 紅いリボン
「……」
俺は絶賛、絶望中である。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
後ろから望が声をかけてくれるが返事ができないほど俺のメンタルはボロボロだった。
「……なんで、時間は止まらないんだろうな?」
誰かに向けたわけでもなく、その問いかけは虚空に消える。
「ほら! しっかりしなさい! それでも男なの?」
「男だからこんなに絶望してんだろうがっ!」
「あだっ!?」
ニヤニヤしながら言って来る雅の脳天に拳を落としながら叫んだ。
氷河異変を解決してから4日が経った。その翌日は霊奈と一緒に大学を休み、永琳に診察を受けたのでまだ、この頭に括り付けられた博麗のリボンは外界の人々の眼には触れていない。因みに昨日と一昨日は週末だったので大学そのものがなかった。
「ご主人様、そろそろ時間が……」
唯一、外靴を履いていない霙が時間は残されていないことを教えてくれる。でも、俺にとってその情報は不要なものだ。
「おにーちゃん! 可愛いから大丈夫! いこっ!」
俺が穿いているジーパンの裾を引っ張りながら奏楽が叫んだ。
「うん。可愛いから問題があるんだよ?」
玄関で俺、望、雅、奏楽が靴を履いてからもう15分が経っている。さすがに出発しなければ全員、遅刻だ。
「……はぁ」
今日で何度目かわからないため息を吐く。いや、土曜日から数えたらすでにため息の回数は3桁を超えているだろう。
土曜日、俺は朝早く霊夢を訪ねた。もちろん、要件は博麗のリボンについて。
どうにか別の物に術式を組み込められないか聞いてみたところ、無理だと言われた。そもそも、霊夢と霊奈が術式を組み上げられたのは博麗のリボンだったからだそうだ。
このリボンには博麗のお札と同じように霊力が込められており、持っているだけでさまざまな物から守ってくれるありがたいリボンなのだ。
その効果を土台にし、霊夢と霊奈は協力して術式を組んだ。
一応、報告しておくが霊夢は一度、ルーミアが付けているお札を俺の頭に付けたらしい。まぁ、ルーミアを見てくれればわかるが見事、俺の体は縮んだそうだ。慌ててお札を取った霊夢はどうしようかと悩み、霊奈に相談した。そして、この“付けても体が縮まず、闇の力を封印できる博麗のリボン”を開発。
そのまま、博麗のリボンは俺の頭に結び付けられた。
今思えば、博麗神社で二人とも目を逸らしていたのはこのリボンのせいだろう。霊夢も霊奈も俺が男だと知っているわけだし。
「じゃあ、行ってきます」
「「「いってきまーす!」」」
「はい、いってらっしゃいです!」
憂鬱のまま、俺たちは霙に見送られながら外に出た。
「うわぁ……あっつ」
その瞬間、生ぬるい空気が俺を襲う。
「そろそろ、7月だからね……」
雅がうんざりした表情で教えてくれた。
「そっか……もう7月か」
携帯の画面で日にちを確認すると6月27日。確かに1週間も経たない内に7月に突入する。
「お兄ちゃんが幻想郷に初めて行った日から1年だね」
俺の思っていることがわかったのか望がそう呟いた。
「早いもんだなぁ」
去年の今頃、俺は一体何をしていたのだろう? それすら思い出せないほどこの1年は激動の日々だった。
「おにーちゃん! 遅刻しちゃうよ!」
「あ、ああ!」
奏楽に急かされ、慌てて自転車の傍に駆け寄った(望と話している間に雅が出しておいてくれた)。
「奏楽、ばんざい」
「ばんざーい」
万歳した奏楽を持ち上げ、特等席の籠に収納する。
「雅、鞄」
「あー、持ってもらわなくていいから今日こそ響の後ろに……」
「お兄ちゃん! 急いで!」
雅が言い終わる前に望が自転車の荷台に腰掛けた。
「まぁ、こういうわけだから」
「……ああ、もう! なんで、私の鞄には替えのYシャツが入ってんだろうね! 慣れちゃったのかなっ!!」
そう叫びながら雅から鞄を受け取る。それを奏楽に渡し、俺は自転車に跨った。
すぐに自転車を転がし始める。それと同時に雅が自転車と並走。
「大変だな」
「誰のせいだよ!」
鋭い目つきで睨んで来る雅をスルーし、ひたすら漕ぎ続ける。
「……ねぇ? お兄ちゃん?」
不意に望が俺を呼んだ。
「何だ?」
「なんか、後ろから見て分かったけど……お兄ちゃんにそのリボン、すごく似合ってる」
「……だから、困ってんだろうが」
きっと、博麗のリボンは風になびいているはずだ。博麗のリボンは綺麗な紅なのでそれはとても美しく見えるだろう。
(霊夢も飛んでる時、バタバタさせてるからな)
しかも、俺の場合、下の方(引っ張るとリボンが解けるあそこ)が余っているため、より一層、綺麗に見えるはずだ。
「あ、本当……綺麗」
「雅だけ今晩のおかずはおからな」
「何でっ!?」
本当にこいつは空気が読めない。
「あ、悟だ!」
突然、奏楽が叫ぶ。前を見るといつものところで悟が待っていた。
(……さぁ、ここからだ)
最初にして最難関の試練。悟にこのリボンを見られることだ。
悟は東方を知っている。もちろん、霊夢のことも知っている。つまり、このリボンが『博麗霊夢の紅いリボン』と類似していることにも気付いてしまうのだ。
「悟ー! おはよー!」
手をブンブンと振りながら奏楽が悟に挨拶した。そのせいで前が全く見えず、自転車の運転が不安定になったが。
「おはよう! 奏楽ちゃん、危ないから止まるまで大人しくして……は?」
最初は奏楽を見て苦笑していた悟だったが俺に(特に頭のリボンに)気付いた途端、目を点にさせた。
「お、おはよ……」
自転車を停め、俺はおそるおそる挨拶する。急に恥ずかしくなって一瞬だけ俯いてしまったが何とか、顔を上げて悟の顔を見ながら言えた。
「うわぁ、上目使いだよ。望!」
「あちゃ……お兄ちゃん、涙目だよ」
後ろで高校生共が何か言っているが今の俺はそれどころではなかった。恥ずかしさと不安で心が押し潰されそうだったのだ。
「……響」
「な、何?」
悟はいつもより真剣な眼差しになり、俺を見て来る。羞恥心で顔が真っ赤になったのが手に取るようにわかった。
「似合ってるぞ」
「っ!? う、うるせー!!」
「ごふっ……」
我慢の限界が来て俺は思わず、雅を殴ってしまった。望によるとその時、俺の拳から薄っすらと黄色いオーラが漏れていたらしい。南無三。
余談だが、望たちによるとこの時の響は悟のために慣れないオシャレをして来たが、やっぱり恥ずかしくて泣きそうになり、我慢の限界で思わず、手が出ちゃった(殴られたのは雅だが)ツンデレにしか見えなかったそうだ。
「いや~! 吃驚したよ! まさか、響が女の子のリボンを付けて来るなんて!」
隣で自転車を漕ぎながら悟が言う。望と雅は通っている高校に向かうために別れ、奏楽は小学校まで送った。つまり、二人きりである。
「全く……珍しく真剣な目だったから何事かと思ったぞ」
まだ、顔が火照っている俺は必死にペダルをこいで頬に冷たい風を当てていた。
「それは悪かったって! でも、本当に似合ってた」
「お前も殴られたいか?」
「い、いや……遠慮しておくよ」
俺に殴られた雅の頭部が近くにあった塀に埋まったのを思い出したのか悟は青ざめていた。
「お前……本当に強くなったな。前まであんな怪力じゃなかったろ?」
「え? あ、あれはあれだよ。普段から殴り慣れてるから吹っ飛びやすかったんだよ」
事実である。
「お前、雅ちゃんいじめてるのか?」
「違う。あいつがバカなだけだ」
事実である。
「……それが本当ならお前、雅ちゃんから相当、信頼されてるな」
「は?」
「だって、あんな理不尽に殴られても雅ちゃんは文句を言っただけだろ? 普通ならあれだけじゃすまないぞ?」
「そうかなぁ?」
ストレスを解消するために意味もなく殴ったことが何度もあるのでもう慣れただけだと思っていた。
「ああ、それだけのことをお前は雅ちゃんにしてあげた……いや、今もしてあげてるのかもな」
「……俺にはさっぱりだよ」
例え、俺たちが契約で結ばれていても相手の気持ちまでは理解できない。それは仮式でも式神でも同じだ。
「まぁ……今はこれから起きる騒動をどうにかしないと、な」
「……だな」
俺たちは二人同時にため息を吐いた。