「雅いいいいいいいいいいいッッッ!!!」
遠ざかる雅に向かって手を伸ばす。その手には傷はない。雅のおかげで体の傷はほぼ治っていたのだ。
俺の悲鳴が聞こえたのか、雅が顔だけ振り返って俺を見た。そして、微笑む。
それはまるで、最期の別れのような――不吉な笑み。今、俺はそんな微笑みは見たくなかった。
「駄目だ、駄目っ! 駄目だあああああ!!」
飛びたくても霊力は空っぽ。魔力、神力も同様。妖力などもってのほか。闇は使えない。コスプレもできない。指輪も使えない。何か、何かないか? この状況で雅を助ける方法は。何か、何かあるはずだ。いつだって俺はそうやってピンチをチャンスに変えて来た。今回だって何か思いつくはずだ。『ゾーン』を使っているからまだ、考える時間はある。
だから、火柱。止まってくれ。やめろ。雅を燃やすな。『ゾーン』の中では俺の思考以外、全て時間が止まって見えるほどゆっくりになるのだ。だから、動くな。雅の足を、腿を、腰を、腹を、手を、腕を、胸を、首を、顔を、頭を、命を燃やすな。やめろ。やめてくれ。
嘘だ。目の前で起きている光景はきっと、ガドラ(雅が叫んでいたのでやっと、名前がわかった)が妖力を使って見せた幻だ。だって、雅が火柱に飲み込まれるはずなんてない。俺がきっと、何とかしているはずだから。俺が、絶対に、守るのだから。
「ああああああああああああああああああああああッ!!」
ならば、俺はどうして叫んでいるのだ? 絶叫しているのだ? 泣いているのだ? 俺が助けるのなら、叫ぶな。絶叫するな。泣くな。俺は何の為にここに来たと思っているのだ。もちろん、雅を助けるためだ。なのに、なんだ。この景色は? 結果は? 過ちは?
何故、火柱が消え、その中から黒こげの死体が落ちて来るのだ?
「があああああどおおおおおらああああああああああああ!!!!」
絶叫のあまり、喉から血が噴き出る。力の入らない四肢から冷気が漏れる。目から涙が零れる。全て、あいつの――ガドラのせいだ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
【ほら、ワタシを使いなよ】
更に冷気が溢れた。まるで、俺の怒りに反応するように。
【使って滅ぼしなよ。憎む相手はガドラ】
内なる声が俺を誘う。
【ガドラは大切な家族を殺した。殺す理由はそれで十分】
地面が一気に氷漬けになる。
「な、何だッ?!」
さすがのガドラも驚いていた。俺が殺すべき敵。
【開放しなよ。ワタシはいつでも、主の味方だよ】
拳がとうとう、凍った。でも、動く。動かす度にパキパキと音を立てながら壊れ、また凍る。
「お、お前……何が、一体?」
敵が俺を見て目を見開いている。殺すなら今だ。
【そう、殺せ。そして、憎め。その感情がワタシに力をくれる。主も強くなる】
一歩、踏み出す。踏み出した場所から氷が飛び出した。もう一歩。つららのように尖った氷が地面から突き出る。
【感情に任せろ。大丈夫。ワタシの言う通りにすれば大丈夫】
(コロス。あいつを、殺す。雅を殺したあいつを――ガドラを――殺す。殺す。殺す)
視界に敵しか入らなくなる。俺を見て後ずさっている敵。あれ? 敵の名前って何だっけ? いいか、どうせ殺すのだから。
――駄目ですッ!! 雅はまだ、生きています!!
でも、あんなに黒こげなんだ。死んでるよ。
――見てください。まだ、息をしています!! 早く!! 貴方なら雅を救えます!!
駄目だ。俺はあいつを殺さないと駄目なんだ。
――いいから、雅を見て!! 響!!
「み……やび」
視界の端に映る雅を見た。
「あ……」
本当に微かだが、まだ胸が動いている。
「雅っ!!」
体から発せられていた冷気が消え、俺は雅の元に駆け寄った。細心の注意を払って雅を起こす。
「雅! 目を開けてくれ!! 雅ッ!!」
「ぁ……が……あ」
もう、顔すらもわからないほど大やけどを負っている雅の口がパクパクと動くが声が聞こえない。声帯がやられているのだ。
「喋るなッ! 今、お前に地力を送って……」
そこまで言って俺は気付いた。雅はもう、俺の正規の仮式ではないのだ。スペルを破ったから。それに正規の仮式だとしても俺には地力が――。
「雅……」
ギュッと雅の体を抱き寄せる。
「きょ、う……」
「雅っ!?」
俺の名前を呼んだ雅の顔を見た。そして、ゆっくりと口を動かす。
『あ、り、が、と、う――ば、い、ば、い』
それを最期に雅は目を閉じて、力を抜いた。いや、死んだ。
「あ……ああ……」
『ゾーン』
苦し紛れに発動。これがラストチャンス。
雅を救うための、家族を救うための、守るための最後の思考。
(何か、あるはずなんだ……きっと、いや絶対にあるはずなんだ。違う。あるはずなんかじゃない。ある。俺ならできる)
頭の中を穿るように記憶を辿る。答えを探すのだ。
答えは、あった。それも、雅が今までずっと望んで来た物だ。俺はいつもそれを拒んでいた。
――でも、雅を救うためならそんな物、いつでも受け入れてやる。
「『我、この者を式神とし一生、配下に置く事をここに契る』」
そっと、呟く。胸が仄かに光る。
「雅、生きろッ!」
そう言いながら、俺は――俺たちは口付けを交わした。
「……あーあ、まさかこんな形で夢が叶うなんて」
「仕方ないだろ? こうするしかなかったんだから」
「本当に躊躇なく、キスしたね」
「ああ」
「何で?」
「お前を救うため」
「……じゃあ、何で今まで拒んで来たの?」
「恥ずかしいから」
「……乙女か」
「俺はれっきとした男だ」
「……まぁ、いいけど」
「おい」
「何?」
「一緒にガドラをぶちのめしてくれないか?」
「……理由は?」
「俺の家族を――雅を傷つけたから」
「ふーん。でも、違う」
「何が?」
「頼み方」
「どう違うんだ?」
「決まってるでしょ? 命令しなさいよ」
「……雅」
「はい」
「ガドラを一緒にぶちのめすぞ」
「仰せのままに」
「じゃあ、行くぞ。“式神”」
「ええ、“ご主人様”」
「う、嘘だろ……」
ガドラは目の前の光景に唖然としていた。その口調も軽いものではない。
そもそも、ガドラは軽い口調の時はマジギレモードなのだ。雅はそれを本気モードと勘違いしていたが、ガドラは今の口調――つまり、標準語の時が本気モードなのだ。
そんな本気のガドラは一体、何を見て目を見開いていたのか?
「さて……何倍返しで返してやろうかしら?」
「決まってる。無限大倍だ」
「了解」
響がキスをした瞬間、雅の体が輝いて傷が嘘のようになくなった。そのまま、目を開けて響に微笑んだ後、ガドラを睨んだ。そりゃ、誰でも驚くだろう。瀕死だった奴が全快になって立ち上がったのだから。
「ガドラ。私は絶対に負けない。響が、皆が、私を家族だって言ってくれる間は」
14枚の黒い板を背中に雅が言った。
「私は、お前を殺す。もう、それで全てを終わらせる。響、お願い」
「……スペルカード」
さっきまでフラフラだった響もしっかりとその足で立っていた。そして、その手には1枚のスペルカード。
前、雅が破ったスペルの片割れだ。そのカードに力を込めると光を放ち、そこに刻まれていた文字を変化させる。
『仮契約』の3文字が『契約』に――。
「契約『音無 雅』!!」
宣言した刹那、雅の14枚の翼が1枚、また1枚と重なって行く。最終的に両翼2枚になった。そして、背中にくっ付いた後、皹。板に亀裂が走り、割れる。その中から響が半吸血鬼化した時とはまた、違う形の漆黒の翼が現れた。その形は機械のように角ばっており、鳥のそれとは印象が違う。まるで、黒い板に黒い板を重ね、翼の形を象ったような、そんな翼。
「いい? ガドラ、今までの私とは全く、違うから注意して」
その翼を動かして頷いた雅はそっと、ガドラに言った。
雅、覚醒。