「……咲?」
私はそっと咲の名前を呼ぶ。返事はない。
「咲?」
返事はない。
「うがああああああああああああああ!!」
妖怪が絶叫する。咲は動かない。
「咲?」
動かない。
(待って……そんな)
キョウは桔梗にまかせて私は咲の傍に駆け寄った。
「咲? ねぇ? 咲ってば?」
咲の胸で泥団子が潰れている。着物が泥だらけだ。
でも、不思議と顔には泥が付いていない。そりゃそうだ。だって――。
――その顔そのものがないのだから。
「さ、咲いいいいいいいいいいいいいい!!!」
顔を上げて辺りを見渡すと咲の顔が転がっていた。どうやら、妖怪の攻撃を受けた場所が首だったようで千切れ飛んでしまったようだ。
「嘘、いや……嫌ぁ……嫌ああああああああああああああ!!」
守るって決めたのに。あの子たちを誰一人、妖怪に殺させはしないって決めたのに。それがお姉ちゃんに対する最後の反抗だったのに。どうして、どうして、どうして?
「こいしさん! 危ない!!」
背後から桔梗の悲鳴が聞こえ、慌てて咲の体を抱いて前に飛んだ。
「咲! 起きて! ねぇ!!」
首のない体に声をかける。返事はない。
「があああ!! がああああああああ!!」
それから何度も妖怪の攻撃を躱す。その途中で咲の首を拾った。何とか、くっ付けようとするけど、くっ付かない。
「お願い……お願いだから!」
それに夢中になっていたため、足元が疎かになっていた。私はくぼみに足を引っ掛けて転んでしまう。咲を守るために背中から落ちる。
「がっ……」
受け身が取れず、背中を激痛が走った。
「があああああああああああああああああああ!!」
それをチャンスとちゃんと理解出来たようで妖怪が4つの拳で同時に攻撃して来た。さすがにこれをまともに喰らったら妖怪の私でも一溜りもない。
「……はぁ」
もう少しで拳が私に衝突すると言うところで、そんなため息が聞こえた。
「……あれ?」
気が付くと妖怪がいた場所からかなり離れた場所に座り込んでいた。
「全く……お願いだから世話を焼かせないでよ」
「……キョウ?」
声がした方を見るとキョウが呆れた顔で私を見ているのに気が付く。
「マスター?」
キョウの背中から桔梗の声が聞こえる。
「ゴメン……今、私はキョウじゃないわ。でも、緊急事態でしょ? 桔梗、力を貸して」
「……はい、わかりました。好きなように使ってください」
「ありがとう。こいし、離れてて。危ないから」
「で、でも!」
さっき、キョウは背中から木に叩き付けられた。かなりダメージが残っているはず。
「大丈夫」
「……うん」
しかし、止めなかった。いや、止められなかった。
(キョウじゃないみたい……)
そう思いながら木の影に隠れる。それを見ていた彼はすぐに桔梗を翼に変形させて、手に鎌を持った。どうやら、私を助ける前に拾っておいたらしい。
「さて……妖怪さん、よくもキョウをいじめてくれたじゃない」
「がああああああああ!!」
「そうだったわね。貴方に答える脳みそはなかったわ」
そう言って、キョウが目を閉じた。
「桔梗。少しの間、負荷かけちゃうけどゴメンね」
「大丈夫です。それよりもマスターの体にあまり、無茶はさせないでくださいね?」
「それこそ大丈夫よ。ただ、私はキョウの力を借りるだけ」
そんな会話が聞こえる。その間に妖怪がキョウに向かって突進して来ていた。
「きょ、キョウ!」
妖怪の拳がキョウに迫る。私は悲鳴を上げてしまった。
「――」
だが、キョウに妖怪の拳は届かなかった。それは当たり前だった。だって、キョウがその場から消えてしまったのだから。
「ッ!?」
そして、その次の瞬間、妖怪の周りに20人を超えるキョウがほぼ同時に出現。分身かと思ったが、全てのキョウから魔力を感じるので全部、本物だ。
そんな20人のキョウが妖怪の体中を鎌で傷つける。妖怪が痛みで叫ぶ。出鱈目に拳を振るうが、またキョウは消えてしまった。
(何がどうなって……)
今度は40人を超えている。鎌で攻撃した後、また消える。その後すぐ、大勢のキョウが現れ、妖怪を痛めつけた。
そんな地獄のような攻撃を続けて――10分。
妖怪はもう、原型を留めていなかった。そこにはただ、肉の塊しか残っていない。
「キョウ?」
その肉塊を見ていた彼に声をかける。
「……」
振り返ったキョウの顔に返り血がこびりついていた。すでに乾いている。
(こ、怖い……)
子供のはずなのにそこら辺の子供とは何かが違う。まるで、大人が子供の姿になってしまったような。少し前のキョウからは感じられなかった違和感。
「後は、お願い、ね」
私が恐怖していると少しだけ微笑んだキョウはその場に崩れ落ちた。
「キョウ?!」
慌てて駆け寄ると気絶しているようで子供のような寝顔で彼は寝ていた。
「何が……どうなってるの?」
それを見てただ、困惑するしかない私だった。
「……あれ? そう言えば、桔梗は?」
確か、キョウの翼になっていたはずだ。しかし、今はキョウに翼はない。
――……ちゃ。
「ん?」
何か音がする。そちらを見ると私が先ほどまで隠れていた方だ。
「……欲しい」
「桔梗?」
キョウを背負ってそこに近づいていると桔梗の声が聞こえる。
――ぐ……ゃ。
そして、不思議な音もどんどん、大きくなっていった。
(……待って)
この音は聞いたことがある。
「欲しい……この――ダが欲しい」
――ぐ……ちゃ。
「桔梗!?」
その音の正体に気付いた私は木の影を覗きこんだ。
「欲しい。この体が欲しい。食べたい。食べたい。欲しい」
――ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
そこで、桔梗が咲の死体を食べていた。
「き、桔梗!?」
キョウを落として、桔梗を掴んで咲から遠ざける。
「……え?」
「桔梗! ねぇ!!」
「こ、いしさん?」
「何やってるの!?」
「え? 何って……は?」
桔梗は本当に何をしていたのかわかっていないようで咲の死体を見て声を漏らした。
「わ、私……翼になって……マスターと一緒に妖怪を攻撃して……あれ? 何してるんですか……こんな血だらけで……」
自分の口元から垂れる血を手で拭ってそれを凝視する。
「嘘……嘘嘘嘘嘘!? 私、何してるんですか!?」
「ちょ、ちょっと桔梗!?」
「ああああああ!! 私、私、私!! ぁ、あああ、ああああああ!!」
私の腕の中で桔梗が暴れる。それを必死に押さえつけた。
(何がどうなってるの……)
肉塊になった妖怪。もうほとんど残っていない咲の死体。気絶しているキョウ。半狂乱の桔梗。
もう、私には、何が起こっているのか、考えることすら、出来なかった。
「……」
目を開けると霊夢とリョウが俺の方を見て呆然としていた。
(成功、か)
俺の腕の中で眠っているこいしを見て安堵のため息を吐いた。本当に『シンクロ』する時はひやひやする。
「霊夢、こいしを頼む」
「ええ、わかったわ」
こいしを霊夢に手渡して改めて自分の姿を観察した。
頭には二股に分かれた黒い帽子。下はふんわりと膨らんだ緑色のズボン。上はだぼだぼの黄色いシャツ。両手には真っ白な手袋。靴は尖がっている。そして、顔に付いていたお面を手に取ってそれを見るとまるで、ピエロのようなお面だった。
(いや、ようなじゃなくて本当にピエロなのか)
それを確認し、背中を見てみると白い純白の翼が生えていた。すでに『フルシンクロ』状態なのだ。
「シンクロしたか……」
「ああ、さて、ここからだ。リョウ」
「……」
少し嫌な顔をしたリョウは黒い刀を構える。腰にお面を引っ掛けるひもがあったのでそこにお面を付けて二股に分かれた帽子を叩いた。
「戯冠『クラウンパーティー』!」
帽子の右の先っぽからステッキが、左からシルクハットが出て来た。右手のステッキでシルクハットの唾を叩くとそこから可愛らしい巨大なドラゴンの首が飛び出てリョウを襲う。
「何だあああ!?」
あまりにも突然の出来事でリョウが悲鳴を上げた。刀でドラゴンの牙を受け止め、黒いツルでその首を刎ねる。しかし、ドラゴンは止まらない。
「くそったれ!!」
更にツルを伸ばしてドラゴンを弾き飛ばす。すかさず、ステッキでシルクハットを叩く。今度は真っ黒なハトが2羽、飛び出す。そのハトの嘴はドリルのように高速回転していた。
すかさず、両手の刀でハトの嘴を受け流し今度は蹴ってハトを吹き飛ばす。
「もう一丁!」
何だか楽しくなってもう一回、シルクハットを叩くと大きな宝箱が出て来る。その瞬間、ステッキとシルクハットが消えてしまった。
「何だこれ?」
両手で抱えないと持てないほど巨大な宝箱を見ているとその間にリョウが迫って来る。
「ふざけるのも大概にしろっ!」
「うわっ!」
不意打ち気味だったので思わず、宝箱を開けてしまった。そして、宝箱から大きなグローブが飛び出し、リョウに直撃する。
「ガッ!?」
グローブと正面衝突したリョウはかなり遠い所まで飛ばされてしまった。
「あ、ビックリ箱だったのか」
ビヨンビヨンと跳ね続けるグローブ。ビックリ箱を捨てて今度はズボンを叩いてスペルを唱えた。
「演蹴『ピエロステップ』!」
尖がり靴が光り輝いて一気にリョウに接近する。
「速いッ!?」
目を見開くリョウだったが、すぐに刀を構えた。接近している間に腰のお面を右手に持つ。
「シッ!」
もう少しで懐に潜り込めそうなところでリョウが刀を振るう。このままでは当たる。だが――。
「なっ!?」
リョウが斬ったのは俺が作り出した幻だった。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
硬直している彼の傍まで近づいてそっと右手のお面をリョウの顔に付けてスペルを宣言する。
「演目『奴隷道化師の悪夢』」
その刹那、お面からドス黒いオーラが漏れて、リョウの顔を覆った。