「……全く、突然どうしたの? 紫」
悟が博麗神社の鳥居を越えて消えてから長い沈黙が流れた。しかし、それを霊夢がため息交じりの問いかけで破る。
「仕方ないじゃない。まさか、あの子がこっちに来るなんて思わなかったのよ。対処が遅れたわ」
「え? 紫さんが影野さんをこちらに呼んだのではないのですか?」
紫の答えを聞いて早苗が首を傾げた。
「どうしてそう思うの?」
「だって、影野さん言っていましたよ? スキマに落とされてこちらに来たって」
「……私がわざわざ、響の秘密を彼にばらすようなことをすると思う?」
確かに、悟をこちらに呼んでしまったら秘密がばれてしまう可能性がある。ましてや、悟は東方が好きで幻想郷について知っているのだ。紫がこちらに悟を連れて来るとは考えにくい。
「じゃあ、誰が?」
「それがわからないのよ。調べてみたら彼がスキマに落とされた時、その周囲には人払いの結界が張ってあったみたいだし……」
「痕跡は?」
霊夢の短い質問に紫は首を振った。なかったらしい。
「ところで……いつまでそんな恰好でいるつもり?」
紫から視線を外して霊夢が“俺”に話しかける。
「……はぁ。疲れたぁ」
そこで、緊張の糸が切れて思わず、境内に寝転がってしまう。
「え……ええ? 猫が喋った?」
そんな俺を見て早苗が目を丸くする。まだ気付いていないようだ。
「お前……気付けよ。響だよ」
「……いやいや。何で、響ちゃんが黒猫になってるんですか?」
「前に話しただろ。地底で魂に猫が入り込んだって。だから、こうやって猫に擬態できるようになったんだよ」
何故か、猫は白猫なのに俺が猫の姿になると黒猫になるのはわからない。しかも、背中には小さな翼が生えるし、尻尾に博麗のリボンが括り付けられている。自分でもよくわからないが、猫になろうとしたらこうなってしまったのだ。
「じゃ、じゃあ……ずっと?」
「ああ。さすがに悟の前に普通の姿で出たら一発でばれるからな。こうなった」
「吃驚したわよ。響が猫の姿になってるんだから」
「霊夢さんは気付いてたのですか?」
「気付かなかったのお前だけだ」
慧音ですらすぐに気付いた。しかも、俺の状況まで汲み取ってくれて色々と配慮してくれたのだ。今度、お菓子を持ってお礼を言わなければ。
「で、いつまで猫のままなの?」
口をパクパクして驚愕している早苗だったが、すぐに紫が聞いて来た。
「……今、猫の姿じゃん」
「ええ、そうね」
いきなり本題に入らずに前振りを入れる。紫も急かして来ることなく頷いてくれた。
「この姿になった時にさ。服は変わらなかったんだよね」
「……それってつまり?」
俺の言いたいことが分かって来たのか、顔を引き攣らせて霊夢が先を促す。
「今、俺全裸」
そう、俺は全裸なのだ。すっぽんぽんなのだ。
猫に変身したのはよかったものの、服までは変化させることが出来ず、いきなり目の前が真っ暗になった時は本当に驚いた。そして、自分の服から脱出した後、めちゃくちゃ落ち込んだ。それでも、悟の前に普通の姿で出るのはまずいので、我慢したのだ。
そのおかげで悟に秘密はばれなかったが、色々と失ってしまったような気がする。
「……ほら、早く神社の中で服、着て来なさい」
「……ありがと、霊夢」
その後、俺は急いで服を着るために神社の中へ入った。
「……」
ゆっくりと目を開けると目の前には見慣れた天井。
(俺の、家の寝室?)
体を起こすとやはり、寝室だった。だが、いつベッドに入ったのか覚えていない。
「おっと」
ベッドから降りると体に違和感を覚えて、バランスを崩してしまう。この感じは激しい運動をした後の疲労感に似ている。
「何だ?」
何とか立ち上がって窓から外を覗く。すでに真っ暗だった。部屋の明かりも点いていないので月の光だけがこの部屋の光源だ。
(確か、響と待ち合わせして……あれ?)
記憶を手繰ろうとしたが、そこで記憶が途切れていた。何も思い出せない。
「旦那様、目が覚めたのですね」
そこへ執事がやって来てそう呟いた。
「ああ……すまん。状況が飲み込めない。何があった?」
「はい。どうやら、旦那様は転倒したそうでその拍子に頭を強く打ち付けたそうなのです」
「そう……なのか?」
自分の記憶が曖昧であまり納得できなかった。
「医師の診断書を持って来ましょうか?」
「……いや、いい。ありがと」
「いえ。ですが、連絡をくださった響様には一言、何か言っておいた方が良いかと」
「響が連絡してくれたのか、わかった。後で……」
その時、俺は口を閉ざして硬直してしまう。
「旦那様?」
「……ちょっと、考え事をする。席を外してくれ」
「かしこまりました。では、何かあればお呼びください」
丁寧にお辞儀した執事は音を立てずに部屋を出て行く。
そして、俺の寝室に静寂が訪れた。
(待て……待てよ)
しかし、俺の心臓だけはそんな静寂とは逆に激しく鼓動を打っていた。
(どうして、響が執事に連絡出来た?)
俺に執事がいることを響に話していないのだ。だからこそ、響が執事に連絡を取ることはあり得ない。響ならば、自分の家に運んで看病するはずだ。
「いや」
もしかしたら、俺の携帯の着信履歴から執事の携帯番号を見つけて連絡した可能性もある。ベッドの横に置いてあった携帯を手に取って確認しようとした。
「……あれ?」
だが、携帯の電源は一切、着くことはなかった。
(壊れ、てるのか?)
どうやら、俺が転倒した時に携帯を下敷きにしてしまったようだ。画面に皹が入っているので間違いないだろう。
では、どうして響は俺の携帯の着信履歴を見ることが出来たのだろうか? この携帯は俺が転倒した時に壊れてしまった。それならば、響は携帯の着信履歴を見ることが出来ない。その時点で携帯が壊れてしまっているのだから。
「……」
おかしい。矛盾だらけだ。
思い出せ。何か、何か忘れているはずだ。
その時、月が雲に隠れたのか、月の光が差し込まなくなり、部屋が暗闇と言えるほど暗くなる。
――にゃー。
「ッ!?」
その暗闇の中で俺は黒猫の姿を見たような気がした。しかも、ただの黒猫ではない。小さな翼が生え、尻尾に紅いリボンを括りつけている黒猫だ。その黒猫は俺の方を見て一つ、鳴いた。
あまりにもあり得ない光景に動けずにいると月の光が再び、部屋へ差し込む。そして、それとほぼ同時に黒猫の姿はなくなった。
「何だ、今の……」
先ほどまで黒猫がいた場所に向かい、床に触れてみるが何もない。
(黒猫……暗闇……)
この二つの単語が引っ掛かる。
「よし」
とりあえず、部屋の中を暗くしてみようと、カーテンを閉めた。また、部屋が暗闇になる。
――にゃー。
「……黒猫」
すると、また黒猫が部屋の中に現れた。今度ははっきりと見える。
「お前は、何なんだ?」
――にゃー。
俺の問いかけに黒猫は気付く様子もなく、鳴いている。
「ん?」
その時、ふと周囲に視線を向けてみると不自然な点に気付いた。
「部屋が、暗くない?」
いや、違う。暗いのに視えるのだ。それこそ、明るい時以上に細部まで視える。
「……」
暗闇でも視える目。特徴的な黒猫。体の疲労。故障した携帯。矛盾だらけな現実。
「思い出すんじゃない。視るんだ」
思い出せないのであれば、視ればいい。探せばいい。見つければいい。
暗闇でも視える目を使えば、真実に辿り着けるような気がした。
(思い浮かべるのは、テレビの画面。その画面は真っ暗)
目を閉じて、テレビを思い浮かべる。そして、その真っ暗な画面に目を向けた。
しばらくすると画面に何かが浮き出て来る。
それは、黒猫だった。俺の頭の上でくつろいでいた。
その次に青い服を着た女性。
次は緑髪で特徴的な巫女服を着た少女。
最後に脇を露出させた巫女服を見事に着こなす少女だった。
その全てに見覚えがある。
「……そうか。わかったぞ」
見つけた。
そうだったのか。
全て、わかってしまった。
「……くそったれが」
目を開けて俺はベッドに背中から倒れ込む。
「響……お前、また変なことに巻き込まれてるのかよッ……」
俺の呟きに答えるようにまだそこに視える黒猫が一つだけ鳴いた。