「いやぁ、酷かったよ。家の周りには武装した奴らが何人も張り込んでた。それに、そいつら、かなり戦い慣れてる。住民に見つからないように行動してたから。後、響の部屋にこんな置き手紙が置いてあった」
偵察から戻って来た風花から件の手紙を貰う。その手紙は風花の字で書かれていた。置き手紙を持って行ってしまったら侵入したとばれてしまうため、書き写したのだろう。
音無 響。
お前の家族は預かった。
返して欲しかったら、大人しく私たちの前に姿を現せ。
もし、現れなかったらその時はお前の家族を殺す。
期限は設けない。気分次第だ。
以上。
「なるほど」
どうやら、音無妹たちはまだ生きているらしい。一先ず、安心だ。しかし――。
(この置き手紙……音無兄が見つからずに家に帰って来ることを想定して残したのか)
そうでなければ、こんな置き手紙など残さないだろう。音無兄の部屋に置いてあったのもその証拠だ。こっそり、部屋に戻って来ると推測していたに違いない。『私たちの前に姿を現せ』などまさにそうだ。
「どうする?」
思考を巡らせていると風花が腕を組んで問いかけて来た。戦闘になっても構わないと顔に書いてある。
「手紙は無視だ。向こうも保険として置いた物だろうし……俺たちは俺たちの出来ることをしよう」
「了解。でも、響は?」
そう言ってチラリと俺の部屋の方を見る。今、音無兄はベッドで寝ていることだろう。
「……知らん」
「種子から話は聞いたよ。全く、もう少し優しく教えてあげるってことは出来ないの? あれじゃ、ただ心を壊しただけじゃん」
「まさか倒れるとは思わなかったけど、あれぐらいやらなきゃ駄目なんだ。それほどあいつは自惚れてた」
「響の気持ち、リュウキが一番、わかるでしょ?」
「……だからこそ、あいつが気付くまで俺は何も言わない」
自分で気付かなければ意味がないのだ。自分で気付いて初めてあいつは前に進める。
(だから、早く気付けよ。馬鹿野郎)
俺はこのイラつきを手の中にあった紙を握ってくしゃくしゃにすることで抑えようとするが、くしゃりと紙の音が静かな廊下に響くだけで何も変わらなかった。
「……」
目を開けるとそこはもう見慣れた天井だった。
(……)
しかし、また目を瞑る。溜息を吐くことすら億劫だ。
「失礼しまーす……」
その時、ドアの方から種子の可愛らしい声が聞こえる。薄目で見ると種子が小さな土鍋が乗っているお盆を持ちながらドアの隙間からこちらの様子をうかがっていた。俺が寝ていると思ったのか、小さくため息を吐いて部屋に入って来る。
「響さん。ここにお粥、置いておきますね」
そして、机の上にお盆を置いてそう言った。念のために声に出したようだ。
「……ああ」
さすがに寝た振りをするのも悪いので掠れた声で返事をした。想像以上に声が低くて自分でも驚いてしまう。
「っ……お、起きてたんですか?」
真っ白な犬耳と尻尾をビクンと震わせて驚愕した種子は俺の方を見ながら質問して来る。
「ああ」
「そうですか。目が覚めてよかったです。大丈夫ですか?」
「熱の方はもうだいたい下がったよ」
「違います。心の方です」
種子の言葉に何も言い返せなかった。
今でも俺はこれからどうすればいいのかわからず、動けずにいた。どれほど時間が経ったのかさえわからないほど。
「……もう、放っておいてくれ」
今、こんなことをしている場合ではないのはわかっている。望たちを助けなければならない。しかし、俺が動けば皆は傷つく。それが怖くて動けないのだ。
「あ、あぅ」
俺に突き放されて種子は涙目になっておろおろし始めた。どうすればいいのかわからないらしい。だが、すぐに何かに気付いたような表情を浮かべて一つ、頷いた。
「少しだけ昔話をしましょうか」
そして、唐突に語り始める。まさか、話し出すとは思わなくて目を見開いて種子を見てしまった。
「私は妖怪です。ですが、自分が何のために産まれ、いつどこでどのように生きていたのか、知りません」
「それは、記憶喪失って奴か?」
俺の問いかけに彼女は頷いて口を開く。
「そうです。私には過去の記憶がありません。気付いた時には子犬の姿のまま、段ボールの中にいました。雨の日も風の日も私はずっと段ボールの中で待ち続けました」
「人間の姿になれるんだからなればよかっただろ」
そうすれば、段ボールの中で待ち続けることもなかっただろうに。
「何故かわかりませんが、私はそれをしませんでした。本能的に拒否していたようなのです。理由はさっぱりですが、多分過去にそれをして酷い目にあったのでしょう。そんな日々が続いたある日、ご主人が私を見つけました」
当時のことを思い出しているのか種子の頬は少しだけ緩んでいた。
「最初は犬の姿で拾われてそれをずっと隠して暮らしてました。でも、何か恩返しがしたくてご主人が学校に行ってる間に家事をやったりしてました」
「そんなことしたら柊が変に思うんじゃないのか?」
家に帰ると洗濯物が畳んであったり、茶碗が洗い終わっていたりしたら怪奇現象である。誰だって怪しむはずだ。
「ご主人も首を捻ってましたがどうでもよかったみたいです。あの頃のご主人は世界に興味がなさそうでしたから……」
目を伏せて悲しげに教えてくれる。あいつにも色々あったようだ。
「そんな日々が続いたある日、私がシャワーを浴びてると午後の授業がなくなって早く帰って来たご主人に覗かれてばれてしまったのです」
「……あいつ、何でそんなに女の裸を見る機会があるんだよ」
ライトノベルの主人公か。俺の呟きを聞いて種子は苦笑いを浮かべる。反論出来ないほど見て来たようだ。
「はは……えっと、私は正体がばれてしまった時、この暮らしも終わってしまうんだなと思いました。そりゃ、妖怪なんか家に置いておきたくないに決まってますから。でも、ご主人は違いました。私を受けて入れてくれたのです」
そう言いながら彼女は自分の胸に手を当てて微笑む。
「私は嬉しかったです。こんな妖怪の私を受けて入れてくれて。家族だって言ってくれて。その後すぐに風花さんとも出会って、一緒に暮らし始めて。この暮らしがずっと続けばいいって思ってました……ですが――」
「――あいつは【メア】に狙われている」
種子の言葉を俺が引き継いだ。
「はい。ご主人は『モノクロアイ』のせいで他の【メア】を引き付けやすい体質でした。それに、【メア】は他の【メア】を倒すと強くなれます。それは、相手が強ければ強いほど勝った時、より強くなれるのです。ご主人の『モノクロアイ』は補助系の能力としてとても強力です。だからこそ、ずっと狙われてました」
確かに、柊の『モノクロアイ』は強力だ。俺が知っているだけでも3つから4つの能力を持っている。『視界完全記憶能力』、『時間遅延』、『虚偽透視』、『引力』だったはずだ。特に『時間遅延』が厄介だろう。自分以外の時間を遅くして高速で動けるのだから相手の隙を突いて攻撃すれば大打撃を与えられるはずだ。それなら【メア】が襲って来ても――。
「……響さんはご主人なら他の【メア】を倒せると思ってますよね?」
ズバリと言い当てられて思わず、目を丸くしてしまう。そんな俺の様子を見て合っていたのがわかったのか、種子は小さく息を吐いてから首を横に振るった。
「思い出してください。ご主人の『モノクロアイ』の能力を」
「『視界完全記憶能力』、『時間遅延』、『虚偽透視』、『引力』だろ?」
「その通りです。今では『幻視』と『以心伝心』もあります。『視界完全記憶能力』は文字通り、視界に映った出来事を全て記憶に残せる能力。『時間遅延』は自分の周囲の時間を遅くしてその中を自由に動けます。そして、相手の嘘を見抜ける『虚偽透視』に神の奇跡すらも引き寄せてしまう『引力』。あと、力の流れが視える『幻視』に自分の考えを相手に伝える『以心伝心』。何か気付きませんか?」
そう言われて、数秒ほど思考を巡らせて俺は答えに行きついた。
「……攻撃手段が、ない?」
「……正解です」
種子の小さな声は不思議と部屋の中に響いた。