「な、何!? 今の!?」
「わ、わかりません!」
僕が図書館で魔導書を読んでいたらすごい音がした。パチュリーさんも小悪魔さんも慌てている。
「も、もしかして! 小悪魔! レミィの所に確認しに行ってきて!」
「は、はい!」
パチュリーさんの指示通り、小悪魔さんが図書館から飛び出した。
「あ、あの? 何が、起きてるんですか?」
「……レミィの妹のフランは知っているわね?」
「はい」
「多分、脱走したのよ。貴方を探しに」
「ぼ、僕ですか!?」
驚いて本を落とす。
「そうよ。そうとしか考えられない。逃げなさい!」
「え?」
意味が分からなかった。僕を探しに来ているのなら会えばいいだけの事ではないのだろうか。
「きっと、殺されるわ!」
「こ、殺される?」
パチュリーさんが口を開こうとした時、図書館のドアが吹き飛ぶ。
「う、うわっ!?」
暴風に煽られ、僕は椅子から転げ落ちる。
「き、来た! 早く、逃げなさい! 私が時間を稼ぐから!」
パチュリーさんが魔導書を開きながら叫ぶ。
「ニガさナイよ?」
ドアの方からフランさんの声がした。
「っ!?」
紅いスカート。枯れ木に七色の結晶がくっついたような羽。フリルが付いた帽子。目は紅く、犬歯は伸びて少し口から出ている。だが、目が虚ろで口元はニタニタと笑っていた。
「ふ、フランさん?」
「そノコえ……キょウ?」
どうやら、転げ落ちた事によって床に座っている状態の僕を机が陰になってフランさんから見えていないらしい。こちらを見ずに呟いていた。そして、膝を折って姿勢を低くし目で僕を捉える。
「みーツけタ……」
「ッ!?」
そのセリフを聞いた瞬間、背中にゾクッと悪寒が走った。レミリアさんとはまた、違う悪寒。幼稚な頭でも理解出来た。殺気だ。
「早く!」
「は、はい!」
パチュリーさんに急かされ、慌てて立ち上がる。
「ニがさナイってバ」
「貴女の相手は私よ!」
そう言うとパチュリーさんの頭上に巨大な炎の弾が出現。
「……」
炎の弾を飛ばす前にフランさんは右手を前に突き出し、ギュッと握った。ただそれだけで――。
「きゃあっ!?」
炎の弾が破裂しパチュリーさんを吹き飛ばし、残骸が図書館に降り注ぐ。
「ぱ、パチュリーさん!?」
地面に倒れたままのパチュリーさんに向けて叫ぶ。しかし、返事がない。どうやら、気を失っているようだ。
「つかマえタ♪」
その隙にフランさんが僕の右腕を掴む。
「う、うあああああああああああああああああっ!?」
だが、あまりにも握力が強すぎて腕が潰れた。骨は砕け、血が勢いよく噴き出す。あまりの痛みに絶叫し、気絶しそうになる。しかし、痛みで気絶出来なかった。
「あ、あぐッ……」
上手く呼吸が出来ない。意志に反して涙が零れる。足に力が入らず、膝から崩れ落ちた。
「ン? ドうしタノ?」
ニタニタと笑いながらフランさんが僕の顔を覗き見る。
「ナイてるノ?」
「ぅ、あ……」
声を出そうとしたが掠れた。
「ワたシニ、あいタクナかッタ?」
声が出ないので首を横に振った。だが、フランさんはその仕草を見ていなかったようで眉間にしわを寄せる。
「どうシテッ! ドウして、きテクれなカッタ!?」
ボロボロの僕の右腕を握る力が強くなった。
「ぐ、ぐあああああああああっ!?」
千切れた皮膚の合間から中の肉が顔を出す。目の前が霞んで来た。
「ナにも、イワなイんダ……じャア、こワれチャえ」
「こっちです!」
小悪魔の案内で図書館に駆け込む。
(こんな運命、知らないわ!)
2か月前ぐらいにフランが部屋を脱出する運命を見た。その運命では私の所に来て攻撃して来るはずだった。だが、フランは図書館にいるらしい。どういう事なのかさっぱりわからない。
(もしかして……彼の仕業?)
実はキョウがこの紅魔館に来る運命なんてなかった。私はそれを深く考えずに流した。偶にはこういう事もあると思っての事だ。
「何が起きてるって言うの?」
イライラしながら壊れた図書館のドアを潜る。
「ぱ、パチュリー様!」
図書館に入ってまず、地面に伏したパチェを見つけた。小悪魔は慌てて駆け寄る。
「……どう?」
「き、気絶しているようですが外傷はないようです」
「そう、よかっ……っ!?」
小悪魔の言葉に安堵の溜息を吐いた刹那、驚愕し目を見開いた。
「壊れちゃった……壊れちゃったああああああ!?」
わんわん泣くフランと血だらけで床に転がる瀕死のキョウがいた。フランの頬にはキョウの血と思われる赤い液体が付着している。返り血だ。
「ふ、フラン?」
信じられないのはフランが泣いている事。狂気に飲み込まれていたのなら、今頃キョウを消滅させていてもおかしくない。それなのに瀕死とは言え、息をしている。
「お、お姉様……どうしよう。どうしよう!!」
私に気付いたフランはポロポロと涙を流しながら抱き着いてきた。
「キョウが……キョウが……」
「落ち着きなさい」
フランを抱えながらキョウの様子を伺う。右腕は潰れ、左足は足首から下がなくなっていて右足は膝からあり得ない方向へ曲がっている。更に腹からどくどくと血が噴き出していた。フランの右腕が血だらけなので、貫通させたらしい。目は虚ろで口からも血が流れている。どんどん血の海が広がって行く。傷からしても流れた血の量からしても、もう助からない。
「フラン? もう、キョウは――」
「そ、そうだ!」
それを告げようとした矢先、私から離れてキョウの傍に座るフラン。
「何を――」
「くっ……」
意味が分からず、質問しようとしたがその前にフランが自分の人差し指を噛み千切る。指から溢れ出た血がキョウの血と混ざった。
「な、何やってるのっ!?」
「血を……血を飲ませるの!」
キョウの口を無理やり開けながらフランが叫ぶ。
「血?」
「うん! キョウが最後に読んでくれた物語で女の吸血鬼が瀕死の人間の男に血を飲ませて助けようとしてた!」
血がだらだらと流れている人差し指をキョウの口へ突っ込む為に右手を構える。
「ま、待ちなさい!」
それをフランの右手首を掴んで阻止した。
「は、離して! 早くしないとキョウが!」
「その話、私の事なの!」
「……え?」
抵抗する事をやめ、こちらを見るフラン。
「私が……パチェに頼んだの。もしかしたら、フランが人間に恋するかもしれないから私の過去を物語にしてくれって……あの、苦しみを味わって欲しくないから」
しばらく、沈黙。
「そ、そうよ……」
その沈黙を破ったのはパチェだった。小悪魔に支えながら苦しそうに胸を押さえている。喘息の発作が起きているのかもしれない。
「丁度、私とレミィが出会った頃の事よ。レミィは人間の男に恋をしていた。でも、吸血鬼と人間。寿命が違いすぎる。それをわかってもらう為に私はあの子にレミィの物語をおすすめしたの」
パチェがキョウを横目で盗み見て小悪魔に手伝ってもらいながら近づき、治癒魔法をかけ始めた。時間を稼ぐつもりなのだ。きちんとフランが理解する時間を――。
「こ、恋?」
フランが首を傾げながら私に質問する。
「貴女自身では気付いてないでしょうけど……キョウに会えなくて寂しかった?」
「……うん」
「辛かった?」
「うん」
「話したかった?」
「うん!」
「キョウの顔を見てみたかった?」
「うん!!」
「それが恋よ」
「これが……恋」
胸に手を当てて呟く。幽閉されながらも心は成長していた。そろそろあの部屋から出してもいいかもしれない。
「じゃあ、なおさら!」
再び、フランがキョウの口へ人差し指を突っ込もうとする。
「貴女は忘れたの? あの物語の最後」
「っ!?」
私がそう言うとフランの指が急に震えだす。
「吸血鬼にされた彼の事はどうでもいいの? 彼は元々、外の世界の人。それもまだ5歳。吸血鬼になった彼は絶対に外の世界に帰れない。外の世界で待っている家族に永遠の別れを告げさせるつもり? 一生、お日様の下に出られない体にするつもり?」
「……」
フランは左手で震える右手を押さえるも震えは止まらない。
「私の時は……本人が拒否したから出来なかった。でも、貴女が恋した相手は死ぬ寸前で答えられない。だから、貴女が決めるの」
「わ、私が……」
「パチェ、後どれくらい持つ?」
「5分も持たないわ」
「ッ!?」
パチェの言葉にフランが体を震わせる。
「もう時間がないわ。早く決めなさい」
これは試練なのだ。フランがあの部屋から出られるかどうかの試練。キョウには悪いけどこれもフランの為なのだ。
「う、うわあああああああああ!!」
フランは絶叫しながら自分なりの答えを表す行動を取った。