着物を着た幼女の後ろをついて行くこと、数十分。時刻は2時を過ぎた。
「うんうん、ここがいいかな」
ヒマワリ神社の空き地で幼女は頷きながらくるりと俺の方を振り返る。重心を低くして構えた。
「ニシシ……そうやって気を張りすぎたら疲れちゃうよ? ほら、リラックスリラックス」
「妖力を撒き散らしてよく言うよ。これから戦おうって言ってるようなもんだろうが」
「シシ、そうなんだけどね。少しぐらい私との会話を楽しんでもいいじゃないか」
着物の袖で口元を隠しながら笑う幼女。それに対して俺は少しばかり焦っていた。
(どうして……気配がない?)
そう、この場所に着いてから幼女の気配を感じ取ることができなくなっていたのだ。目の前にいるのに気配だけがない。魔眼を発動しても目の前にいる幼女から一切の力を感じない。妖力は確かに感じるのに。
「おやおや? どうしたのかな? ずいぶん表情が強張ってるようだけど」
幼女はニヤリと笑いながら首を傾げる。やはり、何かの能力を使っているらしい。だが、俺には干渉系の能力は効かない。つまり、自分に対して使っているのだろう。気配を遮断する能力か、はたまたそれに類似した能力か。
「おっと、まずはこれを起動させないと駄目だったね。よいしょ」
そう言って彼女は着物の袖から機械のような物を取り出してスイッチを押した。すると、空き地を囲むように半透明のドームが展開させる。これには見覚えがあった。ドッペルゲンガーと戦った時に旧校舎を覆っていたあのドームだ。
「ニシシ。式神を呼ばれると面倒だからね。隔離させて貰ったよ」
「……」
まぁ、何となくこうなることは予想していた。それにこの幼女はあのドッペルゲンガーを送り込んで来た組織に属しているらしい。そうでなければこのドームを展開できた理由にはならない。なら、こいつらの目的は俺なのだろう。もしかしたら、こいつも人工的に作られた存在なのかもしれない。どうにかして『魂装』を当てれば俺の勝ちだ。
「シシ、これで誰にも邪魔されることなく“お前を殺せる”な」
「何?」
ドッペルゲンガーの時は俺を連れ去ろうとした。だからこそ、あのような作戦を考え付くことができたのだ。しかし、この幼女は俺を殺すと言った。何か状況が変わったのだろうか。
「ああ、お前はもう用なしなんだってさ。よかったな、もうストーカーされないぞ? 私に殺されるんだからな」
「用なしなら俺を殺す必要もないんじゃないか?」
「計画の邪魔になるらしい。私も詳しい話は知らんよ。まぁ、雑談はこれぐらいにしてそろそろ始めようじゃないか。殺し合い」
「……ああ」
頷きながら右手に鎌。左手に直剣を創造する。未だに彼女の気配を感じ取れないが、仕方ない。まずは小手調べだ。
「ニシシ。いいのか? そっちを見てて」
「え?」
「私はこっちだよ」
いきなり目の前にいる幼女の姿がぼやけたと思った刹那、俺の脇腹に凄まじい衝撃を激痛が走る。鮮血が舞い散る中、下を見ると幼女が笑いながら俺の脇腹から手を抜いた。あの一瞬で俺の懐に潜り込み、貫手で脇腹を貫かれたようだ。霊力を流して治しながら幼女から離れるため、後ろに跳ぶ。
「いらっしゃい」
「ガッ……」
だが、いつの間にか後ろに移動していた幼女が蹴りを放つ。回避することもできず、まともに背中に受けてしまった。蹴った衝撃で俺は吹き飛ばされ、鎌と直剣を落としてしまう。
『響、大丈夫!?』
(あ、ああ……霊双『ツインダガーテール』)
吸血鬼に返事をしながらスペルを使用する。少しだけふらつきながら立ち上がり、もう一度、鎌と直剣を創造した。
「ニシシ。ほらほら、おいで。遊んであげるよ」
よほど自信があるのか幼女は笑いながら俺を挑発する。さすがにそんな安い挑発には乗らないがどうやって攻めようか悩んでしまう。俺の魔眼でも追い付けないようなスピードで移動するのだ。無闇に突っ込んでも返り討ちにされる。ここは素直に青竜を憑依させた方がいいかもしれない。弥生がいないから『四神憑依』の効果も半減するが素のままでいるよりはマシだろう。確実に『魂装』を当てられる状況を作るまで持ちこたえれば。
『……青竜は弥生の方に行ってるぞ』
(……は?)
青竜は俺の魂と弥生の魂を行き来できる。そして、青竜が魂にいなければ『四神憑依』は不可能だ。いつもなら式神通信で弥生に連絡し、青竜に戻って来て貰えればいいのだが、このドームのせいで式神通信は使えない。つまり、『四神憑依』は使用不可、ということになる。
「来ないならこっちから行くよ」
翠炎の声に呆けていると幼女が突っ込んで来た。咄嗟に鎌を振るって牽制する。しかし、鎌が当たる直前で幼女の姿がスッと消えた。
「なっ」
鎌を空振り、バランスを崩してしまう。しかし、今度は魔眼が幼女を捉えていた。真上だ。2つの尾の先にある刃を真上にいる幼女に向かって伸ばす。
「残念」
幼女の声が聞こえた瞬間、左腕が飛んだ。いや、斬り飛ばされた。突然の激痛に思わず、膝を付いてしまう。そんな俺を見下ろしながら脇差を振るい、刃に付いた血を払う幼女。
(何だ……何が起きた?)
幼女は真上にいたはずなのに左腕を斬り飛ばされた。あの一瞬で真上から移動したのか。いや、ならば魔眼に何らかの反応があったはず。何かが引っ掛かる。ただ単純に速いだけじゃない。別の何かが。
思考を巡らせながら立ち上がり、ツインテールの右の尾で左腕を拾い上げた。その間、幼女が攻撃して来てもいいように身構えていたが意外にも彼女は何もして来なかった。それを不思議に思いながら左腕を傷口にくっ付けて治す。その瞬間、幼女の姿がまた消えた。咄嗟に右に跳ぶ。先ほどまで俺がいた場所を脇差が通り過ぎた。
(何なんだよ!)
ゴロゴロと地面を転がりながら鎌を振るい、斬撃を飛ばす。幼女は向かって来る斬撃を見て嗤った。そして、斬撃は――。
「ッ!?」
――幼女を捉えることなく通り過ぎた。最初からそこ幼女などいなかったと言わんばかりに。
「そう言うことか!」
速いのではない。“元々、そこにいなかったのだ”。あの幼女は気配を消すだけでなく、自分の姿を眩ませ、別の場所に自分の幻影を作っていた。だからこそ、俺は騙された。魔眼の反応は彼女自身ではなく、幻影が纏っていた妖力だったのだから。
(ならっ!)
「遅い」
いつの間にか後ろに回り込んでいた幼女が脇差で俺の背中を斬った。痛みで顔を歪ませるが、2つの尾を操作して脇差に絡ませる。だが、遅かったのか2つの尾は脇差を素通りした。霊力を背中に流しながら前にダイブする。次の瞬間、幼女の踵が地面を抉った。俺の頭を潰そうと踵落としを放ったのだろう。
『今だ、響!』
「ぐ、お、おおおおおおおおお!!」
(魂装『炎刀―翠炎―』!! 三刀『投げの炎』!)
体を回転させて逆さになりながら右手の翠色の刀を出現させて投げる。刀は柄から翠色の炎を噴出させ、スピードを上げて幼女の胸に向かって突き進む。幻影に惑わされるのならば相手が俺に攻撃して来るタイミング――つまり、実体を晒した時に攻撃すればいい。『三刀』は投げた後、加速し続ける技だ。踵を落としているこの状況ならば躱せないだろう。
「っ……へぇ?」
翠色の刀を見て幼女は目を見開き、感心したような表情を浮かべる。そして、炎刀が彼女の胸を貫いた。
「ガハッ……」
だが、それとほぼ同時に俺の鳩尾に幼女のつま先が突き刺さった。あまりの脚力に地面を2回ほどバウンドしてドームの壁に叩きつけられる。肋骨が粉々にされて上手く呼吸ができない。急いで霊力で再生させる。
「どう……して?」
確かに炎刀は彼女を捉えたはずだ。なのに、どうして彼女は俺を攻撃できた? 実体だと思っていたが、幻影だったのか? しかし、あの幼女は踵で地面を抉った。実体じゃなければありえない。
「ニシシ。混乱してるね」
フラフラしながら立ち上がると脇差を手にした幼女が笑いながら俺の前に立っていた。やはり、気配を感じ取れない。なら、実体なのか。それとも幻影なのか。わからない。
「シシ。このままお前を殺してもいいんだけど……それもつまらないなぁ。あ、そうだ。なら、タネを教えてあげよう。そうすれば少しは戦えるよね?」
「タネ、だと?」
何故、わざわざ俺が有利になるようなことをするのだ。こいつの目的は俺を殺すことなのに。余裕ぶっているのか?
「何、簡単な話さ。お前も気付いてると思うけど私は気配を消せるし、幻影を生み出せる。自分の姿だって見えなくできる。だから、お前は攻撃した直後に攻撃した。幻影ならお前に攻撃しても無意味だからな。幻影はただの幻。お前の攻撃も素通りするようにこっちからの攻撃もお前を素通りする。“ただの幻影ならな”」
そこで脇差を真上に投げる幼女。そして、彼女は自分の真横に幻影を生み出し、落ちて来た脇差を幻影が掴んだ。
「私は幻影にいつでもどこでも実体を与えることができる。いや……厳密に言えばこれは幻影ですらないんだけどね」
「幻影、じゃない?」
「ああ、これはただの“気配”さ。自分の姿を見えなくさせるのだって自分の気配を別の場所に移し、本体の気配をそこら辺の石ころと同じレベルまで小さくさせてるだけ。お前は道端に落ちてる石ころを一々目に捉えながら歩くか? しないだろ? それと同じ現象さ。つまり、見えなくなってるんじゃなくて……目に入らないように仕向けてるだけなんだよ」
ニシシ、と笑う2人の幼女。
「幻影だってそうさ。気配を濃くすれば“世界が勝手に勘違いする”。そこにいないのにいると思い、そこにいるのにいないと思う。さっきの踵落としだって幻影の気配を濃くした結果、勝手に地面が抉れただけ」
「まさか、お前の正体は……」
気配に関する能力を持っていて世界に干渉できるほどの強大な妖怪と言えば。
「ニシシ。気付いたかな。さぁ、続きと行こうじゃないか」
『妖怪の総大将』、ぬらりひょん。それが彼女の正体だ。