妖怪の総大将、ぬらりひょん。夕方時などにどこからともなく家に入り、お茶を
飲むなど自分の家のようにふるまう。また、それを家の者が見ても『この人はこの家の主』だと思ってしまうため、追い出すことができない。はたまた、その存在に気付かない。
そんな妖怪が目の前にいる。こちらを見てニタニタ笑っているのだ。思わず、生唾を飲んでしまう。おそらく、今まで戦って来た妖怪の中で最も強い。その証拠に俺はすでに何度も脇差で斬り付けられている。
「ニシシ。随分と顔が強張ってるじゃないか」
冷や汗を流していると彼女――ぬらりひょんは楽しそうに言った。その隣にもぬらりひょん。どちらが本物かわからない。そもそも2人とも本物ではない可能性もある。
「その様子だと私の能力名にも勘付いてるみたいだ。少しばかりヒントを与えすぎたか?いやはや、さすが『音無 響』と言ったところかな。お前さえよければ答え合わせといこうじゃないか」
余裕綽々。その言葉が一番適しているだろう。俺にヒントを与えたばかりか答え合わせまでするつもりらしい。それは自分の手の内を明かすと同じこと。だが、それでも彼女は勝利を確信している。それほど彼女の力が強大なのだ。
「……お前の能力は主に2つ」
しかし、それは俺にとって都合がいい。少しでも情報を得よう。
「1つは『気配を操る程度の能力』。これは自分の気配を消したり、他の場所に気配を移して自分の姿を認識させないようにする能力。お前が言ってた石ころの話がこれだ」
家に侵入したことに気付かない。そこにいることさえ気付かない。それがぬらりひょんである。
「あえて気配を濃くして威圧させることもできるけどね。まぁ、お前には通用しないから使わないけど。それでもう1つは?」
「……正直言って『気配を操る程度の能力』だけなら何とかなった。全方向に力を放てば当たるからな。でも、もう1つの能力が厄介だ」
気配を他の場所に移すことでそこにいるのに“いない”と世界に勘違いさせる。移した気配を濃くしていないのにそこに“いる”と世界に勘違いさせる。だからこそ、幻影が生まれ、幻影なのに実体がある。その能力は――。
「――『誤認させる程度の能力』」
見つかっても家の主だと思ってしまうから追い出せない。つまり、家の主だとその人に誤認させる。気配を消し、誤認させ、自由に過ごす。ひょんと現れ、ぬらりと消える。だからこそ、“ぬらりひょん”。掴みどころのない妖怪。
「ご名答。でも、まだ疑問に思ってることがあるみたいだ。ついでにそれも教えるから何でも聞きなよ」
「……確かにお前の能力はぬらりひょんの言い伝えに沿ったものだ。その点に関しては俺も合ってると思う。ただ、どうして人工妖怪であるお前がそこまで強力な力を使える? ぬらりひょんでもお前はどこまで行っても偽物だ。偽物が……いや、本物でもここまで強力な能力を使えるとは思えない」
そう、あまりにも強すぎるのだ。ドッペルゲンガーでさえも俺より力は劣っていた。『魂同調のデメリットがない』という利点がなければあそこまで苦労しなかったはずである。
「ニシシ。私が人工妖怪って気付いてたのか。まぁ、それなら翠炎を使って来たのも頷ける。お前の言う通り、私は人工妖怪でお前の翠炎に当たればすぐに焼失するだろう。ましてや、偽物が本物に勝るほどの力を使えるわけがない。ただ、1つだけお前が知らない情報がある」
弱点を自らばらしてもなお笑っているぬらりひょんはその情報を開示した。
「私はお前の能力で生まれたんだよ。お前のドッペルゲンガーを作り出した時にできた副産物でね」
「俺の、能力だと?」
ありえない。この能力は生み出すことはおろか俺でさえ操り切れていないのだ。しかし、実際に俺はドッペルゲンガーに襲われた。俺の能力も完全にコピーしていたのだ。その時の副産物によって生まれたのが目の前で笑っているぬらりひょん。もし、それが本当だとするならば納得できる。すでにその答えを俺は言っていた。
「妖怪の、総大将……それが原因か」
俺の能力は言い伝えや伝承、二つ名などに反応し、それに基づいた能力に派生する。そして、目の前にいるぬらりひょんが俺の能力を使って生み出されたのならば彼女の能力や力も俺の能力によって強化される。だからこそ、『気配を操る程度の能力』と『誤認させる程度の能力』を持っているのだ。生み出されたのがぬらりひょんでなければこの2つの能力は持っていなかっただろう。
更に『妖怪の総大将』という異名により、偽物であるはずの彼女はここまで強力な存在となった。いや、偽物だったからこの程度ですんだとも言える。たとえ、『妖怪の総大将』が本当であっても嘘であっても、彼女が本物であっても偽物であって“そう言い伝えられている時点で、ぬらりひょんとしてそこに存在している時点で俺の能力が発動し、全ての妖怪を統べるほどの力を得られるのだから”。
「ニシシ。これで私についてだいたいわかったかな? あ、どうやって生み出されたのかはわからないよ。私だって気付いた頃には生まれていてお前を殺せという命令をされてたんだから」
「……お前はそれでいいのか? 妖怪の総大将が人間に命令されるのは嫌じゃないのか?」
「別に? 逆に感謝してるほどだよ。私を生み出してくれたこともそうだし、お前を殺せることが何よりも嬉しいからね。まぁ、この気持ちも結局のところ、そう思うように作られたからこそ生まれたんだろうけど。私が嬉しく思ってるのには変わらない。お前を殺したくて仕方ない。だから――」
ニヤリと口元を歪ませた彼女が一瞬にして消え、俺の右腕を切り裂いた。
「――死ねよ」
今日はとても幸せな一日になると思っていた。響の実の父であるリョウと和解して、響の義理の母と再会して、望たちの文化祭を満喫して、笑顔で帰られると思っていた。
だが、現実は違う。
「響っ!」
響の部屋にあるテレビにはぬらりひょんに斬られて血を流す彼の姿。それを見た私は何度目になるかわからない悲鳴をあげる。
「どうする、打つ手がないぞ」
「うむ……翠炎を当てれば勝てるのじゃが。当てる方法がないのぅ」
冷や汗を流して相談している翠炎とトール。その隣には心配そうにテレビを見つめる猫と泣きながら猫に抱き着いている闇がいた。そう、相手を倒す手段をすでに私たちは持っているのだが、それを当てる手段がない。
『ぐっ……』
『へぇ、まだ耐えるんだ』
右足首を切り落とされた響は顔を歪ませながら霊力で浮き、後退する。それを見たぬらりひょんは楽しそうに笑いながら姿を眩まし、彼の背後からまた切りつけた。紅い血がまた迸る。
「ッ……」
それを私はただ見ているだけしかできなかった。あれだけ響を守ると言っておきながらろくに魂同調もできない。
――キョウ君。
不意に理不尽な現実のせいで命を落としたあの子の声が、私たちが守れなかったあの子の言葉が脳裏に響く。
(嫌……)
『もしキョウに守りたい人が出来たら……どうする?』
『私はキョウ、キョウは私……それが答えよ』
こまち先生との会話。私は自惚れていたのだ。キョウが死にそうになっても私がいればいつでも助け出せる、と。キョウに守りたい人ができたら私が守る、と。
それがどうだ。キョウの守りたかった人は死に、今まさに響が殺されそうになっている。それを私は――見ているだけ。
「嫌……」
何もできない。何もしてあげられない。守れない。救えない。戦えない。使えない。
私は何のために生まれて来たのだろう。キョウを、響を守るためじゃないのか。なら、どうしてこんなところで拳を握っていることしかできない。悔しくて涙を流すことしかできない。
「吸血鬼?」
私の様子がおかしいことに気付いた翠炎が声をかけて来る。でも、返事ができなかった。
『ガハッ』
『そろそろ霊力が切れそうなんじゃないか? まぁ、翠炎がいるからもう一回、殺さなくちゃいけないんだけど……でも、それも楽しいか。シシ』
すでに地面は響が流した血でドロドロになっている。それでも響は死なない。倒れない。まだ、諦めていない。目が死んでいない。どうにかしてぬらりひょんを倒そうと必死になって考えている。逆転の一手を。
「あぁ」
私はキョウ。キョウは私。
私は響。響は私。
なのに、私はすでに諦めていて、響はまだ諦めていない。何が運命共同体だ。全く違うじゃないか。そうだ。私と響は違う。“同じ魂波長”を持つだけで性格も、話し方も、性別も、種族も、好きな物も、嫌いな物も、何もかもが違う。
「同じ、魂波長?」
その単語を思い浮かべた時、何かが引っ掛かった。何だろう、この違和感。いや、私と響の魂波長が同じということは前から知っていたし、響にも伝えた。だからこそ、私たちの相性は抜群で“魂同調”をすれば強力な力を得られると確信していた。実際はできもしなかったが。
「ぁ……」
そもそも前提が違ったのだ。魂同調というのは魂波長を合わせることによって発動する技である。シンクロもそうだ。
なら、最初から魂波長が同じ私と響は、どうなる?
「マズイ、あと一撃でも喰らえば響の霊力が底を尽くぞ!」
翠炎の大声でテレビに視線を向けてみれば丁度、響の首すじから血が噴水のように吹き出ていた。霊力によってその傷はすぐに再生するが、これで響の霊力が尽きた。まだ翠炎によるリザレクションが残っているがそうなれば『魂装』が使えなくなる可能性が高くなる。すでに一度、使っているから翠炎の力も少なくなっているのだ。そうなってしまえば、私たちの勝ちは完全になくなる。
『まずは1回』
響の表情から霊力がなくなったことを察したようでぬらりひょんが嗤い、脇差を振るう。
(もし、私と響の魂波長が同じなのが原因で魂同調ができなかったとしたらっ!!)
いや、違う。そもそも、私と響は常に魂同調をしている状態だったとしたら――。
「響!」
右手に魔力を込めて天井に向かってそれを放出した。届けと願いながら。
『……何をした』
テレビに映るぬらりひょんは怪訝な顔をして響に問いかけた。だが、響は答えない。その答えを知らないのだから。
「吸血鬼……お主、何を」
唖然とした様子で私に質問するトールだったが、私もできるとは思っておらず、驚いていたので口をパクパクさせるのが精一杯だった。
『色々と説明して欲しいんだけど……吸血鬼?』
そう言ってフラフラしながら立ち上がる響。その両手には“私の狙撃銃が握られていた”。