私が目を覚ましたのはキョウとこいしの模擬戦から1週間ほど経った頃だった。あの時の暴走が祟ったのだ。そして、私が眠っている間にキョウと桔梗はこいしたちの旅について行くことにしたらしく、今は咲と一緒にベースキャンプ近くの川で釣りをしている。
「はぁ……」
「どうしたの?」
釣竿を持ったまま、キョウは深いため息を吐く。それを見た咲が首を傾げた。
「えっと……どうすれば皆と仲良くできるかな、と思いまして」
まだ旅を始めたばかりで馴染めていないキョウは少しでも皆と距離を縮めようと子供たちに話しかけるのだが、肝心の子供たちがキョウを怖がって逃げてしまうのだ。おそらく私の暴走を見てしまったからだろう。あの時の私は本当にどうかしていた。あのままこいしを殺していた可能性だってあるのだから。
「あはは……もう少ししたら皆も慣れると思うから根気よく、ね?」
咲は苦笑しながらアドバイスした。彼女はまだ馴染めていないキョウが独りにならないように何かと一緒にいてくれている。釣りも彼女が誘ってくれた。
「はい……おっと!」
ため息を吐いたキョウの竿が大きくしなる。魚が食いついたようだ。上手く竿を操り、魚を疲れさせて一気に釣り上げる。
「これで3匹目」
「キョウ君、上手いね」
「……咲さんには言われたくないです」
ニコニコと笑っている咲の籠には10を超える魚がビチビチと暴れていた。何故か彼女の竿にばかり魚が食いつくのだ。今も笑いながら釣り上げている。
「もしかして今まで食べた魚って全部咲さんが?」
「だいたいはね。たまに他の子たちに手伝ってもらうけど」
『今みたいにね』と楽しそうに咲が魚の口から針を外しながら言う。そのまま籠に魚を放って釣竿に餌である小さな虫を付けた。
「あの、咲さん」
胡坐を掻いているキョウの足の上に座っていた桔梗が咲に声をかける。
「何?」
「咲さんは怖くないんですか?」
「え?」
「だって、子供たちがマスターを怖がってるのってこの前の模擬戦が原因ですよね? それなのに模擬戦を見ていた咲さんはマスターを怖がっていないなと思いまして」
ただ単純に疑問に思ったことなのだろう。しかし、咲にとって聞かれたくないことだったのか目を伏せた。キョウも咲のようすがおかしいことに気付いて竿を引いて針を回収した。
「実は……私も少しキョウ君が怖かったの。もちろん、今は違うよ? キョウ君はとっても優しくていい子だってわかってるし、自主的に見回りをしてくれてることも知ってる」
「あ、ば、ばれてました?」
実はキョウと桔梗は寝る前にベースキャンプの周囲に敵がいないか見回りをしている。私も目が覚めてからはキョウたちが眠っている間も気配を探って危険が迫っていないか確認しているし。
「……少し、気分悪くなるかもしれないけど、ちゃんと話すね」
俯いていた彼女は針を回収して地面に竿を置いた。話すのに覚悟がいるのかキラキラと日差しを反射する川を見つめたまま、深呼吸をしている。キョウも桔梗も咲が話し始めるのをジッと待った。
「模擬戦があった夜……私、こっそりキョウ君のテントに行ったの」
「僕の、テントに?」
「うん……本性を探るために」
無理もない。リーダーであるこいしを一瞬でも圧倒(私の暴走が原因だが)したのだ。警戒してもおかしくない。だが、彼女は顔を歪ませていた。
「キョウ君たちは月の病気を治してくれたし、皆の治療もしてくれた。その点に関してはすごく感謝してた。でも、もし……もし、それも何かの作戦だったら? キョウ君の正体は妖怪みたいな人外で、こいしお姉ちゃん以上に強かったら? 私たちは皆、殺されちゃう。だから……だから、キョウ君のテントに行って何か手がかりになる物でもあればいいなって、思って」
「咲さん……」
咲はこいしの次に子供たちに頼られる存在だった。だからこそ、責任感に苛まれた。自分が何とかしなければならない。こいしにばかり任せていたら駄目だ。お姉ちゃんだから。色々な理由があったのだろう。そんな理由に押し潰されそうになりながら彼女は行動した。こんな小さな体で、たった独りで、キョウを疑い、どうにかしようと頑張った。
「テントに行ったらキョウ君たちはいなくて……私の不安が的中したのかって怖くなったの。それから急いで皆のテントを回って、誰もいなくなってないことに気付いてまた不安になって」
ギュッと拳を作る咲。見れば彼女は涙を流していた。キョウの目的がわからなかったからこそ余計、不安になってしまったのだろう。
「こいしお姉ちゃんを起こそうかと思ってたら丁度、キョウ君たちが帰って来て……その時に、聞こえたの。『今日は何もいなかったけどこれからも見回ろう』って。私、すごく最低だ……キョウ君たちは私たちのために見回りまでしてくれてたのに疑って。ごめんね、キョウ君……ごめんね」
ポロポロと涙を零しながら何度も咲は謝った。もう、この子は限界だ。子供が子供を守ろうとすればこうなるに決まっている。ましてや、咲はとても優しい子だ。馴染めないキョウを独りにしないように罪悪感に苛まれながら一緒に行動していた。それはどれほど辛いことなのだろう。私にはわからなかった。
「……咲さん。色々と言いたいことがあります」
「ッ……」
体を硬直させた彼女は目を閉じてキョウの言葉を待った。きっと、罵倒されると思っているのだろう。
「どうして独りで外に出たんですか!」
しかし、キョウの口から出たのは罵倒とは程遠いものだった。
「え……」
「ベースキャンプ内だったとしても咲さんのテントから僕のテントまでそれなりの距離があるんですよ!? その間に何かあるかもしれないとは考えなかったのですか!」
「あ、あの、キョウ君?」
「だいたい、なんで自分だけで解決しようとしたんですか? こいしさんに相談しようって思わなかったんですか?」
「いや、あの……」
ガミガミと叱るキョウを前に咲は困惑した顔で桔梗に視線を向ける。しかし、桔梗もキョウと同じように怒っているようでムスッとしていた。
「前々から思ってましたが、咲さんは独りで何でも背負い込みすぎなんですよ。もっと周りの人に頼ってください!」
「は、はい! ごめんなさい!」
「じゃあ、今度から何か辛いことがあったらこいしさんや他の子に相談するって誓いますか?」
「誓います!」
何度も頷く咲を見てやっと納得したのかキョウは腰に手を当てて呆れたように息を吐く。桔梗も『相談してくださいね!』とダメ押ししていた。
「ね、ねぇ……怒ってないの?」
「怒ってます!」
「そっちじゃなくて! 私が……キョウ君たちを疑ったこと」
不安そうに質問する咲だったが、キョウと桔梗は不思議そうに顔を見合わせる。
「いえ……僕たちを疑うのは仕方ないと思うんですけど」
「そうですよね……こいしさんが警戒しなさすぎなんだと思います。心を読めるので仕方ないと言えば仕方ないのですが」
まぁ、確かに1度や2度助けただけで人を信用するのはどうかと思う。咲の反応が普通だ。きっと、こいしや他の子供たちが警戒していないせいで彼女の行動や警戒心が浮き彫りになってしまったからだろう。
「そう、なの?」
「はい。僕だって吃驚しましたよ……まさか見回りどころか見張りすらいないなんて」
「さすがに見張りまではできませんが寝る前に見回りはしよう、という話になりました」
キョウと桔梗の話を聞いて私も驚いてしまった。よく今まで生き残って来られたと思う。こいしがどんなに心を読めると言っても寝ている間に襲われたら一溜りもないだろうし、もし相手が本能で行動している獣だったら心を読んでも意味などない。こいしは少し自分の能力に頼りすぎているのかもしれない。そんな彼女を咲は影で支えていたのだろう。
「あ、見張り……」
咲も今になって考え付いたのか顔を青ざめさせながら呟く。子供たちのお世話だけで精一杯だったのだろう。何というか、咲の負担が大きすぎる。食料の調達、子供たちのお世話、こいしの補佐、警戒、心配。そんな生活をずっと続けていたらいつ壊れてもおかしい。ここまでよく持った方だと思う。キョウもさすがにこのまま放っておくのは駄目だと思ったのか咲の両肩に手を置いた。
「いいですか、咲さん。独りでできることなんて高が知れてるんです。皆で話し合って皆で意見を出していれば見張りだってすぐ思いついたはずです」
「……はい」
「警戒しなさすぎのこいしさんも悪いですけど、独りで抱え込む咲さんも悪いです。さっきも言いましたが、もっと人を頼ってください。皆、咲さんの味方なんですから。こいしさんも、皆も……もちろん、僕や桔梗だって」
「……ねぇ、キョウ君」
咲は静かにキョウを呼び――。
「はい、何でしょう?」
「……私、ね。すごく辛かったんだ」
――溜め込んでいたものを吐き出すために口を開けた。