川の流れる音を聞きながら今日もキョウと咲は釣りをしている。数日前、初めて釣りをした日に咲がこいしに『これからもキョウと一緒に釣りをさせて欲しい』とお願いしたのだ。キョウも意外と釣りが好きなようで釣り当番になったことを喜んでいた。その裏に隠された乙女の気持ちに気付くこともなく。まぁ、いくらキョウが大人っぽいと言っても五歳児なのだ。咲の気持ちに気付けるわけがなかった。
「……」
「咲さん? 何か僕の顔に付いてます?」
「へ!? あ、ううん! 何でもないよ!」
呆けた様子で釣りをしているキョウの横顔を見ていた咲だったが、視線に気付いたキョウに問いかけられ慌てて顔を正面に向ける。キョウは首を傾げながらペタペタと顔を触り、最終的に彼の膝に座っていた桔梗に顔に何か付いているか聞いていた。見ているこちらがもやもやするようなすれ違いぶりである。
(うーん……)
どうにかしてあげたいのだが、私が介入するわけにも、できるわけもなかった。しかし、このまま見ているのも嫌だった。せっかくキョウを好きになってくれたのだ。その恋をどうにかして成就してあげたいものである。
「……」
「……」
何よりこの何とも言えない空気がいただけない。咲は恥ずかしがってもじもじしているし、キョウはそんな咲の様子に気付くことなく釣りを楽しんでいる。頼みの綱である桔梗もすでに夢の中。確かにとても天気がいいので眠たくなる気持ちもわかるが、この空気をどうにかしてから寝て欲しかった。咲も咲である。キョウを釣り当番にしたのならば2人きり(桔梗もいるが)になることぐらい予想できたはずなのにこの体たらく。初めての気持ちに焦っていたのかもしれないが、もう少し計画性を持って行動して欲しかった。
「あ、そう言えば――」
「ひゃいッ!」
「ど、どうしたんですか、咲さん?」
何か言いかけたキョウに過剰反応する咲。それを見て思わず、ため息を吐いてしまう。
「な、何でもないよ、何でも! それでどうしたの?」
「いえ……洗濯物干しっぱなしだったな、と」
キョウの服は1着しかないため、一気に洗濯するわけにはいかない。上着だけ洗って干している間は肌着で過ごしたり、寝る直前にズボンを洗うなど工夫しているのだ。因みに今も肌着で釣りをしている。
「あ、それなら私、取り込んでおいたよ」
「本当ですか? ありがとうございます。あれ、でも咲さんに洗濯したって言いましたっけ?」
「え、えっと……そ、そう! 釣りに来る前にキョウ君を見かけて肌着だったから上着洗ってるんだなって思って!」
(見かけた、ねぇ)
キョウは気付いていないと思うが、私は知っている。あの日から暇があれば咲は影からキョウの姿をジッと見ているのだ。その時にキョウが上着を着ていないのを見たのだろう。物陰からこっそりこちらを覗いている咲は可愛らしいが将来、ヤンデレにならないか不安である。
『……ヤンデレって何よ』
自然と頭に浮かんだ言葉に疑問を抱くが今更なので無視することにした。とにかく今は咲の恋の行方だ。キョウがいつ時間跳躍するかわからない今、もたもたしているわけにもいかないだろう。咲もそのことをわかっている。だからこそ、無理やりにでも一緒にいる時間を増やそうとしているのだ。
「そうですか。何から何までありがとうございます。この前から皆も話しかけてくれるようになってくれましたし」
「この前?」
「ほら、ユウタ君のテントを直した時ですよ」
あの日、キョウは咲と一緒にユウタのテントを直した。そのおかげでユウタがキョウを警戒しなくなり、連鎖的に他の子もキョウに歩み寄ってくれるようになったのだ。まさかこまちから習った手芸術がこんなところで役に立つとは思わなかった。
「ううん、あれはキョウ君の力だよ。私は何も」
「そんなことありませんよ。咲さんがいてくれたから皆と仲良くなれたんです。ありがとうございました」
お礼を言いながら咲に笑顔を向けるキョウ。子供らしい太陽のような笑顔を目の当たりにした咲は顔を赤くしてそっぽを向いた。
「咲さん、どこか具合でも悪いんですか?」
先ほどから様子がおかしい彼女を心配したのか針を回収して地面に釣竿を置いたキョウは咲の顔を覗こうとする。
「大丈夫……大丈夫だから!」
さすがに今の顔を見られたくない咲はキョウから逃げるように立ち上がった。だが、それと同時に咲の竿に当たりが来る。大きな魚だったのかぐいっと竿を引っ張られた。
「わわっ」
立ち上がったばかりで体勢を崩していた彼女はそのまま引っ張られ、数歩前に出てしまう。その数歩がまずかった。
「あ、ああ!?」
バランスを崩した彼女は川に落ちそうになり、川岸で腕を振り回して踏ん張る。だが、その努力も空しく彼女の体は川の方へ傾いて行く。川に落ちるまで数秒もかからないだろう。
「咲さん!」
そんな彼女にキョウは手を伸ばし、奇跡的に咲の手を掴むことができた。後はこのまま引き上げるだけ、なのだが。
「あっ……」
いきなり手を掴まれた咲は思わず、体を硬直させてしまい、キョウの手を引いてしまう。女の子の方が第二次性徴は早く訪れる。そのため、キョウと咲の体格の差はかなりあった。どんなに戦い慣れているキョウであっても自分よりも大きい人をバランスを崩した状態で引っ張り上げることなどできるわけもなく――。
「うわああああ!」「きゃああああ!」
――2人仲良く川へ落ちた。
「へっくしゅ!」
川辺にパチパチと焚火特有の音が響く。その近くにずぶ濡れになったキョウと咲が体を震わせていた。
「マスター、まだ寒いですか?」
右手を巨大化させて大量の枯れ枝を持っている桔梗が心配そうにキョウに問いかける。キョウたちが川に落ちた後、その音で起きた桔梗に引き上げられた。風邪を引く前に濡れてしまった服をどうにかするため、急いで近くに落ちていた枯れ枝を集め、桔梗【拳】のジェット噴射で火を起こした(それしか火種がなかった)のだが、さすがにジェット噴射で上手く火を起こせるわけもなく、何度も枯れ枝を吹き飛ばしたせいで時間がかかってしまった。その間、ずっとずぶ濡れだったキョウと咲の体はすっかり冷えてしまったのだ。
「ちょ、ちょっとね……うぅ」
桔梗に笑って見せるキョウだったが声は震えている上、唇も少しだけ紫色になっている。桔梗を心配させないように強がっているのが丸わかりだった。
「ごめんね、キョウ君。私のせいで」
そんなキョウを見て咲が震えながら俯いてしまう。キョウを巻き込んで川に落ちてしまったことを悔やんでいるらしい。
「いえいえ、気にしないでください。ほら、服だってすっかり乾いて……は、はっくしょん!」
たとえ服が乾いたとしても冷え切った体が温まるまで時間がかかってしまう。更に不運は続く。
「あ……雨」
ぽつぽつと雨が降って来てしまったのだ。ここからベースキャンプまでさほど離れていないとはいえ、冷え切った体で雨に打たれてしまったらほぼ確実に風邪を引いてしまうだろう。桔梗【薬草】ですぐに治るが、可能であれば引かずに済ませたい。
「どこかで雨宿りしましょうか」
火を消すためにあらかじめ用意していた砂を焚火にかけながらキョウが咲に提案する。
「う、うん。そうだね。確かこの近くに大きな木があってそこに私たちが入れそうな洞があったはず……」
「ああ、目印にしてたあの大木ですか。じゃあ、そこにしましょうか」
念のために数本の枝にまとめた即席の松明を消えかけている焚火に突っ込んで火をつけた後、咲の案内で件の大木へ向かった。
松明ですが、本当にお粗末な物でただ火の付いている枝を持っているような感じです。
なお、次回のAパートは咲さんとのいちゃいちゃです。