東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第346話 ななさん

 目を閉じて2回、深呼吸。深く、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。右手の指先に魔力を集中させ、青い矢を作り、左手に持った蒼い弓に番え、目を開けた。数十メートル先には手作りの的。力いっぱい弦を引きながら息を吸い、止める。

「……」

 集中。川のせせらぎや木々が風で揺れる音、近くに巣でもあるのか草むらの陰からこちらの見ている兎の呼吸。集中すればするほど周囲の様子が手に取るようにわかる。しかし、それは全て余計な情報だ。今、この瞬間だけ意図的に遮断する。すると、今まで鮮明に聞こえていた様々な音が消え失せ、僕の視界には的とそれに向けられている青い矢のみが映っていた。

(中る)

 そう確信し、止めていた息を吐き出しながら僕は矢を射った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごいですね……本当にど真ん中に当たっています」

 手作りの的を手に持った“ななさん”が目を丸くしながら呟く。魔力で作った矢なのですでに消えているが、的の中心に穴が開いているのだ。因みにななさんとは数日前に神社の近くで眠っていたあの女性のことである。さすがに名前がないと不便なので『名無し』から『ななさん』と呼ぶようになった。

「本当に……お札の扱いは下手なのに弓の才能はとんでもないのよね」

 ななさんの呟きに呆れた様子で霊夢がため息を吐く。僕だって驚いているのだ。桔梗【弓】から人形の姿に戻してななさんから的を受け取る。

「ななさーん、見てましたか?」

「はい、とってもかっこよかったですよ」

 ななさんに褒められた桔梗は嬉しそうに彼女の周りを飛び回っていた。やはりと言うべきか桔梗はななさんにとても懐いており、よく一緒に縁側でお昼寝しているのを見かける。昨日の夜、僕たちの修行を見てみたいとななさんが言った時だって今まで以上に張り切っていた。

「あ、そろそろ私戻りますね。今日は何がいいですか?」

「そうね。じゃあ、お味噌汁お願いしようかしら」

「僕は卵焼きかな」

「お漬物お願いします!」

「はい、わかりました。では、行ってきます」

 笑顔で頷いたななさんは長い黒髪を翻して神社へ走って行った。記憶のないななさんだったが何故か家事全般できたのだ。彼女も自信なさそうに『何かお手伝いさせてください』とお願いして来たが、本人も驚くほどスムーズに熟していた。それからはななさんが自主的に家事をしてくれるので僕の修行時間も前より確保することができるようになったのだ。特にななさんの料理は絶品であり、初めて食べた時は皆でななさんを褒めちぎったほどだった。褒められたななさんが顔を真っ赤にして戸惑っていたのを今でも思い出せる。彼女の容姿は可愛いというより綺麗でクールな印象を受けるので恥ずかしがっているななさんとのギャップが凄まじく色々な男性を虜にして来たのだな、と何となくそう思った。

「ななさんが来てから楽になったわね」

「まぁ、修行をした後に家事をしてたからね。ななさんも記憶がないことをあまり気にしてないみたいだから安心したよ」

 ただ問題は残っている。あの妖怪と『魂』だ。博麗神社の周囲には結界が張ってあり、外部から侵入することは不可能である。例外として僕たちの時のように結界内に直接ワープするしかない。つまり、あの妖怪は誰かの手によって結界内に送り込まれたと考えるべきだろう。じゃあ、誰が送り込んで来たのか、という話になるのだが、今のところ、何の手がかりも掴めていない。ななさんの記憶が戻れば何かわかるかもしれないが、あまり期待はしないでおこう。

 そして、桔梗。ななさんの『魂』を欲しがったのだが、あれ以来、暴走はしていない。異様に懐いているだけだ。きっと、懐いている理由の一つが物欲センサーなのだろう。まぁ、ななさん本人がとてもいい人なので物欲センサーの件がなくてもすぐに懐いていただろうけれど。これに関しても今のところ、何もわかっていない。今できることは桔梗が暴走しないように注意しておくことだけだ。もちろん、桔梗にこのことは話していない。話してせっかく仲良くなったななさんとぎくしゃくさせたくなかったのだ。

「マスター、私たちもそろそろ戻りましょう」

 今日使用した的(実はこれを作ったのはななさんだったりする)を回収していた桔梗が的を持つために右手を巨大化させながら急かす。目をキラキラさせているのでよっぽどななさんの朝食が楽しみなのだろう。それを見た僕と霊夢は顔を見合せて苦笑し、すでに神社に向かっていた桔梗の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 僕の背後でななさんが少しだけ疲れた様子で息を吐く。薄暗い中でも彼女の首筋に汗が滲んでいるのが見える。

「大丈夫?」

「はい、これぐらいへっちゃらです。ですが、ちょっと腰が痛くなって来ました」

「あはは、ずっと屈みっぱなしだもんね」

 朝食を食べた後、僕は桔梗とななさんと一緒に蔵の整理をしていた。ななさんと出会った日、蔵の整理どころではなかったので僕と霊夢は蔵の外に出していた荷物を手当たり次第に蔵の中に運んだため、蔵の中はぐちゃぐちゃになってしまったのだ。元々、僕と霊夢で整理しようとしたのだが、それを聞いたななさんが『私がやります!』と叫び、こうして僕たちと一緒に整理することになった。霊夢はやることがあるらしく、蔵の中の整理をするだけでいいと言ってどこかへ行ってしまったのだ。

「桔梗、ななさんにお水を持って来てくれる?」

「はい、わかりました」

 蔵の中は少しだけ暑いので脱水症状が起きてしまうかもしれない。彼女にそう言っても大丈夫とか言いそうなので聞かずに桔梗に頼んだ。

「キョウさん、これはどこに置きましょうか?」

 蔵から出ていく桔梗を見ていると古い段ボールを抱えたななさんが首を傾げながら問いかけて来る。ななさんは見た目から二十歳近い年齢だと思われるが、敬語で話す方がしっくり来るそうで子供の僕たちに対しても敬語で話す。

「あー……それはあっちかな。そのダンボールが入る隙間があったと思う」

「了解です」

 僕の指示通り、段ボールを隙間に押し込むために持ち上げようとするがそこで彼女は動きを止めた。

「……ななさん?」

「きょ、キョウさん、大変です! これ以上、持ち上げられません!」

「まぁ……そうだろうね」

 段ボールにななさんの胸が乗っているので持ち上げようとすると胸がつっかえてしまうのだ。初日にも桔梗を圧死させるところだったし、少しおっちょこちょいな人なのかもしれない。今も何とか段ボールを持ち上げようと頑張っている彼女の姿を見て苦笑を浮かべながら指摘しようと口を開いた。

「ななさん、胸が――」

「――え? あ、あっ!」

 僕が話しかけたことで視線をこちらに向けたななさんが手を滑らせて段ボールを落としてしまう。床に落ちた瞬間、埃が舞い、視界が悪くなる。

「けほっ……す、すみません」

「ううん。とりあえず、落ち着くまで外に出てよっか」

 段ボールから出てしまった荷物をまとめていたななさんにそう提案して僕は外に出た。ななさんもそれに賛成だったようで申し訳なさそうに肩を落としながらついて来る。その手には何冊か本を持っていた。

「あれ、それ何?」

「あの段ボールに入っていた物です。持って来ちゃいました」

 『待っている間に読もうかと思って』と笑って彼女はその場に座ってしまう。確かに埃が落ちるのを待っている間は暇である。僕もななさんの隣に座って1冊の本を貰った。

「えっと……料理の本、かな」

 ぱらぱらとページをめくると流暢な文字で和食のレシピが書かれていた。見慣れない文字だったせいで読むのに苦労したが、コツなどが書かれていて面白い。

「マスター、ななさん。お水を持って来ました」

 感心しながら本を読んでいるとお盆を持った桔梗が帰って来た。本を置いて桔梗の元まで行き、お盆に乗っていた2つのコップを持つ。

「ありがと、桔梗。ななさん、お水どうぞ」

「あ、ありがとうございます。桔梗ちゃんもありがとう」

「いえいえ、これぐらいのこと。えっと、何かあったんですか?」

 冷たい水で喉を潤していると外で座っていた僕たちを見た桔梗が質問して来た。別に隠すようなことでもないので手短に事情を話す。

「あー……ななさん、大きいですもんね。それでマスターはどのような本を読んでいたんですか?」

「料理の本だよ。結構、面白かったから今度、試してみようかなって」

「マスターのレパートリーが増えますね。ななさんは?」

「えっと……『博麗奥義集』っていう本、みたいです」

「……奥義?」

 首を傾げているとななさんが持っていた本を渡してくれた。流し読みしてみるとどうやらこの本は今までの博麗の巫女たちが編み出した奥義をまとめたものらしい。先日、霊夢が使った『夢想封印』もちゃんと記されていた。

「へぇ、色々な奥義があるんだね……ん?」

 たくさんの奥義がある中、僕は一つの奥義が目に留まる。

「『夢想転身』?」

 他の奥義は『夢想封印』のように遠距離技だったり、結界術だったりしたが、この奥義だけは違う。この奥義は――肉体強化だった。




なんかななさんが可愛くてしょうがなくなってきました。

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