東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第362話 慢心

 着地するとすぐにこいしが咲を抱えて桔梗【バイク】から降り、妖怪のほうへ振り返った。妖怪の足音はどんどん大きくなっている。

「桔梗!」

「はい!」

 キョウもバイクから降りて背中の鎌に手を伸ばす。そして、桔梗はキョウの腰にしがみ付き、桔梗【ワイヤー】に変形した。キョウの腰に装備された長方形の箱からワイヤーを射出する武器である。

「キョウ、それは?」

「説明は後です! 咲さんは隠れてて!」

「あ、はい!」

 こいしの質問を一蹴し、咲に指示を出すキョウ。あの妖怪はキョウが出会った妖怪の中で最も強く凶悪だ。咲を守りながら戦えるとは思えない。咲もすぐにこいしから離れ、森の中に身を隠す。

「すみませんが、こいしさんは僕の援護……というよりも、僕の心を読んで合わせてください」

「……オッケー!」

 こいしは人の心を読むことができる。それを利用すれば言葉を交わすことなく、キョウと息を合わせることが可能だ。キョウの言葉にこいしがニヤリと笑うととうとう妖怪が森から姿を現した。崖から転落したのにほとんど傷はない。並大抵の攻撃では傷すら付けられないだろう。人間であるキョウの攻撃は通用しないかもしれない。

(でも、キョウにはこいしや咲が……私がいる)

 キョウがこいしや咲を助けたいと願ったように私だって彼女たちが大切なのだ。まだ出会って1か月しか経っていないけれど彼女たちは――皆はキョウを受け入れてくれた。一緒に遊んでくれた。笑いかけてくれた。それだけで理由になる。自分の存在が露見する危険を顧みずに動くことができる。

『一緒に戦いましょう、キョウ』

 届くことのない言葉を紡ぎ、私は力をキョウに譲渡した。これでキョウでもあの妖怪を傷つけることができるはずだ。

「前方の木にワイヤー!」

「はい!」

 キョウの指示が飛ぶとキョウの腰にある左右の箱からワイヤーが飛び出し、前方の木に刺さり、アンカーが開いた。そして、ワイヤーを回収するとキョウの体が木の方へ引っ張られる。妖怪がキョウを追いかけようとした直後、こいしが妖怪に弾幕を放った。

「っ……」

 妖怪は巨大な体を捻って弾幕を回避。だが、その隙にキョウは目的の木の枝に着地することができた。こいしとアイコンタクトを交わした後、桔梗【ワイヤー】を駆使して木から木へ飛び移る。

「こっちだよ!!」

 その間、こいしは弾幕を放ち続け、妖怪の気を逸らす。囮になってくれたのだ。妖怪もこいしの挑発に乗り、こいしの弾幕を躱しながら彼女へ迫る。そして、キョウは妖怪の背中を取った。

「拳!」

 桔梗【拳】を左手に装備し、桔梗【拳】の手首に該当するパーツからワイヤーを飛ばす。ワイヤーはキョウに背中を向けていた妖怪の4本ある腕の内、上右腕に巻きついた。ワイヤーがピンと張ったのを見てキョウが枝から飛び降りる。

「ジェット!」

 ワイヤーを回収しながらジェットが拳のハッチから噴出し、キョウの体が凄まじい速度で妖怪へ突撃する。その頃になってやっとキョウの存在に気付いた妖怪が振り返るとほぼ同時にその頬に鋼の拳が叩き込まれた。

「ッ!?」

 グラリと妖怪がバランスを崩し、こいしの方へ倒れる。それを見上げていたこいしが両手を前に翳した。

「これでも喰らえ!」

 叫びながら両手から大量の弾を射出し、妖怪にぶつける。妖怪は苦痛の悲鳴を上げた。

「箱!」

 空中で桔梗【ワイヤー】を装備し直したキョウはそのままワイヤーを飛ばして妖怪の首に巻きつけた。そのせいで呼吸ができなくなった妖怪は2つの手で首元を押さえる。このままではワイヤーが引きちぎられてしまいそうだったので咄嗟にワイヤーに魔力を流して補強した。ワイヤーを外せずもがき苦しんでいる妖怪を尻目に着地したキョウがワイヤーを回収すると妖怪がそのまま地面に倒れてしまう。呼吸ができず体に力が入らなかったのと一時的に吸血鬼の力を得たキョウの怪力に勝てなかったようだ。首元を押さえていた2つの手も妖怪の体の下敷きになっている上、残った腕は位置的にワイヤーに届かない。後はこのまま窒息死を――。

「チャンス!」

 ――だが、妖怪が倒れたのを見てこいしが突っ込んでしまった。

「あ! 駄目です!!」

 キョウもそれに気づき、止めようとするが妖怪に攻撃することに集中しているせいかこいしに彼の声は届かなかった。

『ッ……』

 その時、暴れていた妖怪の2本の腕が止まり、こいしに向かって振り下ろされる――ビジョンが私の脳裏を過った。このままではこいしが危ない。

「桔梗! 翼!」

「は、はい!!」

『ッ! 駄目ッ!!』

 キョウが桔梗を呼んで右翼が折れた桔梗【翼】を装備してしまった。たとえ素材によって変形に機能が増えたとしても別の武器に変形したら――。

「キョウ!?」

「離れて!」

 桔梗【翼】でこいしを追い越したキョウが彼女に向かって叫ぶのと妖怪が動き出すのはほぼ同時だった。桔梗が翼になったことで妖怪の首に巻きついていたワイヤーが消失したのだ。妖怪の全ての腕が振り上げられるのを見たキョウは顔を引きつらせ、空中で桔梗【盾】に変形させ、こいしを庇うように構えた。その直後、桔梗【盾】に凄まじい衝撃がキョウを襲う。

「んぐっ」

 桔梗【盾】は物体が盾に触れた瞬間、前方に衝撃波を放ち、その勢いを完全に殺す機能がある。しかし、巨大な妖怪の拳を4つ同時に受け止めるには無理があったようでキョウの体は吹き飛ばされてしまった。

「ガッ……」

 こいしの頭上を通り越し、背中から木に叩き付けられた彼は肺の酸素を吐き出し、地面に倒れ込んでしまった。

「マスター! マスター!」

「……っ」

 桔梗の悲鳴が響く中、体の所有権が私に移る。背中に走った激痛に顔を歪ませた。吸血鬼の力を得たキョウでもまだ子供だ。気絶してもおかしくない。

「マスター、起きてください!」

 桔梗【盾】から人形の姿に戻った桔梗が体を揺する。どうする? このままキョウのふりをして戦う? いや、駄目だ。絶対、桔梗にばれる。それにあの妖怪を倒すためには吸血鬼の力を使わなければならない。今までは一時的に譲渡していたが、体の所有権を得た私が吸血鬼の力を開放してしまったらこの体に吸血鬼の力が根付いてしまう。なら、どうすればいい?

「キョウ!!」

「があああああああああ!!」

 その時、こいしがキョウの名前を叫んだ。そして、妖怪も私に――地面で倒れているキョウに向かって来ている。これは悩んでいる暇はないか。

「駄目っ!」

 こいしが妖怪に向かって弾幕を放つが殺されかけたキョウへの怒りが痛みを上回っているのか弾幕の直撃を受けた妖怪の足は止まらない。

「桔梗! そっちに妖怪が!!」

 こいしの絶叫で桔梗がやっとこちらに向かって来る妖怪に気付き、倒れている私の前に立ち、両手を広げた。桔梗の体は頑丈だ。妖怪の4つの拳を同時に受け止めたのに凹み1つできなかったほどだ。だが、人形の桔梗の体はとても小さい。妖怪の拳1つなら受け止められるかもしれないが、受け止めている隙にキョウを攻撃されてしまうだろう。

「えいっ!」

 その時、そんな声と共に妖怪の顔面に何かが当たった。さすがに顔面に攻撃を受けた妖怪は動きを止める。

「こいしお姉ちゃん! 今の内にキョウ君を!」

「咲っ!?」

 どうやら、妖怪の動きを止めたのは咲だったらしい。たくさんに泥団子を抱えた彼女は顔を真っ青にしながらも妖怪の前に立っていた。

『な、何をっ……』

 こいしは妖怪で、キョウは桔梗や私がいる上、何度か妖怪と戦ったことがある。だからこそ、妖怪に立ち向かえた。だが、咲は普通の人間の女の子だ。今だって妖怪の殺気を真正面から受け、目に涙を浮かべ、震えている。それでも咲は泥団子を手に持ち、妖怪に向かって投げた。

「早く!」

『咲……』

 私はそんな彼女の姿を見て思わず、目を逸らしてしまった。

「……わかった! 咲、頑張って逃げて!」

 咲の覚悟を見たこいしはすぐに私のところへ駆け寄り、容態を確かめてホッと安堵の溜息を吐く。本当は背中の骨は折れていたのだが、私に体の所有権が移った時点で吸血鬼特有の治癒能力が発揮されているのですでに完治している。ただ命に係わる怪我を優先的に治したので小さな怪我はまだ残っているが。

「桔梗、キョウを守るように盾になれる?」

「え? あ、はい!」

 こいしの指示を聞いた桔梗が私の背中に飛び乗り、桔梗【盾】に変形した。これならある程度の攻撃は桔梗が守ってくれるだろう。

「うん、これならしばらく大丈夫そうだね。いい? キョウを守り切るんだよ?」

「もちろんですよ! マスターをお守りするのが従者の役目です!」

 ああ、そうだ。桔梗だけじゃない。キョウやキョウが助けたいと思う人たちを守るのが私の役目だ。こいしが離れた隙に桔梗に話しかけていつでも助太刀できるようにしておこう。もう私の正体がばれてもいい。それで皆を守れるなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと、私は調子に乗っていたのだろう。自分の正体がばれる恐怖さえ克服できればキョウを、皆を守ることができる、と。この吸血鬼の力さえ恐れなければ何でもできる、と。

 

 

 

「……え?」

 キョウの安全を確保したこいしが振り返るのとほぼ同時に咲の体が横に吹き飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、それは愚かな勘違い。この世界ではどんなに強力な力があっても、どんなに守りたいと願っても――全く無駄になってしまうことがあるのだ。

「……咲?」

『……嘘』

 ああ、なんて私は愚かなのだろうか。最初からわかっていたはずだ。咲は“普通の人間の女の子”だと。なのにどうして私は目を逸らした? いいや、違う。何故、すぐに咲を助けなかった? わかっていたはずだろう? 知っていたはずだろう? 人間は――生物はふとした瞬間に死んでしまうことぐらい。

「咲?」

「うがああああああああああああああ!!」

 こいしの震える声が妖怪の雄叫びにかき消される。だが、そんなこと誰も気にしない。誰も気づかない。こいしはもちろん、私や桔梗も目の前の現実に思考を停止していたのだから。

「咲?」

(嘘……嘘嘘嘘嘘ッ!!)

 やだ。やだやだやだやだ。信じない。ありえない。だって、私には吸血鬼の力があって。その気になれば――正体がばれる恐怖さえ何とかできれば皆を守れる。そのはずなのに。

「咲? ねぇ? 咲ってば?」

 その、はずなのに。

「さ、咲いいいいいいいいいいいいいい!!!」

『いやあああああああああああああああ!!!』

 そのはずなのに――私たちの目の前で倒れている咲の顔がなくなっているのはどうしてだろうか。

 









吸血鬼が咲を助けられなかった理由:慢心から来る油断

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