「はい、今日はここまで」
「あ、ありがとう、ございました……」
少しだけ額に汗を滲ませた霊夢に地面に大の字になって寝たままお礼を言うと彼女は神社の方へ歩いていった。そろそろお昼ご飯の時間なので僕も戻りたいのだが、疲労困憊で動くに動けない。
「キョウ君、大丈夫ですか?」
しばらく少しだけ曇っている空を見上げながら体力の回復を図っているとななさんが心配そうに僕の顔を覗き込んで来た。声を出すのも億劫なので頷いて答える。
「……」
しかし、彼女は少しだけ顔を顰め、深いため息を吐いた。何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか。
「キョウ君、あなたを『明日の修行はお休みの刑』に処します!」
「……はい?」
「つまり、連日の厳しい修行で僕の体はボロボロだと」
「はい、治癒術で誤魔化して来ましたがこれ以上無理をすれば取り返しのつかない怪我をする可能性が高いです」
よくわからない刑に処された僕はお昼ご飯の時に皆と一緒にななさんから詳しい話を聞いた。どうやら、自分でも気づかない内に無理をしていたらしい。しかし、あまり実感が湧かず首を傾げてしまった。
「……キョウ君、昨日のスケジュールを教えてください」
「え? どうして――」
「――いいから教えてください」
「は、はい」
ななさんの剣幕に姿勢を正して昨日のスケジュールを思い出す。
朝の4時半に起床し、着替えや顔を洗うのに30分ほどかけて5時から7時まで朝の修行。朝ご飯を食べ終わったらお昼まで霊夢と模擬戦。お昼ご飯を食べた後、夕方頃まで個人的に奥義の修行。その後はななさんと一緒に晩ご飯を作ったり、お風呂に入るなど日付が変わるまで色々と作業をして就寝。
「……こんな感じかな」
僕が話し終えると皆、唖然としていた。特に霊夢は片手で額を押さえている。どうしたのだろうか。
「ごめんなさい。完全に私の責任だわ……」
「いえ、私もキョウ君の手当てをしていたのに気付きませんでした。申し訳ありません」
「それを言うなら私こそマスターの従者なのにここまで無茶しているなんて……本当にすみません」
昨日のスケジュールを聞いた霊夢、ななさん、桔梗が謝り合っている。霊奈も呆れたようにため息を吐いていた。どうやら僕はまた何かやらかしてしまったらしい。
「えっと……ごめんなさい?」
「原因わかってないのに謝らないで……今までのように修行してたらすぐに体壊すわよ」
「ええ、キョウ君は無茶し過ぎです。これからは交代制でキョウ君を監視します」
「か、監視?」
確かに無茶している自覚はあったが監視されるとは思わなかった。さすがにそれは勘弁願いたい。
「それを言うなら霊奈も結構無茶してると思うんだけど。朝から修行漬けだよね?」
「んー……朝から昼まで修行してるけど午後はほとんど部屋で新技とか考えてるからキョウほど修行してないよ? 夜も早めに寝るし」
「それに対してマスターは半日以上修行した後、家事とかもやってますから……夜も遅いみたいですし」
「そもそも日付変わるまで何やってるのよ」
ジト目で霊夢が問いかけて来る。奥義とか戦い方について考えることも多いが桔梗の服ことが多い。それこそ日付が変わったことに気付かない時もあるほどだ。
「ま、マスター……い、いえ! 私の服を作っていただけるとはとても嬉しいのですがそのせいでマスターが倒れでもしたら私、泣いてしまいます! 止めてください!」
「それは嫌」
最近、桔梗の服作りが寝る前の楽しみになっているのだ。そろそろ浴衣が完成する。黒い生地に桔梗の花を刺繍してみた。なかなかの自信作である。
「完全に服作りにハマってるじゃない……じゃあ、他の修行時間を削りなさい。朝の修行とか」
「でも、まだ博麗のお札は扱い切れてないし、桔梗を使った戦い方も練習しなきゃならなくて」
午前は霊夢と模擬戦。午後は奥義の修行に時間が取られてしまうのでお札や戦い方の練習時間がないのである。
「なら、せめて家事は私に任せてください。家事に使っていた時間を服作りに充てれば早く寝られるはずです」
「えっと……実は家事も結構楽しくてついつい手伝っちゃうんだよね」
「裁縫が趣味な専業主婦か。どれか止めなさい。拒否権はないわ」
「えー……」
桔梗の服作り、朝の修行、家事の手伝い。どれも僕には必要なものだ。どれか止めろと言われても困ってしまう。特に朝の修行は今後に関わる。しかし、服作りも家事もしたい。
「うーん……」
「……そんなに悩むことかしら」
「きっとキョウ君にとって全部大切なことなのでしょう。趣味は完全に女の子ですけど」
腕を組んで悩んでいる僕を見て霊夢とななさんが意外そうに話していた。昔から(と言ってもまだ5歳だが)家事をしていたので苦とも思わないし、むしろ人に任せてしまうと居心地が悪いのだ。桔梗の服作りが趣味になったのは最近だが。
「まずはキョウが一日でやってることを書き出した方がいいんじゃない? 優先順位を付ければ切り捨てやすいし」
「切り捨てるとか言わないで……」
それから霊夢のアドバイス通り、紙に僕が一日でやっていることを書き出した。具体的には朝の修行、午前の修行、午後の修行、家事、服作りの5つだ。
「家事と服作りのせいで修行が物騒に見えるね」
「ギャップがすごいです……」
「むしろ、何故前半3つと後半2つを天秤にかけられるのかしら」
酷い言われようである。
「やっぱり家事と服作りをどうにかしないといけないわね。服作りは週3日にするとか」
「せめて5日でお願いします」
いつまでここにいられるかわからないので出来るだけ早く完成させたいのだ。あと少しで完成するというところで時空跳躍が起きたらそれなりに落ち込むだろう。
「……キョウ君、そこに正座してください」
「え?」
唐突にいつもより低い声でななさんに命令され、間抜けな声を漏らしてしまう。彼女は真剣な眼差しで僕を見つめていた。そんな見慣れないななさんの表情に気後れした僕はすぐに正座する。
「いいですか? 私たちは決してキョウ君をいじめているわけではありません。あなたのことが心配で言っているのです。わかりますか?」
「は、はい……」
「それにこのまま無茶を続ければいずれ倒れてしまうこともわかりますね?」
「わかります」
「じゃあ、あなたがどうすべきか……キョウ君ならわかりますよね?」
こうして僕の1週間のスケジュールはななさんに管理されることになった。
月曜日から金曜日は朝、午前、午後の修行に集中する。家事はななさんに全て任せ、服作りも寝る前の1時間だけとなった。
土日は軽く体を動かす程度の修行だけとなり、家事はななさんと分担することになった。また、服作りもあまり遅くならなければ長時間作業してもいいとのこと。
「因みに前科のあるキョウ君には罰として出来る限り、他の人がいるところにいてください。朝は桔梗ちゃん、午前は霊夢さん、午後は私です」
「え? 午後ってななさん普通に家事してるよね?」
「奥義の修行ならどこでもできます。私について来てください」
「でも――」
「拒否権はありません。最初にそう言ったはずです。そもそも奥義の修行は誰かと一緒にやるって言っていたではありませんか!」
ななさんの言葉に僕たちはハッとする。そう言えば霊夢とそんな約束をしていた。すっかり忘れていた。霊夢も同じだったのか居心地が悪そうに目を逸らす。
「私であれば霊力の流れが視えますし、多少怪我してもすぐに治せます。明日から私の傍で奥義の修行をすること。いいですね?」
「はい、わかりました……」
「よろしい。さて、すっかり冷めてしまいましたね。温め直して来ます」
僕が了承したのを見て満足そうに頷いたななさんはいつもの笑顔を浮かべて立ち上がり、台所へ消えて行った。
「……何と言うか。ものすごくお母さんだったね」
「ええ、そうね」
そんな彼女の背中を見ていた霊奈が苦笑しながら感想を漏らし、霊夢も呆れたようにそれに同意した。だが、僕はそれに共感することはできなかった。僕は今まで独りだったから。
「……初めて、叱られた」
無意識で僕はそう呟いていた。お父さんもお母さんも遅くまで帰って来なかった。だから先ほどのように叱られた経験がなかったのだ。だからだろうか。ななさんは僕の本当のお母さんじゃないけれど、母親がどういうものなのか少しだけわかったような気がした。