東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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今年最後の更新です。
来年もよろしくお願いします。


第368話 遅すぎた決意

 ゆらゆらと意識が揺れる。まるでゆりかごの中で眠る赤子のように。海に漂う海藻のように。どうして私は揺れているのだろう。どうして私は動けないのだろう。そして、気付くのだ。動けないのではない。動きたくないのだと。

『ありがとう……桔梗がいてくれるから僕はこうやって元気になれた』

 どこからかそんな男の子の声が聞こえる。少しだけ声を震わせているがはっきりとした声音。その声を聞くと何故か私は申し訳なく思う。

 情けなくてごめんなさい。

 怯えていてごめんなさい。

 支えてあげられなくてごめんなさい。

 守れなくてごめんなさい。

『私は、当たり前のことを言ったまでですよ。元気になれたのはマスター自身の力です』

 今度は可愛らしい女の子の声が聞こえる。男の子のことが本当に好きなのだろう。彼女の声には慈愛の他に男の子に対する恋情を感じられた。だが、私はその声を聞くと胸が苦しくなる。

 彼を任せてしまってごめんなさい。

 あなたに頼ってしまってごめんなさい。

 一緒に彼を支えてあげられなくてごめんなさい。

 一緒に守れなくてごめんなさい。

「おいおい、何故悲しんでいるんだ?」

 揺れている私の耳元で聞き覚えのない女の声が響いた。彼女はとても愉快そうに私に囁き続ける。

「違うだろう? 悲しむんじゃない。憎むんだ。ああ、あの子を殺したあの妖怪が憎い。ああ、こんなに私を苦しめたあの妖怪が憎い。ああ、全てが憎い」

 ケタケタと笑う声。憎む? 何故? 全て私が悪いのだ。あの子が死んだのも。彼が悲しんでいるのも。彼女が彼を心配しているのも。

「本当に?」

 本当に。

「でも、考えてもみろ。あの妖怪さえいなければお前はこんなに苦しまなくてもよかったはずだろう? あの子は死なずに済んだだろう? 彼は悲しまずに済んだろう? 彼女は彼を心配せずに済んだろう? なら、悪いのはあの妖怪だ。お前は悪くない」

 私は、悪く――。

「ああ、そうさ。全部押し付けてしまえばいいんだ。そうすれば楽になる」

 楽に、なれる。ああ、そうか。私は悪くないのか。全てあの妖怪が悪いのだ。私のせいじゃない。私は悪くない。あの妖怪が悪い。アノ、ヨウカイガ――。

『では、子守唄を歌ってあげますね』

 私の心が何かで埋め尽くされそうになった時、不意に優しい歌声が聞こえた。聞いたことのない歌。だが、それでいて何故か懐かしく感じる優しくて温かい子守唄。

「おい、どうした?」

 その歌声に聞き惚れていると女が不思議そうに声を漏らす。どうやらこの歌が聞こえていないらしい。きっと、聞こえていたら彼女も聞き惚れるはずだから。

「……憎まない」

「……何?」

「確かにあの妖怪がいなければあんなことにはならなかった。咲が死ぬことだってなかったし、キョウが悲しむこともなかった」

 もうあの揺れは感じない。しっかりと地面に足を付けて目を開ける。目の前には私がいた。でも、よく見ると彼女の目は赤黒く濁っているし、胸だって私の方が大きい。彼女は私じゃない。キョウでもない。勝手に入って来た部外者。

「でもね。あの妖怪じゃなくてもいつか同じようなことが起きていたかもしれない。妖怪だけじゃない。事故で死ぬかもしれない。病気で死ぬかもしれない。この世界は理不尽なんだから何が起きたって不思議じゃない」

 そんな部外者の言葉にどうして私は耳を傾けてしまったのだろう。自分の不甲斐なさが嫌になる。

「でも……そんな『たられば』をどうにかするのが私の役目なの。私がしなければならないことなの。私の存在意義なの。どんなに相手が強敵でも、どんな悲惨な事故でも、どんな難病でも……全ての理不尽からキョウを守らなくちゃならなかった。それなのに私は自分を優先にしてしまった。それが間違いだった」

 どんなに自分の身を守ってもキョウがいなければ全て無駄に終わってしまうことを忘れていた。私がこうやって生きていけるのはキョウがいたからだ。キョウが死んでしまえば私だって一緒に死んでしまう。だって、私たちは一心同体なのだから。

「この罪は誰にも押し付けちゃいけない……ううん、誰にも押し付けたくない。私という存在は“キョウを守る”ためにあるんだから。こんな理不尽なんかに負けていたらこの先、キョウを守ることなんて出来るわけないんだから!」

 だから、私はもう目を逸らさない。全ての理不尽からキョウを守るなんてできなかった。そのせいでキョウは苦しんでしまった。でも、彼はまた立ち上がってくれた。前に進んでくれた。なら、私だって同じだ。キョウが立ち上がるのなら私も顔を上げよう。キョウが前に進むのなら私も前を見よう。もうあんな結末を迎えないために。

「……はは」

 すると、彼女は肩を竦めながら笑った。

「まぁ、いいさ。手っ取り早くお前を取り込みたかったけど他にも方法はある」

「……どういうこと?」

「私は狂気。憎しみや悲しみなどの負の感情で強くなる」

「狂気!? 何故、そんな存在がキョウの中に!?」

 そこまで言って私はフランの顔を思い出した。もしかしたら彼女の中の狂気がキョウに移ってしまったのだろうか。

「確かに私はあの吸血鬼の中にいた。だが、自我なんてなかったさ」

「自我がなかった……じゃあ、何故今のあなたは」

「お前のおかげだよ、吸血鬼」

 ニヤリと笑う狂気の言葉に思わず、言葉を失ってしまう。私の、おかげ?

「ああ、そうさ。あの子が死んでしまった時、お前の感情が爆発し、私に自我が生まれた」

「そんなこと、起きるわけが……」

「起きているんだから認めろよ。私がここにいることがその証拠だ」

「そんな……」

 まさかまた私のせいでキョウが危険な目に遭うのだろうか。一瞬、目の前が真っ暗になりかけたがグッと堪え、頭を振って気持ちを切り替える。

「……負の感情で強くなるならキョウにそんな感情を抱かせなければいい。楽しい気持ちでキョウの心をいっぱいにすれば!」

「それができるとでも思ってるのか?」

「っ……」

「キョウは人間だ。負の感情を抱くことなく生き続けるなんて不可能。確かに楽しいことがたくさんあればその分、私に供給される力は少なくなるだろう。だが、長い年月が経てばどうだ? どんなに小さな力でも溜まれば大きくなる。そして、力を蓄え終えた時、キョウは狂う」

 彼女の計画に私は奥歯を噛みしめた。息を潜め、牙を研ぎ、キョウの首を噛み潰すその時をジッと待ち続けるつもりなのだ。狂気の言う通り、今すぐとは言わずともキョウはいつか狂ってしまう。それまでの間にどうにかしなければ。

「おっと、言っておくけどお前だって無関係じゃないんだぞ」

「……え?」

「考えてもみろ。吸血鬼は人外。人であるキョウが使っていい力じゃない。そんな力を使い続ければ……どうなるんだろうな」

「何を、言って……」

 いや、私は知っている。何度も言い聞かせて来たことだ。吸血鬼の力を使えば使うほどキョウはこちら側に近づいてしまう。そして、使い過ぎてしまったらキョウは吸血鬼になってしまうのだ。

「その顔は知ってるんだな。なら、後はわかるよな? 吸血鬼になってしまったキョウがどうなるのか」

「……」

 この狂気は元々フランの中にいた存在。吸血鬼との親和性は高いはず。もし、キョウが吸血鬼になってしまったら――。

「まぁ、今日はこの辺で引っ込むとする。せいぜい大人しくその時が来るまでキョウを見守ることだな」

 そう言って狂気は姿を消した。その瞬間、私は思わずその場にへたり込んでしまう。

 キョウが負の感情を抱けばその分だけ狂気が強くなる。

 でも、負の感情を抱かないように私が手助けしようとするとキョウの吸血鬼化が進み、一線を越えてしまったらキョウは吸血鬼となり、狂気に飲み込まれる。

 だが、私が手助けしなければキョウは傷つき、負の感情を抱く。

 完全に手詰まり。私は何もかも遅すぎたのだ。何もかも。

「……キョウ、ごめん、なさい」

 桔梗の子守唄を聞きながら気持ちよさそうに眠る彼の寝顔を見ながら私は一粒の涙を零した。


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