「――ッ!?」
それはやはり唐突だった。店主に言われた通りに荷物を運んでいるといきなりキョウはビクッと肩を震わせたのだ。私もそれを見つけて目を丸くしていた。そう、時空を飛び越える前兆である白い球体だ。
「き、桔梗!! 森近さん!!」
キョウはその場に荷物を置いて近くで働いていた2人を呼ぶ。彼の声を聞いた2人は慌てた様子でキョウの元へ駆け寄った。
「マスター、どうしました?」
「時空を飛び越える兆しが出ちゃった! もう少しで跳んじゃうよ!」
「え、ええええええ!?」
まさかこのタイミングで来るとは思わなかったのか桔梗は目を丸くして叫ぶ。そんなことをしている間も白い球体の数はどんどん増えていく。
「そう言えばキョウ君と桔梗は時空を飛び越えてこの時代に来たんだったね。じゃあ、もうお別れなのかい?」
「はい……すみません、突然で」
キョウたちはまだ弁償を終えていない。それが心残りなのだろう。彼は申し訳なさそうに店主に謝罪した。
「それじゃ、また僕に会うことがあったらその時に弁償の続きして貰うよ」
「は、はい、わかりました! 桔梗、おいで!」
キョウが桔梗を呼ぶと彼女はすぐに彼の腕にしがみ付き、その間に素早く鎌を背負った。これで忘れ物はないはずである。
「森近さん、今までありがとうございました!」
「僕も楽しかったよ。またおいで」
「はい!」
右手を振りながら店主に別れを告げると私たちの視界は白に染まる。しかし、奇妙な浮遊感を覚えただけで気を失うことはなかった。どれほど時間が経っただろう。時空移動が終わり、キョウは難なく地面に着地した。
「桔梗、大丈夫?」
「はい、何ともありません。マスターも大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
ちゃんと腕に桔梗がいることを確認した彼はすぐに周囲を見渡す。林の中なのはわかるが幻想郷のどの辺りなのか把握するのは難しい。だが、何なのだろうか、この違和感は。幻想郷にしては空気中の霊力や魔力の濃度が薄いような気がする。
「ここはどこでしょうか?」
「うーん、とりあえず、空を飛んで周りの様子を見た方が――ッ!!」
その時、私たちの頭上から凄まじい轟音が轟いた。聞き覚えのない音。しかし、私はその正体を知っていた。いや、知識として植え付けられていた。だからこそ私もキョウも言葉を失ってしまう。
(う、嘘……)
「ま、マスター! 何ですかこの音!? 敵ですか!?」
「う、ううん、違う! この音は!」
慌てふためく桔梗を宥めながら彼は空を見上げる。そして、木々の隙間から見えた青空を巨大な鉄の塊――飛行機が通り過ぎた。
「飛行機……じゃあ、ここは」
(幻想郷ではなく……)
外の世界。つまり、ここはキョウが住んでいた世界だ。
「つまり、ここはマスターが住んでいた世界……幻想郷から見て外の世界ということですか?」
飛行機を目撃して言葉を失っていたキョウだったが心配そうにしていた桔梗を見て我に返り、ここが外の世界であると説明した。それを聞いた桔梗は目を丸くしている。無理もない。桔梗は幻想郷で生まれた。いきなり外の世界だと言われても困ってしまうだろう。
「うん……でも、どうして外の世界に来ちゃったんだろ? 今までそんなことなかったのに……」
「少なくとも幻想郷内でしたよね? そもそもマスターの時空移動に法則性を見受けられません」
キョウの能力により時空を移動してここまでやって来たのだが、飛んだ先は幻想郷内という共通点しかなく、場所はもちろん時間軸すら違うのだ。
「それさえわかれば色々助かるんだけど……」
「ん?」
憂鬱そうにため息を吐くキョウに対し、桔梗は不意に後ろを振り返った。彼女が見た方に注意を向けると微かに水の音が聞こえる。キョウもそれに気付いたようで話し合いの結果、徒歩で水の音が聞こえる方向へ向かった。
「ここは……」
「川ですね」
歩き始めてから少し経ってキョウたちの目の前に外の世界にして珍しい綺麗な川が現れた。
「綺麗な川だね。飲めるかな?」
「ちょっと待っていてください」
桔梗はこいしと出会った時代で薬草を食べたことで毒素を探知できるようになっていた。そのため、飲めそうな水を見つけた時に桔梗に毒素が含まれているか確認して貰っているのである。まぁ、毒素が含まれていないと言っても生水を飲むのはあまりお勧めしないが。
「……毒素は含まれていません。飲めます」
川に手を入れた桔梗はすぐに頷いた。それを聞いたキョウは川の水をすくって飲み始める。この時代に来る直前まで力仕事をしていたからか喉が渇いていたらしい。それにしても外の世界なのに人の気配を感じられなかった。先ほどまで歩いて来た林はそれなりに手入れされているようだったし誰も近づかない場所だとは考えにくいのだが。キョウたちも人の気配がないことを不思議に思っているようで首を傾げている。しかし、すぐにキョウが体を洗うと言ったせいで話はそこで打ち切られてしまった。私としてはもう少し周囲の安全を確認した後にして欲しいのだが、私の意見など伝わるわけもなく、桔梗に薪を探しに行かせる。
「よっと」
石鹸のような便利な道具はない――そもそも川で化学製品を使ってはいけないので体を擦って汚れを落としたキョウは髪を洗い始める。幻想郷を旅している間、キョウは髪を切る機会がなく、伸ばしっぱなしになっていた。普通ならばパサパサになったりと不恰好になってしまうのだが、キョウの髪型は肩甲骨に届くほどの綺麗なストレートである。キョウのキューティクルは相当強いらしい。キョウ自身まだ子供なので一般人には女の子にしか見えないだろう。まぁ、幻想郷の住人たちは霊力を感じ取れるのでキョウの霊力が陽であることから男だと判断したようで間違えられることはなかったが。
「そこに誰かいるの?」
髪を洗い終えたキョウが水に浸かろうとした瞬間、対岸の草むらからキョウと同じくらいの少女が顔を覗かせる。考え事に夢中で気配に気づかなかった。すぐに警戒するが何も出来ないことを思い出し、奥歯を噛みしめる。
「「……」」
いきなり少女が現れるとは思わなかったキョウとまさか川で体を洗っているとは思わなかった少女は無言のまま、見つめ合う。
「え、えっと……とりあえず、服着ていい?」
「あ、うん。いいよ」
さすがにこのまま硬直していれば風邪を引くと思ったのかキョウが少女にそう言うと彼女は戸惑いながらも頷いた。それから話し合おうとしたが薪を拾って来た桔梗が来てしまったりと色々あったが何とか落ち着かせて少女に事情を説明した。
「……大体の話はわかったけど、信じられないよ。時空を移動してるなんて」
「まぁ、そりゃそうだよね」
事情を聞いた彼女は訝しげにキョウたちを見たがすぐに諦めたようにため息を吐く。
「でも、人形は話すし、変形するし……信じるしかないんだよね」
「信じてくれるの?」
「うん。これでも一応、そっち側の話は他の人より詳しい自覚あるから」
「小さいのにすごいね」
「貴方も私と同じくらいだよ?」
忘れそうになるがキョウはまだ5歳。それなのに色々なことに巻き込まれ、経験して“しまった”。そのせいで彼は他の子よりも聡明になってしまったのだろう。私としてはキョウには普通の子供のような人生を送って欲しい。もう、私がいる時点で手遅れなのだが。
(それにしても……)
私はジッと少女を観察する。未だ草むらから出て来ない。それほどキョウたちを警戒しているのだろう。別に警戒することに異を唱えるつもりはない。私だっていきなり川で体を洗っている男の子を見たら警戒する。しかも、その子の傍に動く、話す、変形する人形がいればなおさらのこと。私が気になったのは彼女の口調。何というか無理して“幼く”話しているような気がする。いや、無理はしてない。警戒して『自分がただの5歳児』であるように見せているような――。
「それじゃ私も自己紹介するね」
『……え?』
その時、彼女はやっと草むらから出て来た。そして、私は目を見開く。
――ごめんね。こうするしか、ないの。もしものことがあった時、この子をよろしくお願いします。
不意に脳裏に過ぎる誰かの言葉。思い出そうとするがバチッと電撃のような痛みが走って思い出すことができない。でも、これだけはわかった。
「私の名前は霊夢。博麗 霊夢。ここ、博麗神社の巫女見習いをしてるの」
私は少女――『博麗 霊夢』に会ったことがある。
やっとAパートが第9章に追い付きました。これからAパートはCパートのおさらいと言いますか、ナレーションが多くなると思いますのでよろしくお願いします。