東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第387話 コード

 戦いが再開してすぐに男の右拳とキョウの右足が激突し、その衝撃で男の足元に皹が走った。キョウは足に纏わりついている濁った霊力を鉤爪のように尖らせた上、後方へ霊力を放出している。普通ならば彼の一撃を拳で受け止めた瞬間、骨折はおろか拳そのものが砕けてしまってもおかしくない。だが、男の拳はしっかりとキョウの足を受け止めていた。

「――ッ」

 数秒ほど拳と足が均衡していたが男が顔を歪ませながら右腕を引き、もう一度前で突き出す。すると、ガントレットから甲高い音が響き、先ほどの均衡が嘘のように簡単にキョウの体を吹き飛ばした。吹き飛ばされたキョウは霊夢を落とさないように気を付けながら空中でバランスを取る。だが、男がその隙を見逃すはずがなかった。

「守ってみろよ」

 いつの間にかキョウの頭上へ移動していた男はニヤリと笑った後、幼い獣の頭目掛けて踵を振り落した。咄嗟に霊力を真上で集中させるキョウだったが男の踵落としの勢いに負けて霧散してしまう。霊夢だけでも守ろうとしたのかキョウは後ろを振り返り、踵落としを背中で受けた。そのまま凄まじい勢いで地面に叩き付けられ、粉塵が舞う。

 それを見ながら地面に着地した男だったがすぐに飛び退り、粉塵から濁った霊力が鞭のように伸びて男が先ほどまで立っていた地面を抉った。

「ちっ……ノーダメージか」

 粉塵が晴れ、傷一つないキョウの姿を見て彼は舌打ちする。踵落としが当たる直前、濁った霊力を真上に放出して踵落としの勢いを殺すと同時に急降下して直撃を避けたのだ。もちろん、霊力の中にいる霊夢も無傷である。

「……」

 飛び退った男がキョウに視線を向けると彼は腕の中にいる霊夢をジッと見ていた。追撃して来ると思っていた男はその光景に目を細める。そして、キョウは霊夢から手を放して濁った霊力を操作し、戦いの余波で境内の端に飛ばされていた霊奈の隣に寝かせた。男と戦いながら霊夢を守るのは難しいと判断したらしい。

「『MODE:QUICK』」

 キョウが霊夢を避難させている間、男が小さな声で別のキーワードを呟いた。溝を流れていた赤い光が緑に変化する。そして、男の姿が消えた。

「――」

 目の前から敵が消えてキョウは目を見開き、濁った霊力を地面にぶつける。その反動で小さな体が真上に飛んだ。

「ほー、躱したか」

 空中で体勢を立て直しながら周囲を見渡していたキョウの後ろで男が感心したのか声を漏らし、幼い獣の頭を鷲掴みにする。

 一度真上を取られたキョウだったがあの時は吹き飛ばされた隙を突かれた。しかし、今回は違う。本能に従って上空に逃げたキョウはずっと男の気配を探っていた。理性を失っていても今までの旅で得た経験は消えなかったのだ。

 だからこそ、獣は驚愕した。捉え続けていた男の気配が突然背後に移動したのである。キョウが混乱している間に頭を掴んだ男は急降下して地面にキョウの頭を叩きつけた。そのあまりの腕力に境内が陥没する。

「くっ……」

 しかし、うめき声をあげたのは男の方だった。キョウの頭から手を離して距離を取る。彼の手に濁った霊力が纏わりついていた。微かに肉が溶ける音が聞こえる。

(鎧の隙間から入ったか)

 男が作った鎧の素材はオカルトに強い上に弾くという特殊な金属を使用している。だが、鎧がカバーできるのは鎧に触れている部分であり、隙間から侵入した力はどうすることもできない。偶然ではあるがキョウの霊力が鎧の隙間から中に入り込み、男の右手を“腐食”させているのだ。だが、彼にとって今の状況は想定内である。

「『RESIST』、『RECOVERY』」

 キョウが体を起こしているのを見ながら男は冷静に言葉を紡いだ。すると、鎧の隙間から漏れていた霊力が弾け飛び、腐食していた右手から痛みが引いた。鎧から侵入したオカルトを弾く『RESIST』、負傷した部位を局地的に治療する『RECOVERY』である。この2つ以外にも一時的に相手の動きを止める弾丸を放つ『STUN』、認識外もしくは認識できないほどの速度で放たれた攻撃を防ぐ絶対防御『AUTOGUARD』、鎧の破損を修理する『REPAIR』など様々な状況を想定してキーワードと機能が設定されている。『AUTOGUARD』は常時発動しているが。

 また、『MODE:ATTACK』、『MODE:QUICK』のように鎧の基本性能を変えて、敵のバトルスタイルに合わせて戦法を変更することも可能だ。攻撃力が高くなる『MODE:ATTACK』。移動速度が極限まで高まる『MODE:QUICK』。まだ出て来ていないが防御力の増す『MODE:DEFENSE』がある。多くの兵器を開発して来た彼自身が『2番目の傑作』と自賛するほどこの鎧は高性能だった。

「……」

 傷を治した頃になってやっとキョウが顔を上げる。地面が割れるほどの勢いで叩きつけられたのにもかかわず彼に目立つ傷はない。いや、額に血がこびりついているので傷はできていたようだがすでに治っていたのだ。更にいつの間にか彼の背中に漆黒の小さな翼が生えていた。

(……吸血鬼化が進んでる? いや、始まったのか)

 ある程度キョウに関する情報を持っている男は彼の姿を見てそう結論付ける。情報よりも彼から感じる吸血鬼の力が弱いのだ。吸血鬼には『超高速再生』という能力があるので傷が治ったのも頷ける。

 だが、問題は吸血鬼化が始まったことによるキョウの戦闘力の上昇。『MODE:ATTACK』では勝てないと踏み、『MODE:QUICK』に変えて攻撃力を犠牲にして上げた速度で翻弄しながら少しずつダメージを与える作戦だったが『超高速再生』は即死しなければ霊力がある限り、傷を治すことができる。今の彼は理屈は不明だが体から溢れるほどの霊力を持っているのだ。『MODE:QUICK』では長期戦になってしまう。

(あんまり長居はできないんだよなぁ)

 自分の体の変化に戸惑っているのか背中の翼を動かしているキョウを見ながら男はそっとため息を吐いた。おそらく治癒能力だけでなく、攻撃力や速度も上がっているだろう。普通に攻撃しているだけでは倒し切れそうにない。『これで2番目の傑作か』と鎧を持参した昔の己を嘲笑した後、口を開く。

「『MODE:ATTACK』、『STUN』」

 再び攻撃重視に戻した彼は左手をキョウに向けて拘束のコードを呟いた。左手から放たれた光球は体の調子を確かめている幼い吸血鬼に当たり、その体を痺れさせる。

「……?」

 いきなり体が動かなくなったキョウはわずかに首を傾げ、男に視線を向け自然と2人の目が合った。

「ッ……」

 ドス黒い紅に染まった瞳。血を彷彿とさせる眼。それでいてとても宝石のような美しい目。一瞬だけその紅に引き込まれそうになったが頭を振って正気に戻り、次のコードを使った。

「『BIND』」

 男の手から鎖が伸びてキョウの体に巻き付き、拘束する。『STUN』は相手の動きを止められるが数秒で効果が切れてしまう。また、『BIND』は頑丈な鎖で相手を拘束する機能だが、拘束するまでに多少時間がかかってしまうため、躱される恐れがあった。だから、男は『STUN』で動きを止め、『BIND』を確実に決めたのだ。

「『SCISSORS』」

 そして、最後のコードを使うと彼の右手に巨大な鋏が出現した。キョウは鋏を見て己の危機に気付いたのか逃げようと暴れるが吸血鬼の力でも『BIND』は解けない。ガチャガチャと鎖がぶつかり合う音が響く中、男はゆっくりとキョウの前まで移動する。そのまま両手で持ち手を動かして鋏の刃を開き、キョウの首に宛がう。

(何か、拍子抜けだな……)

 吸血鬼化した獣を倒すのにどれだけ苦労するのだろうと悩んでいたのが嘘のようだ。そう、あまりにも上手く行きすぎているからこそ、彼は気付けた。

(いや、違う……拍子抜け、すぎるッ!)

「――ぁッ!」

 咄嗟に持っていた鋏の刃の先端を鎧の隙間に突き刺した。太ももに走った痛みで目の前が一瞬だけ真っ白になるがその刹那、目の前で拘束されていたキョウの姿が消え、背中に悪寒が走る。すぐに前に飛ぶと頭上でゴウ、と空を切る音が聞こえた。地面を転がった後、後ろを見れば霊力を纏った右足を横に振り抜いた状態で浮遊しているキョウの姿を見つける。

(幻覚!? あの時か!)

 今まで見ていた光景が彼の創りだした幻覚だとわかり、すぐにキョウと目が合った時、彼の瞳に吸い込まれそうになったことを思い出した。もし、違和感に気付かなければ今頃、彼の頭部は体に永遠の別れを告げていただろう。

「『RECOVERY』……さすがに一筋縄じゃいかねーか」

 地面に着地してこちらの様子を窺っているキョウを見て男は冷や汗を流しながら面倒臭そうに独り言をごちた。


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