パラパラと小さな石が境内に落ちる音がする中、突き出していた桔梗【盾】を引いて姿勢を戻す。目の前に広がるのは桔梗【盾】が放った衝撃波によって倒れる木々。笠崎の姿はどこにもない。いや、林の向こうに消えたせいでここから見えないだけだ。そんな林の無残な姿を見て背後で霊夢と霊奈が声を失っているのが気配だけでわかった。驚くのは無理もない。俺だってこれほどまでに桔梗【盾】の衝撃波に威力があるとは思わなかったのだから。
「すみません……マスターと契約してから私の性能が全体的に上がったようで」
「いや……まぁ、結果オーライ。一先ず、人形に戻ってくれ」
「わかりました」
人形の姿に戻った桔梗は俺の肩に乗り、すぐに霊夢たちの傍へ駆け寄る。笠崎を林の向こうへ追いやったのは彼女たちの治療をするためだ。特に
「ななさん、よね?」
「今は時間がない。後で説明する。桔梗、霊夢と霊奈の治療を頼む。【薬草】を使えば何とかなるだろ?」
「そう、ですけど……マスターが治した方がいいのではないでしょうか? 【薬草】はあくまでも治癒能力を向上するだけで一瞬で傷を癒すことはできません。霊夢さんはともかく霊奈さんの傷をこのまま放置するわけにも……」
「すまん、俺、回復魔法は使えないんだ」
俺にはパチュリーすら他の魔法を伸ばした方がいいと匙を投げるほど回復魔法の才能はなかったらしい。回復魔法よりまだマシだった火炎魔法は念のために初級レベルの魔法は覚えたが吸血鬼の特性の一つである『超高速再生』もあったので回復魔法に関しては完全に放置したのだ。そのため、他の人の治療をするためには翠炎で患部を焼いて傷そのものをなかったことにするしかないのである。
「……え?」
「だから、2人の治療は頼んだ。これ使っていいから」
何故か目を丸くしていた桔梗をまだ混乱している霊夢にスキホから取り出した救急箱と一緒に預けてうつ伏せで倒れている
『……気のせいであって欲しかったけどやっぱり』
(ああ、吸血鬼化が進んでる)
桔梗がいる時点で
もちろん、このまま
「……桔梗」
「はい、なんでしょう?」
大怪我を負って倒れていた霊奈を霊夢が抱えるように支え、【薬草】と救急箱に入っていた道具を使って治療している桔梗に声をかける。彼女は治療の手を一度止めてこちらを見ながら首を傾げた。
「過去の……キョウの容態だが一刻を争う」
念のために
「え……でも」
桔梗は
「実は――」
すぐに3人に
「何かあったのか?」
「私たちが目覚めた時、キョウの背中に黒い蝙蝠のような翼が生えてたのよ。気配も人間のものじゃなかった。気絶したら普段の彼に戻ったけど」
確かに今のキョウの気配は人間のものに“近い”。吸血鬼の気配は薄かったので吸血鬼という存在を知らなければ気付けないだろう。
「それでキョウは助かるの?」
「ああ、方法はある……あるにはあるが」
霊奈の言葉に頷くがすぐに桔梗を見た。この方法を実行するには彼女の許可が必要になる。この方法は彼女にとって耐えがたいものだから。
「桔梗、俺が生き返るところを見たんだよな?」
「は、はい……絶命してすぐに緑色の炎に包まれた時は本当に驚きました」
『生き返る』や『絶命』という言葉を耳にして霊夢たちが目を丸くしている。だが、彼女たちに説明している時間はないので無視することにした。
「あの炎は翠炎と言って矛盾を焼き尽くす炎なんだ。それを応用すれば焼いた対象の時間を戻すことができる。それで“俺の死”をなかったことにしたんだ」
「じゃあ、マスターにその翠炎を使えば!」
「ああ、吸血鬼化する前に……具体的に言えば彼の中にいる吸血鬼に自我が芽生える前の状態に戻せば吸血鬼化を防ぐことができる」
おそらく笠崎と出会う前の時点で
「でも、翠炎はそこまで便利なものじゃない……戻す時間が長ければ長いほど色々な問題が起こる。その中の一つに魂波長と肉体のズレだ。この二つのズレが大きくなるとキョウの体に異常が生じてしまう可能性が高くなる。最悪、廃人になるだろう」
そもそも魂波長に干渉すること自体、危険な行為なのだ。俺は魂の構造が歪だからこそこのような反則技を使えるが
「そんなっ……では、マスターは助からないのですか!?」
「いや、逆に言えば魂波長と肉体のズレをなくせばいい」
「……キョウの肉体の時間も戻すのね」
霊夢は霊奈の傷を消毒しながら呟く。彼女の声は少しだけ震えていた。勘のいい彼女のことだ。俺がここまで躊躇している理由がわかってしまったのだろう。
「なら、マスターの肉体の時間を戻してください! そうすれば――」
「――キョウの記憶も消える。肉体ごと時間を巻き戻すなら混乱しないようにキョウが幻想郷に迷い込む直前までの記憶を消すつもりだ。きっと桔梗たちのことも忘れてしまう」
先ほど蘇生したせいで少しばかり翠炎の力が足りなくなってしまったので幻想郷に来てから成長した肉体の全ては元に戻せない。そのため、目が覚めた時に自分の体に違和感を覚えるかもしれないが記憶だけは中途半端にするわけにはいかないのだ。もちろん、混乱してしまうのはそうだが――。
「マスターの、記憶が消える? 待ってください、貴方は私のことを覚えていましたよね?」
「……俺は過去の記憶を夢として見ただけで記憶そのものを取り戻したわけじゃない」
――なにより今の俺が過去の出来事を覚えていないので辻妻を合わせなければパラドックスが起きてこの世界が俺のいる世界軸からズレ、平行世界になってしまうのだ。きっと俺が見て来た夢は魂に残った記憶の残滓だったのだろう。
「……おそらくキョウの記憶が消えることに一番抵抗があるのは桔梗のはずだ。だから、お前が決めろ。記憶をなくして彼を助けるか。記憶を消さずに彼を吸血鬼にするか。もちろん、吸血鬼化してしまったら俺も可能な限り手助けする。これでも吸血鬼には慣れてるんだ。彼が吸血鬼について学び、1人でも生きて行けるようになるまで面倒を見る。吸血鬼になったとしても多少暮らしにくくなるだけで別に今すぐ死んでしまうわけではないからな」
「……」
桔梗は戸惑った様子で俺と
「マスター……お元気で」
そのまま彼の頬に短い口付けを落とし、別れを告げる。記憶をなくせば彼の傍にいられないことを彼女は察したのだ。
「……いいのか?」
「はい。死ぬわけじゃないかもしれませんが彼はまだ子供です。きっと人間のまま成長した方がいいと思います。それに……私には貴方がいます。何も変わりません。まぁ……成長する彼を傍で見守りたかったのも事実ですが」
そう言って苦笑を浮かべる桔梗。ああ、やっぱり
「あ、でも記憶を消してしまうからには責任を取って貰いますからね! ちゃんと私も連れて行ってください!」
「最初からそのつもりだって……お前たちも異論はないな?」
「ええ、もちろん。私には何も言う資格はないもの」
「寂しいけど……キョウのためだもん。仕方ないよ」
霊夢と霊奈も寂しそうな表情を浮かべたがしっかりと頷いてくれた。ならば、急いで処置を施してしまおう。翠炎のナイフを創って逆手に持ち、構えた。
『もしかしたら本当にここは私たちがいる世界軸なのかも。うん、きっとそうね。ここは平行世界じゃなくて私たちが歩んで来た
(ああ、だから……今は知らなくていい。忘れていい。また会えるから。また皆と一緒に笑い合えるから。だから、今はゆっくり休め。お疲れ様、
たった独りで幻想郷に迷い込み、様々な出会いを経て、何度も死にそうになりながらもここまで成長した過去の俺を労い、彼の胸に翠炎のナイフを突き刺した。