翠炎と共に屋敷の1階を探索し始めて10分ほど経ったが壁が崩れていたり、廊下に穴が開いていたりとボロボロ過ぎるあまり探索のしようがなかった。1年半前、フランを助けに来た時、1階部分で暴れた上に脱出するために壁を破壊したせいである。2階から4階には行っていないので1階よりはマシなはずだ。また、仮にこの屋敷を拠点としていたとしても戦場になると思われる1階の部屋で寝泊まりするとは考え辛い。
「これ以上は無駄みたいだ。2階に行こう」
「ああ」
翠炎にそう提案すると彼女も同じことを思っていたのか頷き、近くにあった階段を昇って2階にやって来た。予想通り、壁や廊下はさほど壊れていない。各部屋を回って何か残っていないか確かめよう。
とりあえず一番近くにあった部屋に入る。中は簡易ベッド、小さな机と椅子、クローゼットが一つずつあるだけで特にめぼしい物はなかった。だが、いくつかの部屋を物色すると、しわくちゃになったシーツや机の上に置いてあった小説、クローゼットの中に放置されていた衣服を見つけ、奴らがここを拠点にしていたと確信した。
「最後の部屋も特になかったか」
しかし、2階の全ての部屋を調べても研究所にまつわる手がかりは出て来なかった。リーマたちには何か見つけ次第、式神通信で知らせるように言ってあるが今のところ連絡はないので向こうもまだ何も見つけていないのだろう。
「どうする? 3階に行くか?」
「……そうだな。行こう」
地下には全員で行くことになっているので先に向かうことはできない。本来であれば3階はリーマたちの担当だがこのまま何もしないのも勿体ない。早速3階に続く階段を昇ると丁度部屋から出て来るリーマたちを見つけた。向こうもすぐにこちらに気付き、首を傾げる。
「あれ、響どうしたの?」
「2階まで終わったから手伝いに来た。何かあったか?」
「まったく……誰かが寝泊まりしてたのはわかったけどそれ以上は何も」
「そうか。なら、早く3階の探索を終わらせて地下に行こう」
俺の質問にため息交じりに答える弥生。まぁ、最初から地上部分は手がかりがあればいい程度だったのでさほど気にせずまだ探索していない部屋を聞き、二手に別れて探索を再開する。だが、やはりと言うべきか俺たちが探索した部屋には何もなかった。
『きょ、響、こっち来て! 右端の部屋!』
リーマたちと合流しようと部屋を出た時、脳内にリーマの声が響いた。どうやら、何か見つけたらしい。式神通信は翠炎にも聞こえるので俺たちはほぼ同時に右端の部屋に向かって駆け出した。
「あ、響! これ!」
部屋に入るとリーマと弥生が机の前に立っており、こちらに気付いたリーマがすぐに何かを差し出した。彼女の手にあったのは1冊の大学ノート。ノートを受け取り、表紙を見ると『diary』と書いていた。ここで寝泊まりしていた人の日記。勝手に見るのは心苦しいが仕方ない。心の中で謝った後、ノートを開いた。
『上司の命令で郊外にある屋敷に引っ越して来た。どうやらここで大規模な作戦が行われるらしい。仕事なのでしょうがないが正直言って面倒だ。早く終わらせて家に帰りたい』
日付の書いていない1ページ目を読み、俺たちは目を見合わせる。俺が戦った兵士は雇われた人だったらしい。確かに研究員を何人も抱えている状態で兵士まで用意するのは難しいだろう。だが、日記にも書いてある通り、雇った兵士はよっぽどのことがない限り、士気は高くない。
(でも、当時の兵士たちの士気はそこまで低くはなかった)
大規模な作戦――フランの誘拐が実行されるまでの間に士気が高くなる出来事でもあったのだろうか。とりあえず、このまま考えていても埒が明かないので次のページを開いた。
『ここに来てから数日が経った。当初は面倒な仕事だと思っていたが雇い主と話している内に不思議とやる気が出てきた。他の奴らも同じみたいで今では屋敷の中を歩き回って色々と作戦を考えているらしい。俺も負けてられないな』
この日記を書いた人はかなりずぼらだったようで1ページ目から数日が経っていた。しかし、たった数日で低かった士気が高くなっている。原因は雇い主と話したことみたいだがそれだけで士気が高まるとは思えない。ページを捲って続きを読むが雇い主を褒める言葉や作戦の内容が淡々と綴られているだけで手がかりとなるようなことは書いていなかった。
「雇主と会話しただけで士気が上がる……それほど雇い主が素晴らしい人だったということか?」
「でも、雇われた兵士全員が尊敬するってあり得ないでしょ。響じゃあるまいし」
「どういう意味だっ」
「いたっ」
翠炎の言葉を否定したリーマの頭を軽く叩いてもう一度日記に視線を落とす。途中で書くのが面倒になったのか、それとも作戦が始まったのか日記のページは半分以上残っている。最後のページも今までと同じような内容だった。
「……ねぇ、確か西さんって操られてたんだよね?」
これ以上の手がかりはないと判断し、日記を閉じようとした時、不意に弥生が確認するように俺たちに問いかける。確実とは言えないが彼女の話を信じるならば西さんは操られていた可能性が高い。操られていたというより洗脳というべきか。『俺の名前を聞いても言気にならない』、『研究内容に不信感を抱かない』と洗脳すれば研究員と話す時に俺の名前が出て来ても何も思わなかったことや明らかにオカルト染みた研究なのに真面目に働いていたことも説明できる。研究所の名前や場所がわからなくなったのもそのように仕掛けを施せば可能なはずだ。
「ああ、そう考えるのが妥当だと思う。それがどうかしたのか?」
「もしかしてこの兵士たちも操られたんじゃない? 雇い主と話した時に」
なるほど、それならば数日で兵士たちの士気が高まったのも頷ける。しかし、もしそれが本当だとすれば雇い主は“会話しただけで洗脳できる”ことになってしまう。敵には未知の技術があることもわかっているので洗脳する機械の小型化に成功したのかもしれない。少なくとも厄介なことには変わらないが。
(問題は雇い主が誰かってことだが……おそらくボイスチェンジャーだ。あいつは俺の能力を知っていた上、望たちが誘拐された時も兵士たちは奴のことを信頼していた。この兵士のように洗脳したんだろう)
だが、西さんの洗脳が解けた今、他の人たちの洗脳も解けた可能性が高い。俺の名前や明らかにおかしい研究内容を見聞きしても正気に戻らないほど強力な洗脳だ。レポートを見ただけでそれが解けるとは思えない。つまり、組織の目的を達成する目途が立ち、洗脳していた人たちは用済みになり、解放されたのである。
「それなら西が目を覚ました後、親に連絡が取れるか試してもらおう。西以外の研究員の洗脳も解けてるかもしれない」
俺の推測を聞いた翠炎が腕を組みながらそう提案した。雅に式神通信で連絡を取ったところ、まだ西さんは目を覚ましていないらしい。とりあえず、兵士の日記や洗脳に関する推測を伝え、式神通信を切った。兵士の日記をスキホに収納した後、部屋を出る。
「ここが最後の部屋だったのか?」
「ううん、あと2つ残ってるよ」
「じゃあ、パパっと探索して地下に行こう」
これだけ屋敷を探索して見つけた手がかりは1つ。地上部分にはもう何もないと判断して手早く探索を済ませようと俺たちは再び二手に別れて部屋に入った。
「……これは」
そして、何となく気になったベッドのシーツを捲り、一つの封筒を見つける。それは『■■■へ』と何故か宛名が黒く塗り潰された名も知らぬ誰かの遺書だった。