「あの、あなたは……」
私たちをどこか懐かしそうに眺める男性におそるおそる尋ねる。服装はジーパンにダウンと普通の恰好。大きな荷物を持っていないのでこの辺りに住んでいる人なのだろう。でも、どうしてこんな森の中に?
「ああ、すみません。この池を管理している者です……まぁ、自称しているだけだから証拠を出せと言われたら困るんだけどね。でも、一応、この森の所有権は僕の家が持っているからそれで納得してくれるかな?」
そう言って男性は笑みを零して池に視線を移す。池を眺める表情は優しく、池を管理していると言ったのも頷ける。彼は本当にこの池が大切なのだとわかってしまったから。
「……信じます。それで、えっと……池の管理者さん? さっき言ってた久しぶりっていうのは」
「ん? ああ、それはね……この池はちょっと特殊な場所にあるからここに人が来るのは本当に珍しいことなんだ。正直、君たちがここに僕の案内なしで辿り着いたことに驚いているんだよ?」
「特殊な場所? そんな風には見えないけど」
私を支えながらキョロキョロと辺りを見渡す雅ちゃん。少し離れた場所で管理人さんを警戒している
「ははっ……ごめんごめん。この池は別に普通だよ。特殊なのはここまで来る道さ。君たちはどうやってこの池に辿り着いたんだい?」
「それは……えっと、何となく進んだら」
お父さんの残滓を追いかけて辿り着いたとは言えず、適当に誤魔化してしまう。我ながら何とも苦しい誤魔化し方だと思うが何故かそれを聞いた管理人さんはまた懐かしそうに目を細めた。
「まさかとは思っていたけど……何かに導かれてここに来たんじゃないのかい?」
「ッ……どうして、それを」
「僕もそうだったからさ。この森は高低差が激しく、目印となるものも少ないから初見でこの池に辿り着ける人はまずいない。僕も案内人なしでここに辿り着けるようになるまで数年ほどかかったよ」
「そ、その案内人って!?」
もしかしたらお父さんの知り合いかもしれない。そう思い当たった瞬間、私はそう大声で問いかけていた。いきなり声を荒げたせいか目を白黒させる管理人さんだったがすぐに優しげに微笑んだ。
「信じてもらえないかもしれないけど……蛍さ」
「蛍?」
「ずっと昔、真っ暗な夜に散歩していたら一匹の蛍を見かけてね。それを追いかけてこの池に辿り着いたんだよ。それからこの池に通い始めたんだけど、本格的にこの池を管理するまで蛍が出る季節にならないと池に辿り着けなくてね。でも、逆に言えば蛍さえいれば必ずここに辿り着くことができたんだよ」
蛍に導かれなければ辿り着けない池。こんな状況でなければロマンチックだと女心をくすぐられていたかもしれない。じゃあ、どうしてそんな池までお父さんの残滓が残っていたのだろう。そういえば森に入る前に何かを探していた。お父さんも管理人さんと同じように蛍を探していたのだろうか。
「それで? 君たちは何に導かれてここまで来たんだい? お嬢さんの反応からしてあまり人に信じてもらえなさそうなものだったみたいだけど」
さすがに私が適当に誤魔化したことはばれているらしい。いや、誤魔化したからこそ“誤魔化さなければならない理由”があることを悟られたのだ。どうする? 正直に話すか。それとも、ここで会話を打ち切ってお父さんの残滓を見たことを忘れるか。
「……実はお父さんの姿を見たような気がしてそれを追いかけて来たらここに辿り着いたんです」
この村に来たのは笠崎先生の妹さんの死について調べるため。こんな話をしている場合ではないことは理解している。
でも、今思えば私はニコニコ笑って遊んでくれるお父さんしか知らなかった。
いつも夏になると数日ほどどこかへ行ってしまうお父さんの背中しか見ていなかった。
だからこそ、どうしてもお父さんが何度もこの池を訪れていた理由が知りたかった。
私の知らないお父さんの姿を見たかった。
そう、考えてしまった私はほとんど勢いで正直に話していた。もしかしたら、この男性はお父さんのことを知っているかもしれない。そんな淡い希望を込めて。
「お父さん……ッ! も、もしかして『雷雨』さんの娘さん!?」
そして、私の言葉を聞いて管理人さんは目を見開いて叫んだ。『雷雨』はお父さんの苗字。お父さんが死ぬまで私も『雷雨』だった。もちろん、お母さんも、お兄ちゃんも。まさか本当に知り合いだとは思わず、言葉を失ってしまい、コクコクと頷くしかできなかった。
「そっか……そっかぁ。いやぁ、大きくなったんもんだなぁ。確か、望ちゃん、だったかな?」
「そ、そうです……でも、どうして私の名前を?」
「君のお父さんに何度も話を聞いたからさ。毎年、蛍が出るようになったらこの池を見ながら一緒にお酒を呑む約束をしていてね。雷雨さんは酔っぱらうと決まって家族自慢をしていたのさ」
家では決してお酒を呑まなかったお父さんが管理人さんと一緒にここで酒盛りをしていた。いきなり私の知らないお父さんの一面が出て来て目を丸くしてしまう。しかも、家族自慢をしていたらしい。
「お、お父さんはどんな話を?」
「奥さんに振り回されて大変だけど楽しい、とか。響君にはバイオリンの才能がある、とか……望ちゃんが可愛くて仕方ない、とかね。事ある毎に写真を見せてきて。本当に……本当に、幸せそうに笑っていたよ」
「っ……」
私たちの家族は私とお母さん以外、血の繋がりのない歪な家族だった。お兄ちゃんもお父さんもそんなこと気にしていないように家族として接してくれた。でも、もしかしたら心のどこかで不安があったのかもしれない。だから、私はお父さんのことを深く知ろうとしなかったし、悩みがあっても家族に相談せずにずっと飲み込み続けて壊れてしまったこともあった。あの時はお兄ちゃんのおかげで何とか正気に戻ることができたがあのまま放置されていたら私はどうなっていたことだろう。
「そっか……お父さん、幸せだったんだ」
だが、管理人さんの話を聞いてやっと確信が持てた。お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも、本物の家族だったのだと。ただ一つ悔やまれるのが気付くのがあまりに遅かったこと。お父さんが死ぬ前に気付くことができていたら、そう思わずにはいられなかった。
「幸せ、だった……ということは」
「……はい、病気で亡くなりました」
お父さんが死んだことを知らなかったのか管理人さんはそれを聞いて初めて顔を歪めた。そのまま私たちから顔を隠すように池の方へ視線を戻す。
「聞いてはいたんだ、重い病気を患ってるって……そしたら、数年前からぱったりと連絡が取れなくなって。蛍の季節になっても池に来なかったんだ」
「……すみません。きちんと知らせることができなくて」
「いや、謝らないでくれ。連絡先は知ってたから僕から君たちに聞くこともできたんだ。それをしなかった僕に責任がある……でも、雷雨さんも死んでしまうなんて。もしかしたら本当にこの池は“呪われている”のかもしれないね」
「呪われている、だと?」
管理人さんの言葉に目ざとく反応したのは
いきなり
「僕にこの池のことを教えてくれた母も結構若い歳で死んだんだ。あと、お兄ちゃんに手を引かれてこの池に辿り着いた女の子も、ね……特にその女の子は“この池で溺れ死んでしまったんだよ”」
“兄”と“溺れ死んでしまった”。管理人さんが話してくれた女の子は今、私たちが探している笠崎先生の妹さんに違いない。思わぬところで手がかりを見つけてしまった私たちは顔を見合わせてしまう。
「……すみません、その女の子について教えてくれませんか?」
もしかしたらお父さんの残滓は管理人さんと会わせるために私たちをここまで導いてくれたのかもしれない。そんなことを思いながら私は管理人さんにお願いした。