妖怪の山を脱出する際、大いに役立ったリョウの『影に干渉する程度の能力』だが、もちろん制限はある。その1つが『影の大きさと容量は比例する』こと。文化祭の時にお客さんを影の中に避難させて移動していたが、あれはただお客さんを影の中に突っ込んだのではなく、『式神共有』を使ってリョウとドグの影を共有――そして、ドグの『関係を操る程度の能力』で『影の大きさと容量』の関係を操り、影の要領を最大限にまで広げていたからできた、いわば例外。普段のリョウの影ではリョウ一人で影の容量がいっぱいになってしまう。
その証拠に先ほどまではリョウの影だけでは俺の入るスペースはなく、木の影を利用するためにわざわざ木の影から影へ移動していた。
そして、悟と奏楽、母さんが増えた現状、木々の影だけでは明らかに影の大きさが足りないのである。このままでは悟たちは魔法の森の瘴気にやられてしまう。
だが、当たり前のことだが、魔法の森は季節問わず日差しがほぼ差し込まない、薄暗くてジメジメした環境である。そのため、妖怪の山よりも圧倒的に影が多い。つまり、俺たち全員影の中に潜れるだけでなく、影から影に移動する必要がないのでほぼ一直線で博麗神社に向かうことが可能だった。
「響、方向はこっちで合ってるのか?」
最初はどうなるかと思ったが予定通り、魔法の森に入る直前にリョウの影に潜った俺たちはそのまま影の中を移動して博麗神社を目指す。しかし、他にも問題は発生していた。
「……うっぷ」
「おい、吐くなよ。絶対吐くなよ。位置的に全部俺にかかるんだからな!?」
リョウの問いに答える余裕はなく、こみ上げる吐き気を必死に抑えている中、後ろから悟の悲鳴に近い声が聞こえる。妖怪の山を脱出する際、影の中を移動していた時に感じていた気持ち悪さは気のせいではなく、影酔いを起こしてしまった。『超高速再生』は霊力を消費して怪我や病気を治す便利な能力だが、影酔いに効果がないらしい。
「まさか響ちゃんにこんな弱点があるなんてね……一回、外に出る?」
「そんなことすれば今度はお前たちが森の瘴気にやられる。響には我慢して貰うしかない」
「知ってるって……だから、こうやって――おぇ」
「わかった! わかったからもう喋んな! 頼むから!」
現在、リョウを先頭に彼女の手を俺と母さんがそれぞれ掴んで移動していた。また、悟は右腕で気を失っている奏楽を抱えながら俺と手を繋いでいる。つまり、俺は両手がふさがっている状態であり、咄嗟に口元を手で押さえることができないのだ。もし、この状態でリバースした場合、俺に手を引かれる形になっている悟と奏楽に直撃してしまうのである。なお、桔梗【腕輪】は奏楽の右手首に装着されており、彼女の容態や【薬草】で治療できないか確認して貰っているので最悪、桔梗にも吐瀉物が降りかかってしまう
「はぁ……もういい。それで? 何があった?」
騒ぐ俺たちを無視してリョウが悟たちに問いかける。俺の影酔いのせいで情報交換できずにここまで来てしまったのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだが今、声を出せば絶対に吐くので黙っていることにした。
「えっと、あの草原で目が覚めた後、すぐ近くにいた悟君と状況を整理しようと覚えてることを確認し合ったんだけど」
母さんはそこで言葉を区切ってしまう。おそらく俺たちと同じように今の状況を把握できなかったのだろう。
「それから移動しようって話になって……歩き始めてすぐに倒れてる奏楽ちゃんを見つけたんだ。奏楽ちゃんの容態を確かめてる時にあの妖精に襲われて」
その後、妖怪の山から脱出した俺たちと合流して今に至る。結局のところ、彼らも俺たちと同じように訳もわからないまま妖精に攻撃されたのだ。
「そっちは?」
「こっちも似たようなもんだ。妖怪の山で天狗たちに襲われてた響を連れてあの草原まで逃げてきた」
「天狗? なんで響が天狗に?」
「さぁな。『事情を説明すれば攻撃されないのに』って言ってたけど……俺も目覚めてすぐに響と合流したから今起きている状況を把握できていない」
「……」
妖怪の山を移動している最中、気まずさのあまり情報交換するのを忘れていた。本当なら俺もきちんと説明すべきなのだろうが今、声を出せば絶対に吐いてしまうので黙っているしかない。移動速度と魔法の森の広さを考慮すれば十数分ほどで博麗神社に到着するのでその時に改めて説明するとしよう。
「襲ってきた妖精に変なところはなかったか?」
「え? あー、どうだろう。俺、幻想郷に一回しか来たことないし」
「そうだねー……なんか悪戯で襲ってきたわけじゃなかったかも。すごい怒ってたし」
幻想郷の妖精は悪戯好きだが、気性は荒くないので怒りに身を任せて攻撃してくることはないはずだ。天狗たちと同じように妖精の様子も普段と違うらしい。それに加え、どうも天狗たちに攻撃されたのは『
「そうなると他の奴らも幻想郷の住人に攻撃されている可能性があるな」
「俺たちは運よく響たちと合流できたけど……特に師匠が独りだったらまずい」
『四神結界』の中にいた人の中で妖怪や妖精を倒せる手段を持っていなかったのは望、悟、母さんの3人。悟と母さんとは上手く合流できたが望は今もどこにいるかわかっていない。
もちろん、『穴を見つける程度の能力』を使えば逃げ回ることは可能だろう。しかし、それにも限界がある。能力が強力だったとしても彼女はただの人間。逃げ道を見つけられても体が追い付かなければ意味がない。
それに加え、『穴を見つける程度の能力』は脳に多大な負荷をかける。長時間の戦闘には不向きな能力。攻撃手段を持たない望ではいずれ――。
「でも、私たちみたいに近くに誰かいるかもしれないよ」
「……」
母さんの言葉を素直に飲み込むことはできなかった。『時空を飛び越える程度の能力』を発動させる時、俺の傍には奏楽がいた。そのはずなのに彼女が倒れていたのは妖怪の山と魔法の森の間にある草原。最初に予想したように全員ランダムな場所に転移されてしまったと考えた方がいい。
だが、だからといって今の俺たちには何もできない。空を飛んで捜索したところでまた誰かに攻撃されるのがオチだ。『穴を見つける程度の能力』を使って『
「マスター、奏楽さんの検診が終了しました……マスター?」
何も出来ない自分を情けなく思っていると奏楽の容態を確かめていた桔梗に声をかけられる。しかし、吐き気を抑えるだけで精一杯な俺に返事などできるわけもなく、すぐに俺を心配する桔梗の声が耳に届いた。
「あ、駄目だよ桔梗ちゃん。響ちゃん、話せるような状態じゃないから」
「え!? 何かあったんですか!? マスターは無事ですか!?」
「ただ酔っただけだ。それで、何かわかったのか?」
声を荒げた桔梗を一蹴して本題に入るリョウ。もしかしたら桔梗【薬草】で影酔いを治せるかもしれないが生憎、リョウ以外の人は視界を完全に塞がれている上、影の中を自由に動き回ることはできない。
「は、はい。おそらくですがマスターの『時空を飛び越える程度の能力』で転移した時になにかしらのショックを受けて気を失ってしまったようです」
「ショック? 頭でも打ったのか?」
「いえ、頭部に外傷は見当たりませんでした。原因はわかりませんがいずれ目を覚ますと思います」
桔梗の言葉に悟と母さんがホッと安堵のため息を吐いた。転移する直前、ガラスの割れるような音が聞こえたがもしかするとあれが原因かもしれない。奏楽が近くにいるのに麒麟の声が一切聞こえないのも不自然だ。奏楽が無事で何よりだがまだ安心はできない。
「そろそろ魔法の森を抜けるぞ」
「……うえぇ」
「お、おい。響、気を抜くな……絶対に抑えろよ!」
「マスター、ファイトですよ!」
リョウの一言で油断したせいか口内に吐瀉物特有の気持ち悪い酸味が広がる。それを何とか飲み込み、悟と桔梗に応援されながら魔法の森を抜けるまで必死に吐き気を抑え続けた。