俺と東の間には数メートルほどの距離がある。何かしらの能力を使えばそんな短い距離、一瞬で縮めることは可能だ。しかし、問題は東の戦闘能力が不明であること。
あれだけ大口を叩いておいて東の戦闘能力が人並みだった場合、野良妖怪や妖精を蹴散らした時のように戦えば確実に殺してしまうだろう。
もちろん、彼がやろうとしていること、霊夢たちを苦しめていることは決して許されることではないし、許すつもりもない。だが、仮に東を殺してもあの黒石のペンダントに仕掛けられた術式が止まらなかった場合、霊夢たちの衰弱死は止められない。
ましてや、東が死ぬことで一箇所に集められた霊夢たちの地力が暴走し、大爆発を起こして幻想郷が滅びてしまう可能性も否定し切れない。
だからこそ、俺たちの目的は東の戦闘能力を測ること。そして、生かしたまま、戦闘不能に持ち込み、企みを諦めてもらうよう説得、もしくは『狂眼』を使って一時的に彼を操り人形にすること。
一つ懸念すべき点があるとすれば西さんが言っていた俺に纏わるレポート。あれが本物であるなら俺の戦い方は東にほとんど筒抜けである。そんな相手に俺の攻撃が通用するか。いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。とにかく、やってみるしかないのだから。
「――ッ!」
彼が何か仕掛けて来てもいいように右拳に妖力を纏わせ、『拳術』を発動させた俺は東が死なない程度に手加減して拳を振るう。防御されても拳が接触した瞬間にインパクトすれば防御を貫くことぐらいできるはずだ。
「……はぁ」
そんな俺を見てどこか失望した様子の東だったが、徐に左手を持ち上げて俺の右拳を
(な、に……)
手加減したとはいえ『拳術』を発動した重い一撃だ。それを防御するどころか受け止めた時に後ずさることすらしなかった。
驚愕のあまり、体を硬直させていたが顔のすぐ横を黒い何かが通り過ぎる。リョウが操っている俺の影だ。『影針』は東の能力のせいで普段の半分以下の威力しかなかったが、奴の能力の影響下から外れたリョウの攻撃は当たれば骨折程度ではすまされないほどの破壊力を持っている。
「ふん」
『なっ……』
それを東はこともなげに右手で虫を払うように弾いてしまった。さすがに予想外だったのかいつも冷静沈着なリョウも唖然とした様子で声を漏らす。
とにかく今は一度体勢を立て直すべきだと判断して東に掴まれている右手を引く。
「ぐっ」
「おいおい、様子見にしちゃ随分と軽い攻撃だな」
だが、いくら引っ張っても東の左手から逃れることができなかった。まずい、少なくとも東は俺たちの攻撃を簡単にいなせるほどの腕力を持っている。このまま攻撃を受けるのは得策ではない。
凝縮『一点集中』
慌てて掴まれている右手に地力を込め、ポニーテールに意識を向けて『結尾』を発動させる。そのまま『開力』を使用し、爆発する直前で『結尾』を操って自分の右手首を切断した。
「おっと」
「ぐぅ……」
東の左手の中にあった俺の右手が爆発を起こす。至近距離で発生した爆風に身を任せて何とか東から距離を取った。もちろん、すでに右手は『超高速再生』によって元通りになっている。
「自分の右手を犠牲に逃げたか……まるで、蜥蜴だな」
爆炎が消え、再び姿が見えるようになった東は文字通りゼロ距離で爆発に巻き込まれた左手を見て興味なさげに呟いた。奴の左手は無傷。傷はおろか煤すら付いていない。
『……おい、あれはなんだ? 人間か?』
(気配は人間だけど……霊夢たちの地力で強化してるんだろ)
リョウの愚痴に適当に返しながら再生した右手の具合を確かめる。
霊夢たちの地力を使って強化ぐらいしているとは予想していたがここまで強くなるとは思いもしなかった。本来であればあれだけ強力な肉体強化を施せば数秒と経たずに体が悲鳴を上げるはず。なのに、東はケロッとした顔で俺たちの前に立っている。
(単純な腕力は確実に負けてる。なら――)
雷輪『ライトニングリング』
蹴術『マグナムフォース』
両手首に雷の腕輪を装備し、拳だけでなく、足にも妖力を纏わせ、一気に跳躍。一瞬にして東の背後へ回った。力で駄目なら速度で勝負だ。肉体強化で体も頑丈になっているだろうが何度も攻撃を当てればいずれ効いてくるはず。
そう思って今度こそ全力の右ストレートを放とうと右腕を引いた時――東が顔だけでこちらを見ていることに気付いた。奴は目にも止まらぬ速さで背後に回った俺の動きを目で追っていたのだ。だが、その体勢ではろくに防御できないはず。
「あ、ぁあああああああああ!!」
自然と声を上げていた俺の右拳の軌道上に東の右腕が割り込む。上半身だけ捻って右腕でガードしようという魂胆なのだろう。なら、そのガードごとぶち抜いてくれる。
(ここッ)
右拳と右腕が激突した刹那、『拳術』によって拳を覆っていた妖力を開放。それと同時に『蹴術』で足の裏から妖力をジェット噴射させて勢いを増加させる。これなら肉体強化で強くなった東でも――。
「……」
――その、はずだったのに俺の拳は右腕一本で完全に止められていた。
『ちっ……』
渾身の一撃が防がれたのを見てリョウは舌打ちした後、影を俺の体に巻きつけて後ろへブン投げた。空中へ放り出された俺はすぐに我に返り、『蹴術』で妖力を噴出してバランスを取る。そして、難なく地面に着地して東を睨んだ。
ああ、認めよう。単純な身体能力で俺は東に劣っている。そして、なにより俺の攻撃を見て驚いている様子がない。やはり、俺の手の内はほとんどばれていると思っていいだろう。
おそらく生半可な攻撃では防がれることはもちろん、
しかし、だからといってこのままあいつを放置しておくわけにはいかない。そのためには身体能力以外で奴を上回るしかない方法はないだろう。
『でも、どうするの? あの肉体強化も翠炎じゃ燃やし尽くせないんでしょう?』
(それ、は……)
吸血鬼の言葉に俺は思わず奥歯を噛みしめる。先ほど皆を正気に戻すために翠炎を放ったが全員を巻き込めるほど炎を広げたせいで能力の浸食を完全に燃やし尽くすことができなかった。リョウの時は右手に集中させたおかげで何とか全て燃やせたが東に対して燃やせた手ごたえは全くと言っていいほどなかったのである。すでに翠炎では燃やせないほど東の肉体強化は強力なものになっているのだろう。至近距離で爆発に巻き込まれても無傷でいられたのもそれなら納得できる。
つまり、東に有効打を与えるためには奴の知らない手札で、強力な肉体強化でも対処し切れない一撃を与える必要がある、ということだ。
俺が使える中で東に通用しそう手札は『ブーストシリーズ』、『コスプレ』、『ダブルコスプレ』、『魂同調』、『四神憑依』、『魂共有』、『着装―桔梗―』。
だが、霊夢たちが倒れている今、『コスプレ』や『ダブルコスプレ』はもっての外。また、『四神憑依』をするためには雅たちの誰かを呼び出さなければならないが今も式神通信は通じていないので召喚することができない。『着装―桔梗―』も桔梗がこの場にいないので不可能である。
また、『ブーストシリーズ』は準備に時間がかかりすぎてしまう。その隙を東が見逃すとは思えない。
それに『魂同調』や『魂共有』だってすでに東は知っている――。
――えっと……うろ覚えで申し訳ないんですが片方の音無君は鎌や剣を複製したり、両手足に魔力を纏って近接戦闘したり、弓で遠くから狙撃したりと戦うことに特化していました。ですが、もう片方は結界を張ったり、治癒術で回復したりとどちらかといえば支援が得意な音無君でした。後、狙撃能力が前者と比べるまでもなく劣ってましたし……桔梗や『魂同調』、でしたっけ? そういった共通点もあるんですけど……。
(いや、待てよ……)
ふとレポートに書かれていた内容について話していた西さんの言葉を思い出した。可能性は低いが奴はあの技を知らないかもしれない。試す価値はあるだろう。
問題はタイミング。確実に東を出し抜くために何か策を講じる必要がある。
(リョウ)
『……なんだ?』
(東の実力をもっと明白にしておきたい。フォロー頼んだぞ)
『ふん、好きにしろ』
不機嫌そうに了承したリョウに苦笑を浮かべながら一向に攻撃を仕掛けてくる様子のない東へ視線を向ける。
さぁ、第二ラウンドの始まりだ。