「ごっ……」
『ゾーン』の影響がまだ残っていたのかゆっくりと東の胴体が横にズレるのを見ていると地面に叩きつけられ、バウンドした後、時空転移の際に置き去りにされた下半身の傍に落ちた。
「はぁ……はぁ……」
『ブースト』の効果も切れ、地力も時空転移と東を攻撃する時にすべて使い果たした。『超高速再生』は発動しない。あと数秒も経たずに俺は死に、
「かひゅ……」
喉から擦れた息が漏れ、目を開けた。そこには相変わらず曇天に包まれている空が広がっている。何となく力の入らない体を必死に動かして空に手を伸ばした。
『時空を飛び越える程度の能力』を使った起死回生の奇襲。それが俺の知らないことすら知っている東を出し抜く考え付いた作戦だった。
しかし、もちろん、時空転移を発動させるためには色々なものが足りなかった。
まず、発動させるための
時空転移を発動させるために消費する地力は凄まじく、それこそ素の状態で全ての地力を消費してなんとか発動できるレベル。
おそらく『夢想転身』を使えばもう少し楽に発動できたのだろうが、『夢想転身』を使った時空転移はしたことがなかったので今回は見送った。
とにかく、そんな地力を消費する術式を戦闘中に発動できるわけもなく、足りない地力を補うために準備に時間のかかる『ブースト』を使うしかなかった。
次に時空転移を発動させるための段取り。
東に『魂共有』のことがばれているとわかった時点でそれを囮に使うと決めた。だが、『魂共有』は解除された時点で吸血鬼が自室に閉じ込められ、魔力を使用する技全て使えなくなってしまう。失敗した時のリスクを考えると正直いい作戦とは言えないだろう。それでも最後の『ブースト』が使えるようになるまでの時間稼ぎができるのは『魂共有』しかなかった。
最後に時空転移を発動させるタイミング。
何の作戦もなしに時空転移を発動させたところで東の身体能力なら反応できるだろう。だからこそ、何かしらの対策を立てる必要があった。それが東の知る俺が使える技の中で最強の技、『魂共有』を突破させること。ここまで東と戦ってきたが身体能力はずば抜けているものの戦い慣れていない様子だった。ならば、必ず俺の切り札だと認識している『魂共有』を突破したら油断する。
そして、切り札を攻略されたのに何かしようとする俺に驚き、焦って止めようとするだろう。そこが最初で最後のチャンスだった。
危ない綱渡りだったが、東の背後に1秒未満後の俺の姿を見た瞬間、勝利を確信した。事実、残った地力全て注ぎ込んで創造した鎌は奴の体を真っ二つにした。
そのはずだったのに――。
「……まさか2回も殺されるとは思わなかった」
――どうして、奴は何事もなかったように立っているのだろうか。
『嘘……どうして!?』
いつの間にか翠炎の白紙効果が発動していたのか自室から戻ってきた吸血鬼が悲鳴を上げた。
何故、立っている? 確かに東の体を両断したはずだ。この手にまだその感触が残っている。でも、東は倒れている俺を見下ろしていた。
それに今、こいつは『殺された』と言ったのか? それも2回? それじゃ、まるで
「お前、まさか……」
「
そう言いながら東はゆっくりと俺の方へ近づいてくる。急いで立ち上がろうとするが治ったばかりの体は言うことを聞いてくれず、その場で両膝を付いてしまった。
東の背中の防壁を剥がした時、全力で殴ったはずなのに奴は無傷だった。あれは俺の攻撃が通じなかったのではなく、今のように死んですぐに生き返っただけだったのだ。
「さすがに今のは予想外だったが……これで
翠炎のおかげで体は完治し、地力も回復した。だが、もう東を止める方法を俺は思いつかない。
霊夢たちから吸い取っているので奴の地力は事実上、無尽蔵。
拘束してもあの身体能力ですぐに抜け出される。
決死の思いで殺しても生き返る。
駄目だ。無理だ。こいつには勝てない。俺が何をしても東を止められない。
じゃあ、幻想郷は? 霊夢たちはどうなる?
俺がどうにもできないのなら皆は――。
『おい! しっかりしろ!』
「ッ――」
影の中から聞こえたリョウの声にハッとして顔を上げるともうすぐ目の前に東が立っていた。奴は無表情で俺を見下ろしている。それがどこか恐ろしく見えた。
ああ、そうか。俺は初めて真正面から戦い、コテンパンに叩き潰されたのだ。
何をしても意味がない。
勝てるビジョンが浮かばない。
切り札まで使って勝てなかった。
望たちが東の組織に誘拐され、能力が変わって何もできなかった時とは違う無力感。全力で戦い、抗い、もがいた結果、どうすることもできなかった絶望感。
東は俺を動けなくなるまで攻撃し続けるだろう。そして、俺の地力が尽きた時、幻想郷も、地力を吸われ続けている霊夢たちも終わる。
『ちっ……響、逃げろ。勝ち目がない。一旦、立て直すべきだ』
「……」
『響? 聞いているのか?』
リョウの忠告に俺は何も反応できず、ただ東を見上げていた。たとえ、逃げようとしても奴の速度ならすぐに追いつかれ、捕まる。だが、戦ったところで俺の地力が尽きて終わるだけ。
終わる?
勝てない?
負ける?
逃げられない?
壊れる?
避けられない?
死ぬ?
死ぬ。
皆、死ぬ。
俺が東を止められなかったから。俺のせいで幻想郷が壊れ、皆が死ぬ。
グルグルと思考が巡り、視界がどんどん狭くなる感覚に襲われた。ああ、これはいけない。こんなことしている場合じゃないのに、思考回路ばかりが回転して身動きが取れなくなる。
「……もう少しか」
東が何か呟いたがその言葉の真意を知る前に東の拳が俺へと迫る。よほど精神的に追い詰められていたのか、俺は不覚にも反射的に目を閉じてしまった。
「……え?」
しかし、いつまで経っても衝撃は来ず、おそるおそる目を開けて声を漏らした。俺の前に両手を広げて立つ小さな背中があったから。そして、その背中から生える何かを握る血だらけの男の手。その手に握られている
「……リョウ?」
「心臓を抜き取られたのにまだ生きてるのか」
「これでも……吸血鬼だからな……ガッ」
ぐちゅりとリョウの体から手を引き抜いた東は握っている心臓を興味深そうに眺めている。その間に体に穴を開けられたあげく心臓すら抜かれたリョウが膝を付いた。
「りょ、リョウ!?」
慌てて彼女に手を伸ばし、その背中を支える。吸血鬼特有の『超高速再生』が機能していないのか彼女の傷はいつまで経っても治らなかった。それどころかどんどんリョウの体から生気が失われていく。
――キョウ君。
その時、燃え尽きてしまったはずの懐かしい声が蘇る。永琳の薬のおかげで燃え尽きた思い出を視ることはできたが未だに彼女に関しては全てを思い出せていない。覚えているのは彼女の声や顔、よく
「リョウ、おい……しっかりしろ!」
「う、るさい。離せ」
心臓が抜かれたのに震える俺を振り切る力があったのか、リョウは俺を突き飛ばして立ち上がる。その拍子に体に開いた穴から血が溢れ出てしまう。さすがに立ち上がれるとは思わなかったようで東もリョウの心臓を持ったまま、目を見開いていた。
「まだ、あきらめるな……まだやってないことがあるだろう」
立ち上がった彼女はのろのろと東へと歩み寄る。その軌跡を描くように彼女の血が垂れる。東の理不尽な強さに追い込まれて歩みを止めてしまった俺に見せ付けるようにリョウは歩き続けた。『こうやって歩くんだ』と子供に教える父親のように。
「まだ、終わっていない。まだ、まだやれることがあるはずだ……まだ――」
「――死ね」
「ぁ……」
あともう少しで東に手が届くというところで奴は軽く心臓を握り、潰す。その瞬間、リョウの体がビクンと跳ね、その場で硬直した。吸血鬼であっても心臓を潰されれば一巻の終わり。今、確実にリョウは東にトドメを刺された。
「すまな、い……最期ま、で……みま、もれ……な、かった……」
どこか名残惜しそうに東へ――いや、虚空へと手を伸ばし、そのまま倒れた。最期まで歩くことを止めなかった彼女が最後に触れたのは東の影。結局、東には届かなかった。
「ぁ……あぁ……」
目の前で倒れるリョウと咲さんの姿が重なる。
片や、胸に穴が開き、血まみれで無残な死体。
片や、首だけ跳ね飛ばされた泥だらけの死体。
その二つの命は俺が強ければ、しっかりしていれば、どうにかできていれば失われることはなかっただろう。結局のところ、俺の力が及ばなかったせいで彼女たちは死んでしまった。
ピシリ、と心に皹が走る音がした。
「――――――――――――ッッッ!」
そう、俺のせいでリョウは死んだ。東の強さに怯えて立ち止まってしまったせいで俺を庇ってリョウは殺された。俺がリョウを、殺した。そして、これから俺が東に及ばなかったせいで皆が死ぬ。また、俺は人を殺す。
「……捉えた」
そのことを自覚した瞬間、目の前が真っ暗になる。最後に見たのは光すら飲み込んでしまいそうなほど真っ黒な鉱石を持って嗤う東だった。