「――――ッッッ!?」
【バイク】に跨って必死にハンドルを握る悟さんは声にならない悲鳴をあげました。無理もありません。ワイヤーで体を固定しているとはいえ、時速100キロを余裕で超えるほどの速度で走れば風圧で体が吹き飛ばされそうになります。それに加え、ハンドルを握るための握力はほぼなく、風圧のせいで呼吸すら難しいかもしれません。
一応、こいしさん、咲さんと一緒に森の中を走った時のように悟さんを守るためにシールドを出すことは可能ですが空気抵抗が大きくなり、速度が落ちてしまいます。1秒でも早くマスターの元に行かなければならない現状、悟さんには我慢していただきましょう。
(……おかしいです)
エンジン音と『振動』で大きな音が出てしまう【バイク】で走っているのに未だに東はこちらに気付いている様子はないのです。この距離ならば聴覚を強化せずとも騒音は耳に届いているはず。それでもこちらに視線を向けないということは気にすることすら必要ないほど私たちを下に見ているか、
『悟さん、少し衝撃が来るかもしれませんが頑張って耐えてください!』
騒音に負けないように大きな声で悟さんに言った後、彼の体に追加でワイヤーを巻き付けます。特にハンドルを握っている両手は念入りに固定しました。そして、ズーム機能を使わなくても彼らの姿が見えるほど近づいた時、ヘッドライト近くのハッチから更にワイヤーを飛ばします。そのワイヤーは東の後ろで倒れているリョウさんの体に巻き付き、グンと引っ張って回収しました。
「ッ!?」
いきなり飛んできたリョウさんに息を飲んだ悟さんでしたが構わず、ワイヤーを巧みに操って彼の膝の上にリョウさんを落とします。そのままワイヤーで悟さんの体とバイクに固定。その時、すでにリョウさんが息を引き取っていることに気付いたのでしょうか、ハンドルを握る悟さんの手に僅かではありますが力が込められました。
本来であればもう手遅れであるリョウさんのことを無視してマスターだけを回収するべきなのでしょう。ですが、リョウさんはマスターの実の父親で、マスターを守るために命を散らせた恩人。そんな方の死体をこの場に残すことなどできるわけありませんでした。
(次はッ!)
リョウさんの死体を回収している間にマスターたちとの距離はもうほとんどありません。十数秒もすればマスターたちの傍を通り過ぎてしまうでしょう。
だからこそ、チャンスは一度きり。東に邪魔された時点で私たちの負け。そうなってしまえば玉砕覚悟で東と真正面から戦うしかありません。そして、私たちは――。
『マスター!』
頭を過ぎった最悪な可能性を打ち消すように絶叫しながら私は再びワイヤーを射出しました。ワイヤーは真っ直ぐ呆然としているマスターへと伸び、その体に巻きつけることに成功します。
「……」
その時、東が
(邪魔、してこない?)
すんなりとマスターたちの回収に成功しましたが東の妨害は一切なく、追って来る気配もありません。生憎、【バイク】に変形している時は後ろを見ることができませんので奴がどのような顔で遠ざかる私たちを見ているかわかりませんでした。
『飛びますよ!』
東のことも気になりますが今はとにかくこの場から離れることが先決です。私はフットレフト付近から飛行用の板を伸ばし、前輪を思い切り振動させ、その反動でウィリー状態になりました。そのまま飛行用の板を振動させると車体が宙に浮き、どんどん高度を上げます。
『悟さん、東は!?』
「……追いかけて来ないな」
離陸特有の揺れも落ち着き、即座に悟さんに確認しました。後ろを振り返った悟さんも不審そうに声を漏らします。あれだけマスターを傷つけていたのに追いかけこないと何か裏があるのではと疑ってしまいます。いえ、実際に裏があるのでしょう。そうでなければ私たちは逃げられなかった。
『逃がされた、のでしょうか』
「だろうな。向こうの目的がすでに達成されていたか……俺たちが逃げることで目的が達成されるのか。もし、後者なら俺たちは東の掌で踊ってるだけだな。響も完全に気絶してる」
そう言って悟さんはどこか自虐的な、乾いた笑い声を漏らします。ええ、彼のいうとおり、私たちがマスターを連れて逃げることさえ東の目論見通りなら私たちの敗北でしょう。
奴はマスターという邪魔な存在を戦闘不能にした挙句、幻想郷が崩壊するまでの時間を稼ぐことに成功しています。それに対し、私たちは東の異常な身体能力と『蘇生』できることしか知り得ませんでした。その『蘇生』の仕組みすらわかりません。これではマスターが目を覚ましたとしてもすぐに動くことは難しいでしょう。
(なにより……)
気になるのが【バイク】の騒音を無視した、もしくは聞こえていなかったこと。前者ならともかく騒音に気付かないほど何かに集中していたのなら――東はあの時、何をしていたのでしょう。手がかりは目を開けたまま、ただ東を見上げるマスターと東が手に持っていた黒い石のみ。こればっかりは目を覚ましたマスターに聞いてみるしかないでしょう。
「……いや、もう1つだけわかる」
そう悟さんに言うと彼はどこか深刻そうな声音で呟きました。そういえばリョウさんの死体が膝の上に乗っているのに悟さんは一切、気にしている様子はありません。いえ、気にしていないというより、死体を見ても気分が悪くならなくなった、といえばいいのでしょうか。妙に落ち着いているように感じます。
「東が持っていた黒い石……あれは、『黒石』だ」
『『黒石』……霊夢さんのペンダントに使われている鉱石ですか?』
「ああ、すれ違った時に確かに見た。間違いなく『黒石』だった……でも、東はあれで何をしてたんだ? 力を吸収する能力があるのは知ってるが、響から力を吸い取ってた様子はないし。そもそも
『光り、方……』
霊夢さんのペンダントに施されていた『黒石』の装飾。あれは『黒石』から仄かに光が漏れている程度でしたが、思い起こせば東が持っていた『黒石』からは黒い瘴気が溢れていたように見えました。東は霊夢さんたちから地力を吸い取っているので前者の光からは『力の吸収』。では、後者は? あの黒い瘴気は一体、どんな――。
「とにかく今は皆と合流しよう。話はそれからだ」
『……はい』
悟さんの言葉に頷いた私はオーバーヒートを起こさない程度に速度を落として博麗神社へと飛びます。マスターが悟さんの体に密着しており、顔が見え辛かったからでしょうか。その道中、私たちは誰からも襲われることはありませんでした。