東の手によって幻想郷が崩壊すれば霊夢たち、幻想郷の住人だけでなく、俺たちも同時に死ぬ。つまり、最初から世界のために幻想郷を、霊夢たちを見捨てるという選択肢はなかった。あれだけ布団の中でうじうじ悩み、無力感に苛まれ、己の不甲斐なさに奥歯を噛み締める必要もなかったのである。
「……」
四神たちが消滅したと告げた雅はもちろん、他の皆も無言になり、重い空気が居間を支配した。視線を感じるので俺が何かアクションを起こすのを待っているらしい。
「……く、くくく」
「きょ、響?」
そして、俺はそんな沈黙を破るように思わず
「す、すまん……ほんと、俺ってバカだなって思っただけで」
必死に笑いを堪えながら悟にそう答えた。
確かに四神が消滅したことはショックだったし、あの東を止められなければ俺たち全員死んでしまうという事実も恐ろしかった。
だが、それ以上に霊夢の言った通り、もっと早く皆と話し合えば選択肢が一つしかなかったことに気づけたのだ。あんな無駄な時間を過ごさず、東を倒す方法を考えられたのだ。
「……ああ、わかった。やるしかないのならやろう。とことんまで抗ってやろう」
なぁ、『
「悟が考えた対策を中心に東を倒す作戦を立てよう。俺が東の絶望を経験した今、情報量は変わらない。いや、むしろ、新しい手札を増やせる俺たちの方が有利だ」
きっと、今みたいにやるしかなかったから仲間を頼った。自分一人だけじゃ誰も守れないから仲間と一緒に戦い、傷つき、守り合った。
「やるぞ、皆で」
それこそ俺が見つけた『皆で生き残る覚悟』。下手に戦えてしまったからこそ独りだった『
東の絶望から奴が本格的に動き出す――つまり、幻想郷を崩壊させる時間帯は朝方であることはわかっていたのでそれに間に合うようにタイムスケジュールを立て、日付が変わった頃に奴の元へ向かうことに決めた。俺が無駄な時間を過ごしたり、作戦を立てるために時間を使ったので今の時刻は午後6時。残り時間はおよそ6時間。その間に全ての準備を終えなければならない。
「問題は……桔梗がまだ調整中ってことだよな」
「お兄ちゃんが戻ってきてることにも気づいてないもんね。はい、置いたよ」
望がちゃぶ台に長方形に切られた半紙を置き、慣れた手つきでさらさらと術式が書き込んでいく。目が見えずとももう何度も繰り返してきた工程なので特に難しく感じることなく、作業を進める。
「そっちの調子はどうだ?」
「……うん、大丈夫だと思う」
俺の問いに答えたのは少し前に居間に戻ってきた霊奈だった。彼女には『博麗の巫女』の素質がある。つまり、『博麗大結界』に干渉する資格があるのだ。
そもそも東がどうやって幻想郷を崩壊させようとしているのか。それは単純に霊夢たちから奪った高密度の地力を使い、『博麗大結界』を破壊することである。
母校の文化祭で俺が戦う姿を撮り、世間に流したのも『博麗大結界』の外の世界の『常識』を幻想郷の『非常識』に、外の世界の『非常識』を幻想郷の『常識』にする。そして、結界を超えられるのは『非常識』のみとする効果を利用し、外の世界で『非常識』をされた妖怪の存在を『常識』と認識させ、幻想郷で『常識』とされたそれを『非常識』に変え、外の世界へ流れさせるためだ。それはあのPVでなんとか防いだが、結局のところ、『博麗大結界』そのものが崩壊してしまえば妖怪たちの存在は外の世界に流れ、世界は大混乱へと陥る。
いや、『博麗大結界』の崩壊とともに幻想郷という土地そのものが吹き飛び、妖怪はもちろん、人間や俺たちも消滅する可能性だってある。少なくとも結界が崩壊した時点で俺たちの命の保証はない。だからこそ、選択肢は一つしかなかったのである。
「……あの子、よくこんな恥ずかしい服を堂々と着てたね」
そんな呟きと一緒にパタパタと服が擦れる音が聞こえた。どうやら、博麗の巫女服を身に纏った霊奈がその場で腕を動かして袖が揺れているらしい。
そう、霊奈には博麗の巫女服を着て『博麗大結界』に干渉し、少しでも崩壊を食い止めてもらうことになった。東の作戦は結界を木っ端微塵に粉砕するわけではなく、徐々に結界を溶解させ、強度を落としてから壊す、というものだ。その溶解させる時間を少しでも長引かせればそれだけ崩壊を遅らせることも可能。それができるのは『博麗の巫女』の素質を持つ霊夢か霊奈しかいない。そして、霊夢は今、床に伏している。
「これで、よし……頼むぞ、霊奈」
「うん、任せて。それじゃ、私も儀式の準備してくるから」
嬉しそうな声音でそう言った彼女は俺が作った『博麗のお札』を持って(紙特有のくしゃりという音が聞こえたのでわかった)居間を出て行った。『博麗大結界』に干渉するために長時間、儀式を執り行う霊奈とは東を倒すまで会えないだろう。でも、俺たちはそんな軽い挨拶だけで別れた。お互い、作戦の成功を――いや、作戦が失敗するなど微塵も思っていなかったから。
「お兄ちゃん、そろそろ」
「……ああ」
望に手を掴まれた俺は彼女の助けを借りて立ち上がり、居間を後にする。そして、目が見えれば庭が見渡せる縁側へとやってきた。感じられる気配は2人。
「おう、遅かったじゃねぇか。こっちの準備はとっくの昔にできてるぜ」
縁側に腰を下ろすと予想以上に近いところから楽しそうに笑うドグの声が聞こえた。今までならこんな状況でもケラケラ笑っている彼の正気を疑っていただろう。でも、今は能天気なドグの笑い声を聞いているとどこか安心できてしまった。
「待たせたみたいですまん。それじゃ、さっそく始めるか」
「おう」
「はい、お兄ちゃん。気を付けてね」
「おっと……」
ドグが頷き、俺の傍にいてくれた望から小さな杯を受け取る。杯の重みから神酒が並々注がれていることがわかり、その重みに少しだけ動揺したのか僅かに零してしまった。
「おいおい、しっかりしろよ? もう神酒はないんだから」
式神にするための儀式はいくつか存在している。一つは雅と交わした口づけのような粘膜接触による契約。また、霙のような動物型なら主を決め、それを受け入れれば式神化する。奏楽みたいに能力が影響することもあるが今から執り行うのは『杯を交わす』方法だ。
杯を交わす行為は契りを交わすにあたってポピュラーな方法である。もちろん、今回の場合も例外ではない。なにより、これは式神にする方法を紫に聞いた時に教えてくれた方法でもある。
しかし、肝心の酒だが東のせいで霊夢は準備する余裕がなかったのか。それとも準備を忘れるほど追い詰められていたのか。いつもなら常備しているはずの神酒が杯2杯分しか残っていなかったのである。これを零せば俺はドグとキスするしかなくなるので零すわけにはいかない。
「『我、この者を式神とし一生、配下に置く事をここに契る』」
ずっと昔に紫から教えてもらった術式を起動する合言葉を口にして杯を構える。ドグも杯を持ち、それを突き出したのか彼の気配が少しずつ近づいてきた。
「後悔はしないか? 俺の式神になればこれからも面倒ごとに巻き込まれるかもしれないぞ」
「……ばーか。お前の近くで面倒ごとに巻き込まれる方が今ここで消えるより絶対楽しいに決まってんだろ」
「……そうかよ」
そして、俺たちは杯を交わし――リョウが死に野良式神となっていたドグは正式に俺の6人目の式神となった。