東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第481話 急変する事態

 ボトリ、ボトリとヘドロのような何かが地面に落ちる。それもただのヘドロではなく、それは強い酸が物体を溶かしたような音を立てながら地面に張られた氷を溶解させた。

「……」

 もし、それが本当の強い酸を含むヘドロであれば東もさほど驚きはしなかっただろう。だが、目の前で落ち続けるヘドロの正体は『音無 響』の肉だった。彼が掠れた声で何かを呟いた途端、彼の体は溶解し、肌色のヘドロを地面に落とし始めたのである。

 女と見間違えるほど美しかった響の顔面はすでにほぼ爛れ落ち、目などの部位すら判別できないほどになっていた。また、顔面だけでなく、彼の体全体が溶けていた。

(何が、起きて……)

 桔梗が破壊されたことで響の何かが壊れたことは想像できる。それだけ東は何度も『死に戻り』、響の思考パターンを研究してきた。しかし、現在、響の身に起きている現象は1万回以上『死に戻り』を繰り返した東でさえ、初めて見る。これまでの響がやろうと思えばできたがやらなかったことといえば――。

「まさか……」

 東がある一つの仮説に辿り着いた時には響の体の肉はほぼ溶け落ち、その下から白い骨が姿を現す。骨は肉と違い、溶けている様子はなく、その骨からどす黒い瘴気が漏れていた。

『……』

 『音無 響』だった何かは溶けた肉の塊から抜け出すように一歩、前に出る。その拍子に歪んでいて外すことのできなかった『合力石の指輪』が骸骨の右手の中指から落ち、氷の上に落下して甲高い音を立てた。

 数歩ほど歩いたそれは肉の塊から完全に抜け出す。綺麗だった髪も抜け落ち、肉は一片すら残っていない白い骨。それはまさしく骸骨であった。

「ぁ……あぁ……」

 響だったものの正体がわかり、東は顔を真っ青にしながら半歩後ずさる。響は本能力を使い、自身の存在を書き換えた。東を確実に葬れる存在に成り代わった。それは――。

「――『死』……」

 東の呟きに応えるように骸骨の右手に黒い大鎌が出現し、骨だけになった右手で掴んだ。骸骨は鎌の刃先を引きずりながらカタカタと音を立てながら東へとゆっくり歩み寄る。氷と刃が擦れる音が不気味に響き渡った。

(これは、やばい)

 未だに左腕からの出血が止まらず、いつ出血多量で死んでもおかしくない状況の中、概念であるはずの『死』が顕現したのである。たとえ、ネックレスの蘇生回数が潤沢であっても東はすぐに殺しつくされてしまうだろう。幸い、『死』となった響に思考能力があるようには見受けられないので結界の溶解が完了するまで逃げ切ることは難しくない。

『ふぅ』

 そう考え、逃げようとした東だったが少しばかり行動に移すのが遅かった。『死』は不意に数メートル先にいる東に息を吹きかけたのである。

「……え?」

 その直後、彼の左腕は元に戻り、胸にぶら下がっていたネックレスが砕け散った。そう、数メートル先から息を吹きかけただけで東は死に、何重にも術式を重ね、守られていたネックレスもあまりにも濃密な『死』の負荷に耐え切れなかったのである。

 ネックレスには蘇生や身体能力の向上の他にも幻想郷の住人から地力を奪う機能や結界の溶解に関する術式も組み込まれていた。今頃、地力を奪われていた幻想郷の住人たちの首に下げられたネックレスも粉々になっているだろう。

 そう、東の計画は響の手によって頓挫したのである。

 これで幻想郷の崩壊、なにより住人たちが地力の枯渇による死は免れた。

『……』

 だが、そのことに響は気づいていない。東の予想通り、すでに響に思考能力はなく、ただ『生』を奪うだけの存在となってしまっている。それこそ、幻想郷の『生』を全て奪いつくすだろう。

「……はは」

 このまま放置しておけば響が幻想郷を崩壊させることに気づいた東は乾いた笑い声を漏らし、東は自身に残った地力を全て消費する勢いでその場から逃げ出した。ネックレスの補助がなくとも数秒間だけ普段よりも数倍もの速さで動けるのである。

『……』

 それを響は見逃した。『死』となった彼にとって東もその辺りに生えている草も同じ『生』である。動いても動かなくても奪う対象であることには変わらないため、見逃したというよりも『生』を奪う優先順位がなかったのだ。

 しかし、それはつまり響にとって目に映る『生』全てが奪う対象であり、目に『生』が映らない――全てを奪いつくさない限り、止まることはない。その証拠に響はゆっくりと龍弾砲(ドラゴ・ハウザー)によってそのほとんどが焼失してしまった森の方へと向かう。『死』による幻想郷の崩壊が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ……」

 時を同じくして博麗神社で結界の溶解を食い止めていた霊奈は突然、結界の溶解が止まり、目を丸くする。そして、その拍子にずっと張りつめていた緊張の糸が切れ、その場で床に両手をついてしまう。

「霊奈!?」

 いきなり倒れかけた彼女にそばで手伝っていた雅が駆け寄る。心配する雅に『大丈夫』と答える霊奈だったが何が起きたのかわからず、周囲を見渡す。周りには霊奈と雅を目を丸くして見ているリーマと弥生。ドグと霙は先ほどまで作業の手伝いをしていたがリーマと弥生と入れ替わる形で休憩に入っていた。

「何かあったの?」

「……結界の溶解が止まった」

 雅の質問に震える声で答える霊奈。それを聞いた3人はその言葉の意味を理解できず、キョトンとする。だが、脳内でその言葉を何度も繰り返すことでやっと飲み込むことができた。

「それって……響が東を止めたってこと?」

「多分、なんだけど……」

 東を止めたということは幻想郷の崩壊はもちろん、霊夢たちの命も救われたのだ。本来であるならば喜ぶところだが、何故か霊奈の顔色は優れない。そんな彼女を見て雅たちも喜ばずに霊奈の言葉を待っていた。

「……嫌な、予感がする」

「嫌な予感?」

「よくわかんないけど……東よりも、何か悪いことが起きてるような」

 そう言いながら霊奈の脳裏にピリピリと小さな痛みが走る。

 実際に博麗の巫女になったのは霊夢だったが、霊奈もれっきとした博麗の巫女候補である。つまり、博麗の巫女が持つ鋭い直感が働いていた。

「東よりもって……それってどういう――」

 雅が霊奈に質問しようとしたがそれを遮るように彼女たちが作業していた部屋の襖が凄まじい勢いで開き、スパン、という大きな音がする。

「れ、霊、奈……」

 そこにいたのは先ほどまで東に地力を奪われ、床に臥せていた霊夢が立っていた。相変わらず、顔色は悪く、立っているだけでもやっとな状態であるのは一目でわかる。だが、それでも彼女はしっかりとした眼差しで霊奈を見つめていた。

「どう、したの?」

「響のリボンが……壊れた」

「え……あっ」

 『闇』の暴走を抑えるために彼は常の博麗のリボンを身に付けている。それこそ、入浴中でさえ、手首に巻いているほどだ。しかし、響が『死』という存在になった際、博麗のリボンは『死』の負荷に耐え切れず、壊れてしまったのである。

 その博麗のリボンを作ったのは霊夢と霊奈であり、彼女たちは博麗のリボンに異常が起きた時に感知できるように術式を組み込んでいた。

 霊奈は混乱してすぐには気づかなかったが、地力を奪われなくなり、微かに意識を取り戻した霊夢は博麗のリボンに異常が起きたことに気づき、飛び起きたのである。そして、持ち前の直感で異変を感じ取ったのだ。

「響が……危ないわ」

 霊夢の一言に全員が息を飲む。離れていながらも博麗の巫女たちは幻想郷の危機を察知していた。


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