東方楽曲伝   作:ホッシー@VTuber

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第482話 干天の慈雨

「……これで、よし」

 持っていたドライバーを小型の工具箱に置いた東は溜息を吐くように言葉を漏らした。彼の手には腕輪型の装置が握られており、それを手首にはめて立ち上がる。

 彼が付けていたネックレスは『死』となった響によって破壊され、その機能を失ったのである。蘇生はもちろん、東の身体能力を向上、幻想郷の住人から地力を奪う、『博麗大結界』の溶解、と彼の復讐には欠かせない機能だった。

 しかし、これからの機能は最初から一つに組み込まれていたわけでなく、研究としてそれぞれの機能を搭載している装置を作ってから一つの装置にまとめ、小型化していった。つまり、試作品としてそれぞれの装置が存在している。因みに『蘇生』だけは貴重な素材が使われており、試作品を作る余裕はなかった。そのため、『蘇生』が搭載された装置に他の機能を付け加えた形で作ったので試作品は存在しない。

 その中でも東は予備として身体能力向上の装置を持ってきていた。また、幻想郷の住人から奪う装置は地力を一時的に蓄積できるバッテリーを持っている。装置の小型化の関係でそのバッテリー自体はネックレスとは別に作られたため、破壊されずに残っていた。バッテリーの状態では地力を使うことはできないため、彼は急遽、身体能力向上の装置にバッテリーを組み込んだのである。

(出力自体はネックレスの時よりも劣るが……何もないよりはマシか)

 試しに装置を起動させ、身体能力が向上していることを確認した東だったが『死』となった響が幻想郷の全てを殺しつくすまで逃げ続けることぐらいしかやることはなく、この後の動き方は考えていなかった。むしろ、適当に動いて響と鉢合わせてしまったらその時こそ殺されてしまう。

 それならばここで静かに息を潜め、背筋が凍るほど濃密な死の気配を探り続けていた方が賢明だ。それにバッテリーがあるとはいえ、これ以上の地力の供給はないため、無駄遣いはできない。

「すぅ……はぁ……」

 いつでも動けるように立ったまま近くの木に背中を預け、目を閉じる東。そして、数キロ離れていても感じる死の気配に集中する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふわふわとした、それでいて体は底なし沼にはまってしまったようにドロドロとした何かにまとわりつかれている。それはまるで体がなくなってしまったような――操り人形が糸を切られて無様に地面に転がるような感覚。

 そんな俺……私? 僕、あたし、儂。我? それすらもオレ(・・)はわからなくなっていた。ただあるのは今にも窒息してしまいそうな息苦しさと感じることのできないはずの胸の奥から湧き上がる悲しみ、憎しみ、怒り、恐れ、冷たさ。それがぐちゃぐちゃに混ざり合い、膨れ上がり、今にもなくなってしまった体が爆発してしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、そうか。

 

 

 

 

 

 

 爆発してしまいそうなのは体ではない、魂だ。ギシギシと軋み、今にも崩壊してしまいそうになっている魂。じゃあ、体は? オレは一体、どうなってしまったのだ?

『……』

 その時、何かに引っ張られるようにオレの意識は外へ向けられる。まるで、テレビのチャンネルを変えるように。

 最初に感じたのは痛いくらいの冷たさだった。そして、とてつもなく濃い死の気配。また、どこからかカラカラと馴染みのない何かが擦れる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 ――これは、なんだ。

 

 

 

 

 

 何が起きているのか、さっぱりわからなかった。ただ一つ言えるのはオレはどうやら人間ではない――もしくは人間ではなくなってしまったこと。おそらく存在そのものを上書きされてしまったのだろう。だから、自分が誰なのかわからず、ただ海に浮かぶ海藻のように漂うことしかできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あらあら、冷静なのね』

 

 

 

 

 

 不意に楽しそうに笑う女性の声が聞こえた。どこかで聞いたことがあるような、それでいて全く知らない声。いや、聞いたことがあるのではなく、似ている声を知っている? 確か、小さくて黒い綺麗な髪が特徴的な女の子だったような……それでいてその女の子が大人になった時の声に――。

 

 

 

 

 

『別にいいじゃない。そんなことぐらい? それより、他に感じることはない?』

 

 

 

 

 

 

 女性の声に従うように再びテレビのチャンネルが変えられ、意識は魂の内側へと向かった。

 そこはまさに地獄だった。全ての負の感情がひしめき合い、早く外に出せと言わんばかりに暴れている。ドクドクと心臓が鼓動するように感情が魂の壁を叩いていた。あと数分と経たずに魂は内側から打ち破られ、僅かに残ったこの意識も消えてしまうだろう。

 

 

 

 

 

『そう、そして、私があなたになる。私が『オトナシ キョウ』に成り代わる』

 

 

 

 

 

 体はないのにその声は真後ろから聞こえたような気がした。そのまま意識がくるりとその場で回転。オレの後ろには一人の女性が歪な笑みを浮かべていた。その顔は――が式神として召喚された時の姿にそっくりだった。唯一違うのは式神の女の子は長い黒髪なのに目の前に立つ女性は短い白髪であった。

 

 

 

 

 

『大丈夫、私に任せて。ずっとあなたの魂の中で力は蓄えておいたの。それに元々、幽霊の残骸だった私なら『死』になったところで自我は失わないわ。あなたと違って』

 

 

 

 

 

 そう言ってニタニタと笑う女性。彼女の言葉の真意はさっぱり理解できなかったがこのままではオレという存在は消えてしまうのだろう。

 

 

 

 

 

『でも……このまま崩壊を待つのも暇だからぱぱっと消しちゃいましょう。ねぇ、あれは何かしら?』

 

 

 

 

 

 女性は世間話するように人差し指でオレの後ろを指す。もう一度、意識がその場で一回転するとそこには小さな女の子がいた。こちらに背中を向けているが腕を組んでいるらしい。また、その子の影は異様に大きく、その輪郭は陽炎のように揺らめいていた。

 そして、次の瞬間、その子の背中から手が生え、血が噴水のように溢れ出る。その背中から生えた手には小さな肉の塊――女の子の心臓が握られていた。

 

 

 

 

 

『はい、キュッとしてどっかーん』

 

 

 

 

 

 女性が楽しそうに言うとその手は心臓を握りつぶす。そのまま女の子は前のめりに倒れ、ふっと消えてしまう。

 魂の中で暴れていた感情の一つ――怒りの炎が一層激しく燃え上がった。

 

 

 

 

 

『あら、今度は何かしら』

 

 

 

 

 

 その声に導かれるように意識は右に移動し、いくつかの人影を見つける。その人影は先ほどの女の子と同様にこちらに背中を向けていたがその背中に見覚えがあった。あったのに、誰か思い出せない。でも……何か、オレのために犠牲にしてくれた、ことだけはわかる。

 それを理解した瞬間、罪悪感の雨脚が強まった。

 

 

 

 

 

『じゃあ……これで、おしまい』

 

 

 

 

 

 弾むような女性の声と共に上に何かを感じて意識を向け、抱えられるほどのメイド服を着た人形がおちてきたことに気づく。その人形は目を閉じているのに今にも目を覚ましそうなほど精巧に作られていた。思わず、ありもしない手を伸ばし、その人形を受け止めようとして――手に触れる瞬間、バラバラに砕け散り、粒子となってどこかに飛んで行ってしまった。

 その刹那、悲しみの絶叫が響き渡る。それに呼応するように魂の中で暴れていた感情という感情が暴走し、魂の壁を破壊していくのを見て初めて気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

(あぁ……悲鳴を上げていたのは、()だったのか)

 

 

 

 

 

 

 もう間もなく()は崩壊し、あの女性がオレになるのだろう。だが、それも悪くないかもしれない。

 怒りの炎は()を燃やし尽くす。

 罪悪感の雨は()を溺れさせ、溺死させる。

 悲しみの絶叫は()を揺さぶり、共鳴を起こして精神を崩壊させる。

 もう、限界だった。もう、赦してほしかった。もう、解放してほしかった。

 だから、俺は――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目だよ、キョウ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声と共にポン、と頭に手を乗せられた。その瞬間、魂の中で暴れていた負の感情は一斉に沈黙する。いや、沈黙したのではない、鎮められた(・・・・・)のだ。

『なっ……』

 いつの間にか目の前にいた白髪の女性が目を丸くして()の背後を見つめる。それにつられて振り返ろうとしたがその前に小さな腕が俺の首に回され、抱きしめられた。そして、その時になって初めて体があることに気づく。

「諦めちゃ駄目だよ。きっと、あの子も君に生きていてほしいって願うはずだよ」

「あな、たは……」

「これまでたっくさん大変なことがあったね。いっぱい傷ついたね。いろんな物を失っちゃったね。すっごく辛くて、悲しくて、今にも泣き叫びたくなるよね。でも、キョウ君は皆の期待や犠牲、それ以外も色々なことを背負って生きてるから誰にも、どこにも吐き出せなかったんだよね」

 この声は、知っている。聞き覚えがある。でも、そんなはずはない。だって、この声の持ち主は……彼女は、もう何十年も前に、あの夜に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから……今度は私が一緒に背負ってあげる。私だって大好きな人が苦しんでるのを見たくないんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「咲、さん……」

 

 

 

 

 

 

 母親のように俺を抱きしめていたのは過去の俺(キョウ)が救えなかった――あの夜に妖怪に殺されてしまった咲さんだった。





第341話、参照

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