一体、どれほど時間が経ったのだろう。この部屋には時計もなく、寝起きに比べたら多少、体も動くようになったがスキホを取り出すのはまだ難しい。しかし、眠ろうにもすっかり眠気は吹き飛んでいたため、霊夢と何のとりとめのない話をしていた。
丸3日も寝ていた俺はともかく、今は深夜だ。どこか嬉しそうに話す霊夢を注意深く見れば少しばかり眠そうにしている。それでも彼女は話すのを止めない。
母さんの残留意志から話を聞いた俺はもちろんだが、霊夢も『博麗の巫女』特有の直感を持っている。だから、
「――ねぇ、聞いてる?」
「……ああ、聞いてるよ」
「なら、私が何言ってたか話してみて」
「……」
「……もう」
問いに答えられなかった俺に霊夢は苦笑を浮かべる。そして、そのままいつかのように横になっている俺たちの間に置かれた桔梗の
「桔梗の
「実際に反応してるんだよ。体はなくてもパスは俺と繋がってるから俺を通じて外の様子がわかるんだ」
その言葉に頷くように『その通りです!』と桔梗の
「……ねぇ、桔梗の体はどれくらいでできそうなの?」
「わからない。少なくとも年単位にはなるだろうけど」
「そう……なら、これからアリスに人形について教わるの? あ、でも紅魔館の図書館なら人形に関する本もたくさん……響?」
顔に出してしまったのだろう、話しながら桔梗の
「……まさか、まだ終わってないの?」
「……」
「だって、東のことは解決したし、桔梗とも再会できるようになって……これ以上、何があるのよ。また、あなたは傷つくの?」
勘のいい霊夢はたったそれだけで気づいたのか、どこか訴えるように俺の袖を引っ張りながら震える声で言葉を零す。こうなることはわかっていたがやはり彼女の悲しい顔を見ると胸が締め付けられた。
「命の危険はない。誰かと戦うわけじゃないから」
「なら、どうしてそんな今にも壊れてしまいそうなほど苦しげな顔してるのよ……心だって見えなくても傷つくのはあなただって知ってるでしょう」
ああ、わかっている。それこそ俺の目が失明したのはリョウが目の前で殺されたことで心が傷つき、その
「それでも、やらなきゃならないんだ」
それが母さんの言っていた『俺がやるべきこと』。
そもそも最初からおかしかったのだ。母さんの話では俺の通ってきたのは呼吸のリズムが少しでも狂った時点で地獄に落ちてしまうほどの修羅の道だった。そんな道を
だが、俺は修羅の道を歩き切った。母さんが望んだ未来に辿り着いた。
じゃあ、何故、絶対に不可能なはずの修羅の道を渡り切れたのか。
それはもちろん、
では、問題のその第三者は誰なのか。その答えは母さんの残留意志が遺した最期の言葉が全てを物語っている。
――また会いましょう。
母さんは確かにそう言った。消える寸前に再会を約束したのだ。もう、会えるわけがないのに。それでも母さんの言葉を信じるならば――きっと、そういうことなのだろう。
「他の誰かが代わりにやるのは駄目なの? もしくは頼るとか……」
どこか縋るように問いかけてくる霊夢。それに対して俺は目を伏せながら微かに首を横に振った。
「ああ、俺がやらなきゃ駄目なんだ」
「だって、あなたには心強い仲間も、私だって何か手伝える――」
「――れいちゃん」
「……え?」
それでも食い下がろうとする霊夢を俺は不意を突くようにあえてそう呼んだ。彼女は目を大きく見開き、掠れた声を漏らす。呼ばれ慣れないあだ名を耳にして驚いたわけではなく、決して呼ばれるわけがないあだ名で呼ばれたから彼女は驚いたのだ。
「どうして、それを……だって、あなたは……」
「記憶の欠如。それを能力で視つけたら全部、思い出したんだ。
「ッ!?」
俺の言葉を聞いて霊夢は言葉を失った。そして、溢れるように彼女の目から涙が流れる。あまりにも自然に流れたため、狼狽えることもできなかった。
「ぁ……ぇ……」
「そんなに、驚くことか?」
「驚くに、決まってるじゃない……私はすぐにあなただって気づいたのに、あなたはずっと気づかなくて……」
「それは……すまん。でも、よく気づいたな」
想えば俺が『ネクロファンタジア』を聞いて幻想郷に迷い込み、色々あって博麗神社で目を覚ました後、霊夢も最初は俺のことを女だと思っていたのか『貴女』と呼んでいたが俺の名前を聞いた後、『貴方』になっていた。
「気づくに決まってるじゃない……私が覚えてる最初の記憶からあなたがいるんだもの」
霊夢は元々外の世界出身であり、霊夢に『博麗の巫女』の素質があると判明すると紫は母さんに修行をつけさせようとした。しかし、当時の霊夢はあまりに幼すぎた。そのため、『博麗の巫女』の修行を始めるにはまだ早いと判断した母さんはそれを拒否。それならばと霊夢が孤児だったこともあり、紫は霊夢が修行できるまで母さんに霊夢を預けることにしたのだ。もちろん、当時は俺も博麗神社に住んでいた上、年も近かったため、俺と霊夢はすぐに仲良くなり、くっつくようにずっと一緒にいた。
「私もあなたが『きょうちゃん』だってわかったのは
「そうだったのか?」
「ええ、蔵の掃除をした時にアルバムが出てきてそれを見て思い出したの。さすがに事細かに覚えてるわけじゃないけど……その……」
そこで霊夢はしどろもどろになり、何かを訴えるように俺を見る。言いたくても恥ずかしくて言えず、本音を隠した。そのせいで俺は
「……ああ、覚えてるよ。しっかり覚えてる」
彼女が隠したのは幼かった俺たちが交わした『約束』について。もちろん、記憶の欠如を視つけた俺もしっかりと覚えていた。それを聞いた彼女は顔を真っ赤にして顔の下部分を布団の中に隠してしまう。そんな普段の彼女とはかけ離れた可愛らしい姿に思わず心臓が跳ねてしまうが表情に出さないように我慢。本当であればもっと一緒にいたかったが、もうそろそろ時間だ。
「……だから、ごめん。今はまだ約束、果たせそうにない」
「……それは、また離れ離れになるって、こと?」
「ああ。しばらく帰って来られない」
「……そう。あなたにしかできないこと、なのよね?」
霊夢の質問に黙って頷いた。それに対し、何か言おうとしたのか口をパクパクと動かす彼女だったが、最後まで言葉は出ずに目を伏せてしまう。そして、どこかぎこちない笑みを浮かべた。
「わかったわ……待ってる。ずっと、待ってるから」
「……」
ああ、霊夢ならそう言うと思っていた。たとえ俺が忘れていようともあの日の『約束』が果たされる日をずっと待ち続けた彼女ならばまた待つと言うだろう、と。
でも、それが俺は嫌だった。ただでさえ何年も待たせた挙句、俺は今の今まで大切な『約束』を忘れていた薄情者だ。これ以上、霊夢に負担をかけるのは――彼女を悲しませるのは許せなかった。
きっと、間違っているのは俺なのだろう。こんなことをしても誰も得しないし、むしろ、不幸にする。霊夢と話している間に魂の住人たちに相談したら全員から猛反対された。ああ、それほど今からやろうとしていることは正しくないことなのだ。
だが、それでも俺は――やると決めた。霊夢のためではなく、薄情者である俺に対する罰として。
「霊夢」
「何?」
「ごめん……また、会おう」
「それって、どう、いう……」
俺の眼を見ていた彼女は次第に呂律が回らなくなり、ストンと眠りに落ちる。その拍子にまた彼女の目から涙が零れた。それをまるで壊れ物を扱うように震える手で拭う。
「……全く、お前はバカだ」
「ええ、本当に……バカよ」
そんな声は俺の頭上から聞こえた。そちらを見ると怒った表情を浮かべながら腕組みをする翠炎が立っていた。その隣には呆れたように顔を顰める吸血鬼。咲さんも外に出られるのだが、俺が今からやろうとしていることに怒り、部屋に引きこもってしまったのである。
「仕方ないだろ。本当にいつ終わるかわからないんだから」
「その瞳でもか?」
「穴は視つけられとしてもどれぐらいの深さがあるかまではわかる時とわからない時があるらしい」
「……ふん」
俺の言葉が気に喰わなかったのか、翠炎は不機嫌そうに顔を背け、襖を開けた。その後、まだ動けない俺を吸血鬼が横抱きにし、博麗神社の縁側へと出る。もちろん、桔梗の
「……元気でな」
最後にこちらに背を向けて眠る霊夢に声をかけ、翠炎と俺を抱えた吸血鬼は空高く飛翔する。望たちに挨拶できなかったのは残念だが、翠炎に頼んでメールを送っておけば問題ないだろう。外の世界に帰るのも紫がやってくれるはずだ。
「……この辺でいいかしら」
「ああ、大丈夫だ」
眼下を見れば幻想郷全体を見渡せる高度で吸血鬼の言葉に頷き、翠炎にスキホを操作してもらい、PSPとヘッドフォンを出してもらう。それを取り付けていると心配そうに俺を見ている吸血鬼に気づいた。
「どうした?」
「……体調の方は?」
「体が動かないだけで地力も回復してる……それに、特に
「そっか」
俺の言葉に僅かに顔を歪めた彼女は空を見上げる。そこには綺麗な三日月が浮かんでいた。しばらく三日月を眺めていたがそろそろ動こう。俺は弾幕ごっこに使うスペルカードではなく、仕事用のスペルカードを取り出した。
「プレインエイジア・懐かしき東方の血 ~ Old World『上白沢 慧音』」
俺が着ていた服が慧音のそれに代わる。そして、そのまま息をするように『象徴を操る程度の能力』を起動させた。
「
慧音の能力は人間の時、『歴史を食べる程度の能力』だ。しかし、この歴史を食べるというのは歴史そのものを『喰らうこと』ではなく、『なかったことにする』、『見えなくする』、『隠す』といった意味である。つまり、過去の出来事が消滅するのではなく、実際にあったことを他の人たちが認識できなくなるのだ。
しかし、それでは意味がない。満月の日、ワーハクタク化した慧音なら俺が食べた歴史をサルベージできるだろうし、そもそも歴史とは何かに書き記した時に初めて『歴史』として機能するため、歴史書に頼らない長生きする妖怪たちには通用しない。
だからこそ、慧音の能力を
能力の改変が終わると慧音の服は消え、仕事着である高校の制服になっていた。きっと、能力の改変をした時点で慧音の
「さぁ、行こう。この未来に辿り着くために」
俺は傍にいる吸血鬼や翠炎、魂の中にいる住人たち、俺の手の中にいる桔梗に声をかけ、能力を発動させた。
そして、この瞬間、幻想郷から『音無 響』という存在は消滅した。
「とう……ほう?」
「そう、東方! 知ってる?」
高校の制服を纏う二人が道を歩いている。片方はツンツン頭の元気のいい少年。そして、もう一人は艶のある黒髪をヘアゴムで一本にまとめた少女に見える少年。そんな二人が仲良く肩を並べて下校していた。
「映画?」
「違う!? 宝じゃねー! 方角の『方』だ!」
ポニーテールの少年が首を傾げながら答えるとツンツン頭の少年が声を荒げて否定する。それを聞いた彼はもう一度思考し、思いついた回答を口にした。
「神起?」
「韓国人でもねーよ! projectだ! 東方project! シューティングゲームの!」
「知らん」
どうやら、ツンツン頭の少年の言葉を理解できなかったらしく、ポニーテールの少年は不機嫌そうにため息を吐いた。
「そんな事言わずに! ほら、曲聞いてみろよ!」
「曲?」
「そう! 同人ゲームにしてはクオリティー高いんだよ」
それでもツンツン頭の彼は諦めず、音楽プレイヤーを取り出しつつそう言った。どうやら、音楽を聴かせるつもりらしい。
「えっと……何にするかな~♪」
嬉しそうに音楽プレイヤーを操作するツンツン頭の少年を見てポニーテールの少年はどこか引いたような表情を浮かべる。あれだけにやけた顔を見ればきっとほとんどの人がドン引きするだろう、
「よし! これだ! ネクロファンタジア!」
どうやら曲が決まったらしくツンツン頭の少年はポニーテールの少年の耳にイヤホンを突っ込んだ。音楽プレイヤーの画面には『ネクロファンタジア』という文字が表示されていた。
「これ、本当に同人ゲームなのか?」
「おお!? お前も驚いているようだな!」
しばらく音楽を聴いていたポニーテールの少年は先ほどとは打って変わり、驚いたように感想を漏らす。それを聞いたツンツン頭の少年も嬉しそうに笑みを零した。
「他にもオーエンとかマスパもいいぜ!」
「マジか!? 聞かせろ!」
それから彼らは意気投合したように音楽を聴いては感想を言い合い、楽しそうに笑っていた。それは何も知らない、普通の高校生が浮かべる笑顔だった。
「……」
ああ、そうだ。ここから全てが始まったのだ。この日、この時、この瞬間から何もかもが始まったのである。
俺は前を歩く二人の背中を眺めながら思う。何も知らず、呑気に笑い合っている過去の俺を見て思わず微笑んでしまう。
覚悟はいいか、『音無 響』。お前がこれから色々なことに巻き込まれる。
傷つくこともある。
死にそうにもなる。
大切な物もたくさん失う。
今すぐにでも抱きしめたい人を置いていく。
でも、それ以上に楽しいことがある。
かけがえのない仲間ができる。
大切な人と再会できる。
その道は険しく、苦しく、辛いだろう。
けれど、大丈夫だ。すでにその道を歩き切れることを俺が証明している。
だから、安心して前に進め。先を目指せ。この未来に辿り着け。
「……さて、そろそろ行くか」
仲良く下校する二人を尻目に俺は周囲に人がいないことを確認し、右手を大きく振り下ろす。すると、空間が裂け、白い光がその空間の裂け目から漏れた。
「やることは山積みだ、気張っていこう……ん?」
誰に聞かせるわけでもなく――ただ、気合を入れるためにそう言った後、俺は空間の裂け目へと飛び込もうとした時だった。遠いところで甲高いブレーキ音と共に何かがぶつかる音が聞こえる。そちらを見ると慌ててその場を離れる車と道路の真ん中で血だらけになって倒れた一匹の猫がいた。どうやら車が突然飛び出した猫を轢いてしまったらしい。周囲に人がいなかったため、急いで倒れている猫の元へと駆け寄る。
「これは……」
ほぼ全身が血によって赤く染まっているが、一部白い毛が見えた。きっと、綺麗な白猫だったのだろう。まだ微かに息はあるが時間の問題だ。このまま何もしなければ――いや、たとえ今すぐに動物病院に駆け込んでもこの猫は死んでしまう。
「……そういうことか」
『薄紫色の星が浮かぶ瞳』と魂の中で『猫』が大騒ぎしていることから色々と察した俺は翠炎のナイフを作り出し、瀕死の猫に突き刺す。翠の優しい炎が猫の
「頼む。力を貸してくれないか?」
俺が肩膝を付いてそう言うと今の段階では普通の野良猫であるはずの彼女はまるで了承したように頷いた。そして、俺が立ち上がると猫は俺の体を駆け上り、肩に乗ってくる。どうも、この猫は俺が出会う前から妖怪になりかけていたらしい。
「じゃあ、改めて行くか」
予定とは違ったが同行者――同行猫が増えた俺は再びあの空間の裂け目に視線を向け、歩き始める。
さぁ、『音無 響』を未来へと導く旅の始まりだ。
『東方楽曲伝』を投稿して早8年。
この500話をもって完結です。
ここまで読んでくださったみなさまには感謝してもし切れないです。
最終章のあとがきの投稿は約1週間の2月16日(日)を予定しています。
ですが、その前に一つだけ宣伝を、ば。
2月9日(日)、2月15日(土)にニコニコ動画にて私の生放送コミュで『東方楽曲伝』完結記念生放送をする予定です。
最終章に関することもそうですが、そこで来てくれた方からいただいた質問も生放送で答えるのはもちろん、最終章のあとがきで解説しようかと思います。
きっと、ここまで読んでて色々な疑問もあったと思いますが、もし、お暇でしたら完結記念生放送に遊びにきて、コメントで質問してくれたら幸いです。
また、質問だけじゃなく、東方楽曲伝の裏話なんかも話せたらいいなと思っています。
2月9日(日)、2月15日(土)ともに夜21時から始める予定です。
URLは下記に貼っておきますのでぜひみなさん、気軽に遊びに来てください。
なお、作者の地声は無理という方にはお勧めしませんのでご了承ください。
では、生放送に遊びに来てくれる方はそこで。
他の方は最終章のあとがきでお会いしましょう!
『東方楽曲伝』を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!
生放送コミュ:https://com.nicovideo.jp/community/co1396379?_topic=live_user_program_onairs