夏休み明けの9月。
臨海学校で色々なことがあったがそれもすでに二か月前。
夏休みの間、IS学園の生徒はそのほとんどが帰省していた。俺は帰る家がないので寮に残り、やるべきことに励んでいた。
織斑先生に頼み込んで、鍛えてもらえることになったのもこの夏休みのことである。
織斑先生の指導は軍隊方式だ。伊達に教官と呼ばれていない。
一般人の俺は普通にゲロを吐く。ゲロを吐いたら吐いただけ楽になるので存分に吐けと言われたときは運命を恨んだ。
鍛錬が終わったら、吐いた分だけ食えと言われて、今度は絶対に吐くなと言われる。どっちだよ。
織斑先生は地味に忙しいので中々見てはもらえないが、自主トレ用のメニューを渡され、普段はそれをこなしている。
放課後にランニング20キロは目を疑った。腕立て100とか腹筋150とか。
当然こんなん最初から全部出来るわけないが、完璧にこなせるようになるまでやれと言われ、日々励んでいる。
俺は軟弱だからその分手加減してやったと言っていたが、それは聞かなかったことにしたい。
夏休みの間、朝から晩まで鍛錬漬けだった。
時間は十分にあって辛うじて何とかなっていたが、授業が始まるとそちらに時間を割かれ思うようにいかなくなった。
特に疲労からくる睡魔は強敵だ。授業中に舟を漕ぐことが何度もあった。IS学園の生徒はエリートで居眠りはおろか私語すらしないから、舟を漕ぐ奴はよく目立つ。度々注意され、度々説教を受けた。織斑先生は無言で出席簿の角でどついてくださった。
夏休み明けから急に不真面目になった俺を一夏は心配していたが、夜更かしのせいだと言って誤魔化した。面白いゲームがあると嘘を吐いた。普段ゲームなどしないことを一夏はよく知っている。
それ知らない篠ノ之さんはごみを見る目で、オルコットさんは呆れ顔で、デュノアは愛想笑いだった。ボーデヴィッヒはそもそも興味がなさそうだった。
舟を漕ぐのが数日も続けばクラスメイト達も慣れ、詮索されることもなくなった。
一夏だけはいつまでも心配してくれていたが。
そんな調子で二学期が始まり、9月の半ばに学園祭があると聞いたのは全校集会でのことだ。
一夏を瞬殺し、俺すら毒牙にかけようとした女が壇上に上がったのを見て目を見張る。
一夏も驚いていた。ウインクとスマイルを向けられ、ひしひしと嫌な予感がする。
生徒会長・更識楯無と名乗った女は学園祭でイベントを実施することを宣言した。
その名も、
「各部対抗織斑一夏争奪戦!」
「はぁ!?」
人目もはばからず一夏が立ち上がる。しかし周囲の生徒はそれどころではなかった。
「やった! 織斑君を我が部に招き入れるチャンス!」
「これを逃す手はないわ! 早速ミーティング!」
湧き上がる生徒たち。
渦中にいるはずの一夏は置いてけぼりだ。一夏の意思など関係なく話は進んでいたらしい。
一抹の希望と藁にも縋る思いで振り向く一夏を、俺は合掌で応える。
「南無」
「そんなぁ……!」
◆ ◆ ◆
「ていうかなんで俺だけなんだよ! 嘉神は!?」
「俺に言われても知らんよ」
全校集会が終わり、教室に戻る道すがら。
現実を受け止めるとともに熱を帯びてきた一夏が声を荒げる。
その矛先を向けられたところで、関わりのないことには答えようがない。
内心ほっと胸をなでおろしている。
今部活に参加しろと言われてもそんな余裕はない。日々の授業すら苦労しているのに、余計なことまで背負い込んだら本当に死んでしまう。教官は容赦がない。
「納得いかねえ!」
「俺はちょー嬉しい」
「ちくしょう……」
「うれぴー」
「ちくしょうっ!」
いつになく荒ぶる一夏。
さすがに周りの女子生徒も距離を置いている。
後ろから追いついて来た篠ノ之さんが声をかけるまで、俺たちの周りはぽっかり隙間が空いていた。
「だから剣道部に入部していればよかったのだ」
「そうは言うけどさぁ」
「私の忠告を無視した罰だ。ふんっ」
篠ノ之さんの機嫌が悪い。
一夏争奪戦で一位をとるのは難しいと思っているのかもしれない。一位を取れないのなら一夏は他所の部活に取られる。そうなれば一夏との時間は減ってしまう。恋する乙女としては許せない事態だ。
「一夏さんをお招きするためには催し物で一位になる必要がありますのね。わたくしはテニス部ですけども、どんな催しをするのでしょう?」
「僕は料理部だけど、一位はちょっと厳しいよね」
「ふむ。茶道部は――――」
篠ノ之さんを皮切りに、次々と追いついてくる例の奴ら。
これはうるさくなるぞと歩を速めて距離を取ろうとした。
「そんなことより聞いてくれよ! 嘉神だけ例外なのはなんでだ!? 俺だけ部活に強制入部で嘉神はスルーなのは絶対おかしい!」
一夏は自分の主張を続けることにしたらしい。
一歩前を行く俺を指さして不満をぶつけている。
全員の目が俺に向く。
確かに、とみんなして頷いた。好き好きに何か言おうとしたので、言われる前に遮った。
「うるせえな。そんなに言うならあの生徒会長に聞いてこい。お前知り合いだろ?」
「くっ……そうするかぁ」
一つ言えば素直に頷いた。
熱したかと思えばすぐに冷える。忙しい奴だ。
「そんなことより次はホームルームだぞ学級委員長。ちゃんとまとめないと大変なことになるぜ」
「は? 大変なことってなんだよ」
「分かんないの? まあすぐにわかるよ」
それを言い残して一人でさっさと戻る。
一夏はやっぱり分かっていなかったが、それ以外は神妙な顔をしていたのできちんと分かっているらしい。
ホームルームの議題はクラスの催し物だ。全クラスで唯一男がいる我が1組。議論の方向性は自ずと決まってくるだろう。
◆ ◆ ◆
「却下だ!」
再び一夏の声が荒げられる。
先ほどよりも幾分大きな怒声に、しかしクラス中からブーイングが浴びせられた。
「なんでよ! 織斑君の魅力を十全に魅せられるいい案なのに!?」
「織斑君けち臭いぞー」
「もうちょっとサービスしてくれもいいじゃん!」
「ダメなものはダメ!」
「けち!」
挙げられた案は以下の通りである。
『織斑一夏のホストクラブ』
『織斑一夏とツイスター』
『織斑一夏とポッキーゲーム』
『織斑・嘉神と王様ゲーム』
以上だ。
「ホストクラブじゃないんだぞ! 一歩間違えれば風営法に引っかかる!」
「風営法を知ってるなんて……」
「やっぱり織斑君……」
「男の子なんだねー」
「ああ、もう!」
髪を掻きむしる一夏にいつもの冷静さはない。
全校集会の件が尾を引いている。ちょっと混乱しているようだ。
助けを求めに来るのはいつもより少し早かった。
「嘉神、お前からも何とか言ってやってくれ!」
「仕方ないな」
口を開く前に目頭を揉んで考える時間を稼ぐ。
疲れのせいか思考能力が落ちている気がする。発言には気を付けていきたい。
「――――代案がある」
「言ってくれ」
信頼しきった瞳とアイコンタクト。
――――任せろ。
――――任せた。
出会って数か月。けれどこんなに通じ合っている。
一夏、俺たちは友達だ。
「『織斑一夏の添い寝講座』」
「……は?」
「『織斑一夏と混浴(水着着用)』」
「え」
「『織斑一夏によるマッサージ体験』」
ざわりと教室の空気が変わった。
女子たちが窺うように俺に注目している。
「嘉神……お前……」
「一夏、方向性は間違ってない。お前を前面に押し出せば成功は間違いない。我がクラスに織斑一夏ありと全校生徒に知らしめよう。――――儲かるぞ」
キランと女たちの目が光る。
もうこれ以上の言葉は必要ない。俺は自分の立場を知らしめた。
黙して待とう。とんでもないことになるぞ。
「はいはい! 私織斑君にあーんしてほしい!」
「私はお姫様抱っこ! ぎゅってして!」
「添い寝いいなぁ。よく寝れそう」
火が付いた女どもが自分の願望をあけすけに主張し始める。
一夏は膝から崩れ落ち、山田先生はオロオロしている。
止める者はおらず、勢いは増すばかり。
議論は混迷を極めた。女どもの欲望の数々は聞くに堪えなかった。
◆ ◆ ◆
「では……このクラスの出し物は織斑一夏のご奉仕喫茶に決定です……」
万雷の拍手が打たれた。
混迷を極めた議論は代表候補生たちの尽力によりまとまりを見せ、ボーデヴィッヒの一案でメイド喫茶が浮上。
そこに俺が口を出し、織斑一夏のご奉仕喫茶で決定となった。
「一夏は執事服似合いそうだなあ」
「そだねー。おりむー体格良いしー」
わざとらしく呟いたら、のほほんさんが同意してくれた。
いつの間にやら側にいる。怖い。
「何かご用かな?」
「う-ん、ご用っていうか確認っていうかー。かがみんも燕尾服着るよね?」
「着るわけねえだろ」
名前をよく見ろ。
織斑一夏のご奉仕喫茶だ。嘉神の嘉の字もねえよ。
「えー」
「もう決まったことですので」
「ねらったなー?」
「何のことやら」
「最初からおりむーに押しつけるつもりだったんだー。ずるいなーかがみんは」
「一夏はともかく俺が着たところで似合わないからな。背は低いし顔も悪い。裏方に専念しますよ」
「むー」
席を立ち上がり一夏の元へ。
非常に疲れている一夏は近づく俺を弱弱しく睨んだ。
「嘉神……」
「なるようになってよかったじゃないか」
労わりの意を込めて肩を叩く。
織斑一夏のご奉仕喫茶の文字が電子黒板で輝いている。
正直ボーデヴィッヒがメイド喫茶と言ったのには驚いた。
いつの間にか随分丸くなっている。一夏をぶん殴って俺を下敷きにさせた頃が懐かしい。
「なんで執事なんだよ……もっといいのあったろ……」
「お前がデュノアにやったみたいに混浴するとかか?」
後ろでデュノアの悲鳴が聞こえた。何聞き耳立ててんだ。
「どの道避けられない運命だったんだ。落としどころとしては悪くないだろ。ポッキーゲームやツイスターなんて冗談じゃない」
「……そう言われてみれば、そうかもしれないけど……」
「折角だから楽しもうぜ。執事なんて一生に一度あるかないかだ」
切り替えていこう、と励ました結果、一夏は前向きになった。
「そうだな」と爽やかな笑みが戻ってくる。
「二人で頑張ろうぜ、嘉神」
「ああ、やってやろう。当日はたくさん人が来るぞ。大繁盛だ」
俺たちは笑い合い、一夏は織斑先生に報告しに行った。
その背中にはすでに疲労感は感じられない。あいつ意外と体力あるよなあ、と自分のことを顧みながら思う。
昔剣道をやっていたらしい。
そのおかげかガタイが良いし背も高い。
やっぱり男は見た目だぜ。頑張れ一夏。お前が執事だ。