焼肉が食いたい。
今の今まで全然別のことを考えていたのに、突然そんなことを思ったのは、俺の目の前で織斑一夏と言う男が朝っぱらから分厚いステーキを頬張っていたからだった。
《男たるもの朝こそよく食べるべし》と言う信条があるのかは知らないが、ともかく一夏は朝からよく食べる。
それはトンカツだったり、牛タンだったり、あるいはラム肉とか、時にはチキンとか。
種類はさまざまでこだわりはないが、とにかく一夏は朝からよく肉を食う。
別に何もおかしいことはない。普段ISの特訓をメインに身体を動かしているのだから、さぞかし腹が減るのだろう。朝と言わず三食肉を食っていたって何ら不思議ではない生活を送っている。
だからと言って、朝っぱらからステーキだ。肉汁たっぷり。油もたっぷり。スパイスの香ばしい匂いが食欲を誘うが、起きたばかりの身としては少々そのビジュアルに圧倒される。
流石にそれはどうなのと言う周囲の意見も何のその。一夏は元気にステーキを注文し、何の躊躇もなく頬張った。それはそれは美味そうに食っている。
どこ産かもわからないその分厚い肉は、俺みたいな庶民が普段口にする薄っぺらい安肉とは違って見るからに美味そうだ。値段も相応にし、一夏はうめえうめえと食っている。
そんな一夏に「そんなに美味しいの?」と更識妹が食パンを齧りながら聞いた。「一口よこしなさいよ」と何気に間接キスを要求する凰さんが隣にいて、「朝から油っこい物は体質に合いませんわ」とオルコットさんが紅茶のカップを傾ける。
ボーデヴィッヒに至っては一夏に感化されて同じステーキを頬張っているが「なるほど、これは良い肉だ」と感想を漏らし、「なら僕も夜食べてみようかな」とデュノアが屈託なく笑う。食事中は喋らないと言う日本の食事マナーを守る篠ノ之さんは、鮭の切り身をほぐしながら、いつも通りの厳しい視線を一夏に送っていた。
俺は豚汁を啜りながらそんな光景を見ていた。
何の変哲もない日常だ。それ自体に思うことなど何もないが、しかし一夏がステーキを食っているのには思うところがある。なぜだか無性に焼肉が食いたくなってしまった。
焼肉か……。
さて、どうしようかなと幸せそうな一夏を見ながら思案する。
◆ ◆ ◆
「焼き肉食いてえ」
思わず欲望が口をついて出る。幸いここは自分の部屋で、近くに人はいない。まあ、だからこそ呟いたのだが。
時刻はすでに放課後だ。朝っぱらのステーキ事件からすでに12時間ほど経過している。それほど経っているのに、俺はまだその思いに支配されていた。
何を考えることがあるのかと普通は思うだろう。食べたいなら食べに行けばいい。何の気兼ねなく。何の憂いもなく。強いて言うなら財布と相談して。普通の人はそうするだろう。
しかし俺は普通ではない。何を隠そうIS操縦者だ。世界に二人しかいない、男の操縦者なのだ。
それはそれはとても希少で、三毛猫のオスより希少だ。昨今、女尊男卑となったこの社会ではまさしく男の希望であり、その分やっかみも多く受け、女性人権団体には目の敵にされており、ISの生みの親である篠ノ之束殿からは直に殺害予告を頂戴するほど。
各方面に様々な理由で大人気。引きこもる理由としてこれ以上の物はない。一夏の誕生日パーティだってこれが理由でぶっちした。プレゼントだけ送り付けて学園で安穏としていた。着払いで送り付けなかっただけ菩薩の心と言う物だろう。
そんな俺がまさか焼肉が食いたいと言う理由だけで外に出るわけもない。
食いには行けない。ではどうするか。やるしかねえな。焼肉を。
と言う訳で早速ネットで注文する。
高級な肉を片っ端から、金に糸目は付けずにポチポチする。
外に出ないから金なんざ溜まるだけだ。使わずにどうする。預金が増えると言ったって、こちとら記帳すら行けてねえんだぞ。ネットバンクで数字の羅列見たって何も楽しいことなどない。
そういう訳で肉を注文し、焼き肉プレートも注文する。
遠赤外線タイプと言う物に非常に興味を惹かれたが、結局は普通の電気タイプを注文した。電気タイプはたこ焼きとかも出来るのだ。いずれはたこ焼きも作ろう。
一通りポチって満足してその日は寝た。
遅くても三日後には肉が届く。早い。流石はいいお肉。週末は焼肉パーティだと一人ウキウキしながらベッドにもぐりこんだ。
◆ ◆ ◆
プレートが届いたのを皮切りに続々肉が届いた。
ネットで注文した物は全て学園側で中身が確認される。プライバシーなどあったものじゃないが、安全のため仕方がない。
一度俺に爆弾を送ろうとした阿呆がいた。俗にいう郵便爆弾と言うやつだ。普通に逮捕されたが、頭が悪いにも程がある。そいつは案の定人権団体だった。
プレートが届いた際、お馴染みの事務員だか清掃員だかの数少ない男性職員にこんな物どうするのかと質問された。焼き肉を食うのだと隠すことはしなかった。むしろ自慢した。何も企んでなかったから隠す理由もなかったし。
ただ、追い追い考えてみると多分この人から情報が漏れたのだろうと思い至った。
「いいわね、焼き肉」
ノックの音に対応し扉を開けて早々、第一声がその言葉。
ばねの様に外側に跳ねた水色の髪は相変わらず。それが寝癖でもなんでもなく単なる癖毛と言うのは驚きだ。姉妹揃って内か外に跳ねているあたり遺伝なのだろう。それが性格の向きを反映しているのだとしたら中々に面白い。
普通なら事務の人が届けてくれるはずの肉を抱えながら、どことなく嘘くさい笑顔を浮かべているその人は、いつもの余裕にちょっとの緊張を滲ませている。あんたそんな玉じゃないでしょと思ったが、余計なことを言っては失敗を繰り返すだけなので努めて口を閉ざす。
「美味しいものね、焼き肉」
その口調は心にないことを言っているのがよくわかる。また一段とポンコツになったなと、その顔を胡乱に見つめる。
その女の名を更識楯無。別名を恋する甘ちゃんガール。修学旅行などの様々な騒動を経て、「会長ってほんと肝心なところで役に立ちませんよね」と本音をぶちまけたら喧嘩に発展した年上ちゃん。まだ仲直りしてない。一夏の仲裁で収まりかけた時に、「ところで、あなた本当に年上ですか?」と口を衝いて出たのが余計だった。後は買い言葉に売り言葉で「顔も見たくねえ!」となって以来言葉を交わしていなかった。
「い、いいわよね、焼き肉」
俺が黙っているのを見て、似たような言葉を繰り返す会長。ちょっとどもってきた。
狙いはあからさまだが、あからさますぎて逆に困る。
とりあえず肉を受け取ろうと手を伸ばす。すると伸ばした分だけ肉は遠ざかり、会長は白々しい言葉を放つ。
「あら、黒毛和牛? A5? いいお肉じゃない」
普段伊勢海老とかで弁当作ってる人が何言ってんだろう。黒毛和牛とか見飽きてんだろ。白々しいにもほどがある。
「あ? なに? 食いたいの?」
「……あの、私一応先輩なんだけど」
「だから?」
やっと口を開けば、自然喧嘩腰になったのは喧嘩中だからだろうか。別にもう怒ってもいないのに。とっくに過ぎたことだった。それは会長も同じようで、俺のため口を聞いても、どちらかと言うと困った顔をしている。まあ、状況によっては普通にため口するしな。
あらぬ方に視線を逸らしながら頭を掻く。
会長のこの行動が歩み寄りだと言うことは分かっている。喧嘩の原因でどっちが悪いかと言ったら俺だ。別に会長は悪くない。……全く? と聞かれたら正直疑問符は残るが、まあ悪くない。
なのに会長の方から歩み寄ってくれているのだから、その懐の深さに感服する。
俺も相応の心の広さは示すべきだろう。じゃないと恥知らずだし、男も廃る。ただでさえ小さい器をこれ以上小さくするわけにもいかなかった。
そう決心して頭を下げる。
「すいませんでした」
頭上から息を呑む音が聞こえた。
少しの間を置いて声がかかる。
「……私の方こそごめんね。ちょっと大人げなかったわ」
「俺が余計なことを言ったのが原因です。怒るのは当然でしょう。それはそれとして会長を大人だと思ったことはありませんが」
「また喧嘩したいの?」
いいえと答えながら頭を上げる。
苦笑を浮かべる会長と顔を合わせる。相変わらず綺麗な人だった。大人のふりをしながら子供っぽい人だが、それもまた魅力の内なのだろう。俺みたいなのと喧嘩してるのはどうかと思うが。
仲直りしたところで黒毛和牛を受け取る。
A5ランクの高級肉。今回購入した中で一番高い。かつてはとてもじゃないが手の届かなかった肉だ。
今俺が手に持つことが出来ているのは、たまたまISを動かせたからに過ぎない。だからと言って幸運だとは口が裂けても言えないけど。
「会長もこれ食べますか?」
「……いいの?」
「構いませんよ」
喧嘩の詫びと、普段弁当のおかずをお裾分けしてもらっている礼も兼ねてお誘いする。
もちろん、二人っきりと言う訳ではない。
「一夏も来ますよ」
「一夏くんも?」
途端、会長は嬉しそうな顔をする。
恋する乙女の会長は、意中の相手と食事が出来てさぞかし嬉しいに違いない。A5ランクの黒毛和牛などおまけに過ぎず、一夏との食事の場を提供するのがメインのお詫びだ。
「明日の19時ぐらいに来てください。いつものに嗅ぎ付けられるの嫌なので他言無用でお願いします」
「わかったわ」
会長が去るのを見送って、周囲に盗み聞きしてるのがいないかを確認した後部屋に戻る。
さて、準備をしないとな。
◆ ◆ ◆
《今から行く》と言う一夏からの連絡を受け、扉の前にスタンバイする。
小さいノック音が聞こえた瞬間、扉を開けて一夏を招き入れ、即座に扉を閉めた。
扉越しに聞こえる周囲の足音に耳を澄ませながら念のため聞いておく。
「大丈夫か?」
「ああ。千冬姉に呼ばれてるって言って来たから大丈夫だと思う」
よし。
普段から女子に囲まれている一夏の身柄を確保するのは恐ろしいほど難しいが、こう言う時に役に立つのが織斑先生だ。やっこさんに歯向かえる奴はこの学園には存在しない。誰も好き好んで嘴をいれようとはしないだろう。全く恐ろしい教官だぜ。
「あ、これ。飲み物持ってきた」
「サンキュー」
受け取ったジュースを早速コップに注ぐ。からんと氷が転がって甲高い音を立てた。
コップを受け取りながら卓についた一夏は、もう一つ空のコップがあるのに気づき首を傾げていた。
「あれ? 他に誰か来るのか?」
「会長」
「え、楯無さん? 仲直りしたのか……」
「昨日した」
「そっか」
自分のことのように喜ばしそうにしている一夏を尻目に、俺は最初にどの肉を焼くか考える。一応要望を聞いてみると、一夏はタン塩を要求して来た。
「タン塩って言ったらレモンだよな」
「鉄板だな。もちろん用意してあるぞ」
ご期待に応えるために、切り分けたレモンや塩コショウ、焼き肉用のソースも用意。米も炊いてある。
準備は万端。後は会長を待つだけだが、あんまり遅いようなら先に始めてしまおうと時計を見た。あの長針が0を刺したら焼き始めよう。30秒前。
10秒を切り、トングを構えた俺の耳にノックの音が聞こえてしまった。
ちっと舌打ちして立ち上がる。扉を開けて招き入れた。
「いらっしゃい……」
「なんか残念そうじゃない?」
「そんなことはねえよ」
釈然としてなさそうな会長から紙袋を受け取った。
中にはケーキボックスみたいなのが入っている。なんだろうと思って開けてみたらアイスだった。
「バニラとストロベリー、それとチョコのアイスよ。あとで食べましょ。好きなの選んでね」
「あざっす」
食後のデザートは考えてなかったな。流石は女の子。恋する乙女。詰めの甘い学園最強。
アイスは出番まで冷凍庫にしまっておくことにして、メンバーは揃ったので肉を焼き始める。俺が焼く傍らで、一夏がコップにジュースを注いでいた。
「どうぞ」
「ありがと」
コップを傾け、喉を潤した会長はキョロキョロと部屋を見回していた。
その様子に疑心が広がり、なんだぁ? と思って視界の端で注視する。肉の焼き加減と同レベルで注意しなければならない。何を企んでいやがる。
「嘉神くん、部屋片付いてるわね。いつもはもっと汚いのに」
「俺の下着見ながら肉食いたくないでしょ。片づけましたよ。あと、いい加減勝手に部屋入るの止めろよ。殺すぞ」
「えっちな本は?」
「ベッドの下」
ここか! と言いながらベッド下に手を伸ばした
「いった~い! 嘉神くんったら乱暴!」
「うるせえな。肉焼けたぞ食えよ」
「いただきまーす」
はむはむと美味そうにタン塩を頬張る会長を一夏が苦笑して見ている。
焼けた肉を一夏の皿にもよそいながら、間髪入れず次の肉を焼いていく。ちょっと買い過ぎた。どんどん焼かないと全然減らない。
「やっぱりタン塩にはレモンよねー」
「分かります」
「うふふ。お主も好きよのぉ。ほら、一夏くんも食べて食べて。あーん」
「自分で食べれますって……」
「やあだぁ。私のタン塩食べてぇ?」
え、なにあの人酔ってんの?
なんかキャバ嬢みたいでドン引きなんですけど。どんだけ一夏と飯食えるの嬉しいんだよ。
食べる食べないの押し問答を経て、いつものように根負けした一夏があーんを受け入れた。会長はきゃっきゃと喜んでいる。
恥ずかしいけど、楯無さんが楽しいならまあそれでいいかと言う顔の一夏は、この一年ですっかり鍛えられてしまった。染まってやがる。言っとくけど普通じゃねえからなそれ。あとで五反田に写真送ってやろうっと。
「次は嘉神君ね。はい、あーん」
「その箸引っ込めろ。レモンをぶっかけられたくなければな」
お前の目に向けて絞るぞと脅して引っ込めさせた。実際やってみたことはないが、レモンの汁はさぞかし染みるに違いない。
「なによぅ……ちょっとふざけただけじゃない」
「一夏の皿が空いてますよ会長。この肉食わせたらいかがです?」
「あらほんと? はい一夏くん、あーん」
「嘉神……」
裏切者と言う目で見られてもそんなのは知らん。俺がこういう風に水を向けるのは日常茶飯事だ。いい加減慣れろ。
それから、一夏にトングを奪われ、隙を見て奪い返し、会長にトングを押し付けてと言うやり取りを経て、肉をひっくり返しながら会長が言った。
「それにしても、意外と健全なのね」
「は? 何がですか? 酒池肉林でも想像してました?」
一夏が米が欲しいと言ったので、茶碗に米を山と盛って渡したところだった。
引き攣った顔の一夏を見ながら会長と話をする。
「お酒あるかと思ったんだけど」
「あるわきゃねえよ」
言いつつ、一瞬だけ一夏に目配せをした。
何も言うなと言うアイコンタクトだったが、嘘が下手な一夏は露骨に話を変えてきた。
「これどこ産の米?」
「北海道」
「まじか」
「……んー? なーんか怪しいなぁ?」
ちっと舌打ちを漏らす。すでに冷や汗をかいている一夏を見て隠すのは無理だと悟った。
どっこいせと立ち上がり、冷蔵庫から何本か持ってくる。初心者でも飲みやすいカクテル系の酒だ。
「やっぱりあったわね」
「IS学園は治外法権なんでね」
当たり前だが、国によって酒が飲める年齢は異なっている。早いところでは16歳から。遅くても21歳を過ぎれば大体は解禁される。
IS学園は様々な国の人間が集まっているので、その辺の規律は厳格と言うほどではなかった。だから酒を手に入れるのはさほど難しくはない。
「織斑先生にばれたら大変よ?」
「ばれなきゃいいんすよ」
実際、ばれたら拳骨じゃ済まないだろうが、しかしそれぐらいの反骨心は必要だ。特に、俺たちのような客寄せパンダには。精神弱くてパンダはやってらんねえんだよ!
「一理あるわね。じゃあ飲みましょうか」
「え!? いいんですか!?」
直前まで判決を待つ被告人の様な顔をしていた一夏だったが、予想外の言葉を聞いてことさらに大きな声で驚いた。
「別にいいわよ?」
「で、でも、俺たち未成年で……」
「確かにね。でも私が良いっていうからいいの。いい機会だから、自分がどれくらいお酒飲めるか確かめておきなさい」
弱かったらあんまり飲んじゃ駄目よ、とウインクされる。将来のことを考えて、と言うことらしい。酔っぱらったところをお持ち帰りなんてされるんじゃねえぞと言う優しさかもしれない。
ではお言葉に甘えて飲んでみよう。
プルタブを引っ張り、かしゅっと炭酸の抜ける音が響く。しゅわしゅわと缶の中で炭酸が弾けている。
匂いをかげば、アルコール特有の匂いが鼻腔を満たした。
一夏と顔を見合わせて呷る。俺の飲んだカクテルは蜜柑の味だった。一夏は葡萄を飲んでいる。普通のフルーツの味に混じり、アルコールの味がする。酒の味。
口の中でゆっくりと味わい、そして飲み込む。
缶を置いて、再度一夏とアイコンタクト。
二人、口を揃えて言う。
「そんなに美味くない」
何事も初めてなんてそんなもん。
◆ ◆ ◆
すっかり夜も更けた。
会長の手によってあるだけ飲まされた一夏は、すっかり酔いが回って眠りこけている。
その頬をつんつんと突っつく会長は片手に余った酒を持ち、時折口を湿らすようにゆっくりと傾けていた。
俺は皿などを片づけ、余った肉を冷蔵庫にしまっている。
残った肉は何かしらに使わなきゃいけないけどなんかあったかなあ、と冷蔵庫を漁っている途中にアイスの存在を思い出し、まだ起きている会長に聞いた。
「アイス食べますか?」
「……うーん」
迷う素振りではあったが、いらないと言う感情が態度に滲み出ていた。
一夏も眠ってしまったし、あれは俺が一人で楽しむとしよう。
「もう夜遅いですから、会長もさっさと帰ってください」
「これ飲んだら帰るわよ」
言いながら缶を振って見せる会長だったが、音を聞く限りではまだ半分ほど残っていそうだった。今のペースだと飲み干すのに何時間かかるのやら。
「明日は二日酔いかしらね」
一夏の頬を突っつきながら会長が呟いた。主語はないが、それが誰のことかは一目瞭然。
「そうっすねえ」とどうでもいいやと思いながら返事をし、けれどもよくよく考えてみれば、もし明日一夏が二日酔いになっていたとしたら、ほぼ間違いなく飲酒ばれるよなと思い至る。それは考えるだに恐ろしい未来だったが、けれどそれ以上のことは考えなかった。明日のことは明日の自分に何とかしてほしい。最悪は一夏を見捨てるという手段だってあるのだし。
思考の放棄と冷蔵庫の整理を終えた俺は二人の元へ戻る。
酔いのせいで赤く染まった一夏の頬。そんなものを、会長は何が面白いのかしきりに突っついている。時折可愛いと呟いているが、俺にはてんで理解出来ない。
幸せとは程遠い寝顔の一夏からは、やめてくれ、かんべんしてくれ、俺が何したんだ、そんな声が聞こえていた。あわれ。これを可愛いとか言う奴は常識を疑わざるを得ない。
「初めての人間に飲ませすぎなんですよ、あなたは」
「ついつい面白くってね。一夏くんがどれくらい飲めるのかも知りたかったし」
「急性アル中になったらどうするつもりなんですか」
「ちゃんと見極めてるわよ。人を見るのは得意なの」
「へえ?」
「本当よ? そういう嘉神くんは飲み慣れてるみたいね」
「さあ、どうでしょう」
どうでもいい話をして時間を潰す。
洗い物は明日にしよう。今日は疲れた。
一夏が眠っていない方のベッドにごろりと横になった俺に向け、会長が冗談めかした口調で茶化してくる。
「知ってる? 食べてすぐ横になると太るらしいわよ」
「でも筋肉つけるためには一回脂肪つけないといけないらしいですよ」
「本当?」
「しらね」
チクタクと壁掛けの時計の音を聞きながら目を瞑る。
部屋の中に時計の音と一夏の呻き声ばかりが満ちている。時折会長が動いて布ズレの音がした。
思った通り、いつまでたっても飲み終わらない会長に焦れ、ついにはこっちから催促する。
「さっさと帰れ。俺はシャワー浴びるんだ」
「浴びればいいじゃない」
「お生憎様。女と同室になったことないんで、部屋に女置いたままシャワー浴びると落ち着かないの。エロ本探されるのも嫌だしな」
俺の言い分に会長はくすりと笑った。
残っていた酒を一息に飲み干し、缶を置いて、ひらひらと手を振りながら扉に向かっていく。
「ご馳走さま。美味しかったし楽しかったわ。君とも仲直りできたしね」
「お粗末さま」
おやすみなさいと言って、会長は部屋を出て行った。
それは宴の終わりを示している。
なんだか寂しくなった部屋の中で、俺は一人時計の音を聞いていた。
横を向くと、一夏は相変わらずうなされながら眠っている。
その顔を見ていたらなんだか無性におかしくなって、ふっと笑って眼を瞑った。
学園に来た頃を思い出す。ろくでもない思い出ばかりだが、過ぎてみれば懐かしい。全く俺も染まっている。それが悪いこととは言いにくい、そんな心境になってしまった。
自嘲する間も時計の針は進み、夜は更けていく。
それに人の意思は関係なく、どこまでも勝手で、どこまでも自由だった。
あーあと嘆く。楽しい時間が過ぎちまったなと、我ながら珍しく本心を曝け出した。
誰も聞いててくれるなよと勝手なことを思いながら、やはり夜は更けていった。