ドイツからフランスまでは飛行機で二時間足らず。
眠る暇のないあっという間のフライトだった。
そして到着した空港で待ち構える熱烈歓迎の人ごみ。ついさっきドイツで見たのと同じ光景に、思わず目頭を揉んで幻覚を疑った。
「おかしいな……フランスに来たつもりがドイツに戻って来てるぞ。また爆弾が仕掛けられたのか」
「目の前のことから目を逸らすのはいけないことよ。見なさい。フランス語が書いてあるから」
会長に無理やり直視させられた現実を目の当たりにし、愕然として絶望する。
「一体どこの誰が俺たちのことを漏らしたんだ……ぶっ殺してやろうか」
「一夏君とシャルロットちゃんが一緒にいる写真が出回ってるし、当然と言えば当然じゃない?」
なるほど。つまりこれは一夏のせい。ならば全ての責任は一夏にある。ぶっ殺すのは勘弁してやるから責任は取らせよう。
「よし。行け、一夏」
「なにが!?」
「あそこにいる皆さまはお前をお待ちのようだ。ならお前が行くのが筋ってもんだろ」
「いや、この状況で行くのはやばいだろ」
「やばいのはお前だけだから」
生贄は最小限に抑えるのが基本だ。この場合は一夏一人で十分だろう。俺たちのためにも行けと背中を押してやる。ちょっと前までの一夏だったら状況に流されていただろうに、最近の一夏は抵抗すると言うことを覚えてしまった。何を思ったか突然微笑を浮かべて俺の肩に手を置きイケボで囁いてくる。
「俺たち友達だろ?」
「ああ。お前の献身は忘れないよ」
「……一人で乗り越えられない壁も、皆で力を合わせれば乗り越える。そうだろう?」
「そうかもしれない」
「だから、力を合わせてあの壁を乗り越えよう」
指し示す先にいるのはざわざわと騒がしいフランス民たち。あれらの目的は一夏を一目見ること。あるいは危害を加えようとしているのもいるかもしれないが、とにかく目的は一夏だ。
俺から見ればあまりに巨大な壁。それを乗り越えるために力を合わせようと言う一夏。実に合理的な話だと俺は頷かざるを得ない。
「だからお前が囮になれ。その間に俺たちはデュノアの実家に行くから」
「はっはっは。それだと俺の身が危ないじゃないか」
「そうだな。それが?」
そんなの関係ないからとっとと行けよと一夏の背中を押す。
抵抗してその場で踏ん張る一夏との取っ組み合いが始まった。
「さっさと行けよこの野郎っ!」
「行けるわけないだろあんなところに!」
「ああ!? やんのかてめえっ!」
「上等だ!」
あわや乱闘に発展しかけた俺たちの耳に、遠くから会長の声が届く。
「置いて行くわよー」
「「今行きます!」」
こんなことしてる場合じゃねえと皆の元に急いだ。
聞けばデュノア社がリムジンを用意してくれていると言う。至れり尽くせりだ。
◆ ◆ ◆
リムジンが向かったのはISアリーナだった。
聞けばデュノア社が保有している施設で、主にテストISの実験が行われる場所だという。
てっきり本社に呼び出されているものとばかり思っていたが、蓋を開けてみればここである。
なぜここなのか。デュノアに理由を訊ねてみても「わからない」と言う返事が返って来た。理由に関しては言われなかったし聞きもしなかったらしい。……そこが重要だと思うのだが。
「良い施設だな」
リムジンから降りた一夏が呟いた。IS学園と比べてもなんら遜色ない施設に思わず感想が零れたらしい。
俺たちがIS学園の生徒となって一年近くたつ。一年前ならこんな施設の良し悪しなど微塵も分からなかっただろうが、血反吐を吐くような猛勉強の成果もあって、自然とそこに目を向けられるようになった。成長の証である。これは誇るべきことなのだが、唯一懸念すべきは、当の本人の両手にワインボトルが握られていることだった。
「うむ。さすがはデュノア社だな。世界三位の企業なだけはある」
大真面目な顔で一夏に同意するボーデヴィッヒ。一夏に倣ったのかどうなのか。その腕には魔王と書かれた焼酎が抱えられている。
そんな二人を見ながら無言で降り立つ俺たち。最後に降り立った会長がいつになく真剣な眼差しでのたまう。
「いよいよ正念場ね。皆、気を引き締めなさい」
その言葉に一夏とボーデヴィッヒが頷く。俺は何を言ってんだてめえと言う目を向けた。
会長はグラスに残っていたワインを飲み干し、空になったグラスを運転手に返却した。
「行くわよ」
ほろ酔いで若干足取りの怪しい会長。両手にワインボトルを握り締めた一夏。後生大事に魔王を抱えこむボーデヴィッヒ。
この三人が泰然とした感じでアリーナへと向かっていく。その背中を眺める俺、デュノア、更識妹。
調べ物をしていた更識妹が結果を報告してきた。
「……フランスの法律だと18歳未満飲酒禁止らしい」
「ほう」
それは本当なのかと、この場の誰よりもフランスに詳しいであろうデュノアを見る。デュノアは全てを諦めた顔で、誰に聞かせるでもない声音で呟いた。
「……一応、ワインとかなら16歳から飲酒しても大丈夫だから」
そう言う決まりらしい。
一夏と会長は間違いなく16歳を超えている。ボーデヴィッヒは見た目からして怪しいが、本人は16歳だと言い張るだろう。
ならば何も問題ない。
「行くぞ」
三人からつかず離れずの距離を保ってアリーナへ向かう。丁度会長が何もないところで転びそうになっていた。
◆ ◆ ◆
「遅い」
会長に水を一杯飲ませた後、アリーナ内にいた人影に近づいてみれば、開口一番文句を言われた。
「それはその通りですね」と思わなくもなかったが、とりあえず訝し気にしていると、進み出たデュノアが挨拶を述べた。
「お久しぶりです。お父さん」
「ここでは社長と呼べ」
「……はい。社長」
そう言わけで、目の前の顎髭がデュノアの父親らしい。なるほど。何となく似ている気がする。真面目で厳しそうな顔をしているが、デュノアにもそういうところがないでもない。少なくともかつてはあった。今は知らん。
「話には聞いていたが多いな」
「……学園の友人と先輩です」
「友達が多いのは結構なことだが、連れてくる必要はなかった。特に噂の男子などは」
不躾に冷めた視線を向けられ、早々と我慢の限界を迎えた一夏が何かを言い募ろうとする。予想通りだったので、そんなことはさせてたまるかと膝カックンした。
「何するんだよ」とキレる一夏に「落ち着け」と諭す。
「今は様子を見るべきだ」
「様子って……」
「遅かったのも多いのもその通りだろ」
渋々と頷く一夏。俺たちにはコップ一杯の水を求めてウロウロした負い目があった。しかし内心は納得してないのが丸分かりだ。面倒だから次は止めないで好きにさせよう。どうせ遅かれ早かれだし。
「話は終わったか?」
「はい」
律義に待ってくれていたデュノア父に答え、父娘らしからぬ会話が続いた。
「私は忙しい。遅刻の言い訳を聞くつもりはない」
「申し訳ありません……」
「学園の生活ですっかり忘れていたのかもしれないが、お前はデュノア社の一員だ。その自覚を持て」
「はい」
「それでは本題に入る。が、その前に部外者には出て行ってもらおう」
「……はい」
俺たちの方を見たデュノアは申し訳なさそうな顔をしていた。そのまま「別の部屋で……」と言いかけたところで狂犬一夏が吠え散らかす。
「待ってください!」
デュノア父が露骨に面倒そうな顔をする。
「……何かね」
「俺たちはシャルの側にいます! どこにも行きません!」
……俺たち?
一夏の言葉に引っかかりを覚えた俺の眼前で、デュノア父も「……シャル?」と引っかかりを覚えていた。
「あんたがシャルに何をしたのか、させようとしたのかを知っている! これ以上、シャルを酷い目に遭わせてたまるものかよ!」
「一夏……」
豪快な啖呵を切る一夏にときめくデュノアは放っておくとして、ボーデヴィッヒと更識妹も真剣な顔で一夏に同意していて、会長なんかは不敵な笑みを浮かべていた。
デュノア父はそんな面々を順繰り眺めて一夏に語りかける。
「織斑一夏君。私はビジネスの話をしようとしている。それには当然社外機密も含まれている。関係のない者に聞かせるわけにはいかない」
「それでも、俺はシャルの友達だ」
ここまで噛み合わない会話も珍しい。
論理を感情で弾かれると厄介だ。強引に一夏を排除することは可能だろうが、あの織斑一夏を粗末に扱うのも考えものだ。加えて、娘に対して少なからず負い目もあるはず。
案の定、デュノア父は子供らしい言い分を通そうとする一夏に対して強硬手段を取る気配はない。だからと言って、一夏の感情論だけの主張を丸呑みすることも出来ないのだろう。その視線の険しさから心中が察せられる。
沈黙の睨み合いが続き誰も動けない中、俺は会長とのアイコンタクトを試みる。
――――何とかしろ。
――――仕方ないわねえ。
会長が一歩前に出る。
「初めまして、アルベール・デュノアさん。私は更識楯無です」
「……初めまして。君のことは知っている。その若さでロシアの国家代表だとか」
「デュノア社のトップにお見知りおき下さっているとは光栄です。私もデュノア社の製品はいくつも使っていますが、素晴らしい品ばかり。時折シャルロットちゃんが羨ましくなりますから」
「君ほどの子に気に入ってもらえているなら何よりだ。君さえよければ、我が社の製品を送ることも出来るが?」
「嬉しいお話ですが私に決定権はありません。ロシア本国と交渉していただければ」
「だろうな。それで?」
「はい。デュノア社の機密事項に関しては決して漏らさないとお約束します。この子たちにも約束させます」
デュノア父は会長を無表情で見つめている。
「君はどの立場でそれを言っている? ロシアの国家代表には他国の代表候補生にそれを強いる権限があるのかな?」
「これはIS学園の生徒会長として、更識家の当主としての言葉です」
僅かな沈黙。その間に一夏が余計な口を開こうとしたので、腹にブローを食らわせて黙らせた。
「どうかな。この場で約束を交わしたとして、あとで破らない保証はない。私の目の届かない場所で何をしたとしても、それを知る術はない。企業のトップとしてそんな危ない橋を渡るつもりはない。私は数万の従業員を背負っている」
「私もIS学園と更識家を背負っています」
デュノア父は首を傾げ、再び俺たちのことを順繰り眺めた。
最後に俺の方を見て、通り過ぎるかと思った視線はそのままに、今度は話しかけてくる。
「嘉神君と言ったね。君はどうだ。約束できるか」
「はあ。約束ぐらいならいくらでも」
面倒くさいなあと思いながら答えてみると、お気に召さなかったのか重ねて質問を食らった。
「君はどういう理由でここに来た。娘とはどんな関係だ」
「被害者と加害者です」
予想だにしない答えだったようで一瞬間が空いた。
「……それはどういう」
「あいつは最初、自分のことを男だと偽って俺と同室になろうとしてました。危ういところで一夏に押し付けましたが、そうじゃなかったらどうなっていたか」
デュノア父は押し黙る。
考えてみれば、生産元にクレームを入れるいい機会だ。この際だから全部吐き出すことにした。
「アルベールさん、あんたシャルロット・デュノアと言う女のことをどれだけ知っていますか? あいつがどれだけあざとい女なのか分かっているんですか?」
「……何の話だ?」
「あいつはねえ、一夏と同室だったころ、わざと薄着で過ごしてたんですよ!」
「ちょっと!?」とデュノアが叫ぶ。更識妹とボーデヴィッヒ、会長ががほぼ同時にデュノアを振り返った。
「シャワーを浴びる時にわざと服を忘れて一夏に持って行かせたり、シャンプーが切れたって言ってドア越しに交換を頼んだり、何もないところで転んで乙女アピールも欠かさない。挙句の果てには混浴ときたもんだ! これが16歳の処女だと!? あんた娘にどういう教育をしてるんだ!?」
「……」
「一夏が口元に食べかすを付けてみれば、それを指で摘まんで自分の口に運ぶ! 一夏の好きな味付けを研究してたまに試食を頼んで料理できるんですアピール! 『恥ずかしかったけどまた一緒にお風呂入りたいなあ』ってカップル割引の混浴温泉を探して一人悶える! これがあざとくなければなんなんだ!!」
「してない! してないから! 全部嘘だから! だから三人ともこっち来ないで!?」
恋する乙女の物理的な圧力を受け、デュノアは後退を続けている。
一夏は顔を赤くして狼狽えているし、デュノア父は押し黙っている。
「つまるところ何が言いたいかと言うと、もう面倒くさいからとっとと日本に帰りたい。何でもいいから早く終わらせて」
「……君は……」
三人に問い詰められているデュノアを見ながら催促する。
デュノア父が言葉を詰まらせながら口を開き、何を言うのかと視線を向けたところで扉の開く音がした。入って来たのは気品のある女性だった。
「いいじゃないですか。一緒にいさせても」
「……ロゼンダ……しかし……」
「私は大丈夫だと思いますよ。だって友達なんでしょう?」
なぜか俺に同意を求めてきたので肩をすくめて答えた。
女性は微笑を浮かべてデュノア父を説得する。
「時間もないことですし」
「……あとで誓約書を書いてもらう。ここで見たことは口外禁止だ。……それと酒は置いていけ」
それでようやく話が纏まった。
誓約書ぐらいいくらでも書いてやるから、とっとと話を進めようぜ。
だからそこの馬鹿七人の内の四人もとっととこっちに戻ってこい。