日は暮れて、旅館にはIS学園の生徒たちが戻ってきていた。
海でばっちり遊んだのであろう。何人かは記憶にあるそれよりも黒くなっている。
時おりチラリと見える水着の跡が艶めかしい。思わずごくりと唾をのむ。
さすがは美人揃いのIS学園。まだ幼い顔つきとは言え、色々と将来有望な女子たち。
16歳の思春期男子高校生にとっては毒でしかない。
段々と込み上げてくる欲望から目を逸らすため、一夏を連れて温泉へ行く。
貸し切りと言って差し支えないほど男客がいない本日。フロントや温泉に続く廊下はおろか、脱衣所にまで男は見かけなかった。当然、湯船にもいない。
「男は俺たちだけなのか」
「ゆっくり浸かれるな!」
この分だと、泳いでも騒いでも文句を言う人はいないだろうが、風呂好き一夏ともあろう者が温泉で騒ぐはずがない。むしろマナーにはうるさい方だろう。
俺も疲れを癒すため、まったりと湯につかる。
「いい湯だなあ」
「あったまる……」
おっさんみたいな声が漏れる。
みっともないとは思うが止められない。あ"~。
暫く温泉の心地よさと共に浸る。足を伸ばせる風呂に入ることはおろか、そもそも風呂に入るのが久しぶりで、気持ちのいい入浴になる。
少ししてふと一夏が呟いた。
「そういえば、嘉神とこうやって風呂に入るのは初めてだな」
「そうだったか?」
「ああ。前に大浴場が解放された時は一緒に入れなかったからさ」
「ああ……」
別に一夏と風呂に入ったことがあるとかないとか一々覚えていなかったのだが、大浴場という言葉で思い出した。
そう言えば、以前一夏がしつこく申請していた大浴場の使用許可が一度だけ下りたとき、俺は入らなかったのだ。
何故かと言うと、
「デュノアが男のふりしてた頃にお前と混浴したやつか」
「あ、ああ」
男装の麗人が一夏と入る気満々だったからだ。
「あれな。お前よく一緒に入ったよな。女だって分かってたんだろ」
「しゃ、シャルがどうしてもって言ってな」
「勇気ある行動だ」
それで手を出さないんだから鋼のメンタルだよ、本当に。
俺の賛美に、その時の事を思い出して顔を赤く染め、ぷくぷくと沈む一夏。
これ以上その話題を掘り下げられたくはなかったようで、露骨に話題を変えてきた。
「シャルと言えば、嘉神はあいつが女だって最初から分かってたのか?」
「はあ?」
「いや、本当はシャルと同室になるはずだったのは嘉神じゃないか。それを俺の方が適任だとか言って変えてもらったんだろ? 今思うとあれってシャルが女だって見抜いてたからなのかなって」
「……初見であれを男か女か見分ける鑑識眼は俺にはないよ」
「じゃあ偶々か?」
「お前の方が転校生と仲良くできるだろうと思ったのは本当だ。他意はない」
「ふーん」
一夏にとって、それはあまり強い疑問でもなかったのか、それ以上は触れてこなかった。
既に終わったことではあるし、今更聞いても仕方がないと思ったのかもしれない。
あの時は誰も悲しまず損をしない結果に終わったのだから、聞く必要がないと言うのも確かだ。
一夏がデュノアから悩みを聞き、それに一夏らしい答えを出したことでデュノアは精神的に救われた。
例え、IS学園を卒業した後に苦労すると分かっていても、子供らしい子供なりの答えを彼女は受け入れた。
卒業までの二年と少しの猶予。その時間で身の振り方を決められる。
今は頼れる友人もでき、毎日楽しそうに笑顔で過ごしている。
何も悲観することはない。
「いやあ。それにしてもやっぱ温泉っていいな。また今度大浴場の使用申請するからさ。今度一緒に入ろうぜ」
「ああ。そうだな」
一夏に答えながらも、頭はずっと動いている。一夏の疑問に、俺は他になんと答えられただろうか。
「…………」
「嘉神?」
ずっと胸に突き刺さっている嫌な予感。それは段々と大きくなっている。
加えて頭がくらくらとしていて、少し湯あたりしてしまったようだ。少し長く湯に浸かりすぎてしまったかもしれない。
早く温泉から出た方が良い。
湯船から立ち上がる。
「あまり長湯して逆上せても困るから、俺は上がるぞ」
「ああ。俺はもう少し入ってるよ」
「夕飯に遅れるなよ」
「分かってるさ」
一夏に出ることを伝え、まだ入っているとの答えだったので、一応時間について注意した後に一人で温泉から出る。
そして脱衣所で浴衣を着、頭を冷やしながら先ほどの一夏の問いを反芻する。
『シャルル・デュノアが女であると最初から分かっていたのか?』
実際の所、シャルル・デュノアが女であるとは確信しないまでも、確実に何か裏があるとは思っていた。
なぜならば、テレビやネットなどで三人目の男性IS操縦者発見の話題を一切取り上げていなかったからだ。
シャルル・デュノアと言う存在の一切合切が秘匿され、情報統制がしかれたマスメディア。
フランスにとって、広告塔として有益なはずのそれを秘密にする理由。
何かあるとしか思えなかった。
数日後には一夏が俺からデュノアを遠ざけるような行動を取り始め、デュノアが一夏へ向ける眼が妙に湿っぽくなる。
この時点でほぼ女なのだろうと確信した。
そして、その予想は的中する。
ラウラ・ボーデヴィッヒのISが暴走した翌日、シャルル・デュノアはシャルロット・デュノアとして改めて生徒たちの前に姿を現した。
今まで騙していたことへの謝罪。出来ればこれまで通り仲良くしてほしいとの願い。
そして今までそのことを黙っていた一夏への制裁の後に、彼女は許される。
具体的に何があったのかは後日一夏が説明に来た。
女であったこと、女の振りをしていた理由。それらはほとんど推測していた通りだった。
俺も、その時はその結論についてどうこう思うことはなく今まできた。
だが、最近になって思い始めた。
「あと二年半」
卒業までの猶予を使っての決断。
家族とのつながりも、代表候補生の肩書も、全て失う覚悟で彼女は決意した。
決意して、行動した。男ではなく女としてIS学園に通い始めた。その結果が今だ。
今を振り返ってみて、どうだろう。
好きな人が出来た。友が出来た。何か隠すこともなく、毎日が楽しい。
その上、予想に反して代表候補生の肩書は健在。それどころかデュノア社からIS部品の提供が定期的に行われている。
良い事尽くめだ。悪い事なんか一欠けらもない。
特に、デュノア社が以前と変わらない態度のままと言うのが幸せを加速させる。
多分、事は俺たちが思っている以上に簡単なことだったのだ。
思いつめることもなく、動いてみれば容易に解決してしまうような小さな問題。
一夏は気づいているだろうか。
最初に関わらないことを選択した俺には、そのつもりはない。
今まで通り、関わらずに遠目から眺めることしかするつもりはない。
でも、心配してしまう。
余計なお世話かもしれない。無駄な心配かもしれない。杞憂に終わってくれたらそれでいい。
だけど、時々思うのだ。デュノアはそれで本当に良かったのかと。
今はまだいい。一夏がいて、友人がいて、先生方もいる。
一人ではない。そう実感できる。
だがIS学園を卒業したら、その時彼女は一人になる。
一人で社会に放り出されることになる。
耐えられるだろうか。頼れる者がなく、身内の居ない現実に。
乗り切れるだろうか。荒れに荒れ、常に呑み込もうと襲い来る荒波を。
本当に、大きなお世話だろうけど。
心配するのなら、最初から手を差し伸べるべきだとは思うけど。
ちゃんと現実を直視して、初めて遠くまで見渡した。だから分かった。
一夏はちゃんと分かっているだろうか。
自分の言葉がデュノアを後押しし、決断させたこと。
そうしてしまったからには最後まで責任をもって付き合わなくてはいけないこと。
ちゃんと、分かっているだろうか。
◆ ◆ ◆
夕食では海の幸が味わえると聞いて、一も二もなくやってきた。
座布団に座り、いざわさびと醤油で刺身を食べる。
つんっとくるわさびの辛さが堪らない。緊張と不安で昼は碌に味わえやしなかったのだから、今味わわないといつ味わえるのかって話になってくる。
思う存分、気の済むまで胃に突っ込む。
「わさび醤油うまーーーー!」
「か、嘉神……?」
俺の隣のデュノアが、いつもと違うテンションの俺に困惑している。
「このわさびがたまんねえええええええ!!」
「一夏まで!?」
更に、デュノアの右隣にいる一夏の雄たけびまで重なって、大勢の注目を浴びることになった。
かなり目立ってるけど、一夏は気にする素振りがない。気づいていないのかもしれない。まあ、あいつは怖いもの知らずだからしょうがない。奇行には目を瞑れ。むしろ慣れろ。
「シャルも食ってみろよ。美味いぜ。さすが海の近くの旅館だ。鮮度が違う」
「そうなの?」
「ちなみに、一夏が美味いって言ったのはそこの緑の塊だ。味わいたいのならぱっくりいけ」
「へえ。これ美味しいんだ」
デュノアが箸で器用にわさびの塊をつまむ。そして口へと運ぶ。
俺は一夏が止めるだろうと思って勧めたのだが、当の一夏は、デュノアがわさびを口に入れる直前、俺に向かってサムズアップしていた。
おいおい、お前が止めないで誰が止めるんだ。
「うぐっ!? ふうぅぅううううううう!!!???」
デュノアが鼻辺りを抑えて、涙目で唸る。そりゃそうだ。
そこに一夏は加虐的な笑みで問うた。
「美味いか?」
「だ、大丈夫……。おいしい………………………よ」
言い終わるまでのかなりの間が、正直に答えるか社交辞令で済ますかの苦悩を表していた。
無駄に空気を読む辺り、日本人みたいな優等生だ。
「薬味の塊を口に突っ込んで美味いわけないだろ」
「……え、薬味?」
「鼻につんとくる辛さだっただろ」
「騙したの!?」
「一夏が騙した」
「一夏ぁ!!」
一夏はデュノアにぽこぽこ殴られる。
何で俺? って顔をしていたが、お前が止めずに楽しんで見てたからだよ。
「嘉神もだよ!」
当然、矛先は俺にも飛ぶ。
だけど俺の目にはデュノアの先、一夏の右隣に座るオルコットさんの姿しか見えない。
「お、オルコットさん。どうした? 辛いのなら無理せず椅子の方に行けばいいぞ」
「何を言っていますの? 私に辛い事なんかありませんわ」
「無視しないでよぉ!」
外野がうるさい。
「でもセシリア。ほとんど食べれてないじゃないか。こんなに美味いのに。体調でも悪いのか?」
「なんでもありませんの! 本当に! なんでもありませんの!」
手をぶんぶん振り、痺れている足をもじもじさせながら、一夏に気づかれないように取り繕う。
まあ、一夏の隣座席を獲得する際の壮絶なじゃんけんを思い出せばそういう対応にもなる。
「一夏。オルコットさんが、一体どうしたのか知りたいなら足を突っついてみればいい」
「え、足?」
デュノアを間に挟んでのやり取り。
一瞬止めようと口を開いたデュノアだが、オルコットさんがどういう顔を見せるか想像でもしたのだろう。
さっきの一夏みたいな意地悪な顔に変貌した。
「い、一夏さん!? やめ、あっ……」
「ここか? ここが悪いのか?」
既に突きが開始されていて、妙にノリノリな一夏である。
それを眺めるデュノアも良い顔してる。
「です、からぁ! やめぇ、や、めっえ!」
「………………………………」
無言で高速の突きを見せる一夏。どれだけオルコットさんの足を突けるかを考えていて、汗をかきながらもその表情は真剣そのものだ
「やっめて、くだしゃい! い、ちかぁ、さん!」
反対に被害者の顔はどんどん赤く染まり、それに比例するようにデュノアの顔が恍惚になっていく。
天国はすぐそこにある。
「もうっ……ダメ! ダメ! だめええええええええええ!!」
ついに事切れたオルコットさんの絶叫。体を前に倒して足を後方に伸ばす。
息も絶え絶えに四つん這いみたいな体勢になるが、何とか食器とその上の食材は無事だ。
「ふぅ」
それを見て、いい仕事をしたとばかりに額の汗をぬぐう加害者。
そのまま爽やかな笑顔を俺に見せつけた。
「やったぜ嘉神! 俺は成し遂げた!」
「おめでとう。でも俺は関係ねえよ?」
しーんと静まる大部屋。IS学園の一年生が全員集まったと言うのにまるで深夜の墓場のような静けさだ。
「セシリアは、エロいな……」
誰かが呟いた言葉。それ、今は本当に洒落になってない。
「ほえ?」とオルコットさんの気の抜けた声が聞こえる。
どすんどすんと、廊下を歩く死刑執行人の足音も聞こえた。
「何の騒ぎだ!」
襖が開かれ、響く織斑先生の怒号。
オルコットさんの体勢と蕩けた表情を見て、その怒り顔が無表情へと変わった。
「ち、千冬ねえ……」
「これは――――」
「織斑君がやりました」
真っ先に事実報告。
自分は関係ないです感をアピールしておく。
「デュノア。それは本当か」
「はい。織斑一夏くんがやりました」
「そうか」
「嘉神、シャル!?」
この行為は裏切りではない。
だって見てみろよ。いつもなら真っ先に殺しに来る篠ノ之さんも、ボーデヴィッヒも凰さんもそっぽ向いてるんだぞ。
見た感じが洒落になってないんだよ。
誰も関わりたくないんだよ。
「食事中に不埒な真似をしたこの馬鹿者とオルコットは我々が預かる。皆は引き続き、夕食を楽しんでくれ。――――早く来い、馬鹿者が」
「違うんだ、千冬ねえ。見た目はそう見えるかもしれないけど――――」
「言い訳なら後で聞く。今はとっとと歩け。山田先生、オルコットを頼みます」
「は、はい」
多分この中で一番顔を真っ赤にしていた山田先生がオルコットさんを連れていく。
4人がいなくなった食事の席は変な空気が蔓延していて、時おりチラチラと向けられる視線が痛かった。
ほとんどの生徒が顔を赤く染めており、そういうことへの免疫のなさが露呈していた。
逆に言えば、顔を赤く染めていない生徒は免疫があると言う事なのだが、見た限りそう言う生徒は居なかった。
あのマスコットキャラクターのほほんさんでも僅かに頬を染めていたのだから、この学園の生徒たちは本当に箱入り娘ばかりなのだ。
ハニートラップとかいなかったのか。
嬉しい事に、一つの悩みが解消された夕食の時間だった。